大国様が本気で義父を攻略するようです・二
その日は愛を贈る日だそうです。
今では、女性が男性にチョコレートを贈る日として認識されてるようですが、その原点は『愛』なのです。
ならば、その日は私も、あなたに愛を贈りましょう。
だから、直球で贈りますから、全力で受け止めてくださいね?
頼みましたよ、お義父さん?
~大国様が本気で義父を攻略するようです・二~
「……バレンタインデー?」
「はい!」
穏やかな昼下がり、俺は居候させてもらってる大国の屋敷の自室でのんびりと武器の手入れをしていた。
初代の帝が即位されて2670年以上経ったこの日本で、俺ら八百万の神々は、人間たちと手を取り合って今でも生きている。
俺――建速素佐之男は、義理の息子である大国主の頼みで、奴の出雲大社に住まわせてもらっている。
立派な自室を与えられ、嫁のクシナダと一緒に何不自由なく暮らしている。
そんな今日は、二月の十四日。何やら社内の女たちが、いそいそと買い物に行ったり料理したりとせわしない。
不思議に感じた俺は、クシナダに聞いてみたのだ。今日は何かあるのかと。そうして、クシナダからは「バレンタインデーですからね」と言われた。
「あれ、ご存じないですか? 旦那様は、人間に交じってよく街へお出かけになられるから、てっきり名前くらいは聞いているかと思っていましたが」
「いや、最近はずっとこっちにこもりっきりで訓練ばっかだったから……。で、何ぞ、その……バレンタインてのは」
「今日は二月十四日でしょう? 女性が愛する男性にチョコレートを贈る日ですよ」
「虫歯になりはしねえか」
「もう! そういうことはいいんです! こういうのは気持ちが大事なのです!」
「ああ……だからこれをくれるのか」
俺も、さきほどクシナダから菓子をもらっていた。中身はチョコレートじゃなくて最中だけど。
「ああ、でも……スセリちゃんから聞いた話ではですね」
聞いてもいないのにクシナダが話し続ける。
「本来は、男女関係なく、自分の大切な人に何かしら贈り物をするという習慣だそうです。チョコレートはたぶん日本限定ですね。異国ですと、お花とかお手紙とかを贈ると聞きました」
「へえ」
「……さっきから他人事のようですけど、旦那様はよろしいのですか?」
「何が?」
「だって、大国主様から求愛されているんでしょう?」
淹れてもらってた茶をむせた。ここで唐突に話題を根幹に突っ込ませやがる。この嫁は侮れない。
そう、俺は大国に求愛されている。
『お義父さん、私と子作りしてください!』
冗談ではなく本気で、大国は俺にそう告げてきた。
本来なら蹴っ飛ばしてやりたいところだが、直球での求愛なら真正面から受け止めてやると約束した以上、逃げるわけにはいかない。
俺以上に人間と慣れ親しんでいる大国のことだ、バレンタインのことはきっと知っているだろうし、自惚れでは決してないが、彼奴は俺からの贈り物を期待していることだろう。
勘弁してくれ。俺はこういうイベントにはてんで疎いんだ。ましてや甘いものはあんまり好きじゃないし、当の大国は女に追っかけまわされて俺が贈り物したところでそんなものは女たちの贈り物の山に埋もれるだろう。
いやいや、しかし……奴が俺に子作りを持ちかけた時の目は本気だった。であるなら合意はできなくとも、奴の誠意ってもんに応えるくらいはすべきだろう。
とはいっても、こんなイベントに乗じたことなんてまるでない。単にチョコレートを贈ればいいのか? でもクシナダが言うには、花とか手紙とか言ってたし……。
「旦那様、旦那様ー?」
「あ……、何?」
「もー! それで、大国主様には如何いたしますの?」
「う……。今それを考えてんだよ」
「あら、でしたら、わたしがご相談に乗りましょうか?」
「…………たのむ」
「はい♪」
嫁は嬉しそうだ。出会って間もないころはずっとおどおどしてて、何かにつけて怯えては泣いての繰り返しだった。だから余計に守ってやらなきゃ、安心させてやらなきゃ、と俺は気を張っていた。
今は違う。楽しそうに笑うし、俺と大国のことも気さくに相談に乗ってくれる。ほんとに、できた嫁だよ。まったく。
クシナダに話を聞いてもらって俺は一つの結論にたどり着いた。
それは、チョコレートではない別のものを大国に贈ってやろうということだ。
チョコレートなんて一年中食えるし、こんなイベントじゃ、日本中の(下手したら全世界の)女神たちから大量にもらうことだろう。そんな状態でチョコレートを贈っても大国の体に毒だ。
かといって食い物以外ではかさばる。
だから俺は、チョコレート以外の食い物か飲み物を贈ることにした。
酒ではあまりぱっとしない。だいたい、俺たち神々はことあるごとに理由をつけては酒を飲む。
自信が、あるにはあった。
というのも、大国の父である冬衣に話を聞いておいたからだ。
冬衣――天冬衣は、大国の父であり、俺の子孫でもある。
気難し屋で堅物だからか、神々の間では『死神』だの『絶対零度』だのといろいろ言われている。
誰とも慣れ親しもうとしないし、年中屋敷に引きこもって炬燵でぬくぬくして、何をするにしても必要最低限のことしかしない。
それゆえか、大国と冬衣は折り合いが悪い。最後に会ったのは120年昔だとか。
それでも、たった一度だけ、冬衣が幼かった大国に、父親らしいことをしたという。
その時のことを、俺も倣ってみようと思ったのだ。
ただのまねでは何だか二番煎じの気がしたから、贈り物はちょっと変えるけど。
「大国」
大国は自分の寝室にいた。室内には、色とりどりの贈り物が埋め尽くさんほどに山積みされている。ほとんど甘いものだろう。ぜんぶ食いきるのに一年はかかるんじゃなかろうか。
大国はその山積みの贈り物を苦笑しながら見上げていた。俺が声をかけると、すっとこちらを振り向いた。
目鼻立ちの整った美しい顔。黒を少し薄くしたような色の瞳は透き通っていて、瞳と同じ色の髪はゆったりと編まれている。
女を落とす完璧な微笑でもって、大国は俺を見つめてきた。
「おや、お義父さん」
「今から、少しだけ時間をくれないか。……いや、ないならいい」
あんな山積みの贈り物を消化するのにさぞ忙しかろう。ならばその手間を余計に増やすこともしたくはない。
「いいえ、ありますよ。お義父さんとのためならば、今日の予定は全てキャンセルすることもためらいません」
大国はわずかに首をかしげる。そうしてその柔らかい微笑で女を虜にするのだ。あやうく俺も落とされそうになる。義理の息子に揺れるなんて……。簡単に揺れてやるもんか。
とはいえ、あんなに女に好かれる彼奴を見ていると、時どき寂しくなるのも否定できなかった。
いや、寂しいのだろうか。寂しいよりももっと嫌な感情かもしれない。
大国には、俺のことなど埋もれてしまっているのかもしれないという不安というか、やきもちが。
大国を思う女はいっぱいいる。その中の俺は……一体何番目なんだろうと。
「お義父さん?」
立ち上がった大国が、不思議そうに俺を見上げて来る。……いけない、余計なことを考えていたみたいだ。
さっきまでの考えを振り切る。簡単に揺らいではやらないと決めたのだ。受け止めはしても、絶対に大国に揺らいでなどやるものか。
「具合が悪いのでしたら、お休みになられては」
「いや、大丈夫。おまえこそ用事はいいのか?」
「はい。私も、ちょうどお義父さんに用がありましたから」
「あぁ、そうだったのか……」
「はい。……して、お義父さんの御用とは?」
「あ、うん。ちょっと、出かけたいんだ。その、俺の屋敷まで。だめかな」
「駄目なわけありません。しかし、なぜわざわざ」
「……悪いか」
「まさか」
俺は大国を連れて屋敷を出る。贈り物の材料を詰めた紙袋を抱えながら。
俺の屋敷は、ずっと昔に火事でつぶれた。その時に巻き込まれた俺は大火傷を負い、嫁のクシナダともども大国の屋敷で療養させてもらっていた。それ以来、ずっと大国の屋敷に居座りっぱなしで、時々これでいいんだろうかと良心が痛む。屋敷はすでに修復が終わっているから戻ろうと思えばいつでも戻れた。
戻ろうとしなかったのは、もっとここにいて欲しいという出雲の子供達の声に甘えている俺の弱さゆえだろう。
屋敷に戻ったのは、誰もいないからだ。ふたりっきりで残りのバレンタインデーという日を過ごしたかったから。大国と二人だけで過ごしたいと思ったのは、俺のわがままだ。
屋敷は火事などなかったかのように、綺麗に直っている。でも、俺とクシナダが長い間留守にしていたせいか、閑散としていた。
それでも庭の手入れはしてあるし、中を確認したら掃除が行き届いていた。クシナダあたりがこまめにきちんとしてくれていたのだろうか。
大国を居間に座らせて、俺は厨房へと向かう。最新式の火起こし機(クシナダが言うにはガスコンロとか呼ぶらしい)の具合を確かめた。使う分には問題がなさそうだ。
鍋をとりだして、買ってきたココアの粉末を入れる。砂糖も入れて牛乳をゆっくり鍋に流しこんだ。
火にかけて、とろとろと中身をかき混ぜる。
沸騰するまで、そうして俺はずっと鍋の中身をゆっくり混ぜる。
クシナダに聞いたレシピだ。クシナダの言うとおりにすれば、まず失敗はしないだろう。料理なんてまるでできない俺だが、料理上手の嫁に手ほどきを受ければこれくらいはなんてことない……はず。
一杯のココアを淹れるだけなのに、時間は穏やかに過ぎていく。どれくらい経ったんだろう。一時間か二時間か。
ほんとはもっと短いはずだ。一秒が俺にとってはやけに長い。
そろそろかな、と火を止めて、マグカップにでき上がったココアを淹れる。甘い匂いが湯気と一緒に広がった。
俺はそれを注意深く大国のもとに運んだ。あれだけ待たせたというのに、大国は辛抱強く、正座して食卓に待ってくれていた。
「お義父さん自らお料理ですか。今まで、お義母さんに任せっきりだったというのに」
「今日はバレンタインだろ。俺からの贈り物だ。噛み締めて飲め」
「飲み物なのに噛ませるのですか」
大国はくすくすと笑う。
「要らないなら俺が飲むぞ」
「いいえ、有り難く頂きます」
大国はココアを受け取ると、少し覚ましてちびちびと飲み始めた。
カップから口を離して、一息つく。
「……美味しいです」
「そうか、よかった」
「これが、お義父さんからの贈り物なのですね」
「……そんくらいしかできんですまないな」
「いいえ、充分です」
本当は、冬衣からヒントを得た、というのを、ぐっと飲み込んだ。口に出したら、大国は間違いなく機嫌を悪くするからだ。大国と冬衣は関係が冷え切っている。
せっかく大国が幸せそうなのに、それをぶちこわすのは気が引ける。
遠い昔、冬衣は幼かった大国に甘酒を淹れてやったことがあるらしい。父親らしい記憶といえばそれくらいだと冬衣は淡々と語ってた。
その日はとても寒くて、大国の体も冷え切っていたとか。料理などまるで駄目な冬衣が唯一できたのが、甘酒を作ることだったそうだ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、大国は黙ってココアを飲むだけだ。
俺がココアを淹れた時よりもずっと時間をかけて、大国は本当に味わってくれたのだ。単に猫舌ってだけなのかもしれないけど。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさん」
俺は空っぽのカップを片づけようとする。それを大国が阻止した。俺の手首をやんわり掴んで座らせる。
「……っ」
「お義父さん」
すとんとその場に腰を下ろしてしまった。
間近に、美しい大国の顔が迫ってる。吐息が甘い。ココア飲んだからか。
「私の用事は終わっていませんよ?」
「わ、わかったから……顔が近い」
「おや、これしきのことで揺らいでしまわれますか」
「そんなわけあるか!」
売り言葉に買い言葉というんだろうか、やっちまった……。
ああ、心臓のどきどきが始まった。止まらない。顔が熱い。屋敷の中は涼しいのに。
「じっとしていてください。すぐに終わります」
そういうと大国はもっと迫って来る。よもや……このままあらぬことをするわけじゃないよな? あいつは合意を得てからやると言っていたし、大丈夫だよな? 貞操の危機にはさらされないよな?
ぎゅっと目をつぶって、唇を引き結んで、身を固くする。何をされるんだろう。何が起きるんだろう。
大国の腕が、俺の首に回る。身動きとれん。
間違いに陥ってもいいかもしれん……と思ってしまったのはなぜだ。
「……ふふ」
大国の押し殺した笑い声が聞こえた。大国の腕が、離れた。
恐る恐る瞼を開くと、首に何かがかかっているのがわかった。
そっとそれに触れてみる。翡翠の首飾りが、首にかけられていた。
「……あれ?」
「私からの贈り物です」
「…………あれ? 今日って女が男に何か贈る日じゃ……」
「細かいことはお気になさらず」
それっきり、大国はこれ以上俺に触れては来ない。こういうところはしっかりしている。それが少しずるい、と思うなんて。
首飾りは光を吸い込んで、きらきら輝いている。ひし形の平たい宝石を指で触れてみると、ひんやりした。
「お義父さん、今日は美味しい贈り物をありがとうございました」
「ああ、あれでよかったのかな」
「いいのですよ。とても満たされた半日を頂きました」
「退屈じゃなかったか。不味くはなかったか」
「とんでもない。貴方が淹れてくださるココアを心待ちにする時間はとても愛しいものでした。お世辞抜きで、美味しかったですよ、お義父さん?」
「ほんとか? 嘘じゃないな?」
「私は嘘は言いませんから」
その言葉に心底ほっとする。そんな自分が嫌だ。まるで大国に惚れてるみたいじゃないか。
「……それはそうと」
「あ?」
「少し失敗です」
「何が」
「どきどきしながら震えているお義父さんはなかなか愛らしいものでした。もう少し長く堪能しておくべきだったと後悔しています」
「んな……っ」
大国はすっと立ち上がる。
「それでは、またお屋敷でお会いしましょう、かわいらしいお義父さん?」
いたずらが成功した子供みたいな笑顔で、大国はさっさと屋敷を出た。
からかわれた! あのガキ、うだうだ悩んでる俺の気も知らないで遊びやがったなちくしょう!
こっちは真剣だったのに! いや、あいつも真剣なんだろうけど……。っつうかそんなのどうでもいい。
あのイタズラ坊主、揺らいだ自分がバカじゃねえか。
覚えてろクソガキ!
帰ったら唐辛子入りの味噌汁でも流し込んでやるからな!!
大国様シリーズを書くのが楽しいので調子こいて書いた第二弾でございます。毎週金曜更新ということで、今年のバレンタインデーがちょうど金曜だったので書いてみました。