。ウルキの秘密-4-
ウルキは宿の二階にある休憩室のベランダにいた。手すりに腕を置いてそこに顔を伏せている。すると後ろから足音がして、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
「…ウルキ、いい?」
ラクトが声をかけるとウルキは顔を伏せたまま小さく頷く。ラクトはゆっくりウルキに近づいて横に並ぶと、手すりに掴まって夜空を見上げた。
「うわぁ…昼間も思ったけど、空ってこんなに広かったんだね。いつも建物や木の間からしか見れなかったから――――――…なんだか星も大きく見えるよ。」
そう言ってラクトが感嘆のため息をもらすと、ウルキは少しだけ顔を上げて重い口を開いた。
「…――――シャーロットがね、戻ったらいなくて…私一人だと思ったから…ずっとずっと気になって、シャーロットにも、ラクトにも迷惑をかけるってわかってたのに―――――…どうしても、知りたかったの。」
たどたどしく話すウルキをラクトは静かに見守っている。
「…見届けたら…ちゃんと処分するつもりだったの…。」
そう言ってウルキは組んだ腕の中から小さな水晶を取り出した。
「だけど―――――…っ見ようとしたけど、怖くて、恐くて…!ずるいよね…酷いよね…!あんなに長い間、村の人を騙して、苦しめて、縛り続けたのにっ…私、逃げてばっかり――――!」
ウルキの目からは大粒の涙がぼろぼろ溢れ、肩はふるふると震えていた。
「自分勝手だよね――――!私、私のわがままに皆を巻き込んだのにっ…最後まで、なんにも…償いもしてないなんて――――――!」
「…ウルキ…。」
「…それだけじゃない…。今日だって―――――あれだけ長い間一人だったのに、こんなに短い時間だったのに…私、不安で不安で堪らなかった。呆れられたら…置いていかれたら、どうしようって…ひどいことばっかり考えてた…。最低な私、そんな私を…ラクトは探しに来てくれた、シャーロットは怒ってくれたのに…!二人を裏切るようなことばっかりして――――――ごめんね…ごめんなさいっ…!」
ウルキはラクトの方に顔を向けて泣きながら謝った。ずっと我慢していた感情を抑えきれず、ウルキは水晶を握りしめた手に力を込め、その手は両方とも赤くなっている。そして堰を切ったように泣き続けた。ラクトは正直、なんと声をかけたらいいのかわからなかったが、ただウルキのこの涙がとても重く熱いものだろうと感じていた。
しばらく経ったあと、ウルキの涙がようやくおさまってきた。ラクトはそっとウルキの肩と手に触れると、座るように促した。そしてベランダに座り込んだ二人は、広がる夜空の下で風の音を聞きながらしばらく向かい合ってお互いの手を見つめていた。ラクトは両手をウルキの手を優しく包むように置いている。その隙間から水晶はゆらゆらと淡い光を放っていた。
「…ウルキ、見せてくれないかな?今の…村の決断を。」
ラクトは水晶を見つめてウルキに語りかけた。ウルキは視線だけラクトに向けると、赤い瞳に彼を映した。
「…―――――でも…魔力、が…。」
するとラクトは右手で自分の口の前に人差し指を上げて合図をした。
「しー。またシャーロットさんに怒られちゃうよ?俺たちだけの秘密なんだから。」
柔らかい笑顔を向けると、ウルキもつられて少し微笑む。が、すぐに表情は暗くなる。ラクトは一呼吸おいて静かに語りかけた。
「…俺もね、自分のことばかり考えてたんだ。少しでも知識を集めて、経験を積んで、そして強くなって…早く一人前になりたくて。――――でもウルキとはぐれて、俺一人で焦って、ただ狼狽えることしかできなくて…で、シャーロットさんに怒られた。自分のことも何もできないのに、他人を助けようとするなって。変わろうとしてるウルキの決意を、俺がダメにするんじゃないって――――。」
「っそんなこと…!」
「ううん、その通りだなって思った。自分のこともできないやつが、他人に何かしようとしても…結局は足手まといか、邪魔になって、助けることはできないんだって、すごく痛感したんだ…。こんなにウルキが苦しんでたことにも気づけなかった…そりゃ情けないよね。」
弱々しく笑うラクトを見て、ウルキは首をふるふると横に振った。
「そんなことない…私が悪いんだもの!ラクトは一生懸命探してくれた、それだけで私は――――…。」
「っへへ…ありがとう。ウルキは、優しいね。」
ラクトの言葉にウルキは表情を曇らせた。
「…――――それはないよ…私は、酷い女だよ…。」
「…ねえ、じゃあ村の皆を心配してくれるウルキは?酷い人間がどうして危険を冒してま で、村の様子を気にしているの?」
「―――――…っそれは…だって…。」
「…ウルキ、俺はね…村の秘密を知って、魔人の、ウルキの存在を知って、ウルキがしてきたことを知って…それでもここに、一緒にいるのは…――――ウルキが、優しくていい人だってわかったからなんだよ?」
ウルキの目が大きく開き、ラクトの瞳をまっすぐ見つめて動けなくなった。ただ唇がぱくぱくと動くが、喉の奥から熱いものが込み上げてくるようで、うまく言葉を発することができない。
「そりゃ、こんな若造が何言ってんだって感じだけど、そうじゃないと俺今頃絶対逃げてるからね!…シャーロットさんだってそうだよ。あんなすごい人がウルキを認めてるんだ。言ってたよ?ウルキはそこまで馬鹿じゃないって。――――…あれ?これって誉め言葉として受け取っていいのかな…?」
真剣な話をしていたはずなのに、ううーんと唸るラクトの姿にウルキは緊張がほぐれたのか、フフッと小さく笑みをこぼした。その目にはうっすらと熱い滴が浮かんでいる。
「―――…ラクトったら…。」
そんなウルキを見て、ラクトは優しく微笑み言葉を続けた。
「こんな俺が育った村だよ…?やっぱり心配だとは思う、けど―――――大丈夫、あれで結構打たれ強いんだ。…どんな結果を出そうとも、例え俺たちのことを許してくれなくても。きっと、今まで以上の村にしてくれる…そう思うんだ!」
「―――――っ…うんっ…。」
例え許してくれなくても、それはラクトの本心だった。自分が残された立場だったら、今のように素直に受け入れることは難しかっただろう。それはいつかラクトが経験した感情に似ていた。裏切られたような、でも誰にその感情をぶつけたらいいのか…。
それでも、今までラクトがやってこれたのは村の皆が支えてくれたからだ。あの村だったからこそ今の自分がいる、ラクトはそれをよくわかっていた。
「…俺も一緒に見届ける。水晶はそれからなんとかしよう、シャーロットさんもわかってくれるよ。」
ラクトはウルキに強い眼差しを向けた。ウルキはゆっくり目を閉じ、深呼吸してから目を開けた。
「…わかった。」
月明かりが照らす中、宿のベランダで二人は柔らかい光に包まれる。
小さな水晶の中に映ったのは――――――…いつもと変わらない村人の姿だった。
ウルキの魔力が込められた水晶は村に八つ。そのどれからも、何一つ変わらない村の姿があった。農業を営む者、剣の稽古をする者、店で品物を売る者、広場で集まる子供たち…。
「…え―――――…?」
ラクトもウルキもこの予想はしていなかった。あれほど恐れていた儀式の実態を知ったのであれば、村に何かしら異変があるだろうと思っていたからだ。
「まさか…アイジおじさんが村に辿り着けなかった…?」
儀式の真相を伝えるはずだった人物が村に辿り着けなかったとしたら、変わらない村の姿も納得がいく。しかし、それは同時にその人物の安否が危ぶまれる。すると、ウルキは水晶の中にその姿をとらえた。
「ラクトっ、アイジは無事だわ!」
そこに映ったのは幸せそうに娘を抱き抱えるアイジの姿だった。五年も離れていた家族との再会を喜ぶように、その表情は穏やかだ。
「よかった…!」
ホッと胸を撫で下ろすラクト。しかし、そうなると村人たちは儀式の真相やウルキの存在を知ったことになる。なのにこうも変わらないものなのだろうか?
「…―――――教会が…。」
ウルキの言葉にラクトは水晶の奥をジッと見つめ、教会の異変に気がついた。扉は太い木の柱が二本打ち付けられ、その上からたくさんの貼り紙が貼られている。そこに書いてあったのは…。
「――――…"村の本当の災厄は村長だった"…これって…。」
そう、それらは全て村長や村の偉い役職に対する暴言や罵倒の数々だった。
つまり、村人の怒りの矛先はラクトやウルキたちではなく、儀式を黙認し行い続けてきた村長らに向けられていたのだ。
「………アルル…。」
ウルキはポツリと村長の名前を口にしたが、ラクトはなんと声をかけていいかわからなかった。自分たちをどう思っているかはわからないが、真実を公表した結果村長たちが村から追い出されることになったのだろう、その事実に胸の奥が締め付けられた気がした。
「…きっとアイジおじさんが俺たちのことをうまく言ってくれたんだろうね…。」
ラクトはウルキの目に溜まる涙を見つめながら静かに言った。
「…………うん… 。」
ウルキは左手で胸元の服を掴みながら、目を瞑り、そして右手をかざし水晶から魔力を抜き取った。光は次第に弱くなり、それはただの水晶に戻った。
しばらく水晶を見つめ、二人の間に沈黙が流れた。
「…ラクト、これを埋めるの手伝って…?」
ウルキが静かに口を開くと、ラクトは頷き立ち上がった。そして二人は宿屋の脇にある大きな木の根元にいくと、小さな穴を掘りその中に水晶をそっと置き、優しく土を被せた。
「ありがとう、ラクト。」
そう言ってラクトを見つめるウルキの目にはもう涙はなく、何かを決意したように強い光が見えた気がした。
「…戻ろうか。シャーロットさん、多分待ちくたびれてるよ。」
ウルキが何を決意したのかラクトは聞かなかったが、いつか自分が他人の役に立てるようになったなら、例えわずかでも力になりたい、そうラクト自身も心の中で決心したのだった。
すでに日付が変わっている時間だったが、食堂の方からはまだ客の歌う声が聞こえていた。その横を通り過ぎ、二人は二階に上がりシャーロットの待つ部屋に向かう。コンコンッと扉を叩いてからラクトは取っ手に手をかけた。
「…遅くなりました、シャーロットさん?」
ラクトがウルキを迎えに行ってからすでに二時間ほど経過していた。もう寝てしまったのだろうか?
「―――――…ああ…戻ったか。」
ベッドのある奥の部屋からシャーロットの声が聞こえたので、ウルキは駆け足で勝手な行動をしたことを謝りに向かった。ラクトも扉を閉めて後に続こうとした、その時ふと視界の隅にあるものが入った。出ていく前は綺麗に飾られていたテーブルの上の花瓶の花が崩れていたのだ。その周りには水もこぼれた跡があったので、シャーロットが間違って倒したのかと思い、手を伸ばした。と、ラクトは目を疑った。こぼれた水と一緒に、赤い滴が点々と小さく落ちていたからだ。
「っ!?シャーロットさん!?」
ラクトは急いでウルキが向かった部屋に向かった。するとそこにはベッドの上に座りながらウルキにチョップをくらわせるシャーロットの姿があった。
「っいったぁー…。」
「手加減してやったんだ。ありがたく思え!…ん?ラクト、なんだそんなとこに突っ立って?」
「へ…?あ、いや…。」
イキイキとウルキをいじるシャーロットを見てホッとするものの、どうしてもあの赤い滴が気になって訊ねてみた。
「シャーロットさん…あの、あっちにあるテーブルの上の花瓶…倒しました?」
「…花瓶?ああ、お前が行ったあと一杯やってたら酔いが回ってな。見ろよ、手ぇ切っちまった。」
そう言ってシャーロットは左手をぷらぷらと振って見せた。確かに手のひらから甲にかけて大きな絆創膏を貼りつけている。
「もう…危ないわね、お酒やめなさいよ。」
呆れたようにウルキが言うとシャーロットはウルキの手を引っ張って自分の胸元に引き寄せた。そしてウルキの頭をぐりぐりとかき回した。
「お前、私に説教言える口があるのか?えー?」
「ぃいーやぁーっ。」
じゃれあう二人を見て笑ってみるものの、ラクトはシャーロットに違和感を感じていた。先ほどラクトが質問してシャーロットが答えるまでの一瞬の間に、ピリッとするような緊張感が走ったのをラクトは見逃さなかったのだ。そしてもう一つ。花瓶は割れたわけではなかったのに、何で切ったというのだろうか?
ラクトもウルキも、シャーロットのことをまだ何もわかっていなかった。
夜も更けきった時間、三人はそれぞれの想いを胸に床についた。
「…まだだ…。まだ―――――――…。」
誰かの寝言が静かな部屋で聞こえたが、夢なのか、それとも…。他の二人に気づかれぬまま、言葉は闇に消えていった。




