第2節
身を潜めながら店から移動した一行は、人気のない路地裏に入った。
「それで? これからどうする?」
慎重な調子で、デリックは全員の顔を順番に見つめて口を開いた。
「まずは子どもたちを取り戻す。それが最優先だ。何か情報はないのか、スチュアート」
「情報って言ってもな。広場に集まっていた子どもたちが目を離した隙に忽然と消えていたってこと以外でか?」
顎に指を添えて悩むスチュアートを黙って見つめていたエリアルが、短く声を上げた。
「どうした?」
「ランドル、子どもひとりを攫うだけでも大変だろうけど、今回は複数人だ。それだけの数を音もなく誘拐するのは難しいと思う」
「――そうだな」
「犯人は、攫ったんじゃない。子どもたちから自分のもとへ来させたんだとしたら?」
「騒ぎも起こらない、か。だが、どうやって?」
子どもが自ら行動する目的。大人についていく理由。デリックは頭の中を回転させてあらゆる可能性を考える。
そもそも広場に子どもたちが集まっていたのはなぜだった?――大道芸だ。
「見世物で子どもたちを誘導したのか」
言葉にしてみると、デリックの中にその光景が思い浮かんでくる。もっと面白いものを見せてあげよう――そのような甘い言葉をかけて子どもたちを別の場所に誘導したとすれば、誰も事態に気付かないだろう。騒ぎ出す者はいない。
「移動手段は車かな。人数を考えるとそれなりの広さがないとだめだな」
エリアルの推測に頷く。スクールバスのような車を利用したのかもしれない。
「徒歩ではさすがに目立つだろうし、車の線が有力だ」
スチュアートがエリアルの意見に賛同し、路地裏から車道を眺めた。行き交う車の数はそれほど多くない。
「じゃあ、遠くにつれていかれた可能性もあるってこと?」
「ライラの言うとおりだ。もしノースストリートを出てたらどうする?」
ライラの言葉で咄嗟に思いついた考えに、デリックは血の気の引く思いがした。
ノースストリートの外は広い。街の外に出られたらお手上げだ。デリックの焦燥を、エリアルは短く否定した。
「ノースストリート内にいると思う。わざわざこの街の住人を誘拐して、外へ連れ出すなんてひどく手間がかかるだろう? そんな手間をかけるぐらいなら最初からリディキュラスシティの――つまり、外の人間を狙えばいい。子どもは多い」
「たしかに。ってことは、ここの子どもだから誘拐したってことだよな。なんのために?」
「それは、彼に聞こう」
外された視線がスチュアートを捉えた。
「……と言われても、俺にも正確なことは分からないぞ」
「でも何か考えてることがある」
質問ではないエリアルの言葉に、スチュアートは唇を引き結んでから慎重に頷いた。
「子どもたちを攫ったのは、彼らを洗脳するためかもしれない」
「せ、洗脳?」
まるでサイエンスフィクションの世界だ。驚くデリックに対し、スチュアートは真剣な表情のまま続けた。
「ノースストリートをのっとる気なんだ。今の権力者からな」
「街を支配したい誰かの仕業ってことか」
「俺の読みではそうだ。最近、この街は様子がおかしい。あちこちでケンカが起こってるし、自警団の連中が来ても抵抗する」
スチュアートの表情は硬い。
「ケンカなんかどこでも普通にあるんじゃ?」
不思議そうに問うライラに、デリックは「この街では違う」と返した。
「ここは統制のとれた街だ。自警団が出しゃばってくるようなケンカがあちこちで起こることはないし、自警団に逆らう人間なんかいない」
逆らえばどうなるか住人は理解している。
デリックの説明に、ライラがますます不思議そうな顔になる。疑問は当然だろう。どれほど統制がとれていても、反抗する者は後を絶たない。それが現実だ。だからこそ警察は日夜駆けずり回っている。しかし、ノースストリートは他とは違う方法で住民を統制している。
「どうやって?」
「ここには独自の法律があるってことは知ってるだろう? それと同じだ。この街で騒ぎになるようないざこざを起こせば、自警団に逮捕される。逮捕された人間には、保釈も裁判もない。権利ってものが完全に奪われるんだ」
「それってかなりやばいことじゃ……」
「ここでは、それが当たり前で常識なんだよ。怖い話だろ? だから誰も騒ぎを起こしたりしない。一人の人間である権利を捨てたくないからな。一度捕まれば、二度と権利は戻って来ないんだ」
人としての権利を奪われた人間が、このノースストリートでどう生きていくのか。デリックはよく理解している。身近に権利を奪われた元囚人がいたからだ。
彼女はとある罪で逮捕されたが数十年の刑期を終えて釈放された。しかし、権利のない彼女は労働によって金銭を受け取ることができない。雇用側にも支払う義務がないからである。
元囚人の彼女は、奴隷のように生きていくしかなかった。最低限の寝食のみを与えられ、永遠とも思える時間を労働に費やす。たとえ釈放されたとしても、これが自由と言えるだろうか。
ノースストリートを出ることが唯一残された希望だ。しかし、残念ながら人の出入りが極端に制限されているこの街で、身分証明書も持たない元囚人が容易に外へは出られない。
デリックが外の世界に焦がれていたのは、元囚人である彼女の生き様に触れていたからだった。自由とは、外に広がるものだと思えてならなかったのである。
「どうして誰も出ていかないの? 私だったらすぐにでも外に行く。権利があるうちに」
「でも、その処罰のおかげで罪を犯す人間はほとんどいない。ルールを守って生きてさえいれば、この街はどこよりも安全だ」
妄言でも過信でもない。これは事実だ。
ただ平和に生きていきたい人々にとっては、ノースストリートという街はある種の楽園に等しい。理不尽な暴力に屈することも怯えることもない日常。それがどれほど尊いものか、デリックにも理解できる。
「まぁ、オレは出る道を選んだから偉そうにこの街のことをあれこれ言う資格はないかもな」
「でもまだ住んでる。資格はあると思う」
突然、デリックを擁護するようなことを言ってくるエリアルについつい疑いの眼差しを向けてしまった。反省する気はないが。
無言で見つめ合うデリックとエリアルを無視したランドルが、スチュアートに声を掛けた。話を先に進めるためだろう。
すぐに脱線してしまうのがこの一行の悪癖だ。要因の一つに自分が関わっているような気もする。こちらについても勿論、反省する気はないが。
「スチュアート、お前の意見は分かった。犯人の見当はついてるのか?」
「いや、はっきりとは。ただ、この街を乗っ取ろうって吹かしてる連中は知ってる」
「誰だ?」
スチュアートは一瞬の躊躇いを見せた。しかし、すぐに短く息を吐いてランドルに向き直る。相当、厄介な相手らしい。デリックは無意識に唾を呑んだ。
厄介で、大胆な行動ができる者。ノースストリートの住民であるデリックには思い浮かぶ名前があった。できれば、見当違いであってほしい。
「ノースストリートのサウスブロックを支配しているイアンって男だ。若いやつらを束ねてる」
「……最悪だな」
聞き覚えのある名前にデリックは溜息を吐いた。
「なんだ、知り合いか?」
「んなわけあるか! オレは品行方正なんでね」
「――品行方正……?」
「そこでなんで疑いの目を向けるんだよランドル!」
失敬、と言いつつ含み笑いを浮かべるランドルを睨みながら、デリックはイアンについて話した。知り合いではないが、こちらは一方的に知っている。デリックだけではない。ノースストリートの住民なら誰もが聞き覚えのある名前だ。
エリアルがスチュアートとデリックを交互に見ながら口を開いた。
「ノースストリートにはブロックごとに別の権力者がいるのか?」
「いや、サウスブロックだけが異質というか……特別なんだ」
サウスブロックは、ノースストリートの法を掻い潜って気づかぬうちに別の支配権が生まれていた異質な場所である。治安が悪いわけではない。小さな商売をしていたイアンが、その縄張りを広げてサウスブロック全土の権力を握ってしまったのだ。
「どこにでも抜け道はあるらしい。ノースストリートの法は絶対だってのに。イアンは頭が良いんだろうな」
「そのイアンが、さらに支配範囲を広げてノースストリートそのものを乗っ取るつもりだって言ってるんだ。単なるジョークで片づけられないだろ?」
「スチュアートに一票」
デリックは人差し指を上げて、スチュアートに賛同した。
「イアンっていう男は、どうやってサウスブロックを支配したっていうんだ?」
眉間に深い皺を刻みながら、苦々しく問うランドルに双肩を竦めて見せる。
イアンの手腕は確かだ。平和と安定を求めるノースストリートの住民を魅了する術を心得ていた。
「娯楽、だよ」
「娯楽? お酒とか?」
ライラの意見も正しい。しかし、イアンがサウスブロックの住民に与えたのはアルコールだけではない。平和と安定の街、ノースストリートに暮らす人々は、秩序を愛している一方で刺激に飢えている。没頭できる何かに飢えている。
そう考えたイアンが提供したものは――
「ギャンブルだ」
「え、賭け事ってこと?」
「そのとおり。サウスブロックに行ってみたらすぐに分かる。まるでロスだ」
活気づいていて、夜も眩しく光る街。人々は賭け事に熱中し、毎日のように刺激を与えられて楽しんでいる。
「ビジネスマンってわけだよ。イアンという男は。だからこそ、厄介だ」
サウスブロックを支配したその手腕が、果たして表から見えるだけのビジネスのみで成し遂げたことなのか。定かではない。
デリックはサウスブロックにそれほど詳しくない。あまり立ち寄らないようにしていたからだ。ギャンブルが嫌いなわけではないが、ギャンブルよりもノースストリートの外に興味があった。
「そのビジネスマンなイアンとやらは、サウスブロックにいるのか?」
「ああ。サウスブロックの1番街にでっかい家を持ってるよ」
ランドルにスチュアートが嫌味をたっぷり込めた声で応えた。ランドルは満足そうに頷いて、デリックたちを順に見る。嫌な予感がしたのはデリックだけではないはずだ。
「まさか――」
「会いにいこうじゃないか。イアンに。」
「あのさ、イアンは確かにビジネスマンらしいけど、ノースストリートの法に反抗してるわけだから常に身の危険を感じてるはずだろ。聞くところによると、ヤツの周りは腕利きのボディガードが囲ってるって話だぞ」
言外に、会いに行くのは賢い選択とは言えないと告げているつもりだが、ランドルの好戦的な表情は変わらない。まるで特攻でもかけようとしているかのようだ。デリックの忠告など、聞く耳を持たないだろう。危険な場所に進んで乗り込んでいくような愚かな真似をしたいとは思わない。
そもそも、デリックの目的はスコットであって事件解決でも特攻補助でもない。しかし、それでも子どもたちを助けたいと願ってしまった。今すぐこの場を去ってスコットを見つけてさっさと街を出たいと思う気持ちは強い。同様に、否、それ以上に行方不明の子どもたちの安否が気にかかる。一度気になってしまっては、忘れることはできない。嫌な性分だ。
デリックは溜息を吐く。腹を括るしかない。この場を立ち去れないならば、取る道は一つだ。
「分かった。でも話し合いに行くんだぞ。ケンカとか大立ち回りとかは勘弁」
「お、乗り気だな!」
「ランドルの耳は腐ってるらしいな。どこが乗り気だよ! 全力で逃げたいっての!」
嬉々とした表情でデリックを見てくるランドルに怒鳴って、息を吐いた。ここで言い争っていても始まらない。
エリアルが不意に口を開いた。
「正面から乗り込んで――じゃなくてノックして、中に入れてもらえるかな」
「誤魔化すのへたくそすぎだろ。なんだよ意外だな、アンタも好戦的なんだ?」
「どうかな」
にっこりと笑って他人事のように言う。エリアルの人となりはまだまだ未知数だ。
「まぁ、簡単だろ。無視できないようにしてやればいいんだから」
「何か作戦があるのか?」
怪訝な顔つきでランドルに問われて、デリックは口端を吊り上げた。
「オレに考えがある」