第3節
あちらこちらで派手なライトが明滅している。眩しい街並みの中、ランドルに険しい顔で文句を零された。
「お前の考えは最悪だ」
「最高の間違いだろ、訂正してくれよな」
「意外と悪くないんじゃないか?」
「さすが名探偵!」
「えー、ここ回すとお金が出てくるの?」
三人の会話を華麗に無視したライラが、興味深そうにスロットを回す。他人が使用していた台のスロットを――である。止めに入る隙もなかった。
慌てて謝罪しようとしたデリックは、画面に映し出された表示に瞠目する。――777、大当たりだ。
「わ! いっぱいなんか出てきた!」
「ライラ。キミには才能がある。一緒に稼がないか?」
「ん? もしかして面白く口説きなおしてる? さっきよりはマシだね!」
口説くというよりは半分以上真剣に言ったのだが、ライラには通じていない。
音楽と人々の声が遠慮なく充満しているこの場所で、気分が妙に高揚していたのかもしれない。デリックは深呼吸して、冷静さを取り戻そうと努めた。
デリックたちは今、サウスブロックにいる。その中で最も大きなカジノに入り、今から賭け事に興じる予定だ。
「デリックが金を搾り取られたら俺たちは逃げるぞ」
「ちょっ、ランドルがものすごく非情なこと言ってる!」
「がんばれ」
デリックの文句を受けて、エリアルが緩く拳を作って見せた。まったく力も感情も籠っていない「がんばれ」だ。恐らくこれまでの人生の中で最もやる気の出ない応援だった。
「よし分かった。誰もオレの実力を信じてないってことが」
早速逃げようと踵を返す連中の一人を捕まえて、デリックはカードゲームのテーブルへ引き摺って行く。捕まえたのはエリアルだ。一番役に立たない空気を醸している男を捕まえてしまった。しかし、致し方ない。
ランドルは素早く逃げ切ってしまったし、ライラは既に一人でどこかへ消えてしまった。スチュアートに関してはカジノに入った瞬間から行方不明だ。
異常なほどの統率力を感じる街で、とんでもなく統率のとれていないチームである。恐ろしい。自分がこのメンバーの一員になってしまっている事実が最も恐ろしい。
デリックはディーラーに声をかけてテーブルについた。横にエリアルを無理やり座らせる。
「見てろ。ボロが勝ちしてスタッフの目に留まってやるから」
これが今回の作戦だ。
イカサマかと疑われるほど勝てば、店側も黙っていない。オーナーが自ら出てくるように仕向ければいい。
カードが配られる様子をぼんやり眺めたままのエリアルに苦笑する。隣のテーブルでエリアルもゲームに参加するようだが、カードゲームのカの字も知らないような顔の彼では、あっさり負けてしまいそうだ。しかし、もし彼が負けてもデリックが勝てば問題はない。気合いを入れて、デリックは配られたカードを確認した。
ポーカーは相手の嘘を見抜くことが大事だ――とデリックは考えている。主に女性の顔色を窺って生きてきたデリックにとっては得意分野だ。
デリックのテーブルでは順調にゲームが進んでいる。隣のテーブルにいるエリアルは、勝ったり負けたりを繰り返しているようだ。しかし、エリアルの様子を窺えるのもここまでだ。
デリックは意識を集中させる。そろそろ本格的に勝ち始めるために動かなければならない。緊張で乾いた唇を舌で濡らし、デリックは持ち札を確認する。ロイヤルストレートフラッシュなんて大技を決められればかっこいいことこの上ないが、さすがにそれは難しい。周囲の様子を窺いながら、デリックはチャンスを待つ。忍耐も大事な武器だ。
「手持ちのチップ、全部賭ける」
隣から、とんでもない言葉が聞こえた気がして、デリックは集中を切らして反射的にそちらへ顔を向けた。隣に座るエリアルが涼しい顔で大量のチップを前に押す。
早まるな――声を掛けようとしたデリックは、エリアルの真剣なのか眠いのか分からない表情に注目してしまった。一発で持ち金を全て失うかもしれない大勝負を自ら仕掛けておいて、彼の顔には何の気負いもない。
「エリアル――――」
「乗った。俺は手持ちのチップ、半分賭けようじゃないか」
「おいおいお前ら正気か? 俺は降りる」
エリアルの発言にざわつくテーブル。デリックは慌てて自分のテーブルに向き直り、チップを前に出した。
「オレもやるぞ!」
デリックには作戦の発案者としてのプライドがある。隣のテーブルで名乗り出たデリックにもエリアルは無反応だ。こちらの動揺などお構いなしらしい。ランドルといい、エリアルといい。舌打ちしたいような気分だ。
こちらのディーラーがカードを配る。一人目が提示したのは2ペアだ。次に提示するのはデリックで、配られたカードを見て安堵した。どうやら運はデリックたちに味方したようだ。
ハートのフォーカードを提示した。その瞬間、空気が変わった。まるで、周囲にいる人々の息を呑む音が聞こえてくるようだった。デリックは満足気に一つ頷いて、視線を周囲に向ける。そこでようやく、野次馬だけでなくテーブルでゲームに参加している男たちでさえ、別の場所に注目していることに気づいた。
デリックではない。デリックの示したカードでもない。その隣だ。デリックは恐々とエリアルを見た。彼の手元で提示されたそのカードを。
「ロ、ロイヤルストレートフラッシュ……」
誰かが零した言葉が口火となって、カジノ全体が喧噪に巻き込まれていく。
「ウソだろ」
「ウソじゃない。ポーカーって初めてやったけど、ルールは知ってるよ」
「初めて!」
ついにデリックは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。人間をつくったのがもし神様で、その神様とやらがもし本当にこの世に存在するならば、神様は不公平だ。
「ふざけるな! イカサマだ!」
エリアルと戦っていた男がカードをテーブルに叩きつけて立ち上がった。今にも殴りかかりそうな剣幕だ。対するエリアルは、相手が怒鳴っている理由を理解できないとでも言いたそうな顔で瞠目している。もしや彼はかなり鈍感なのか。
慌てて仲裁に入ろうとしたデリックの動きを、エリアルの更なる爆弾発言が完全に停止させた。
「イカサマじゃない。ただカードを覚えていただけだ」
「……覚えてた? 全部?」
「全部」
あっさり告げて、不思議そうにデリックを見返してくる。デリックは今すぐこの場に倒れこみたい衝動に駈られた。
なんということをしてくれたんだこの名探偵は。
「エリアル。それ、反則に近い行為だから。ふつうはできないもんだけど」
「え、そうなのか?」
「そうなんだよ!」
周囲の喧騒が大きくなっていく。エリアルの行為は限りなく黒に近いグレーだが、カードを記憶することなど本来は不可能だ。それを成し遂げてしまう彼は、やはりランドルの言葉どおり「天才」かもしれない。
知りもしない他人の声があちこちから投げかけられて、デリックは耳を塞ぎたくなった。外野で喚くだけの連中に興味はない。しかし、外野の声とは常に巨大な波となって襲ってくるものだ。無視したくてもできないことは多々ある。今の状況がまさにそれだ。
この喧噪の中では聞こえるはずもないが、デリックは舌打ちした。隣にいるエリアルだけがこちらを見上げたので、彼には届いたようだ。もっとも、届けたい相手は彼ではなく、周囲の人間である。
デリックが心から苦手とする外野の野次は、静まるどころか大きくなるばかりだ。しかし、それがかえって功を奏した。
店の奥から唐突に静けさが広がってくる。沈黙を連れてやって来たのは、デリックたちのターゲット――イアンだった。
「お客様、ウチではカードを覚えるのを禁止していますよ。ここでイカサマしようなんて良い度胸してるね」
不敵な笑みを浮かべたまま、イアンが口を開いた。軽い調子だが、逆らえない威圧感がある。そんなイアンをじっと見つめていたエリアルが不思議そうな顔で頭を横に傾けた。
「どこかで会ったことある?」
「ないけど?」
「そうか。勘違いかな」
困惑をあっさり捨てて、エリアルはイアンの正面に立った。顔見知りではないようだ。
「ズルだと知らなかったんだ。もうしない」
「子どもじゃないんだから、知らなかったで済む話じゃないことくらい、もちろん分かってるんだろう?」
柔らかな物腰や口調でありながら、イアンから漂う空気は重い。
デリックは彼が纏う雰囲気に気圧されそうな自身を胸中で叱責した。エリアルは雰囲気に呑まれることもなく、動じた様子を見せていないというのに自分だけが情けないところなど見せられない。もっとも、エリアルの表情筋がおかしいだけかもしれないが。
「来い。お友達も一緒に、だよ」
イアンのその一言で、瞬く間に二人は包囲された。逃げ場はない。しかし、本人との直接のコンタクトを狙っていた二人にとっては、ある意味願ってもないチャンスだ。
大人しく従うフリで、デリックとエリアルは店の奥へと導かれた。視界の端で、野次馬に紛れて様子を窺うライラの心配気な顔が見える。ランドルとスチュアートの姿はない。どこかに潜んでいるのだろう。
デリックはライラに向けて片目を瞑って見せた。
――心配する必要はない。計画どおりだ。
だからそんな不安そうな顔にならなくてもいいという思いを、ライラは正確に読み取ってくれたらしい。彼女から笑みが返ってきた。
察しが良くて助かる。
ポーカーを上手く利用してかっこいいシーンにするつもりでしたが、ポーカーを分かっていない私にはできませんでした…。