.邂逅-7-
「すみませーん!神隠しの山ってここですか?」
村人は驚いた。
滅多に人が入ってこない山の中腹に、見知らぬ青年が立っている。赤錆色の髪の青年は腰に剣を差し、背中にはリュック、一見旅人のように見えるが…。不思議なことに、ミネルヴァの結界のすぐ手前で止まり、見えていないはずの村人の方へ視線を向けて話しかけていたからだ。
「すみませーん!…ここにはいないのかな?」
やはり村人の姿は見えていないらしい。実は青年の正面から三メートルほど離れた場所に、山菜を採りに来ていた父と息子の親子がいた。しかし青年は村人に気づく様子もない。そして結界から離れ横に歩いて行ったので、親子はただの偶然だろうと胸を撫で下ろす。しかし、数メートル行ったところで青年は歩みを止めた。
「すみませーん!誰かいませんかー?」
偶然なのだろうか?青年はまた結界の手前で止まり、村のある方向へ声を上げている。
「怪しい者じゃない…って言っても怪しいですが、ただ話をしたいだけなんですー!誰かー!」
明らかに、この青年はこの山に人間が住んでいることを知っている。しかもどういう理由かはわからないが、おそらく結界にも気づいているのだろう。親子が困って動けずにいると、村から数人の男性が下りてきた。
「―――村長!あれ…。」
親子が指差す先にいる青年を確認し、村長と呼ばれた男が親子の肩をぽんっと叩いた。現在より十五年若いカイドだ。齢三十にして、彼はこの村の村長になっていた。
「結界の近くで何者かが騒いでいると村にいたやつらが気づいて下りてきたんだが…。勘違いではないのか?」
「いえ…俺もそう思ったんだが…。どういうわけか結界に気づいているみたいなんだ。結界の境界が見えてるみたいに…。」
カイドはもう一度青年に視線を向ける。おかしいなあと首をひねっているものの、青年は結界から上に入ろうとはしていない。しかしまた横に少し移動して、村のある方向へ呼び掛けている。
「すーみませーん!」
確かに結界に沿って移動しているようにも見えるが…本当に結界が見えてるなんてあり得ることなのだろうか?
「…誰かがこの村の情報を手に入れたとか?」
そう言ったのは村長の息子、マシューだった。このとき彼は十三歳。だがすでに次期村長としての自覚もあり、カイドの仕事ぶりをよく見についてくる。
マシューの発言に皆は彼を一斉に見つめた。
「マシュー、お前またついてきたのか?というか、やめろ。村の者の不安を煽るようなこと言うんじゃない。」
カイドは肩を叩こうとするも、マシューはするりと避けてすたすたと結界の近くに歩いて行く。空を切った手を引っ込めながら、カイドはマシューに注意した。
「…おい、いくら姿も声も伝わらないからってあんまり近くに行くんじゃない!」
マシューは父親の言葉を無視して青年に近寄った。
「……弱そうだし大丈夫じゃない?」
マシューはジッと青年を見つめた。見た目は二十歳くらいだろうか?剣を持っているものの、不思議とただの飾りのように見える。それは青年が醸し出す弱そうな雰囲気がそうさせていた。あどけない少年のような表情で結界の周りをうろうろさ迷い歩く姿は、決して強そうには見えない。
「…確かに、俺より弱そう…いや絶対俺の方が強い!とはいえ油断は禁物だ。―――どうせ結界の中には入れないんだ。放っておけば諦めて帰るだろ。」
カイドは山菜採りの親子に村へ帰るよう言ってから、マシューの元に近づく。
「…でもこの人、結界には気づいてる。それに人が住んでるってわかってるようだ。そんな情報を下手に撒かれないように、釘さしといた方がいいんじゃないの?」
どこでそんな言葉を覚えたのかと思いながら、カイドは考えた。確かに、村の情報を持ち帰り、村にとって不利益な状況にされるのは避けたい。それにこいつ一人ならどうにかなりそうだ。情報の出所や、結界のことも気になる。ならば…。
「…おい。」
カイドは一緒に来た男たちに合図した。二人の体格のいい男たちが少し離れたところから、結界を出て青年に近づく。
「あ!よかった、この辺りの人ですか?」
青年は二人に気づき、安堵の笑みを向けた。しかし男たちは無言で青年の腕をガシッと掴み、結界に向かって歩き出す。
「へ?あの…あれれれ?」
青年はわけもわからず引き連られて、男たちに両腕を掴まれたまま結界の中に入った。
「よう、あんたは旅人か?」
カイドが話しかけると、青年は突然現れたカイドの姿に驚き、目をまん丸にさせている。
「ぅえ!?あ、こ、こんにちは…。」
だが青年のきょとんとする口からは、カイドの質疑の回答ではなく普通の挨拶が出てきた。ぶふっと思わず笑いそうになったが、マシューが後ろからジッと見ているのを感じ、なんとか堪える。
「―――…そうではなく、俺はお前が旅人かと聞いたんだ。どこから来た?何の用だ?神隠しの山だと聞いてなかったのか?」
増えた質問に青年はどう答えようか悩みながら、ヘラッとした笑顔を見せる。
「あはは、すみません。えーとですね、俺はラクトといいます。旅人です。麓にあるジックの町でここの噂を聞きました。神隠しの山とか、入れば帰ってこれないとか、幽霊がいるとか色々…。」
「では何故わざわざ山に入った?何が目的だ?」
カイドの真っ直ぐな眼差しを見ながら、ラクトは口を開く。
「…魔力。魔人。」
瞬間、二人の男がラクトを後ろから押さえる形で膝をつかせ、カイドは懐からナイフを取り出しラクトの顔に近づけた。
「―――――っお前…その情報をどこで手に入れた!?」
カイドが怒りを露にしながらラクトを睨み付けた。マシューも男二人も真剣な表情で彼を見つめる。ラクトは一通り見回してカイドに目を向けた。
「やっぱり魔人がいるんですね?会わせてください、お願いします!」
「―――――!?このっ!?」
カマをかけられたと気づくと同時にカイドが右腕を振り上げ、ラクトの頬を一発殴る。ラクトは抵抗することもなく、殴られたあとにカイドに視線を戻す。
「皆さんに危害を加える気も、生活を脅かそうとも考えていません。ただ魔人と話がしたいだけなんです!お願いします!!」
「ふざけるな!!誰が―――――!?」
怒鳴るカイドとラクトの間に入ってきたのはマシューだった。
「なっ!?退けマシュー!!」
「少し落ち着きなよ、黙って。」
父親を一瞥したあと、マシューはラクトの前にしゃがみ、ジッと目を見つめた。
「…僕らにとって、魔人は大切な人なんだ。どうしてそういう考えを持ったのかは知らないけど、はいそうですかって会わせるわけにはいかないんだ。悪いけど、知ってるだけの情報吐いてさっさと帰ってくれないかな?」
表情には出さないが、マシューも十分怒っていた。声は次第に暗く冷たくなるのを感じ、カイドでさえも少しビビってしまった。しかし…。
「―――…そうか、大切な…大切な人なんだね?よかった。」
ラクトの表情はビビるどころか、嬉しそうに笑顔になっていた。
「…ちょっと、こっちは怒ってるんですけど?わかってますか?あなたは僕らにお願いできる立場じゃないんだ。痛い目みたいの?」
「あ、すみません。なんか嬉しくって…あはは!そうですね、確かに失礼でした。でも会いたいんです、お願いします!!」
そう言うと、ラクトはニコッと笑い、腕を掴まれたまま頭を下げた。
「――――…あのねぇ…!」
さすがにマシューの表情も崩れてきたころ、落ち着きを取り戻したカイドが肩を叩いた。
「よせマシュー…どうやら何がなんでも自分の意思を曲げないつもりらしい。だが、下手に恨みを買うわけにもいかないからな。しょうがない、村でゆっくり話そうぜ?クソガキ!」
そう言ってカイドはナイフを再びラクトの目の前に見せつけたあと、懐に仕舞った。そしてラクトの腰から剣を引き抜き、歩き出す。
「こいつは預かっとくぜ?文句は言わせねえ。」
「はい。それで魔人と会えるなら、喜んで。」
ラクトの笑みにイラッとしながら、カイドたちは村に向かった。もちろんラクトは男たちに挟まれたままで。




