幕間 すべての女はビッチである。
「世の中の女なんかみんなビッチなんだよ」
ある夜、こう言い放った父親の顔の皮膚は酒焼けして乾燥し、どろどろと濁りきった瞳だけが浮いて、僕をねっとりと捉えていた。
「だからおれは女がきらいだ。お前を生んだビッチもな」
しかし、男は女の身体を求めざるをえなかった。根源的なこの欲を解消しなければならない。不満だらけの生活を送る男にとって、セックスは一時的救済なのだが、あの女は抱きたくなかった。
そんな論理で僕は母親の代わりに父親に犯されたのだった。性欲と征服欲が解消でき、母親への鬱憤も晴らせる。その行為に対する父親の認識とはそんなものであった。
僕は「心に傷を負った」(カウンセラーの言葉)被害者であり、「両親を更正させるためにも」(児童相談所の相談員の言葉)、彼らから逃れる必要があった。
紆余曲折あり、結局となり街に住む親戚に預けられることになった僕は、その家で気を遣われ、腫れ物のように扱われ……というようなことはなく、肩透かしを喰らった気分だった。
「僕は、きみのお父さんのお姉さんの、その夫の腹違いの兄なわけなんだけど。自分で言っててわけがわからないよ」
「とりあえず、遠い親戚ですね」
「そう、遠いんだ。でもその遠さが児童相談所にとっては都合がよかったんだろう。ぼくには可愛い彼女もいるからきみをどうこうするはずないし、何よりぼく、お金持ちだし」
僕の新しい保護者は、心地良さそうな和服をゆるりと着こなす小説家だった。純文学の分野では有名なひとらしい。すこし変わった、だが気持ちのいい物言いをする六十歳のおじいさんで、いい意味で放任主義であった。
その家では毎日通いのお手伝いさんが美味しい料理をつくってくれる。掃除も週に三回、業者が入ってくれる。僕は日当たりのいい子供部屋を与えられ、たまにおじいさんやお手伝いさんと話す以外はその部屋で自由に過ごしている。
おじいさんは自慢の「可愛い彼女」には会わせてくれないが、たまにさす囲碁や将棋の合間に女の子の話をする。
女子アナウンサーの恋愛事情だとか、AKBでは誰が可愛いだとか、ひょっとすると僕よりくわしいかもしれない。びっくりするほど気持ちが若いのだ。ぼくは好色じじいだからね、と胸を張っていうだけのことはある。
*
「須賀くんが、女性不信にならなくてよかったわ」
「男性不信気味ではあるけどね」
引っ越した直後、新しい小学校で、僕は生まれて初めて彼女ができた。はじめましての挨拶もそこそこに、となりの席に座った女の子はいきなりこう訊いてきたのだ。
「ねえ須賀くん、あなたはどんな女をビッチと思う?」
「世の中の女の子、全員かな」
答えながら、父のことばが呪いのように僕のなかでずっとくすぶっていたことを自覚し、愕然とした。
「ある意味でほんとうに、いまの世の中ほとんどの女はビッチといえるだろうね。婚前交渉を拒む娘なんていないし、20歳までには彼氏のひとりやふたり、いるのが普通だ。
世間はやたら恋を煽るけれど、それはカネになるからだと思う。女の子が恋をすれば、経済は回るんだ」
「女の子がおしゃれをするために雑誌を買う。ダイエット用品を買う。男とデートする。男におごらせる……」
「そう。資本主義社会において、恋は大きな力なんだ。……って、これはまあ、保護者の受け売りだけど。
逆に、女の子が恋をできないほど停滞した世界があるとしたら、それはもうその世界は破滅の危機に瀕しているよ。女の子はどんなときでも恋をするものなんだろ」
「そうね。恋はじぶんの価値を知るための、手段だから」
となりの席の彼女はこういった。
「とにかく、須賀くんはビッチを否定しないのね?」
「否定したら、世の中の女の子を全員否定することになるからね」
「そっか」
彼女はその賢そうな顔に、邪気のない、子供らしい笑みを浮かべた。僕はこの子と付き合うことになり、その母親によってビッチへの見解を大きく変えることになるのだけれど、それはまた別の話。
おわり。