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赤い屋根の家  作者: サトイチ
4/12

4.西のケース

 「え?先輩、俺が取りに行くんすか!?」

 「当たり前だろ、他に誰がいるんだ」


 季節は夏、時刻は夜。

 人々は床につき、星々がその瞬きを強める頃、我々二人は不気味な池のほとりにやってきていた。


 「言いだしっぺは先輩じゃないですか。この前の指名手配犯の懸賞金のときだって、結局俺が行きましたよね?」

 「あれは不幸な行き違いだったな。それにほら、俺は体が弱いし」

 「高校のとき空手で全国大会に行った人が、何言ってるんですか。だいたい、まだ二十歳でしょ?」

 北条先輩は、180cmを超えた筋肉質の巨体を揺らし、咳をするマネをした。この前は腰をさすっていたような気がする。

 短髪に角ばった顔の先輩は、いかにも強面であるが意外に性格は優しく面倒見がいい。ただ、元来の好奇心からだろうか、時々こうして自らトラブルに首を突っ込む傾向がある。

 「そういうわけだ。啓太、いや、西くん。あとはよろしく。見つけたときの取り分は、七割持って行っていいから」

 今まで見つかったことなんてないですけどね、と言いながら、渋々ボートの準備をした。



◇◆◇



 昨日の夜、先輩は珍しく俺の家に来なかった。



 俺は中学に上がってすぐに両親を亡くしており、それから一人暮らしを続けている。親戚に引き取られる話もあったが、厄介者は引き受けたくないということで各親戚が生活費を出すことで話が着いたらしい。話し合いの場に俺はいなかったのだが、四十九日の時に酔っぱらった親戚の一人がご丁寧に教えてくれた。俺はもう、大手を振るって生きていくことはできないのだ。捨てられた犬のように、卑屈な笑みを浮かべて、ご機嫌をとって生きていくしかないのだ。幼子心にそう思った。先輩と出会ったのは、その頃である。


 先輩は中学の頃から体が大きく、素行の悪い人間の多かった一つ上の学年の中でも、一際目立っていた。教師から疎まれ、何かトラブルがあると真っ先に呼び出されていた。北条とは関わるな、が暗黙の了解であった。



 冬の寒い朝、俺はくだらない同級生とくだらない時間を過ごして家に帰るところだった。刹那的な楽しさで、終わればすぐに消えてしまう類のものであったが、その時の俺は、そういったものを求めていた。一人になりたくなかったのだ。

 夜も明けぬくらい中、道の向こうから白い息をはずませて走ってくる人影があった。走りながら、リズムよくポストに新聞を放りこんでいる。短髪で筋肉質の巨漢。100mほど離れていたが、直感的にわかった。北条だ。僕は気づかないふりをして横を通り過ぎようとしたが、無意識に横目で北条を追ってしまった。目があった。心臓が鳴った。


 北条はそのまま少し走ってから、思い直したように引き返してきた。終わった。顔が思わず歪んだ。

 そして俺の前に立ち、「お前、確か一年生だったな。こんな時間に帰ったら、親が心配するぞ」と言った。

 まったく予想外の言葉だったので、「俺、親、いないんす」というのが精いっぱいであった。

 北条は、「そうか、それはすまなかった」と心の底からすまなそうに言って、また走りながらポストに新聞を入れていった。最初に感じた恐怖は消えていた。



 それから、人づてに話を聞いていったところによると、北条は小学生の頃から、新聞配達で家計を支えているとのことであった。なんでも、弟が難病でお金がものすごくかかるから、とのことだ。田舎は情報に溢れていて、いともたやすく手に入る。光に群がる虫のように、皆がそれを求めている。



 北条が絡まれているのを見たのは、それから数週間後だった。中学校からの帰り道、不良特有の絡み声が聞こえてきたので目をやると、北条が十人ほどの高校生に絡まれていた。彼は意に介していないようだったが、それが奴らの癇に障ったのか、語気を荒げて肩を小突いている。彼は、周りが言うような野蛮な人間ではない、と感じた。目立つがゆえに絡まれ、やっかまれているのだ。池で一番大きな魚が主と呼ばれ、釣り人が挙ってそれを手にしようとするように。

 不良たちは今にも殴りかかりそうだ。北条が怪我をしたら、誰が弟を支えるのだ。誰かに必要とされている人間が、こんな理不尽な仕打ちを受けていいのかと強い憤りを感じた。


 気がつくと、「おまわりさん!こっちです!早く来てください!」と声を上げていた。

 不良達は何かボソボソと口走りながら、小走りに消えていった。もちろん、そんなに都合よく警察などいないが、架空の警察が市民を守ってくれた。

 「お前、この前の」

 北条が不思議そうな顔でこちらを見ている。俺だって、普段ならこんなことはしないのに、不思議な気持ちだった。

 「俺に関わると、ロクなことがないぞ。でも、助かった。ありがとう。これで夕方の配達に間に合う」

 「気にしないでください。ただの気まぐれですから」



 それから、学校や町ですれ違う度に軽い会釈をし、学年が変わる頃には簡単な会話をするようになった。

 話してみると、やはり噂とは程遠い、真面目な人物だった。やや、自分を抑え込んでいるような印象を受けたのは、やはり、弟のことがあったのだろう。それを差し引いても、同級生とくだらない話で時間を浪費しているより、先輩と数言の会話をする方が、よほど楽しかった。もしかすると、周りの人間が、何不自由なく満ち足りた生活を送っているように見えていたからかも知れない。



 夏になる頃、先輩が2週間ほど学校に来なくなった。その間に、先輩の弟が亡くなったことを同級生づてに聞いた。久しぶりに学校で会ったとき、かける言葉が思い浮かばなかった。社会から必要とされていた理由を失った人間に、何と声をかければ良いのだ。自分自身が、それを教えて欲しいくらいだった。

 先輩は僕の家にちょくちょく遊びにくるようになった。態度には出さなかったが、両親とうまく行っていないようだった。一人暮らしの僕の家は、誰に気を遣うこともなく気楽だったのだろう。何をするでもなく、適当に先輩が家に来て、夜になると帰る生活が続いた。どういう形であっても、家に誰かがいて、誰かに必要とされるというのは、いいものだと思った。



 その関係は高校でも続き、先輩は段々と無邪気さを取り戻していった。おそらく、小さい頃から無理をして家を支えていたのだろう。その重責が解かれたことは、良かったのか悪かったのか。急に突拍子もない提案があり、振り回される今の関係が構築されていった。人は変わるものだ。高校の校長の浮気現場を押さえに行く、というのは、なかなかスリリングだった。慣れない尾行を続けた結果、わかったのは娘の顔が校長と全然似ていないということだった。おそらく、そのせいでそんな噂が流れたのだろう。

 先輩は高校を卒業してすぐに地元の建設会社で働き始めた。俺もそれから一年遅れて、地元の自動車整備工場で働き始めた。先輩は働き始めて一人暮らしを始めたというのに、それでもちょくちょく俺の家に来ており、相変わらずの生活を送っている。



 そんな先輩が、昨日の夜、珍しく家に来なかった。かと思えば、急に今日の夜に家に来て、「世直しをしに行くぞ」とか言うなり、町のはずれの池に連れられて来たのだ。



◇◆◇



 夜更けにボートの準備をする俺に、先輩は言った。

 「人からお金を盗むのは違法だ」

 「そりゃそうですね」

 「でも、人から盗んだお金を盗むのは、違法ではない」

 「んな馬鹿な」

 たしか、窃盗罪ではないものの、何かの罪になるとこの前テレビでやっていた気がする。


 「昨日、隣町で銀行強盗があったのは知っているな?」

 「ええ、まぁ。結構な騒ぎでしたから」

 「その犯人は今、あの赤い屋根の家に潜んでいる」

 「え!?池の向こうの家ですか?それ、警察に連絡したんですか?」

 「早まるな、西くん。話はこれからだ」

 先輩は、指を立てて横に振った。


 「池の真ん中あたりに、細い木が立っているのがわかるか?」

 目を凝らすと、細い木の影があるように見えた。

 指を指しながら、「あれですかね?」と尋ねた。

 「そう、あれだ。あそこにロープで括られた、盗まれた現金が沈んでいるはずだ」

 俺はうさん臭そうな目で先輩を見た。

 「いや、あそこには絶対にある」先輩は絶対の自信に満ちていた。こういうときは、たいていロクなことがない。

 「昨日、すごいスピードで俺の車を抜いていった奴らが、あの家に入っていったんだ。あそこは誰も住んでいないどころか、誰も近寄ろうともしない。俺はピンと来たね。あいつらが銀行強盗だ、と。そして、そこから張り込んでいたら、一人の男が池に大きな袋を沈めているのを見た。それが、あの木の辺りだ」


 俺は、はいはい、と言って、ボートに足をかけた。適当に見て、適当に引き返そう。何だかんだで、日々に刺激があるのはいいことだと思う。



 「で、金が見つかったら、俺が七割ですね?」

 「ああ、七割だ。神に誓って」

 「神には誓わなくていいんで、俺に誓ってください。ところで、なんで金が必要なんです?」

 先輩は口ごもりながら、「いや、その、パチンコですっちまってな。取られた分は取り返す」と答えた。

 「それはパチンコで取り返してくださいよ」


 先輩はパチンコなんてしない。時折ボランティアで、難病の子ども達の遊び相手をしているという話を聞いたことがある。きっと、その関係だろう。だから、こういうことで先輩に振り回されることは、あまり悪い気持ちはしない。確かに、警察に見つかればそのまま銀行に返る金だろうから、それで救われる命があるなら世直しというのもあながち間違いではない。もし万が一、本当に金があったら、自分の分も寄付してもらおう。いや、やっぱり三割くらいはもらっておこう。


 「それじゃ、いっちょ世直ししてきますか」

 「金は万人のためにある」

 「誰の言葉ですか?」

 「俺の言葉だ」

 へいへい、と俺はボートを漕ぎ出した。



 暗闇の中、ボートを漕ぐのは初めてだった。暗闇がこんなに人の心を弱くするとは思わなかった。今にも水面から手が伸びて取り込まれそうだ。真っ暗な水中で、オールが何かに引っかかる度、引き返したい衝動に駆られた。それでも、月明かりを頼りに懸命に進めて行くと、確かに細木にロープが括られているのがわかった。

 木の横にボートを着け、ロープを手繰った。水に沈んでいるものだから相当に重く、力を入れすぎるとボートがひっくり返りそうになった。少しずつ引き上げ、ボートに袋を載せると、確かにそれらしい感触があった。早まるな、と言い聞かせつつ、袋を開くと、中には札束が大量に入っていた。これだけ大量の一万円札を見たのは初めてだから、頭の理解が追いついていないが、おそらく、数千万円はあるだろう。



 浮かれていた頭に、一つの可能性がよぎる。ここに金があるということは、銀行強盗が本当にあの家に潜んでいるのではないか。

 これはまずい、早く引き返さないと。ボートの方向を変えようとオールを手にした瞬間、頭に強い衝撃を受けた。遅れて、破裂音が聞こえてきた。ゆっくりと水面が近づき、視界が暗くなっていった。どこまでもどこまでも、深い闇に潜っていく。



 本当に、ロクなことがない。

 西の走馬灯に浮かんだのは、それでも、楽しいものばかりに思えた。





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