第5節
カジノの外まで戻ったデリックは、姿を隠しつつある太陽の光に目を細める。感覚的には随分と久しぶりに浴びる日光だった。
西日の眩しさが目に痛い。
逸らした視線の先に、待ち構えていたようにライラが立っていた。両手には溢れんばかりの戦利品。ライラは大勝したらしいが、その表情には不満が色濃く出ている。
「ライラ!」
「おっそい! 良い報告じゃないと聞きたくないんだけど」
頬を膨らませるライラは可愛い。しかし、視線の鋭さはランドルと瓜二つだ。期待に応えたいところではあるが、残念な報告しかできそうにないことが悔やまれる。
三人は情報を得るために勇んで侵入したというのに、結果は散々だ。
「追い出されただけだった。ごめん」
明確な情報は何一つ得られていない。イアンが関与しているのか、或いは、していないのかさえ分からないままだ。本人は否定していたが、果たしてその言葉を鵜呑みにしていいものかどうか。判断できない。
デリックは申し訳なさから謝罪の言葉を口にした。
「え、情報ナシ?」
瞠目するライラは三人が何かしらの情報を得てくると確信していたようだ。
彼女は何度も瞬いて、先ほどまでの不機嫌をどこかへ消し去り、心から不思議がっている。よほど信頼してくれていたらしい。
ライラの手から戦利品を奪ったランドルが、その多さに苦く笑う。儲けた分で大量のお菓子を購入したらしく、紙袋の中から色とりどりの菓子袋や菓子箱が顔を覗かせている。板チョコレートを開封して食べ始めたランドルに、ライラの蹴りが入った。
ゆっくりした足取りでカジノから出てきたエリアルが、デリックを見て瞠目する。間違いなく彼はランドルではなく、デリックを見ていた。
「痛そうな顔をしてるのはどうしてだ?」
なぜなぜどうして、と彼の顔に書いてある。エリアルはじっとデリックからの返事を待っていた。ランドルとライラのやり取りを見ていたデリックは、どうやら反射的に「痛い」顔をしていたようだ。
ライラの蹴りは重くて痛い――ように見える。目の前でランドルに蹴りが入ったため、咄嗟に顔を歪めてしまったらしい。
「どうしてって、痛そうだったから?」
「へぇ」
「共感ってやつだよ。たぶん」
デリックの言葉を真似するように、エリアルが小さな声で共感と呟いた。何かがまるで彼の琴線に触れたような反応だ。未だに掴めないこの名探偵の心の内を少しでも知る良い機会かもしれない。
口を開こうとしたデリックの言葉を奪うように、エリアルが素早く半回転した。咄嗟に一歩退いたことで彼との衝突を避ける。
「よっし回避!」
「なにを回避?」
小さく握り拳を作りながら喜びの声を上げたデリックに、ライラが疑問を投げかけてきた。当然の反応と言われればそうかもしれない。デリックは、エリアルの予備動作のない唐突な動きに対応できたことを喜んでいただけである。ゲームの一面を攻略したような気分だ。
半回転したエリアルは、そのまま脇目も振らず歩き出す。残されたデリック、ランドルとライラは慌てて後を追った。
「なんだどうした?」
「イアンは今回の事件に無関係じゃない」
ランドルの問いにエリアルが応えた。
「つまり、アイツが犯人ってことか?」
やはり疑った通りだったか。デリックはイアンの顔を思い出しながら、エリアルの背中に問う。よどみなく歩く姿から見ても、どこか目的地があって歩いているらしい。
唐突に歩き出したエリアルの後を追い始めてからおよそ数分。カジノから西に向かって進んだ先は、目に痛い照明が爛々と輝いていた場所とは一変して静かだ。夕日の眩しさからさえも隠れるように、エリアルの行動に従って全員が木陰に入った。
「おい、エリアル」
「イアンは犯人じゃないと思う。でも、イアンの仲間の誰かが関係してる」
「仲間?」
「電話の相手」
エリアルの指摘に、イアンにかかってきた電話を思い出す。揉めているような雰囲気だった。あの電話の相手が、犯人である可能性が高いのか。顔も見えない、声も漏れ聞こえる程度だった相手だ。
木陰の向こうで、夕日の最後の一筋がすっと消えていく。緩やかに移り変わる色合いにデリックは悪寒を覚えた。もうすぐ太陽の支配が終わる。
カジノの音が遠くから喧噪のように聞こえてくるだけで、この場は妙に寂しい。エリアルの視線の先に、一台の車が停止する。黒塗りの高級車。運転席から降りたサングラスをかけた大男が、後部座席のドアを開ける。車内から顔を見せたのは、先刻まで飽きるほど見ていた男だった。
「イアン?」
「彼は対処しに来たんだと思う」
「対処って何の?」
「電話で揉めてた件だ」
揉めていた件と断言されても、九割は聞こえなかった会話だ。残り一割も理解できていたか怪しい。その曖昧な電話越しの会話だけで、イアンがこの場所に来ると推理したエリアルをまじまじ眺める。
「この近い距離で車か。金持ちは運動が嫌いと見える」
吐き捨てるように言ったランドルは、今にも逮捕するために飛び出さんばかりの殺気を纏っていた。はっきり言って怖いが、彼の言い分は理解できる。デリックたちは徒歩五分程で到着した場所だ。
イアンの元に二、三人の男たちが駆け寄ってきた。運転手の大男がまるで防護壁のようにイアンと男たちの間に立つ。彼らは運転手兼ボディガードらしい。イアンが大男を制して一歩前に出た。何事かを話しているが、ここからでは距離があって聞き取れない。
「なんて言ってるんだろうな……」
「『随分と勝手な真似をしてくれたようだね』」
「え――」
聞こえるはずのないイアンの声が、隣から聞こえてきた。横を向いたデリックは、ランドルが手にした携帯電話を凝視した。イアンの声は、確かにその電話から聞こえてくる。
「さっき接触したとき、こっそり盗聴器をつけておいた。この電話で聞けるように細工済みだ」
「怖っ!」
「何がだ!」
あまりの手際の良さに引いてしまう。スチュアートではなくランドルが潜入捜査をしていたとしても、問題なく情報を集められそうだ。スパイに向いているのかもしれない。
感心してランドルの横顔を見る。デリックの視線に気づいた彼が、鋭くこちらを睨んだ。前言撤回だ。これほど殺気立っていては潜む仕事に向いていない。
ランドルの持つ携帯からイアンの部下の声が届いた。
「『崇高な理念に基づいて行動したんですイアンさん。あなたにもきっと理解してもらえるはずだ!』」
必死に弁解している様子だ。彼の言う崇高な理念が、もしも子共たちを誘拐したことを指しているのであれば、一体その行動の何が崇高だというのか。
憤りを感じるデリックの心を映したかのように、イアンの声に怒気が含まれた。
「『俺はそんなことをしろとは一言も言ってない』」
この返答は、部下の男にとって満足のいくものではなかった。視線の先で、男たちの争いの熱が上がっていく。
男がイアンに掴みかかろうと手を伸ばすのが見えた。ボディガードが動くより先に、イアンが男の足を払う。イアンの顔を殴りつけたい衝動ばかりが勝っていた男は、完全に足元がお留守だった。転倒して喚く声が携帯からだけではなく肉声でも聞こえる。
「『お前一人でこんな大それたことを思いついたわけじゃないだろう? 首謀者は誰だ?』」
冷静な声には、先ほど感じた怒気はない。イアンは恐らく、非常に賢い男だ。
己の感情をコントロールできることは、ある意味では何にも代えがたいスキルである。常に冷静な判断を下すことができるからだ。
「『みんな、あなたを慕ってる! あなたにこの街を支配してほしいと思ってる! だからその駒として子共たちを攫ったんだ!』」
男の怒鳴り声。言質は取れた。
駆け出そうとしたデリックの腕をランドルの手が掴む。明確な制止だ。咄嗟に睨みつけたデリックがランドルの顔を捉えるより先に、彼がイアンたちのもとへ向かっていた。一般人の出る幕ではないということか。
暗闇に支配されつつある寂れた場所で、男たちに割って入るランドルのシルエットを眺めた。ただ、眺めているだけだ。とん、と片膝の上に置いたデリックの手に触れる指先に気付づいて、その手の主を見る。こちらをじっと見返す双眸が何を言いたいのか、彼が口を開く前に察してしまった。
「ランドルは警官だ。自分の役目を全うしようとしてるだけだよ。他意はない」
「――何の話だ?」
エリアルのお節介な慰めに、惚けて応じる。まるで、ランドルに邪魔だと言われたかのように感じて鬱々としていた内心を掘り起こされたくない。ポーカーフェイスを気取っていたつもりだが、この名探偵には関係ないらしい。嫌な男だ。
「そ、そういえばスチュアートはどこ行ったんだよ?」
カジノで別々になってから、一向に姿を見せない。ランドルが気にする素振りを見せなかったため、誰も何も言わなかった。しかし、さすがに不穏な空気を感じてしまう。スチュアートの身に何かあったのではないだろうか。話題の転換としても、文句はないだろう。
「いつからいないっけ?」
「ライラ……、カジノからだ」
首を傾げるライラに苦笑して返す。しかし、さすがはプロの潜入捜査官だ。スチュアートは潜むことに掛けて一流であるらしい。
彼は見事にライラの目を眩ませていた。