第1節
第3章です。よろしくお願いします。
ノースストリートと外を繋ぐ門にほど近いカフェで、ランドルが捜査官を待っている。
そのテーブルが見える範囲で距離をとって客を装うデリックたちは、落ち着かない気持ちを必死で抑えていた。ランドルはさすがにプロの警官らしく、堂々としたものだ。堂々としすぎて妙な空気を纏っているような気もする。
まばらな客数のカフェは、こじんまりとした佇まいで容易に店内を見渡せた。
デリックはライラと同席しているが、彼女は何故か特大パフェなるものを注文し、今まさに食らいつこうとしているところである。特大すぎてライラの顔が向かいの席に座るデリックから見えない。どんなサイズだ。陽気な声は聞こえてくるので、美味しいことは間違いないらしい。
デリックたちから二つテーブルを挟んだ位置に、エリアルが座っている。一番店の出入口に近い席だ。彼は興味深そうにじっとメニューを見つめている。注文するものを悩んでいる客のフリならば天晴れだが、本気で悩んでいるならかなり胆が据わっている。
カラン、とカフェの扉上部に設置されている鈴が鳴った。そちらを確認しそうになって慌てて止まる。ちらちらと窺っては不審者だ。カフェに入ってきた新しい客は、重い足取りで店の中を横断していく。パーカーのフードを目深に被っているため、顔は見えない。中肉中背でパンツスタイル。男女の区別も難しい。
しかし、百戦錬磨――とデリックは思っている――のデリックには、店を歩いてランドルが陣取るテーブルに向かっていくその姿で、男女の区別をつけるくらいは造作もなかった。
「これはただの誘拐事件じゃない」
ランドルの前に立ち、椅子に腰かけることなく来客が早口で告げる。
「座れ」
悪目立ちすることを懸念しての発言だろう。短いランドルの指示に、来客――捜査官の男は従って腰を下ろし、目深に被ったフードをようやく脱ぐ。
「何があった? スチュアート」
「いいかランドル、これは大きな計画の一旦だ。証拠はないが……、俺は確信してる」
険しい表情のままランドルに伝える声は潜められていて、震えていた。ランドルが注文したコーヒーを一気に煽った捜査官――スチュアートは、ランドルに視線を向けてからカフェ全体を見渡した。警戒しているのだろう。
「この街はやばい」
ぼそぼそとした声は途切れ途切れにしかデリックたちの耳に届かない。さらに距離のあるエリアルには聞こえていないだろう。
視界の端を、店員が横切った。特大パフェをトレーに載せて進む姿に、状況も忘れて苦笑する。ライラ以外に糖分の塊のようなあのメニューを頼む猛者がいるとは。世の中は広い。
デリックがぼんやり店員を眺めていられたのは、彼がランドルたちのテーブルに向かうまでだった。
立ち上がったデリックに、ライラが瞠目する。パフェをテーブルの上に置かれたランドルが懐に手を入れる。怪訝そうな顔つきになったスチュアートは、テーブルの上のコーヒーカップを見た。
パフェを載せていたトレーの下に、黒い拳銃を隠していた店員が銃口をスチュアートに向ける。引き金を引く寸前、スチュアートが投げつけたコーヒーカップが拳銃に当たって割れた。宙を舞う破片がフローリングに辿り着く前に、ランドルが懐から取り出した拳銃を構えた。
店員の米神に向けられたそれは、単なる脅しではない。駆け出したデリックが危ないと声を上げる間もなかった。
「警官をここに入れたのが間違いだったな」
店員が、低い声で告げる。
「お前が子どもたちを誘拐したのか」
「俺じゃない」
ランドルとスチュアートを交互に見た店員は、鋭い目つきで己の拳銃を米神にあてた。――自分自身の米神に。
「俺たちだ」
躊躇なく引かれた引き金。デリックは咄嗟に目蓋を閉じた。暗闇の中、耳に突き刺さるように届く銃声。
自分には到底、関わることのない世界が目の前にある。既にデリック自身もその渦の中だ。
「ライラ――」
パフェを頬張っていたライラを振り返る。彼女は真っ直ぐに倒れた店員を見つめていた。
店内にいた客が銃声に悲鳴をあげ、逃げ出していく。喧噪の中でもデリックの聴覚はやけに敏感になっているようで、ランドルたちの声を拾い上げる。
「自決……ただごとじゃないな」
「ああ、だから言っただろ。ただの誘拐事件じゃないって」
「どちらにしても子どもたちが行方不明であることは変わらない。まずは子どもたちを探すぞ」
「分かってる。けど、この一件が無事に終わって俺が生きてたら、潜入捜査はやめるからな」
「……それは俺には判断できないが。上には伝えておく」
スチュアートの宣言に、ランドルが驚く様子はない。この惨状を見れば当然か。
デリックはエリアルを視線で探した。できることならランドルたちの方向には目を向けたくない。
しかし、どれだけ視線を泳がせてもエリアルの姿が確認できない。先刻までは入口付近の席に座っていたはずだ。きょろきょろ辺りを見回すデリックを不思議に思ったのか、ライラが首を傾げている。彼女と同じように首を傾げたい気分だ。あの名探偵はどこへ行ったのか。今こそ出番ではないのか。
「俺たちって言ってたな」
「びっ――くりしたぁ! なんなんだよオマエは!」
背後から飛び込んできた声に双肩を揺らす。慌てて振り向くと、探していたエリアルが平然と立っていた。まさに神出鬼没。油断ならない男だ。
「複数人の犯人がいるってことかな」
「さぁな。俺たちってことはそうなんじゃないか」
ライラが注文し、半分以下になっている特大パフェを眺めながら、呑気そうな声――普段どおりの声だが――で、エリアルが話す。数分前に起こった出来事を既に忘れてしまったかのような平生さだ。
「あるいは、組織か」
「は?」
謎だけ残してさっさと傍を離れる名探偵の後ろ姿をぼんやり見送りながら、デリックは窓の外に見える門に視線を移した。四方を分厚いコンクリートの壁で囲まれた街。ここで生まれ育ったデリックは、外の世界に出たときの感動を今でも覚えている。
高く広い空、どこまでも続く道――深呼吸して気づく。街の中での呼吸はいつも閉塞感に溢れ、息苦しかったことを。街を出たい。デリックは窓の向こうの門を睨むように見つめた。
「この男に見覚えは?」
「ある。ここの店員だ。以前来たときも見た」
「今日のために店員を装っていたわけじゃないってこと?」
ランドルとスチュアートのやりとりに割って入ったエリアルに、スチュアートが片眉を綺麗に上げた。誰だこいつは、とその表情が語っている。
「前に話したことあっただろ。こいつが俺の恩人の探偵だ」
「……ああ、命を助けてもらったとかいう例のやつか?」
「そうだ。エリアル・テイラーだ。信用していい」
二人の会話を聞くと、エリアルはランドルの命の恩人らしいが、何があったのだろうか。聞いてみたいような、あえて聞くべきではないような。好奇心に突き動かされそうになって、デリックは頭を振った。少なくとも、今この状況で聞くことではない。
捜査官であるスチュアートの潜入が暴かれてしまっていると考えて、次の手を打つべきだ。すぐにでも。現実に命を狙われたのだから悠長なことは言っていられないだろう。
デリックは身を潜める必要がないと判断して、三人のもとに急いだ。パフェを片手にライラもついてくる。
「おい、まずはどこかに隠れたほうがいいんじゃねぇのか。ここで喋ってるよりな」
「デリックに賛成」
さらに二人の見知らぬ人間の介入に、目を白黒させるスチュアートを引き摺るようにしてカフェを出るために動く。急ぎ足で店内を歩く中、デリックはこっそりランドルに質問した。
「身体検査で銃は没収されてたよな? 何で持ってるんだ?」
「銃は一つだけじゃない。この街に来るなら、隠し持つのが基本だろう」
ランドルの返答に納得する。しかし、身体検査を掻い潜るとは。一体どこに隠していたのだろう。
「まさか、男の大事なところじゃないよな?」
「違う。黙れ」
冷たいランドルに肩を竦めた。ただのジョークだ。半分ほどは本気だったが。
「……ライラ。パフェは置いてけ」
ランドルがカフェの入り口でパフェを片手に立つライラを呆れた目で見る。彼女はもうほとんどパフェを食べ終わっていた。脅威のスピードだ。
「仕方ない。ごちそうさま!」
カウンターにほとんど中身のないパフェの器をライラが置く。
そこでようやく全員が店を出ることができた。