。弱点、ライバル、新たな真実-6-
辺りが赤く夕日に染まるまで、ラクトとミンチェは闘っていた。もっとも、ミンチェはまだまだ余裕なのに対し、ラクトは身体中汗だくで、息も絶え絶えにふらつきながら必死で食らいついている。
「兄サーン、そろそろ明日の準備しないとお仕事行けないよー。」
リリて手を振りながら彼らに近づいていき、ようやく終いになる。ラクトは膝から倒れるように地面に身体を放り投げた。ミンチェは肩を回してコキコキと骨を鳴らす。
「おい、ラクト。テメェはもっと体力つけろよ。これぐらいでへばるんじゃ、俺と同等に闘うなんて無理、つーか出来ねえとは思うがな。はーあ、腹減った。リリ、行くぞ。」
「はーい♪あ、キミのお迎えはもうすぐ来ると思うよー。明日は私たちお仕事あるから二、三日空けるけど、それが終わったら兄サンが相手してくれるからね♪姐さんの命令は絶対だから。じゃあね、バイバーイ。」
そう言って黒ずくめの二人は暗い林の中へと消えて行った。残されたラクトは、残っている体力でうつ伏せから仰向けになり、赤から青、黒に染まっていく空を眺めた。一番星はキラキラと輝き、何個かそれ以外の星も輝き始めている。
「…っきっついなー…ここまで、やるのは…何年ぶりだろ…。やばい…眠気が…でも、帰らない…と…。」
ラクトは重くなる瞼を必死に開けようとしたが、ついにゆっくりと睡魔に負けて閉じてしまう。少し冷えた風が優しくラクトの身体を撫でる。それがさらに深い眠りへと誘った。
「…お疲れ様、ラクト。」
薄れる意識の中で、ウルキの声が聞こえる気がした。
次に目を開けたのは、次の日の早朝だった。身体中がビリビリ痺れたように言うことをきかない。全身が重く、動くことすら億劫で、だけど意識がハッキリする頃には腹の虫が騒ぎ始めてぐうぐう鳴った。
「―――――ぅいっつー…筋肉痛だ…。あれ?」
どうにか上半身を起こし辺りを見回すと、そこは外ではなくラクトに与えられた部屋のベッドの上だった。しかし自分で移動した記憶もなく、誰かが運んでくれたのは間違いない。
「…誰だろう…シャーロットさん…?」
とも思ったが、いくら強いシャーロットとはいえ女性に運ばれる自分を想像するのは恥ずかしく申し訳なかったので、男性であることを心の中で祈った。身体中が汗でベトベトなのに気がつき、備え付けられているシャワーで身体を洗うことにした。冷たい水が眠気を吹き飛ばし、目がようやく冴えてくる。身体をよく揉んで筋肉をほぐし、着替えを終えて部屋を後にする。外を見ると朝陽が顔を覗かせ始め、少しずつ明るくなっていく最中だった。城の中はまだ起きている人間が少ないらしく、しんとする廊下を静かに歩く。慣れてきたがまだ高価な装飾品に目を奪われながら食堂へてくてくと進んだ。次第にいい香りが鼻から入ってきて、ラクトの腹の虫はさらに大きく鳴り出した。すでに食堂では朝食作りのピークを迎えているらしく、コックたちは忙しなく動き回っている。
使用人たちもそぞろに並んでは朝食を受け取って席について食べ進めていた。本日のメニューはパンが二つにスープ、サラダ、魚の煮付けらしい。腹の虫が早くしろと責め立てるので、ラクトはキョロキョロしながら列に並び順番を待つ。すると後ろからきた男がぽんっと肩を叩いてきた。
「よっ!お目覚めか?王子様。」
「え、へ?」
振り返るとそこに立っていたのは、くすんだ灰色の短めの髪を立てて、少し焼けた肌に人懐っこい笑顔をした知らない兵士らしき男だった。そんな人間にいきなり王子様呼ばわりされて、ラクトは頭にはてなマークを浮かべて首を傾げた。すると男はケラケラと笑い始める。
「あっはは!お前だよ、お前。ほら、一緒にきたあの白っぽい髪女の子の好い人なんだろ?だから王子様、分かったか?」
親指と小指を立ててラクトの目の前でくるくると振って、男はニヤリと笑みを浮かべた。
「…ふあ――――――っ!?」
王子様と呼ばれた理由を理解し、ラクトは顔を真っ赤にさせて奇声を上げる。その声に食堂中の人間の視線が一斉にラクトに向けられた。慌てて男が口を塞いで止めるが、ラクトは顔を赤らめたまま頭の中は真っ白だった。
「おいおいっ、騒ぐなよ!しょうがねーな…ほら、お前のメシも貰って来てやるからその辺に座ってろ!なっ!」
そう言って男に背中を押されて列から出される。ハッとして辺りを見回すと、まだ自分に視線を向けられていたので仕方なく男の言う通り席に座ることにした。窓際のはしっこで空いていた椅子に座り、ギシギシいう身体を丸めるようにして小さくなっていると、先程の男が二人分の朝食を持ってきてラクトと向かい合わせの席についた。
「ふう、びびった。朝から恥ずかしいヤツだな、大人しそうな顔して。」
「…すみません…。でもいきなり王子様と言われるのも…その、そんなんじゃないんで…。」
しどろもどろに答えるラクトの反応に、男は驚いたような顔をした。
「は?何、お前ら付き合ってるんじゃねーの?城中が子供のカップルが来たって騒いでんのに?」
「ととととととんでもない誤解です!!な、何ですかその話っ。城中って…。ウルキとは…まだ…そんな…。」
アワアワと下を向きながら話すラクトを見て、男は今度は憐れみの目を向けてきた。
「そうか…一方通行なのか。悪かったな、からかったりして。」
「んなっ…ふぐぅ…!」
可哀想な目で見られていることや、自分の気持ちがバレバレなことで、ラクトは穴があったら入りたい気持ちで一杯だった。耳まで真っ赤にしているので、さすがに悪いと思ったのか男は水を注いで持ってきて飲むように勧める。喉もカラカラだったので、ラクトはコップを持つと一気に口に流し込んだ。
「おー、おー、いい飲みっぷり♪落ち着いたか?」
「…なんとか…。」
朝から恥ずかしい思いをさせる男に若干苛立ちを感じながら、ラクトは大きな溜め息を吐くだけに留めた。
「悪かったって!昨日運んでやったんだからさ、な?それでチャラにしてくれよ。」
「え?俺を運んでくれたのは…あなたなんですか?」
「あ、やっぱり覚えてなかったか。まああんだけアイツとやり合ってたらなぁー。汗びっしょりだったし。」
どうやらミンチェとの闘いのあとラクトを部屋に運んでくれたのは間違いないらしい。
「あ、ありがとう…ございました。」
「おろ?素直だな、あんだけからかったのに。」
屈託のない笑顔が人柄を感じさせる。からかったと言っても、そこまで悪気はなかったのだろう。ラクトはこの男に警戒することをやめて、大人しく朝食を食べることにした。
「そう言えば名乗ってなかったな、俺はロギ。第二部隊所属のここの兵士だ。お前は確か…ら、ラケット?」
「ラクトです。…わざとですか?」
「ん?バレた?」
朝食を終えて二人は暫し話をしていた。冗談混じりで話す彼はアイルの部下らしい。なかなか戻らないのを心配して、アイルがロギをラクトの迎えに行かせたのだった。
「アイツと修業だっつーからどんなヤツかと思って見てみたらお前みたいな子供が倒れてんだもんな。死んでんじゃねーか?って慌てて近づいたら、気持ちよさそうにグースカ寝てやがるし。大したヤツだなって思ってさ。」
「あ、はは…すみません、お手数お掛けしました。」
「でもよ、なかなかやるじゃん。アイツ、ミンチェはこの城でも厄介なヤツでさ、副隊長の命令しか聞かないし、団体行動はしないし、文句言えば突っ掛かってくるし…さらにあの歳で結構強いときてるもんだからなかなか止められる人間も少ねえんだわ。そんなのと張り合うなんて大したもんだ、ってうちの隊長が誉めてたぜ。」
ミンチェの問題児ぶりは想像がつく。アイルが躊躇っていたのも今なら納得が出来て、ラクトは苦笑いした。
「張り合うなんて…全然、あいつの方が強いし、俺なんてまだまだです。でも、もっともっと強くなりたいので…。その為に、なにがなんでもミンチェには付き合ってもらうつもりです。」
ラクトの本気の目に、ロギは感心した。
「ほーん…若いくせに、しっかりしてんのな。はは、気に入ったぜお前のこと!」
ロギはテーブル越しにラクトの頭をくしゃくしゃと撫で回した。ラクトは何だか恥ずかしいような、懐かしいような不思議な気分になるが、悪い気はしなかった。
「なんだ、もう仲良くなってるのか?」
横から声を掛けてきたのはアイルだった。ロギはどーぞと自分の隣の席に座るよう椅子を引く。
「ラクトくん、昨日は大変だったろう?副隊長と彼女、ウルキさんが戻って来てから君がミンチェと特訓出来そうだと聴いて驚いたよ。なかなか難儀な奴だが、彼は副隊長との契約で殺しはしないと誓わされているんだ。だから命まではとらないと思うが、厳しいと思うよ?それでもやるかい?」
「ありがとうございます、心配してくださって…それでも、俺は強くなりたいんです。」
「隊長、それさっき俺も確認しましたよ。意志は強いらしいっす。」
ロギに先を越され、アイルはそうかと笑って朝食を食べ始めた。
「それにしても、シャーロット副隊長がまた君のような子供を連れてくるとは思わなかったな。」
ふと思い出したように、アイルが言った。ラクトは疑問を感じて尋ねる。
「また?」
「ああ、聞いてないのか?ミンチェやリリも外から副隊長が連れてきたんだよ。ですよね隊長?」
「そう、三年ほど前か…。副隊長とその御父上、第一部隊隊長がとある仕事で他の国に行ったときに彼らに命を狙われたらしい。」
「命を…!?」
ラクトは驚いて危うくコップを落としそうになる。
「外交の仕事でね、副隊長が要人の護衛をしていたんだ。しかしあの強さで返り討ちにした。そして彼らはその強さに魅了されてしまったらしい。それまでの人生を棄ててまで副隊長についてきてしまったのさ。」
「つまりは元暗殺者ってことよ。まったくあの歳でとんでもない仕事やってたよな。」
二人の話を聞きながらラクトはミンチェのあの殺気の強さを思い出す。人を人とも思わないような、殺しを楽しむようなあの深く暗い瞳はそのせいだったのかと納得が出来た。同時にその殺気が自分に向けられていたことに背筋が凍るような感覚になる。いくら契約で殺しはしないと誓わされていたとしても、ミンチェは本気でやろうとすれば容赦なく自分を殺していただろう。その事実に、改めて固く強さを求める決意をした。
同時に、自分と変わらないような歳でどんな世界にいたのだろうかとミンチェたちのことにも関心が出てきた。
「あの…良かったらもう少し彼らの話を聞かせてくれませんか?」
「と、すまないな。私たちもあまりよく知らないんだ。人付き合いが悪くてな、仕事も諜報関係だから行動も別だし…なんたってあの性格だからね。リリはそうでもないんだが、殆ど兄と一緒にいるからなあ。」
「そんな奴だから今回のお前のことをスゴいって言ってたんだよ。ま、大変だろうが、しっかりやれよ。お前が決めた道ならな!」
またラクトの頭をくしゃくしゃしながらロギは立ち上がった。いつの間にか朝食を食べ終えたアイルも食器を持って椅子から腰を上げる。
「そうだ、副隊長は暫く溜まっている仕事を片付けなければいけないんだ。とりあえずミンチェたちとの特訓は午後からにして、あとは体力作りに時間をあてろと言っていたよ。まあ、ミンチェたちも二、三日いないから、身体を休めながら焦らずやるといい。何かあれば私やロギに聞けばいいさ。」
「あ、ありがとうございます!そうさせてもらいます。」
「じゃーな、ラクト。」
そして二人は食堂を出ていった。一人になったラクトは自分の拳を見つめたあと、パシンッと両手で頬を叩いて立ち上がり、食堂をあとにした。




