.嵐の後の静けさに-1-
嵐がきた。
不気味な男と会ってから数時間後、船は無事港に到着した。朝食のために食堂へ行くが、ラキは時間をずらして遅めに朝食をとる。幸いあの男はあれっきり会わず、言っていた通り船を降りたのだろうとラキは胸を撫で下ろした。しかし、船が食糧などを船に積み込む作業の為停泊していた間に天気は急変。青空が見えていたのに辺りは雲に覆われ、雨が降りだし、強風、荒波になり、その日の出港は不可能となった。直ぐにおさまるかと思われたが、思った以上に大きな嵐だったらしく、大荒れの天気は三日三晩続いた。その間ラキたちも船を降り、港の宿で寝泊まりすることになる。
そしてようやく時化がおさまり、明日出港するとの連絡があった。
「凄い嵐だったね。私こんなにおっきいの初めてかも。」
リコはようやく雲間から現れた日の光を窓越しに見ながら溜め息混じりに呟く。
「そうだね。店主も百年に一度の大時化だって言ってたよ。まあ、ちょうど港に着いてからで良かった。海の上だったらどうなってたか分からないからね。」
「そうだねー。船がひっくり返ったとしたら私あんまり泳げないから自信がないよ。」
「リコ…泳げたとしてもあの嵐の中じゃ助からないと思うよ?」
「あれ?そっか…あはは!」
ラキとリコが明るく会話する中、一人ベッドの上で丸まって布団を被っている人物がいる。ロンだ。
「…ロン、いつまでそうやって感情を圧し殺しているつもり?もう僕は怒ってないって言ったじゃないか。」
「…。」
ロンは丸まったまま動こうとしない。
恐怖を覚えた男に会ったあと、ラキはロンに忠告した。知らない人間が大勢いる中で、大声を上げて騒がないよう再度きつく言い聞かせたのだ。いくら尊敬する勇者の話を聞いて興奮したからといって、目立つ行動はしないと散々言っても聞かないロン。熱くなると周りが見えなくなる性格を直すよう説教され、罰として勇者の話を一時中断していた。
しかしそこに嵐の来襲。船は動かず、島国であるサイジルに行く術がなかったため立ち往生を余儀無くされたが、その為にやることもなくなってしまった。いつ出港するかも分からない中で港を離れるわけにはいかず、この嵐の中では特訓するにも限度がある。室内で運動はするものの、楽しみにしていた話も聞けず、ストレスを完全に発散させることも出来ず、遂にロンはふてくされてしまったのだった。
さすがにこれにはラキもリコも心配になり、ようやくこの日、しばらく振りに勇者の話を解禁したのだが…。
「もー!折角ラキちゃんが勇者様の話をしてくれたのに、その態度はどうなの!?お兄ちゃん!!」
リコがベッドの側に行き、ポカスカ布団の上から兄を叩く。するとようやくロンはむくりと起き上がり、リコの手を掴んで止めさせた。しかし、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、ラキとリコはギョッとして何も言えない。
「…んだよ…。笑いたきゃ笑え。」
「―――え!?いや、別に笑いはしないけど…どうしたの?」
ロンはうつ向いたまま鼻をずずっとすすり、静かにリコの手を放す。
「お、お兄ちゃん?」
さっきまで怒っていたのにリコはおろおろと兄の表情を窺う。ロンは布団を握り締め、右腕の裾で涙を拭った。
「―――…俺、小せえな…。ずっと、ずっと勇者様は…俺と変わり無い普通の人間だと思ってて…、いや、確かに噂になるぐらいだからスゲー努力とかされたんだなっとは…思ってはいたんだけどよ。―――いっぱい、仲間がいたんだな。支えてくれる人間が…たくさん、そんで勇者様は拒んだりしないで、ちゃんと向き合って…。俺とは大違いだ…。」
自分と同じような境遇で大きな功績を残したラクトを慕っていたロンにとって、どうやら自分とラクトとの人間との付き合い方の違いに情けなさを覚えたらしい。リコを守ろうとするあまり、ロンは他人は敵だと決めつけ、関わり合うことを恐れ、拒絶してきた。しかしラクトはその逆で、他人と関わりながら共に過ごせる道を選んでいる。本当はロンもその道を進みたいはずなのに。
「…それに、勇者様が魔眼だったって聞いた瞬間、裏切られた気がしたんだ。―――特別な力が無くても、やれば出来るんだって…俺だって、その気になれば強くなれる…リコと一緒に笑って暮らせる未来を作れる!!って…思ってた。…ははっ、勝手に憧れといて…そりゃないよな。マジで自分がウザくなる…情けねぇ…。」
ロンの肩が小さく震える。泣き叫びたいのを必死に堪えるかのように、ロンはぎゅっと目を瞑ってぼろぼろ涙を流す。
「…お兄ちゃん…。」
自分を守るために一生懸命な兄の姿を、リコはただ見つめているしか出来ない。すると少し離れていた場所にいたラキが二人に近づいてきた。
「ラキちゃん…。」
リコの言葉でロンはゆっくりラキの方に視線を向ける。尊敬する勇者の子供、ラキに自分はどんなに滑稽に映っているのだろうか?
ロンがラキの瞳を捉える前に、突如としてゴスッと鈍い音と共に頭に殴られたような衝撃が走った。
「っんご!?」
「ラキちゃん!?」
どうやらラキがチョップを御見舞いしたらしい。呆気にとられるリコの横で、ロンは歯を食い縛りながらラキを睨むように見た。
「何する――――!?」
「甘えないでよ、バカみたい。」
眼鏡越しに冷たい視線を向けながらラキは静かに怒っているようだった。
「なっ!?…そうだよ、俺はバカなんだよ!!勇者様みたいに出来た人間じゃねえんだ!!俺は…。」
「何が出来た人間だ!!ちゃんと僕の話を聞いてなかったの!?」
初めて聞くラキの怒鳴り声に、ロンもリコもその場に固まってしまう。ラキは荒げた呼吸を調え、無表情のまま言葉を続ける。
「…父さんは運が良かっただけだ。師匠に出会って、母さんに出会って…それからの旅で会った人も、トルマディナの皆も優しかったから、父さんも皆と仲良く出来た。それに魔眼だって、望んで手に入れたものじゃない!偶然そうなっただけで、本当は無くたって変わり無いんだ…ただ人と違うものが見えるだけで、強くなるわけないじゃないか。父さんは…母さんに負い目を感じさせない為に必死だっただけだ…。」
ラキの声が少し震えている気がして、ロンとリコはどんな言葉をかけていいか分からない。
「父さんは…ずっと言っていた。何にも持たない自分に、母さんは力を与えてくれた。それが望まれたものじゃないとしても、自分が望めば意味のあるものに出来るんだって。考えて、悩んで…うだうだ進まないでいることの方が意味のないことになるのなら、少しでも後悔しないと思えるような行動をした方がずっといい。…ロン、君は今までの自分の行動を恥じるのか?後悔するの?リコを守ろうとしたこと自体を無かったことにしたい?」
「――………んなこと、思わねーよ…思ってたまるか!!」
目をカッと開いてロンはラキに強い視線を送った。きっぱりと言い放ったロン、リコは少し悲しそうに、でも嬉しい気持ちも混ざった複雑な顔をしている。
「…ね?そういうことだよ。父さんには父さんの、ロンにはロンの生き方がある。考え方も選択も同じなんてあり得ないんだ。尊敬することを駄目だとは言わない。だけど、今までの自分を否定することは…やめてほしい。」
「…分かった。―――…悪かったよ。」
素直に反省しているロンを見て、ラキもごめんと謝った。そのあと少しだけ沈黙が続いたが、ロンが頬を掻きながら口を開いた。
「…珍しいな。お前がそんな怒るなんて。」
「…そうかな?うん…ごめん、怒鳴って。」
「いや、先に取り乱してたのは俺だ。やっぱちょっと性格見直さねえとダメだな。ついカッとなっちまう。」
「いいさ、これから変えていけばいい…まだまだ若いし、時間があるんだから。」
ラキの発言に思わずロンは噴き出す。
「ぶっ!若いって…お前同い年だろ?年寄りくさいぞ?」
「そうかな?でも本当のことだし…ははは。」
仲直りした二人の姿を見ながらリコはふふっと笑みをこぼす。警戒心の強い兄もラキと打ち解けている、その事がリコの心まで柔らかくしていた。
しかし…少しだけ気になることがあった。思いきってリコはラキに問い掛ける。
「…ねえ、ラキちゃん?」
「ん?何、リコ?」
「ずっと、聞こうかと思ってたんだけど…ラキちゃんは―――勇者様の話をしてて辛くない?」
リコの思っても見なかった言葉に驚いているのはロンだ。口を開けてポカンとした表情をしている。だがラキは無表情のまま、黙りこんでしまった。
「な、に言ってんだよ、リコ?」
「だって、お兄ちゃん…お兄ちゃんにとっては憧れの勇者様の話かもしれないけど、ラキちゃんにとっては大切なお父さんの話で、思い出の話で…でも、もう勇者様は亡くなっているから…。思い出して辛かったら、無理に話さなくてもいいんだよ?」
リコはラキの右手をきゅっと握った。その様子を見ながらロンは口を開けたまま眉間にシワを寄せる。つい夢中で勇者の話を聞きたいとせがんでいたが、ラキの気持ちなど考えもしなかった。今まで普通に話していたのもあるが、逆に話をしている時のラキは生き生きしているようにも見えた。しかし、確かにこのまま話を聞くとすると…ラキにとって辛い勇者の最後の姿まで話をさせることになる。苦く辛い思い出まで掘り返して聞いていいものなのだろうか?




