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とあるラノベ好きのごにょごにょ  作者: ゆうかりはるる
10/13

【第10回 「ビブリア古書堂の事件手帖」】

「ねえ、ねえってば・・・もう講義終わってるよ」

 見ると荷物を持った麻里亜が俺を見下ろしていた。言われて前方を見渡すと、確かに教授の姿はすでに壇上にはなく、必修科目であるためびっしりと埋まっていた席も今は閑散としている。二限の終わりは学食に殺到する者が多いせいで捌けるのも早いのだが、ここまで少ないとなると、講義が終了して五分は経過していると見ていいだろう。

「ねね、今日は2食行かない?」

 麻里亜が言ってくる。ここ最近こうしてコイツにつきまとわれているため、どうやら俺と麻里亜が付き合っているという風評が流れているらしい。大学に来るときの麻里亜はいかにも育ちの良いお嬢様風の美人に見えるためキャンパス内ではちょっとした有名人である。だから俺に対する中傷もあるらしい。まったくいい迷惑である。ちなみに2食は第2食堂の略であって、2人前食べるという意味ではない。

「いかん、もうこんな時間か」

 俺は教壇の斜め腕に取り付けられた時計で時間を確かめると、読みかけの本に栞をはさみ、慌てて立ち上がった。昨日LINEで呼び出されていたのを思い出したのだ。

「悪い、俺このあと用事あるんだわ」

 一瞬キョトンとした表情を浮かべた麻里亜をその場に置き去りにして俺はさっさと大講義室を後にした。

「えっ? ちょっと、私わざわざ待ってたのに! ヒドイよ〜」

 背後から何か麻里亜の呟きが聞こえてきた気がするが、気にせず少し早足で移動する。

 講義棟を出るとキャンパスの中央広場を突っ切り、学食の脇を通り抜けると、少し開けた場所に出る。そこには講義棟よりもややこじんまりとした何の変哲もない3階建ての建物が2棟ある。俺はそのうちの右の建物へと向かっていく。こちらの棟の方がなぜか全体的に煤けてボロく見える。ドアの開放されたエントランスを潜り抜けると、そこはもう異世界だった。

 2棟ある建物はいわゆる部室棟というやつで、向かって左の棟がいわゆる「部活動」的な意味での部室棟であり、右の棟は群雄割拠玉石混淆十把一絡げの迷宮、サークル棟である。正面側から見た二つの棟の外観はほぼ同じであるのだが、建築された年代はサークル棟の方が古く、そもそもは部室棟として使われていたこちらの建物が古くなってきたため、移転するつもりで左の棟を建てて各部が移動したあと、半ば不法占拠的に怪しげなサークル連中が旧棟に棲みつき、そして、当時のサークル連の敏腕会頭が学校側と交渉した結果、建物の安全性を見直すことを条件に、サークルが使用することが認められたのだという。会頭の「知り合いの建築事務所」が無償で安全点検と補強工事を行った上、どさくさに紛れて増築まで施したため、裏に回ると渡り廊下で繋がった更なる別棟が現れるのだが、このあからさまにルール違反な増築についても当時の会頭の力で学校側に認めさせたらしい。その結果、キャンパス内のそこかしこに掘立ごややテントを設営するなどして細々と生存していたサークルは揃って新天地に移り住むことができたということだ。当然、キャンパスの美化という観点ではその方が良かったわけで、ゴミ掃除の方法を滅却から整理整頓に方向転換させたということだろう。

 以上の話は全部先輩からの受け売りなのだが。

 俺はこの真上の中に籠った空気をなるべく吸い込まないようにしながら迷路のような通路を進み(全てのサークルが廊下を備品で浸食しているためだ)、いくつかの階段を登ったり降りたりしながら自分の位置エネルギーがどのくらいかを完全に見失いつつ、何とか今日も無事目的地へとたどり着くことができた。

 俺がたどり着いたひとつの扉。そこは周囲とは違ってドアの周囲には何も物はない。以前は隣のサークルの荷物がドアのすぐ脇まで来ていたそうだが、先輩が部長になってから全て追い返したらしい。さすが先輩。

 その扉には、「本部」と書かれている。雑居ビルの5階に構える小さなオフィスのドアにかかっているプレートのような、少し前時代的な雰囲気もするが、これと言って主張もない看板だ。

 俺がここに足を運ぶ事はそう多くはない。というのもここが使われる事自体はそれほどなく、普段はいつもカギがかかっているからだ。俺はだいたい月に一度くらい、先輩からの呼び出しがあったときにだけここにやってくる。

 俺は銀色のノブに手をかけ、ゆっくりと回しゆっくりと引いてドアを開ける。

 そこは、街の古書店と見紛うような、棚も床も本で埋め尽くされた空間だった。

 そして、奥まった場所の、古本屋のカウンターさながらのデスクに先輩の姿があった。

 俺がドアを後ろ手に閉めたのが合図だったように、先輩は読みかけの本に栞を挟むと顔を上げて俺を見た。

「よく来たね、ヨウ君」

 俺は、実質そのためだけに来ていると言ってもいい、この先輩の出迎えの言葉と微笑んだ顔をみて少しドギマギしながら、「お疲れっす」と努めて軽そうな挨拶をした。

「君の顔を見るのも1ヶ月ぶりか。何か飲むかね?」先輩が立ち上がりながらそう訊いてくる。

「あ、じゃあ牛乳で」

「オーケー、コーヒーだね。座って待っていたまえ」

 ちなみに俺は一年の最初からこのサークルに所属していて、ほぼ毎回このやり取りをしているのだが、この部室には先輩が持ち込んだコーヒーメーカーしか飲み物を作る手段はなく、冷蔵庫などは置いていない。お湯を沸かすためのポットはあるのだが、紅茶やお茶の類は禁止されている。理由は、それらはよくこぼすからだそうだ。飲み物をこぼして本を傷めることを防ぐために禁止していると言うことなのだが、だったらコーヒーもダメなんじゃないですかと最初にここに来たときにそう言ったら、烈火の如く怒られた。先輩いわく、「コーヒーと読書の組み合わせは、コーヒーとカレーの組み合わせと同じくらい、絶対的に素晴らしいのだぞ!」のだぞ・・・って言われてもなのだが、とにかく先輩の中ではコーヒーだけはOKらしいのでもちろん俺にも文句はない。あと、2回目に来たときに、先輩の手を煩わせるのも何だと思って自分でコーヒーを淹れようとしたら同じくらい怒られた。「君は私の私物にベタベタと触ってマーキングを施すストーカー野郎なのか!」ひどい冤罪である。

 ちなみに先輩は俺のひと学年上の可憐な女子大生なのだが、彼女の中のシャーロック・ホームズ的な何かのロールプレイをしているらしく、その口調はまったく可憐でも女子大生っぽくもない。俺はこの部室以外で先輩に会ったことが一度もないので、果たして外の世界で先輩がどのように喋り、過ごしているのか気にならなくもないが、何となく聞くのが怖いので未だに真実は闇の中である。

 先輩がマグカップを手に戻ってきて俺の前にコトリと置いた。

 先輩曰く、マグカップこそが最良にして最強、なのだそうだ。単純に倒れにくいからだろう。先輩はソーサーを蛇蝎の如く嫌っている。「あれこそは我々の貴重な書物に黒点の染みを作らんとする某国の陰謀だ」とか不穏な言い方をしているが、それだったらコーヒー禁止しろよという話ではあるのだが・・・。

「さて、1ヶ月ぶりの会合を始めるとしよう」

 先輩はことさら勿体ぶった口調で宣言した。会合。二人しかいない集い出会っても使っていい表現なのだろうか。

「ではまず私の方から報告するとしよう。前回の会合からの約一ヶ月間、私が購入した書物の冊数は18、そのうち読んだ冊数は3、積読になった冊数は、13だ」

「・・・・・・」

 俺はとりあえずリアクションを見せないように目を伏せた。先輩の自信満々な目を見ていると、つい本音を漏らしてしまいそうだし。

「では、ヨウ君。君の報告をしてくれたまえ」

「はい・・・。えーと、購入した本は11、全部読みました。積読はゼロです」

「そうか」そう言って先輩は少し残念そうな表情を見せる。

「では、今回も君からの寄贈はゼロというわけだな。まったく、我が本部のメンバーとしての自覚が足りないと言わざるを得ないな。部長である私は13冊も奉納するというのに」

 さて、俺が籍を置いているこのサークル「本部」であるが、これは別に「○○対策本部」とかの本部というわけではない。もっと単純な話で、「本に関する部」であるのだが、敢えて活動内容に即した表現をするなら「本収集部」である。

 そう、この部屋を埋め尽くす夥しい量の本は、全て先達の部員達が収集した本なのである。そして、この部室内に収蔵される本には一定の条件がある。単に個人の蔵書を持ち寄ったわけではなく、また、部費で購入しているというわけでもない。実際、こんな弱小サークルに部費が出ているとはとても思えないし、これだけの量の本を買えるほどの部費というのもうまく想像ができない。(後日先輩に訊いたところ、部費は一応支給されているらしく、その全てはコーヒー豆とコーヒドリップ用のミネラルウォーターの費用に充てられているらしい。完全に活動内容に即した使い道ではないのだが大丈夫なんだろうか。執行部の監査とか入ったら一発でアウトな気がするが・・・)

 少し話が逸れたが、本部に収蔵される本として認められる条件は、先ほどの先輩の言葉にヒントがある。

 先輩は積読になった冊数を13と報告した。そして、13冊も奉納する、とも言っている。この二つの数字は当然リンクしている。我が本部における「積読」の定義は、「前回の会合の時点で所有していた書籍のうち、今回の会合までに読むことのできなかった本」である。会合の開催は今の代に関しては先輩と俺の2名しか部員がいないため、先輩が思いついた時に適当に開催されるので、最短で1ヶ月、長くても2ヶ月経たない程度には開催される。なので、「買って1ヶ月以上読んでいない本」という風に捉えてもだいたい間違いではない。

 先輩は、このサークルの歴代の部長がそうであったらしいのだが、「本を読むことよりも本を買うことがより好き」という性癖の持ち主であるため、先輩の代には毎月ものすごい勢いで部室内に収蔵される本の数が増えていっているわけだ。

 しかし、もちろん読みたくもない本を適当に買ってきて放置しておけばいいというわけではない。というか、もちろんそれでも別に構わないのだろうし、過去にはそういう時代も存在したのかもしれないが、以前先輩にその辺りのことを詳しく聞いてみたところ、次のような答えが返ってきた。

「読みたくもない書物に払うようなお金は一銭の持ち合わせもないよ。私がたくさん読めもしないのに、それでもついつい本を手に取って、カウンターに持っていってお金を払ってしまうかというと、そこに一冊の本を読み終えるまでの感動のピークが存在するからだよ。良い物語というものは、永遠に終わってほしくないものだ。いつまでも読み続けたいという気持ちに真摯に向き合おうとするならば、本を買ってきて、そして、しばらくの間、机の上に積み重なった背表紙を眺める時、我々はその作品が持つ無限の可能性と相対することができるんだ」

 ただの積読の言い訳を難しく言っているだけなんじゃなかろうか。先輩の言葉にはさらに続きがある。

「そして、出会ったものの読み始めることのなかった物語たちをこの部室に持ち込む時、永遠の別れと共に無限の可能性をここに閉じ込めることができるんだ」

 何のことを言っているのかというと、この本部に本が収蔵される条件が、部員の所有する積読であるわけで、つまり収蔵される時点で買った本人は当然その本を読んでいないわけだ。そして、ここからがこの本部の鉄の掟でもあり、そして、このような本の楽園に、俺が呼び出されない限りまったく寄り付かないという不可思議さの理由でもる。それは、この部室内の本は、「読んではいけない」ということだ。そう、この本部は、「面白いと思って買ったけど読まれなかった本」だけを収集することが活動内容なのだ。

 俺の場合、買ってきた本を1ヶ月も読まないということがまずあり得ないので、本部の部員として相応しくないのではないかとも思うのだが、以前先輩にそう言ってみたところ、やっぱりものすごく怒られた。

「君は私をこんな黴臭い部室に一人で放っておくつもりなのかい! この人でなし!」

 実際のところ、俺がまったく相応しくないわけでもないのだろう。というのも、本を月に10冊も買うような人間自体がごくごく稀なのだ。この部室に納められた夥しい量の本を見れば、歴代の部員たちがどれだけの積読を積み重ねてきたのかということを痛感させられる。ローマは1日にして成らずとは言うが、月に1冊2冊積み重ねたところで、こんな空間は永遠に生まれないだろう。ここは、本に夢を見出した先人たちの想いが眠る場所なのだ。

 時間軸を現在に戻すとしよう。

 先輩は、「エヘン」とわざとらしい咳払いをすると、傍に置いてあった紙袋を持って立ち上がり、それをテーブルの中央に置いた。

「では、こちらを登録しておいてくれたまえ」

 幸にして本部の蔵書目録はデータベース化されており、学内のクローズドサーバ上に存在しているため、先人たちの夢はきちんとバックアップも取られて保護されている。そこに先輩が持ってきた本の情報を登録することが、このサークルにおける俺の唯一の仕事だ。ちなみに、同じ本を重複して登録することは禁止されているが、出版社や版の違いは認められているし、海外作品で翻訳者が違う場合なども言わずもがなである。

 俺は、先輩の置いた紙袋を手元に引き寄せながら訊いた。

「それで、先輩が読んだ3冊って何なんですか?」俺は読まれなかった夢の残滓より、読まれた方に興味がある。

 先輩は少し恥ずかしそうに俯いた後、小さな声で答えてくれた。

「『ビブリア古書堂の事件手帖』の1から3巻だ」

 『ビブリア古書堂の事件手帖』は、ライトノベルか否か論争が巻き起こるほど広く一般にも売れた本である。出版されたレーベルはメディアワークス文庫。このメディアワークス文庫は、当時ラノベ業界の覇権を手にしていた電撃文庫が、電撃大賞で一般文芸寄りの作品が応募されることも少なくなかったため、一般文芸よりの作家の作品を出版するために作ったレーベルである。しかし、レーベル初期の作家陣は電撃文庫のお抱え作家が中心だったこともあり、このレーベルがライトノベルなのか、それとも一般文芸なのか、あるいは一般文芸の皮を被ったライトノベルなのか、読者にも作家にも出版社にもよくわからない状態のまま細々と続いているというのが実情だ。

 おそらく電撃文庫は、自身のレーベルで「図書館戦争」というヒット作を出しながら一般文芸界に巣立っていってしまった有川浩の轍を踏まないために、最初から受け皿となるものを用意したのではないだろうか。

 そして、そのメディアワークス文庫において生まれた大ベストセラーこそが、『ビブリア古書堂の事件手帖』なのである。ちなみに、俺個人の意見としては印象に残りやすい割に覚えるのが難しいタイトルである。

「いいですね、俺もあれ好きです」

 しかし、俺の言葉を聞くと先輩は逆ギレ気味にこう叫んだ。

「うっかり全巻まとめて買ってしまったから大変なんだよ!」

 先輩は本を読むのが遅いのか、それとも読書に時間を割けないほど忙しいのか、多分その両方のような気はするが、過去の会合でも5冊以上読んだという報告を聞いたことはない。「ビブリア」シリーズは全7巻プラス後日譚的なのが1巻出ているので、全部買ったとなると、確かに先輩にとってはギリギリの冊数だ。

 読みきれなかったらストーリーが決着つかないままこの積読図書館に奉納しなけれならない。

 いや、もしそうなっがら俺が持っている本を貸せばいいんじゃないかとい気もするが、真面目にこのサークルの伝統を引き継いでいる先輩に言ったら、それこそものすごく怒られそうだ。ひとまず先輩の読書が捗ることを祈るしかない。

 「ビブリア」シリーズはミステリー系のストーリーなので、その内容についてはここでは語ることはしないが、敢えて言うならば、栞子さんの「巨乳メガネ」という人物設定は、多くの女性読者の反感を買ったに違いなく、この部分が、この作品においてもっともラノベっぽい部分であるかもしれない。

 その後はさっさと登録業務を済ませ、コーヒーのおかわりを飲みながら先輩をからかって、今日の会合はお開きとなった。


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