。勇者ラクト-1-
それはまだ、人間が魔人を恐れている時代…。
三人で旅を始めた、彼らの物語…。
深い深い森があった。亜熱帯のような暑い気候で、長く伸びた蔓が大きく育った木にぐるぐると巻き付き、鮮やかな色の鳥達が枝の上で羽を休め、それを狙う動物達が密かに静かに獲物が来るのを待っている。そんな森の中、突如として奇声が木霊した。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア―――――!」
声の主は森の中を全速力で駆け回り、追いかけてくる魔物から逃げている。魔物は狼に似ているが、その体格は一般的な狼の十倍はある。長い舌を出し、涎を撒き散らしながら、前を走る少年を追いかけていた。少年は必死になって木の枝や茂みの間をすり抜け、ギリギリのところで魔物の攻撃を躱している。
「死ぬっ!無理っ―――――ダアアアアッッ!?」
赤錆色の髪をしたその少年は、襲ってくる魔物を避けようと体を左方向に向けて跳び跳ねた。すると、着地したとき足場が崩れ、転びはしなかったものの少年はそのまま坂を滑り落ちるように駆け下りていく。
「ラクト!こっちに来い!」
突然坂の下から少年を呼ぶ声が聞こえた。見ると少年が走る先に、大剣を構えている女性の姿がある。少年は転ばないよう気をつけながら全速力で坂を下っていく。そして女性の横を走り過ぎ、離れたところでようやく止まった。
すると坂の上から今度は魔物が現れ、勢いよく女性めがけて飛びかかった。
「―――――シャーロットさんっ!」
少年は思わず大声をあげ、女性が襲われるのを見ているしかなかった。が、彼女は自ら魔物の懐に飛び込んで行き、大剣を持ったまま体をひねり、それを魔物に向けて力強く振り切った。
「――――ギャギャンッ!」
剣は魔物の胸の辺りを切り裂き、そこからブシャッと緑色の体液が吹き出した。魔物は彼女を通りすぎ、体を地面に叩きつけるように転がった。そしてうまく着地出来なかった魔物にもう一撃、彼女は頭と身体の間に横から突き刺すように剣を入れた。ビクンッと一度大きく震えたが、次第にピクピクと動きは小さくなり、魔物は静かに息をひきとった。
「…ふー…。ったぁく、ラクト!逃げんなってあれほど言ってるだろ!?」
仕止めた魔物に足を置いて、刺さった剣を抜きながら彼女は少年を怒鳴る。
「そっ、そんなこと言われてもですねっ…!」
熱くなった体をガクガク震わせながら、少年は涙目になって反論する。
「急に出てきた魔物に『餌はあっちだ!』って、俺に向かうよう仕向けたのはシャーロットさんじゃないですか!?いきなりだし酷すぎませんか!?」
「何がいきなりだ!?この魔物と同じのを昨日も見ただろ!?初めてじゃないんだ、仕止めてみせろ!酷い、酷くないかじゃない。生きるか死ぬかだ!」
「横暴です―――――――!!」
女剣士の言葉を聞いて彼は涙を流しながら訴えた。が、彼女は聞く耳を持たない。ある場所を指差しながら、彼女は言った。
「ウルキを見てみろ!全然動じてないじゃないか!情けなくないのか!?」
女性が指差した先には、大きな荷物が数個と、白に近い銀色の髪の少女が立っていた。少女は女剣士が仕止めた魔物をジッと見つめているが、恐がった様子はない。だが少し悩んでいるように、片手を口元まであげて眉をハの字に曲げている。
「…ウルキ…さん、どうしたの?」
そんな少女の様子が気になった少年が尋ねると、少女は顔を上げて困った顔をしてみせた。
「うん、ちょっとね。…私今晩食事当番でしょ?―――――こんなに大きな魔物さばけるかしら?って思って。」
真剣に悩む少女の答えに、少年と女性は顔を見合せた後、一斉に少女の方に振り向いた。
「悩んでるとこソコかよ!?」
「食べるの魔物を!?」
二人で一気に少女に大声を出したので、一瞬きょとんとしていたが、なんとなくおかしく思えて少女はクスクスと笑い始めた。少年たちもそんな少女につられて、一緒になって笑った。
これはそんな彼らの旅の物語である。
『女剣士』のシャーロットと村を出て、『魔人』ウルキも仲間に加わり旅を始めた『勇者』ラクトは、森の中を約三日ほどさ迷い歩いていた。
空はどんよりしていて、薄い雲と厚い雲とで斑模様に見える。ただ気温が高いため、じめじめした空気が肌にはりつく。歩き続ける体からは汗がじんわりと滲んでいた。
「そろそろ今日の寝床を探すか…。」
先頭を歩いていたシャーロットは辺りを見回し、休めそうな場所を探し始めた。
「そうね、天気も悪いし…雨が降ったら大変だもの。いいところあるかしら?」
後ろからついてきたウルキはシャーロットの提案に賛成した。そしてウルキの後から、大きな荷物を三つ担いで、息をきらしながら歩いてくる人影があった。
「はあっ…今日も野宿ですかっ…――――――だあっ…!もうだめっ…。」
赤錆色の髪の少年、ラクトは、背負っていた荷物をドサッと地面に置いて、膝に手を当て俯きながら言った。ラクトの顔から汗が一粒滴り落ち、土の色が変わった。
「このペースだと明日には町に入れる。…お前が遅いからだぞ、ラクト。」
シャーロットはクルッと振り返りラクトを見た。ラクトはショックを受けた顔で反論する。
「だっ、て…こんなに持ってちゃ遅くもなりますよっ…はあ、荷物…減らしませんか?」
息を乱したまましゃべるラクトを気遣い、ウルキも言った。
「やっぱり辛そうよ?ねえ、シャーロット。いいでしょ?」
二人に見つめられたシャーロットは大きなため息を吐いて眉間にシワを寄せる。
「…分かってないな。駄目だ。そいつは金になるんだぞ?私一人だったらなんとでもなるが、今はお前たちもいる。三人分にも足らないくらいなんだ。ひもじい思いしたくなかったら文句いうな。」
「でも…。」
「ルキ、『でも』は禁止だって言ったはずだぞ。」
ウルキが食い下がろうとしたのを素早い反応でシャーロットが止めた。
シャーロットはウルキのことをたまに、ルキ、と省略することがあった。シャーロットいわくその方が呼びやすいからだそうだ。
「…はぁーい。」
まだ納得できないような顔をしながらも、ウルキはシャーロットに反論するのを止めた。
「あはは。…すっかり先生だね、シャーロットさん。」
二人の様子を見ながら呼吸が落ち着いたラクトは、曲げていた体を伸ばしてウルキの方を向いた。
「本当に厳しい先生だわ。…無理しないで言ってね。私いつでも手伝うから。」
そう言うとウルキはラクトににっこり微笑んだ。ラクトは目をまん丸くして唇をキュッと結んで頷いた。その顔はポッと赤くなっている。
「あ…ありがとう。」