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第6節


 ランドルとイアンたちの諍いは静まるどころか過激になっているようだった。離れていても怒鳴り声が届く。逮捕しようにも一人対三人では分が悪い。デリックはいつでも加勢に行けるように目を離さなかった。


 周囲はいつの間にか月の光さえ遮られ、闇に包まれていく。デリックたちの距離からでも見えていたシルエットさえ夜に溶けていくように輪郭が曖昧になった。

 視線の先の出来事を固唾を呑んで見守っていた所為で、背後から響いた物音に一拍遅れて振り返る。イアンの仲間に発見されたのかもしれない。動揺のままに拳を振り上げたデリックの手は、しかし、空しく宙を泳いだ。


「スチュアート!」


 背後から近づいてきた音の主は、先刻の話題に上った潜入捜査官――スチュアートだった。五体満足で怪我もなく、元気そうに愛想笑いを浮かべている。


「どーも。それで? 犯人はイアンだったか?」

「イアンじゃなくてイアンの部下が犯人の一味らしい。つーか、アンタどこに行ってたんだよ?」


 デリックは疑いの眼差しでスチュアートを見る。彼は苦笑を零し、双肩を竦めた。


「どこって、イアンが出ていくのが見えたからな。ちょっと探ってみた」

「探るって……」

「スタッフルームとかをな」

「潜入捜査官は伊達じゃないってか」


 どのような些細な機会も見逃さない。ランドルが彼の腕を信用している理由が少しばかり理解できた。


「何か見つかった?」


 ライラが好奇心を隠さず、スチュアートに質問した。


「おそらくイアンが使っているであろうデスクや棚からは何も」

「他のデスクで何か見つかったってことか?」

「胸糞悪いものが大量に」


 眉間に深く皺を刻みこんで、苦々しく彼は言い放つ。潜めた声でも十分に窺える怒り。デリックはスチュアートを注視した。

 スチュアートが発見したものが何なのか、知る必要がある。しかし、知りたいと微塵も思えない。恐らく、知ったところで嫌悪感が募るだけだ。躊躇するデリックとは正反対に、エリアルは視線でスチュアートに先を促した。


「……子供たちの写真だ」

「頼むから生きてる写真って言ってくれ」


 デリックの願いにスチュアートは重々しく頷いた。


「たぶん、生存確認用の写真だろうからな。ちゃんと生きてたよ」


 楽しい写真ではないだろうが、ひとまずは無事であるらしい。その事実が確認できただけでも成果だ。


「向こうは随分揉めてるな」


 スチュアートがランドルのシルエットを指して呟く。数で勝る相手に苦戦しているようだ。未だに制圧できない様子がシルエットだけでも窺える。

 身を隠していたデリックたちを置いて、スチュアートがランドルのもとへ足を向けた。堂々とした足取りに、先刻のランドルの姿が重なる。警察官という人種は、誰でもこれほど勇敢なのだろうか。否、そうではない。彼らがとりわけ優秀なのだろう。


「オレらもやっぱり行った方がいいんじゃ?」

「デリック」

「ん?」


 いつの間にかデリックのすぐ傍に座っていたライラが、真剣な顔を見せた。


「もう行ったよ」


 ライラが指差す先に、ランドルたちの方向に歩いていくエリアルの後ろ姿が見える。一言もなしで勝手に行動するところがいかにも彼らしい。あっという間に夜の闇に包まれていく背中に、慌てて駆け寄る。ライラの足音もデリックに続いた。

 徐々に男たちの姿が明瞭になってくる。揉める声もはっきりと聞こえてきた。しかし、デリックの予想に反し、揉めているのはランドルたちとイアンたちではなく、イアンと部下の男だった。


 空を流れる雲と雲の隙間から、時折、月光が顔を覗かせる。一筋の光がデリックたちを照らした。そこで漸く、デリックはイアンの部下に手錠が嵌められていることに気づいた。


「いいかげんにしてくれよ。子供を誘拐? それが俺のため? とんだ詭弁だね」


 イアンが呆れたような声で部下を罵る。彼の手には手錠がない。


「あんたがそんなに度胸のない男だったなんて知らなかった!」


 部下の男が怒鳴る。イアンのボディガードの眉が吊り上った――瞬間、男の腕を捻り上げて悲鳴を上げさせた。デリックが瞬く間の出来事だ。


「ケイレブ、よせ」


 短く命じたイアンの言葉に、ボディガードの男――ケイレブが僅かに肩を揺らす。一瞬の躊躇。しかし、二秒後には部下を解放していた。イアンの命令には不本意でも従うらしい。金銭のやりとりがあるだけの関係とは思えない。そこに見えるのは、ケイレブからイアンへの絶対的な信頼だった。

 信頼――それは、一人で生きてきたデリックにとって理解し難い感情だ。


「誘拐を企てた首謀者は誰だ?」

「本当に分からないのかよ? それでもボスか?」


 怒りの炎を瞳の奥で燃やす部下の男が、地を這うような声で喚く。


「心当たりの人物はいる?」


 聞き慣れた声で唐突な質問が届いた。声の主はもちろん、エリアルだ。イアンは怪訝な視線を隠そうともせず、じっとエリアルを睨む。しかし、そこに悪意はない。


「こいつらを従わせ、大胆な作戦を立案し、実際に行動に移せる人物か。恐らく、ヤツだろうな」


 数秒の思考の後、イアンが呟く。断言はしていないが、彼の中では既に確信があるようだった。


「誰だ?」


 一歩前に出たランドルが、イアンに詰め寄る。


「――君らを信用する価値があるかな?」


 すっと目を細め、イアンが品定めするかのようにランドルからデリックまでを順番に見る。彼の意見は残念ながら、デリックには理解できた。

 出会って間もない、見ず知らずの他者に部下の不始末を告げ口するような真似など、デリックがイアンの立場であればまず出来ない。

イアンは、まるで呪いでも掛けるかのようにぶつぶつと罵詈雑言を続ける部下の男を一瞥した。その双眸は、頬を叩く冬場の風のように冷たい。


「お前は少し勘違いをしているね。俺はビジネスマンだ。この街でのし上がりたければ、ビジネスの場で。野蛮なことはしないよ」


 ノースストリートの一角をカジノビジネスで見事に乗っ取った男の発言だからこそ、そこには重みがあった。


「アンタって思ってたより、まともなんだな」


 デリックが零した本音に、イアンが瞠目した。そして、表情を崩して笑みを浮かべる。初めて見る、彼の作り物ではない笑みだった。


「そこの男の方がよほど変人だ」


 イアンの視線がエリアルを示す。これには大きく頷いた。指摘されてみて実感する。味方にこそまともではない男がいた。

 失礼なことを言われた本人は、まるで気にしていないようで、呪いの言葉を投げ続ける男を興味深そうに見ている。


「ところで、君らがどうしてここにいるのかな?」


 不信感たっぷりな問い掛けに、デリックはエリアルを見た。そもそもここまで来たのはエリアルに従ったからだ。理由を知っているのは、彼だけである。


「電話で話してたから」

「人語を話してくれるかな?」


 イアンの容赦ない指摘に、デリックは声を出して笑った。


「ずっとあなたは悠々と構えていたけど、電話が掛かってきた後、急に落ち着きがなくなった。こちらを明らかに挑発して、一刻も早く外に出そうとしていた。つまり、今の話題が長引いてほしくなかったからだ」


 淀みなく話すエリアルの口調は、まるで朗読するかのようで考える素振りも見せない。


「電話の相手が、誘拐事件に関する何かを伝えてきたからだって考えてもおかしくはないんじゃないかな」


 おかしくはないかもしれないが、確信を持つには少し足りない。


「なるほど。頭は良いらしいな」


 端的に賞賛するイアンは、敵だったとしても相手の実力を受け入れる男らしい。


「この場所はどうやって嗅ぎつけた?」

「電話越しに、貨物車の音が聞こえた。あのカジノから一番近い場所にある線路で、この時間に動いているのはここくらいだ」


 ノースストリートの路線事情に精通しているエリアルの知識量が恐ろしい。いつの間にそのような情報を得たのだろうか。


「なるほどね。だが、こんな辺境の地にまでのこのこやって来て、見知らぬ子供たちを救おうとしている理由は?」


 まるで尋問だ。エリアルが口を開く前に、デリックが割って入った。


「なんでって。まだ右も左も分からないようなガキどもを見捨てろってか? それこそありえないだろ」


 正義感溢れる人のようなセリフを言う日が来るとは思わなかった。しかし、今は気恥ずかしさよりも怒りの感情が強い。

怒鳴るように食って掛かったデリックに、エリアルが嬉しそうな顔をした。居心地が悪くなる。眼前のイアンは、息を吐き出すように笑った。


「ヒーロー気取りか。面白い」

「ヒ、いや、まぁ……なんでもいいから早く教えろ!」


 一気に羞恥心に苛まれた。デリックが恥ずかしい思いをした価値は、それでもあったらしい。イアンが重い口を開いた。


「首謀者は恐らく、俺の腹心の部下――ニコラスだよ」





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