。初めての航海-2-
四人は海風を浴びながら港を歩き、一軒の酒場の中に入った。
「よう、ポーラ!やってっかい?」
「あらジィンちゃん!いらっしゃい。」
店の中にはカウンターとテーブルと椅子のセットが二つがあり、そのうちの一つのテーブルを拭いていた女性が笑顔で男に応えた。ふわふわの肩まである髪を上半分だけ後ろで結び、赤縁の眼鏡をかけた四十代くらいの女性は、柔らかい笑顔でラクトたちに微笑む。
「あら、可愛らしいお客様ね。」
ラクトたちはペコリとお辞儀をして、ポーラと呼ばれる女性の近くに歩いていった。
「ああ、さっき仲良くなったおれの連れだ。なあ、ダミルはいるか?」
ポーラに簡単にラクトたちを紹介すると、店をキョロキョロ見渡しながら男は訊ねた。
「いるよ、ちょっと待ってて。あんたー!!ジィンちゃんがきたよー!!」
ポーラが店の奥に向かって呼び掛けると、ドタドタと音を立てながら一人の紺色のボサボサした髪をした男性が現れた。
「やあ、ジィンさん!ちょうど良いところに!聞いてくれよ、ようやく完成したんだ。五十年前に活躍したバルハミュートの英雄ユンホが乗っていたガルジャーノ号の精密な模型が!!いやあ苦労したよなんたって船体のあの素晴らしい曲線美がなかなか上手く表現出来なくてね、あの部分だけでどれだけ僕の頭を悩ませたか――――――。」
いきなり現れたポーラの旦那、ダミルはペラペラと自分の話を語ることに夢中で、ラクトたちは目に入っていないようだ。ポーラはため息をついて、首を左右に振っている。どうやらよくあることらしい。ジィンは手をダミルの前に突きだし、話を遮った。
「わりぃ、わりぃ!聞きてえのは山々なんだけどよ、ちょっと先にこいつらの話を聞いてやっちゃくれねえか?」
ジィンが顎を使ってラクトたちの方へダミルの視線を誘導すると、ようやくラクトたちの存在を認識したらしい。ダミルは照れ笑いしながら謝罪した。
「――――あっ、はは!すみません、お客さんがいらっしゃったとはつゆ知らず…ごほっ、僕はこの店の店主のダミルです。よろしく。」
ダミルが笑顔で挨拶して握手を求めてきたので、シャーロットが手を出して挨拶した。
「はじめまして。 私はシャーロットです。この二人はラクトとウルキ。よろしくお願いします。」
するとシャーロットが名乗った瞬間、ダミルの表情が一変し、何かに気づいたように驚いていた。
「驚いた!もしやトルマディナのシャーロットさんですか!?あの有名な…。」
「…だからどう有名なんだよ…。」
シャーロットは思わず呟く。ジィンは苦笑いしながらシャーロットをなだめる。
「まあまあ、いいじゃねぇか!その噂のおかげでおれはあんたが強いって知っていた、だからこそあんたに魔物退治を頼んだだぜ?」
「魔物退治!?この人が?」
一番驚いていたのはポーラだった。
「なるほど、そういうことか!ジィンさん、まさかシャーロットさんに会えるなんてね。ほら、お前も知っているだろう?よく船乗りたちがしてた噂。」
ダミルがポーラに言ったが、まだ信じられないといった顔でポーラはシャーロットを見ていた。
「そりゃ噂はよく聞くけどさ――――…まさかこんな若くて美人な人が魔物より強いなんて、思わないじゃないか。」
はあ、とため息をつきながらシャーロットは頭をポリポリ掻いた。どうやら噂については諦めがついたようだ。
「すみませんが…私たちがここに来たのは、この港で船の規制を出した王族について話を聞きたいと思ったからなんですが。」
「おおっと、そうだそうだ!ダミル、お前さんの情報網なら当然知ってるよな?頼む、詳しく教えてやってくれ!!」
左手を使って頼み込む仕草をしたジィン。ダミルはしばらく口を一文字にして何かを考えていたが、店の奥へ向かい皆を招き入れるように手招きした。
「ジィンさんの頼みを断るわけにはいきませんね。さ、店ではなんですので奥へどうぞ。ポーラ、あとはよろしく。」
そう言って扉を開き、中に消えていった。
「よっしゃ!さすがダミルだぜ。ちょっくら失礼するぜ。」
ジィンはラクトたちを連れてダミルの消えた扉へ向かう。ポーラはそのまま店に残り、手に持っていた布巾でまたテーブルを拭き、いつもどおりの行動をした。酒場は自宅と繋がっていて、ダミルに案内されたリビングの椅子やソファーに皆が腰掛け、改めて自己紹介を始めた。
「改めまして、ダミルです。妻のポーラと一緒に十年前にこの酒場を始めました。ジィンさんとは六年程前に知り合って、いろいろよくしてもらっています。」
「こいつ、泳ぎが下手なくせにガキを助けようと海に飛び込んだんだ。おれが引き上げなかったらどうなってたかな?ま、根性があるやつだって思ったから、今も港に来る度ここに顔を出してるわけだがな!」
自慢気に話すジィンに苦笑いするダミル。
「いやあ…本当に命拾いしましたよ。あの子もすっかり大きくなりましたからね。ジィンさんが助けてくれなかったら―――。」
んんっとシャーロットが喉を鳴らしたので、ダミルは慌てて話を元に戻す。
「ああ、すみません!えー…、今回、港から見える位置にあるアデアナという島に魔物が住み着いたのは聞いてますよね?あれは間違いない事実です。ドゥーブという巨大で土色の魔物なんですが、つい二週間程前から姿が確認されて、どうやら島の海域を住処に選んだようなんです。するとつい一週間前に、突然この港に国からのお達しがありました。」
「…たった一週間で国からの規制があったと!?」
シャーロットは驚いて少し前のめりになりながらダミルに質問した。
「はい、港でも異例な事態となりました。しかしお達しと同時に、この港を治めておられる貴族、ゼイリン様も国から直々に命が下ったらしく、大型船の武装強化や許可の確認作業を徹底的にやられています。」
ラクトやウルキは港にあった船を思い出した。ダミルの酒場に向かう中、海の横を通ってきたが、たくさんの人間が巨大な船に砲弾や火薬、食糧を積み込んでいる姿を見た。中には船乗りではなく、高そうな服を纏った貴族の姿もあったことを思い出す。そしてその周りには荷物を抱え、カードを提出する人がいたことも。
「…その、貴族っていうのは普段から港の船に干渉はするんですか?」
シャーロットが右手を唇に当てながら訊ねた。
「いいえ…。元々はゼイリン様の父であるギナシ様が約四十年前にこの港の領地の統治を王族から任されていたのですが、ギナシ様が病に倒れられ亡くなられてから、ゼイリン様が統治をすることに…なったんですが。実の親子でありながらギナシ様とゼイリン様の性格は正反対でして、生真面目で統治に力を入れておられたギナシ様に対し、ゼイリン様は大きな仕事は側近にやらせて自分はお屋敷でパーティーを開いたりと、好き勝手にやられています。」
「まあ、私たちにはあまり生活に支障は出ませんでしたので、特にいざこざはなかったんですよ。ギナシ様の代から側近をやられているミルノ様のおかげですね。はい、コーヒーです。」
カチャカチャとコーヒーを人数分運んできたポーラは、一人一人に手渡しながら言って、また店に戻っていった。シャーロットは黙りこんだままズズッとコーヒーをすする。他の皆も続いてコーヒーを飲んだ。ラクトとウルキの分だけミルクが入っていたので、まろやかで飲みやすい。
「…では、そのぐうたら息子まで動かすほどの圧力がかかった、ということですか?」
「まあ、そういうことになります。…これは、お屋敷に勤務している兵士たちが言っていたことです。『王族の印のついた封書が届き、ゼイリン様は顔を真っ青にさせていた』と。あのゼイリン様がそんな表情をさせるなんて信じられないとも言っていました。それだけ王に近い位置にいる方からのお達しだったと考えられます。」
「王に近い…?」
あまり国の情勢に詳しくないウルキが不思議そうに訊ねる。ウルキは五十年以上洞窟で暮らし、人との接触をほとんどしていないので当たり前なのだが。そんな事情を知らないダミルとジィンは、ウルキが子供だからだと思ったらしく、丁寧に教えてくれた。
「このバルハミュートって国は世界で一番大きい国だってことは知ってるね?その中で一番偉いのはもちろん王様、そして王様の家族である王族、次に王様から名誉や栄誉を与えられた貴族が続くんだ。王様は王族の中から決められるんだけど、王族には派閥…つまり同じような考えを持つ集まりが大きく五つある。王様を決めるときは、その五つの派閥から一人ずつ代表者を出しあって、五人の中から新たな王様を決めることになっているんだ。」
「だが代表者…次期王候補にも色々あるわけよ。どいつが一番王になる素質があるか、どんな行いをして功績を上げているか、気の休まるところはねえぐらいに監視、干渉されて過ごすんだ。あと王に近い順番をいちいち決められるしな。おれだったら堪えられねえ!」
嫌そうな顔をしながらジィンが身震いしたのを見て皆が笑う。
「じゃあ…王様に近いって、その次期王候補のこと?」
「正確には、次期王候補やその家族が王様に近い権力を持っているってことなんだ。王様という立場に近いほど、他の王族や貴族に大きな影響力を持っている。そしてその下にいる僕らにも、抗えないような力を…。」
そして話をずっと聞いていたラクトが呟く。
「…今回ゼイリン様に命令をしたのは…王族の中でも大きな権力がある人物?」
ラクトの言葉に、ダミルはゆっくり頷いた。どうやらこの港が規制されたのは王族が関わっていて、それはまさに雲の上の人と呼べる存在であるらしい。たった魔物一匹が、ここまで国を動かす一大事なのだろうか?それとも…。
ラクトたちはううーんと難しい表情をしているが、その中でもシャーロットが一番黒いオーラを発していた。その気配に気づき、皆は黙ってシャーロットの様子を伺う。
「――――――…ラクト、ウルキ。」
やっと口を開いたシャーロットに名前を呼ばれ、二人はビクッとしながらシャーロットの言葉に耳を傾ける。
「明日発つ。お前たちは必要なものの買い出しをしてこい。水と食糧、あと予備のナイフ二本。さっさと行ってまたここに帰ってこい。わかったな?」
早口で要求を言いながら、シャーロットは二人に金を渡して追い出した。返事もままならない中、仕方なく二人は外に出て買い物に出かける。少しずつシャーロットのペースがわかってきたらしい。理由があれば一段落終わったあとに説明してくれる、ラクトもウルキもそれを確信していたので文句は言わなかった。
その様子をポカーンと見ていたダミルとジィン。二人を見送ったあと、シャーロットは再び彼らの前に座った。
「さ、子供らは行ったし…―――――大人の話をしようじゃないか?」




