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丁度頼んだブレンドが二人の前に提供された。
「趣味とかはどうですか?」
確かめるように向けられた速水の視線に黒木は目を逸らした。
「プライベートなことは話した事がないので……でも、彼女が渡してくれる書類に偶に桜の付箋が貼られています。可愛らしい感じの。もしかしたら好きなのかもしれません」
不意に思い出し緩んだ口元を慌てて黒木は抑えた。
「では、ここなんてどうです?河津桜という早咲きの品種の桜が川沿いに植えられているんです。夜に行くと結構雰囲気がありますよ」
速水は少し伏し目がちに持ってきていたスクラップブックを開き、件のページをトンッと人差し指で指した。
「ここ、良いですね。是非彼女を連れて行ってみたいです。場所はここにします。それにしても、凄い情報量ですね」
そのページには近くのカフェや女性が好みそうな雑貨店、果ては近くのドラッグストアまで多岐に及ぶ情報が網羅されていた。
黒木は思わず関心して言葉を漏らした。
「……恥ずかしいな。こんな職業を選んでいる割りに、僕は余りプライベートのデートをした事が無いんです。だからついついこうやって小手先で誤魔化してしまいがちなんです」
苦笑を漏らしながら速水が照れ臭そうに笑った。
「お仕事を真剣にされている証拠ですね。凄い事だと思います。あっ、偉そうにすいません」
黒木が頭を下げながら謝罪をすると、速水は驚いた顔をした。
「速水さん?」
「あ、失礼しました。嬉しいです、そう言って戴けると。黒木さんはとても素敵な男性ですね。同じ店の仲間には神経質だとか、それは気持ち悪いからお客様の前では絶対見せるなとか、からかわれるんですよ。黒木さんの言葉が思いの外嬉しかったみたいで……」
ちょっと待ってくださいね、と速水は男らしいごつごつとした両手で顔を隠すと、はーっと溜め息を吐いた。
「黙っていても勝手に女性が喜んでくれそうなのに、そんなに一生懸命な姿を見たら逆に女性のお客様は喜んでくれそうですけどね」
黒木は視線を逸らしながら冷めかけたコーヒーに口を付けた。
「元々、大学の学費稼ぎにバーでバイトをしていた時に来ていたお客様がLove isのオーナーをしていて引き抜かれたんです。高校時代から勉強とアルバイトばかりでしたし、学校も男子校でしたから女性との接点も無くて。だからこうやって目先の情報ばかり集める癖が付いてしまったんですよ。カッコ悪いな」
隠されていない耳が少し赤く、速水の気持ちを物語っていた。
こんなに見目麗しい人でも、そういうものなのかと少しの安堵を黒木は覚えた。
「いえ、カッコ悪くなんかないです。むしろ安心しました。今日は本当によろしくお願いします」
黒木が深々と頭を下げると、速水は長い指の間から目を覗かせた。
一瞬の間の後、
「では、行きましょうか」
立ち上がり、黒木に手を差し出し、にっこりと微笑んだ。
清潔感のある髪の下に覗く耳はまだ赤いままだった。
差し出された手を黒木は掴んで立ち上がった。
★
都心から電車で三十分で目的の場所に着いた。
小さな小川が流れる道の横に桜樹が点々と植わっている。
その横には舗装された道がある。
ライトアップされ、賑やかな桜道を黒木と速水は手を繋ぎながら眺めていた。
「なんか申し訳ありません……」
消え入りそうな声で黒木は顔を赤らめて俯く。
「デートの練習なんですから気にしないでください」
気にしないで、と言われても大の男二人組で仲良く手を繋いで歩く様は、かなり目立つ。
それに加えて速水の美貌がいけない。
ただ立っているだけで視線を集める男が、こんな冴えない男と手を繋いでいては、罰ゲームでは?と周りの通行人は思っているに違いない。
しかし、黒木も退っ引きならぬ事情が自分なりにあるのだ。
今日は速水の手管を盗めるだけ盗んで帰らなくては、と気合いを入れ直すと、ついつい繋いでいた手に力が入った。
「どうかしましたか?」
黒木の力の入った手を見て速水は爽やかに微笑みながら聞いてくる。
「いえ。……僕が速水さん程の男前だったら、もっとスマートに彼女を誘えたのかな。今日は柄にも無い事ばかり考えてしまいます」
桜を見上げると、風が吹いた。
花びらがくるくると風に翻弄されながら舞い散る様をライトが下方から仰ぐように煌々と照らす。
「良く言われるんですが、そうでもないんですよ。僕は、なんというか、石橋を叩き過ぎて破壊するタイプなので。悪い癖なんですが、慎重になり過ぎてしまって。気付いた時には好きな人に恋人が出来てしまった後なんですよ、毎回。恋愛って結局タイミングが大きいですよね」
寂しげに夜空を見上げる速水の微笑は、溶けて消えてしまいそうだった。
「だから、決めてるんです。次に好きな人が出来たら頭で考えるよりも言葉を尽くそうって」
視線を黒木に落とし、苦笑した速水。
繋いでいない手。
指先を黒木の耳元に持っていき、一瞬止まった。
「花びらが……」
薄く色づいた可憐な小さな花びらを長い指で摘み上げる。
「でも、やっぱり無理かもしれません。僕は臆病だから」
少し高い位置にある速水の泣き黒子が小さく歪んだ。
「そんな事……」
無いですよ、と黒木は言えなかった。
それ程説得力の無い言葉も無い気がしたからだ。
二人は暫く無言で夜桜を眺めた。