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とあるラノベ好きのごにょごにょ  作者: ゆうかりはるる
11/13

【第11回 「学校を出よう!」】

「アクエリアスここ置いとくから。あとママがおかゆ作ってったから適当に食べてね。ちゃんと安瀬にしてなよ。じゃあね、行ってきまーす」

 制服姿の穂花はそれだけまくし立てると俺の部屋から出て行った。トストスと階段を踏む音が聞こえて、しばらくすると玄関の重いドアが閉まるドスンという音が響いた。その後に生まれた静寂の中、俺は再び微睡の中に落ちて行った。


 目を開いた俺は首を持ち上げてデスクの上の時計を見た。午前11時半過ぎ。

 昨日の夜から熱を出した俺は一晩うんうんうなされて今に至る。多少熱が下がった感じはあるが、全身がダルくてまだ動ける気がしなかったので、もう少しベッドの中でそのまま休んでいることにする。

 ベッドサイドのテーブルに置かれたアクエリアスに気付いて身体を起こし、すでに緩くなったそれを極々と4分の1くらい飲んだ。

 身体を起こしたことで、少し元気を取り戻した俺は、何か本でも読もうかと本棚に目を向け、しばらく読んでいなかったとある文庫本に手を伸ばした。

 谷川流 「学校を出よう!」(電撃文庫)

 タイトルにビックリマークが付いていたことを知って驚いたが、テレビ番組のタイトルなど、何でもビックリマークを付けておけ、っていう時代だったのかもしれない。ちなみにもちろん正式な呼び方は知っているので念のため。

 それはさておき、この本のタイトルを聞いて「ああ、あれね!」となる人はほとんどいないだろう。記憶力のある一部の人は作者の名前に見覚えがあるかもしれない。代表作を言えば、今度こそ「ああ!」ってなる人はグッと増えるだろう。もっとも、某ロボットアニメに比べて、時代を超えて生き残った感は若干見劣りするのだが。それはやはり昨今のソシャゲ含めたコラボ商戦のせいかもしれない。一応映画の新作が何年かに一度公開されるからかもしれない。

 話が某アニメに逸れてしまったが、というか、多分ロボットアニメと表現したことで数千万人のファンの反感を買ったことだろうが気にしない。気にしないぞ。

 さて、谷川流の話である。その代表作はと言えば、かつて「世界で最も売れたライトノベル」として燦然と輝いた「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズである。現在はおそらく「SAO」が抜いているだろう。

 いみじくも「SAO」同様に、本格的な世間的認知はアニメ化によるところが大きく、涼宮ハルヒは元祖ラノベ美少女ヒロインとして知られている。しかし、続作含めてシリーズを読んでいけば、涼宮ハルヒの容姿など物語にとってはまったくカケラも意味を持っていないことがわかるだろう。

 谷川流こそは、藤子・F・不二雄先生の正統な後継者である、と俺は勝手に断言する。涼宮ハルヒシリーズはとてもよくできたSF小説なのだ。断じてキャラアニメでも何でもない。多分、いとうのいぢ画伯の絵が魅力的すぎて、特にシリーズ第2巻「涼宮ハルヒの溜息」の表紙のみくるちゃんが可愛すぎるのがいけないのだ。

 さて、そんなふうに知名度も発行部数もワールドワイドな涼宮ハルヒシリーズに対して全く知名度のない学校を出よう!シリーズであるが、実はこの2シリーズ、第1巻の発売日が同じなのである。

 にもかかわらず人気にそこまでの差が出てしまったのは、ともにSFをベースとする物語でありながらもその性質が異なるせいもあるだろう。そしてその違いはタイトルにそのまま現れている。

 涼宮ハルヒシリーズはシリーズすべてのタイトルに涼宮ハルヒの名前が冠されている通り、文字通り「涼宮ハルヒを中心とする世界」について描かれているのに対し、「学校を出よう!」はもう少し群像劇寄りの描き方をされている。イラストのタッチがどちらかというと集英社コバルト文庫っぽいのがアニメ化に向かなかったのかも知れないが・・・。

 この本を読んだのは結構前のことなので、大体の雰囲気は覚えているものの内容については全く覚えていなかった。コバルト調の表紙をめくると・・・コバルト調のマンガが始まった。ライトノベル特有の巻頭カラーイラストページがそのまま少女マンガになっているのだ。通常なら重要なネタバレを含んでいることがままある巻頭イラストページはスルーするのだが、マンガになっているせいでするっと読んでしまう。

 思うに、最初に読んだときも多分このマンガ部分を読んでから本文を読み始めたに違いなく、そして思う。もしもこの部分を読まずに読み始められていたら、と。それくらい作品の設定に関わる重要な情報が簡単に開示されてしまっている。

 最も、そのような判断をしたであろう編集者の考えもわからなくはない。読み始めてすぐに思い出したのだが、この「学校を出よう!」は、ライトノベル本来の読者層として想定されている中高生にはいきなりガチSF過ぎるのだ。

 一人称の地の文も異様に長いセリフも全部、意味不明な文字の羅列と取られてもおかしくないほどに独特であり、ライトな読者たちが次々に脱落すると考えた編集者が初心者向けガイドブックとして少女マンガ風の短編を冒頭にねじ込んだのだろう。

 それにしても、微熱の残る頭では、行を追いかけるごとに頭がフラフラしてきそうなほど無茶苦茶な小説だ・・・。果たして数年前の俺はこれを読んで素直に面白いと思ったのだろうか。先に読み進めていたハルヒの方も、最初の数巻は苦痛そのものだったが・・・。

 この「学校を出よう!」を一言で説明してしまうと、超能力学園ストーリーとなるのだが、厨二心をくすぐるその甘い蜜に釣られて寄ってきたら、食虫植物に飲み込まれていた、とでもいうような、得体の知れない何かを読者は感じて、場合によってはページを閉じてしまうのではなかろうか。

 とはいえ、誤解のないように言っておくと、涼宮ハルヒシリーズもまた、本質的な部分では同じようなものだ。谷川流の作家性は決して万人受けするようなものではない。

 病み上がりには少し突飛で難解な展開が続くが、やがて物語が核心に近づくにつれて、俺は、思った以上に書かれていることが理解できると思った。

 そして、そのことは、同時に一つのライトノベル作品を想起させた。

「魔法科高校の劣等生」

 そう、この小説もまた、敢えて一言で言うなら超能力学園ストーリーなのだ。

 そこに描かれる超能力者の自己の存在に対するある種の葛藤と超克こそは、この「学校を出よう!」の本質なのではないだろうか。

 結局俺はそのまま最後まで読み切った。

 怒涛の展開で疲れたが、その分エピローグの平穏がすんなり受け入れられた気がする。

 ベッドから下りて本棚に本を戻す。酷く空腹であることに気づく。

 俺は6巻まで並んだ背表紙を眺める。確か、6巻の内容にいたく感心したのを覚えている。

 が、当分続きは読まなくてもいいや、とも思う。風邪で伏せっている時でもなければ読み続ける自信がない。

 ひとまず、母親が作っていったというお粥を食べることにしよう。

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