高熱はいつも同じ
物心着く頃から、よく覚えている。身体が弱く、よく高熱を出して寝込んでいた私にとって、熱を出して一番辛い物は、必ず見る悪夢だった。近未来的なガラスのチューブの通路、其れを延々と歩いていく夢。息も絶え絶えになりながらも、何故か前へと歩み続ける。
ガラスの向こうは、家族がいる、友達がいる、私に見向きもせず、平然と日々の営みを過ごしているのだ。
次第にチューブは狭くなっていく。其れでも私は進んでいく。
とうとう歩けない狭さにまでなってくるが、私は何かにでも追われているかのように、その細いチューブを四つん這いになりながらも進む。
更に狭くなる、身体を匍匐姿勢にさせ、細い管の中を無理矢理身体を押し込み、躪らせながら私は進む。
ガラスの向こうは変わらない、私が居なくても平然と日常は進行する。
ついには身体を動かす事すらままならなくなり、私は孤独にガラスの向こうの平穏を見せつけられるのだ。
足の先に嫌な感覚が有る、正体を確認する術を私は持って居ない、孤独と恐怖、外野が私をせせら笑うかのように感じられる。
私が居なくても世界は問題なく経過していくのだ——
朦朧とした意識の中、眼を覚ます。
何時だって夢は此処で終わる。無理に身体を動かして、母が居る筈の場所へ行く、そして母は心配した様子で、大丈夫なの?と温かい手で私の額を覆うのだ。
今ではこの夢を見なくなった。高熱を出しても、ある程度ならば耐えられるし、高熱の辛さも昔ほど感じない。
だが、もしかしたら見るかもしれないと言う不安は残って居る。私は、私の根源に迫る恐怖を突き付けてくるあの夢を、忘れる事など永遠に無いだろう。