.特訓-3-
「お?どうするつもりじゃ?」
目を開けると、目の前に顔を近づけているミネルヴァの姿が映った。意地悪そうな笑みを浮かべたままで。しかしリコは驚くことも、怒ることもせず、大きく息を吸い、深呼吸をした。そして両手を前に出し、真っ直ぐミネルヴァを見つめる。
「ミネルヴァさん…いきます!」
そう言い終わった瞬間、リコの身体からポコポコと緑色に光る泡が三つ現れた。一つを両手で掬い上げるように移動させ、ミネルヴァの魔力が流れる自分の足に当てて泡を割る。
「!」
パンッと割れた泡から魔力が弾け、ミネルヴァの魔力とぶつかって流れを止めた。
「これも!」
二つ目を腰の後ろ、三つ目をもう一度足に当てて泡を割る。泡はパンッと割れるが音は立てずに魔力を飛ばしながら消えていく。しかし三つ目が消えるころには、ミネルヴァの魔力の流れは完全に止まっていた。
「っやった!」
嬉しそうに笑顔になるリコ。しかしミネルヴァもニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「甘い!」
ミネルヴァは右手を突きだし、魔力を地面に這わせリコに向けて放つ。しかしリコは軽々と跳び跳ねてそれを避けてしまった。まるでミネルヴァの行動をわかっていたように。
「なぁ!?」
目標物が避けてしまったためか、ミネルヴァの魔力は地面を滑るうちに消えてしまった。リコはにっこりと笑顔を向けている。
「…なんじゃ?これぐらいで、してやった、なあんて思ってるんじゃないだろうな?」
嫌み満々でミネルヴァが言葉を口にすると、突然リコはペッコリと頭を下げた。
「ほ?」
きょとんととするミネルヴァに、頭を上げたリコはお礼を言う。
「ありがとうございました、ミネルヴァさん!私…魔力出せました!まだ集中しないと無理だけど…でも、私の魔力です!!ちゃんと、私の中にありました!!」
「あのな、リコ?お前がいくら魔力を出せるようになったといっても、私には到底及ばん。いくらでもさっきみたいに変な格好に出来るんだぞ?ありがとうなんて台詞がいるか?いらんだろ?」
するとリコはふるふると頭を左右に振る。
「私が魔力を引き出せたのはミネルヴァさんのおかげです!私が集中できるように…憎まれ役をやってくれたですよね?睨んじゃってごめんなさい!!」
また頭を下げたリコに、ミネルヴァはため息を吐きながら手をかざす。
「だからのぅー?私は楽しみたいだけじゃ。ほれほれ、また魔力を流すぞ――――?」
しかしリコは動じない。ミネルヴァの視線と自分の視線を合わせ、逸らそうとしなかった。
「頭にお花。」
「―――――!」
ミネルヴァはリコの言葉に動揺の色を隠せなかった。なぜなら、今まさに魔力を流してリコの頭に花を咲かせようと考えていたからだ。
「………なるほど、予知か。」
ミネルヴァは見下すようにリコを睨む。リコは唇を噛み締めてこっくりと頷いた。
「………くふっ…。くふふふははははは!!」
突然大声で笑い始めるミネルヴァ。そしてリコの肩をガシッと両手で掴み、満面の笑みを見せた。
「まさか一発で成功させてしまうとはな!!しかも特性まで引き出すとは大したもんじゃ!!よくやったの、リコ!!」
そしてギュウッとリコを抱きしめて、また笑った。そんなミネルヴァの行動に照れながら、リコはえへへと笑みを溢した。
「あ、終わった?」
急に二人以外の声が部屋に響き渡る。二人が振り返ると、階段を降りてきたラキが、抱き合う二人を無表情で見ていた。
「ラキちゃん!」
「なんじゃいラキ、いいところを邪魔しおって。」
さっきの意地悪とは裏腹に、ミネルヴァは抱きしめながらリコを撫でくり回していた。
「…苦しそうに見えるけど?」
リコは顔をミネルヴァの胸元に押し付けられていて、さらに強く締め付けられていたため、バタバタとSOSを送っていた。
「おっとぉ、すまんすまん、ついな!」
謝りながらミネルヴァは手を放した。ようやく解放され、リコは顔を真っ赤にしながらボサボサになった髪を手でとかす。
「ミネルヴァさあん…。」
「ふふ、悪かったと言っとるだろう?」
一緒にリコの髪をとかすミネルヴァ。その光景はまるで親子のようだ。
「…。」
「ラキ?何突っ立っとるんじゃ?」
無言で立ち尽くすラキにミネルヴァは声をかけると、ラキはゆっくり二人に近づいてきた。
「…いや、何でもない。それより二人とも休憩しない?魔力出し合って疲れたでしょ?」
「へ?ラキちゃん見てたの?」
ミネルヴァにされた馬の格好を思い出して、リコは思わず両手で顔を隠す。
「いや、だってマシューさんが簡単に伝えてくれたから。…何かされたの?」
「あ、そっか…。何でもない何でもない!!」
マシューとミネルヴァが意識を共有出来ることを忘れていたリコは、違う恥ずかしさで頬を染めて苦笑いした。
「ニルーニャさんがお弁当作ってくれたんだ。今マシューさんが持ってきてくれるから、皆で食べよう?」
ラキの提案に二人は笑顔になる。
「おお!あいつの飯はうまいからな!よし、ひとまず腹ごしらえするか。」
「はい!」
ちょうどそのときマシュー、ロンが階段を降りてきた。結界近くまでニルーニャが運んでくれたお弁当を食べながら、他愛のない話をする。
こんなにゆっくりと流れる時間は、ラキにとっても、リコやロンにとっても、久しぶりであり、とても幸せに感じものだった。リコが魔力をコントロール出来るようになるまで短い間だが、もう少しこの日々が続くことに、ラキたち三人は嬉しさを覚えた。
同時刻。
三人が村に来る前にいてリコがはぐれてしまった町、ミデム。この町に入ったばかりの男女の二人組が会話していた。
「ちょっとー!買い食いとか後でやってくれない?」
淡い黄緑の髪を二つに結んだ女は、屋台でラググールの肉を買う相方の男に向かってため息をついた。
「えー?だって腹減ったんだよ、旨いよこれ。シトランテも食べる?」
男が女に串に刺さった肉を差し出すが、彼女はブンブン首を左右に振る。
「い、ら、な、い!それより早くあの子捜すんだから、行くわよ!?」
怒った様子で女が町の中心へ歩いて行く。男はマイペースに肉を頬張りながら女の後についていった。
女は二つに結んだ髪を大きな縦ロールにしていて、上にリボンをつけている。前髪は斜めにぱっつんと切られ、両目の下には涙のような形の刺青がはいっていた。少しつり上がった目が猫に似ている。男のほうは全体的に少し長く伸びたボサボサのキャメルの髪で、前髪より左側に赤く染められた一束を筒状の髪留めでまとめていた。人懐こそうな目は睫毛が長く、顔立ちも整っているため愛嬌がある。頭をポリポリ掻きながら、だるそうに欠伸をした。
「もう!なんでこんな同じような家ばっかりなのよ!イライラするわ!!」
見渡す限り、白く四角い建物ばかりの町を睨みながら、女は悪態をつく。
「とりあえず手分けして捜すー?二手に別れた方が効率的でしょ?」
男はヘラッとした顔で提案したが、女が素早く振り返り男の口に向けて人差し指を突き立てた。
「あたしがなんであんたと一緒にいると思ってんの?どうせあんたのことだからサボってその辺でフラフラするに決まってるわ。いい?あたしはお目付け役なの!ちゃんと捜しなさいよね!!」
女の剣幕にも動じず、男はテヘッと舌を出した。
「あはー。お見通しかぁ。捜せばいいんでしょ、捜せば?」
そう言いながら男は辺りをキョロキョロと見回してみる。
「ここにはいなそう。」
ニコーッとした笑顔を女に向けると、口元がヒクッと動いたのがわかった。
「わかってるわよ、見ればわかるわ!いいわよ、行くわよ!?」
そう言いながら女はずんずん進んでいく。男は口笛を吹きながら余裕の表情で彼女の後ろを歩いた。
「っていうか確かなのかなー?あの子がここにいるって情報、間違ってたら捜し損だよねー?」
へらへらしながら男が言うと、女は振り向かずに答えた。
「そのときはそのときよ、今は見つけて連れ帰ることがあたしたちの任務なの!任務に損も得もないんだから、文句言わずに捜しなさいよ!!」
刺々しい女の口調はだんだん怒りが混ざっている。しかしやはり男は態度を変えない。
「でもさー?なんか最近体が鈍ってしかたないんだよねー。こうもっと一暴れできるような任務回ってこないかなあ?あはは。」
「――――――…あんたねぇ?」
男の言動についに女がキレた。人通りの少ない路地に入り、男を蔑むように睨む。
「一度その口閉じなさい?これ以上減らず口たたくようなら容赦しないわよ?」
女の周りには殺気が流れ、空気が冷たくなっていく感じがした。近くにいたネズミが慌ててその場から逃げていく。
「え?シトランテが相手してくれるの?それは退屈しなそうでいいなあー。」
女の怒りを促すように男はにんまり笑ってみせる。すると、一瞬のうちに男の横を一線の風が吹き抜けた。男の後ろの壁には斬られたような跡があり、男の頬には一筋の切り傷が出来ていた。だが男は静かに微笑んでいる。
「…次は口を使えなくするわよ?元を辿ればあの子に逃げられたときの責任者はあんたでしょう?あたしは尻拭いに付き合わされているだけ。あの御方に言われなければ、こんなことしていないし、あんたの命なんてとうに無いの。あんたはあの御方に生かされてるのよ?つまらないとかあんたの言い訳なんて聞く気はないの!」
「…生かされてる、ね?」
瞬間、男は笑顔のまま女と同じような殺気を放ったが、すぐに消えた。女は背を向けて踵を返す。
「あの子はあの御方にも、あたしたちにも必要な力を持ってる。必ず連れ帰るわ。紫色の髪の女、なんて珍しいもの。少しでも手がかりを掴む…いいわね?」
「…ハイハイ。りょーかいです。」
男は生返事をするが、女はひとまず捜索を再開するために早足で人通りの多い道に戻る。女の後ろ姿を見ながら、男は捜している女を思い出していた。
(逃げられたときの責任者…はは。逃がした本人なんだけどね?)
男は切り傷から滲み出た自分の血を手で拭い、ペロッっと舐めて微笑んだ。その目は悦に入ったように歪み、先ほどとは何か違う、近寄りがたい雰囲気を放つ。
(あーああ…こんなに早く見つかっちゃうのは面白くないな。せっかく見逃してあげたのに、つまらないじゃないか。どうせなら――――逃げるだけ逃げて、必死に生にしがみついて、もがいて苦しんだ姿を見せてくれないと…ね?楽しませてよ、もっと、もっと。)
紫色の髪を思い浮かべ、男の表情は静かに、不気味に微笑んだ。と、ふと意識を戻すと女との間に距離ができていた。
「早く来なさいよ、リディット!!」
怒鳴る女を追いかけて、男は人混みの中に消えていく。




