その7.契約が意味すること
もう、駄目だ――!!!
「カケルー!!」
俺が死を覚悟して目を瞑った瞬間。
リリィの声が聞こえたかと思うと、俺の目の前に巨大な何かが出現した。
「おわっぷ!!?」
俺の身体はその柔らかい何かに落下の衝撃を吸収され、反動で高らかに跳ね上がった。
一瞬気が動転してしまったが、再び落下が始まった時俺はハッと我に返る。
理由は分からないが、力が使えない今はこの巨大な何かにしがみつくしかない。
俺は必死でその柔らかい何かに掴まろうとする。
弾力があるそれに二、三度跳ね上げられてしまったが、何とか静止することができたようだ。
い、生きている。
辛うじて地面に叩きつけられる結末は避けられたらしい。
「あ、あああ……死ぬかと思った……」
呼吸を荒くしながら、俺はその柔らかい何かに感謝をした。
ああ、怖かった。
むしろちょっと泣いた。
「んっ……か、カケル! そんなに動いたらくすぐったいのじゃ!」
「え……?」
すぐ近くからリリィの声が聞こえて、俺は顔を持ちあげる。
視線の先には、頬を赤らめたリリィの巨大な顔があった。
……ん? 巨大な顔?
俺は自分のしがみついている場所を改めて観察してみる。
巨大すぎてすぐには分からなかったが、よく見れば見覚えのある衣類。
その先にはグローブやニーハイソックスに包まれた四肢がついていた。
落下する俺を、巨大化したリリィが助けてくれたのだ。
……とすると、この黒いクッションのようなものは。
俺がしがみついていたものは、リリィの胸だった。
「うわわわ!! ごめんリリィ!」
俺は我を忘れて慌てて手を離す。
すると、当然ながら自らの身体を支えるものがなくなるわけで。
ぐらりと、俺の身体はバランスを崩した。
「うわああああ!!!」
俺はまたしても地面に向かって落下していく。
改めて地面にぶつかりそうになる瞬間、リリィがその手で俺の服をつまむようにキャッチした。
ブラブラとハンガーにでも吊るされるかように、随分と情けない格好になりながらリリィの顔の前に持ってこられる。
「クフフフ。カケルは慌てものじゃのう……っと、このまま話すのはあまりに失礼じゃの。ちょっと待っておれ」
「あ、あぁ……有難うリリィ……」
リリィは嬉しそうにそう言い、俺をそっと地面に下ろした。
あぁ、愛しの大地。なんて有り難いのだろう。
俺が地面の感触を足で味わっている間に、リリィも等身大のサイズに戻っていた。
元の小柄な少女に戻ったリリィは、俺に向かって走ってくる。
「カケル! ありがとうなのじゃー!」
そして、その勢いのままガバッと俺に抱きついて来た。
なんとなく彼女の行動の予想がつくようになっていた俺は、なんとか踏ん張って転ばないようにする。
リリィに抱きつかれれば、当然発育の暴力が俺に襲いかかる。
小さくなってもその胸は変わらず柔らかかった。
「り、リリィ! そ、その。さっきのことは本当にごめんというか何というか……」
俺は相変わらず赤面しながらも彼女を引き剥がし、先程のことを謝罪する。
だが、それを聞いたリリィは怪訝な顔をして首を傾げていた。
「なんのことじゃ? お主はいわば私達のことを救ってくれたヒーローじゃ。何を謝ることがある」
「い、いやいや! 事故とはいえその、女性のむ、胸をがっちり掴んじゃったわけで……」
そうなのだ。
俺は巨大化した彼女の胸にこれでもかとしがみついた。
今でも手のひらどころか、全身に感触が残っている気がする。
恋人などできたことのない俺には些か刺激が強すぎた。
うぐ、思い出すと鼻血が出てしまいそうだ。
俺の言うことに漸く合点がいったのか、リリィは『ふうむ』と考えるように顎下に手をあてた。
「なんだ、そんなことかの。そんなの、カケルにならいくらでも……あぁ、そうか。そういえばその辺の説明はまだじゃったの」
「え……」
「リリィ様! カケル様! おふたりとも、よくぞご無事で!」
その時だった。
俺達の後方から声が聞こえ、振り返るとカプティスが走ってやってくるのが見える。
「おお、カプティス。もう動けるのかの?」
「ええ、お陰様で。……魔力不足のせいか、まだフラフラしますがね。そんなことより、転生者様のちからがここまで強大とは思いませんでした。まさか“契約の力”がこれほどのものとは」
カプティスはまるで敬うべき存在とも言うように俺を見ていった。
リリィも満足げな顔で俺のことを見ている。
う、なんだろうこの状況は。
二人してジロジロ見られると、変な気分になってしまう。
俺は何か気を反らせる方法はないかと頭を巡らせた。
「その契約の力……っていうの? さっきの俺の力は、やっぱりそれのせいなのか?」
「ええ、その通りです。現に、契約をする前のカケル様からは……その、失礼ですが何の力も感じませんでしたから。あれほどの力を出せるということは、それほどリリィ様との相性が良く、想う心が強いということなのでしょう。感服致しました」
「……」
えーと? なんかさりげなく物凄い恥ずかしいことを言われていないか?
「い、いやー……その、夢中だっただけで、俺には何とも。魔王と契約って言っても、アレだろ? 俺はこれからリリィの部下になるってだけで……」
愛想笑いを浮かべながら言った俺の発言に、場の空気が固まる。
え? 俺なんか変なこと言ったか?
「そうそう、そうであった。カケルよ、お主は何か勘違いをしているようだから一つ訂正せねばならぬことがあったのじゃ」
「リリィ様……まさか、契約についても満足に説明をしなかったんじゃないでしょうね」
カプティスがジト目でリリィを見つめる。
リリィの説明不足は日常茶飯事なのだろうが、当事者の俺としては笑えない。
何かとんでもないことを隠されているのでは、と。
しかし当のリリィは、カプティスにそう言われても飄々としていた。
「仕方なかろう、状況が状況じゃ。それに……まぁ、良いではないか。そんなことは契約をした以上、嫌でも分かることじゃ」
「はぁ……そんなことではカケル様に愛想を尽かされてしまいますよ。私はどうなっても知りませんからね」
上機嫌に笑みを浮かべるリリィに対し、呆れるようにため息をつくカプティス。
俺は一人だけ話についていけず、思わず眉間にシワを寄せてリリィに詰め寄る。
「ちょ、ちょっと。話が見えてこないんだけど」
「まぁまぁ、焦るでない。カケルよ、先の戦いでもお主は私の“部下”になったと言ったな。じゃが、契約というのは私の部下になることではないのじゃ」
何だって? 魔王と契約するって、普通はそういうことを想像してしまうだろうに。
「ええ!? じゃあどういうことなんだよ」
「すなわち……そのう……」
急かす俺に対しリリィが珍しく言い淀み、頬を赤らめてもじもじしている。
え、何その反応は。俺はまたしても嫌な予感がした。
「契約するということは……私の、伴侶になるということじゃ」
「……はああああああ!?」