ビッチに学ぶペドフィリア、もしくは第二次性徴と浮気について
詰め込み過ぎました。
惚気話をしていいだろうか。
私(クイーンオブビッチ、間宮李菜の娘)の彼氏は11歳の小柄な男の子で、その名前を須賀君という。
よく見ると非常に整った、上品な、貴族然とした顔(果たして現代日本に貴族はいるのだろうか、という疑問は置いておいて)をしているのだが、普段は何の面白みもない眼鏡をかけ、どちらかといえば地味な印象の男の子である。
須賀君は小学生男子には珍しく、異性とも臆せずよく話す。だが、別にもてるわけではない。
「須賀君は細いし小さいし、なんだかかわいい!女の子と話しているみたい!」
これが彼に対する五年二組女子の評だ。要は異性として認識されていないのである。
まあ、この年頃の男子の人気の基準は、サッカーがうまいとかゲームをたくさんもっているとか、そんなところにあるので仕方ない。
彼の趣味は読書。ジャンルは問わずに何でも読む。
この前は「世界の禁断の愛」というタイトルの本を朝読書の時間にもってきていた。カバーもせず堂々と読んでいたので、「早く来すぎた中二病」を患っているのではないかと私は疑っている。
そんな彼、実はなかなかハードな人生を送っているらしい。
「父親に襲われていたんだ。定期的に」
何でもないことのように言い、須賀君は水着のはいった袋を振り回す。今は夏休み、学校のプールへ行く途中なのである。
「父親は重度のショタコンだったのかもしれない。僕はこのとおり女顔だからロリコンの線も捨てきれないけど」
母親は助けてくれなかったという。母親にしてみれば、息子は夫を盗った憎き愛人のような存在であった。責めるべきは夫であって、息子を恨むのは筋違いというものだが。これについては李菜の言葉を引用しておこう。
「女は浮気されたとき浮気した男ではなく相手の女を憎む。対して男は浮気されたときは徹底的に女を憎み、むしろ相手の男に連帯感のようなものを抱くのよ」
とにかく須賀君の両親の仲は壊れてしまい、彼は親戚に引き取られこの街に越してきた。そして私と出会った。その点だけは須賀君の両親に感謝せねばならない。
私は不遜な猫のような態度の、美しい転校生に一目惚れしたのだから。そして様々な手を使って彼を籠絡したのである。女は汚いのだ。11歳とはいえ。
*
学校に着いた。水着に着替えるため、須賀君と別れ女子更衣室へむかう。固いゴムのようなスクール水着に身を包みながら、顔をしかめた。最近、成長期の乳房が痛むのだ。
水着に覆われた膨らみかけの胸を眺めた。乳首を中心として、皮膚の内側に五百円玉大の硬いしこりがある、ような気がする。
須賀君は男の子だから、柔らかい胸をもっているだろう、と考えた。平らな、すじっぽい、性を感じさせない、けれどどこか妖しい、そんな胸を。
須賀君には内緒だが、私は須賀君のお父さんの気持ちが少しだけわかる。須賀君は中性的で、危うく、いかにも脆い。しかもそれを自覚している。女の子にはない、精神的ないやらしさのようなものがあるのだ。少女でも男でもない、アンバランスな淫らさが。
私は水の中に潜り、身体を丸める。ぷかりと背中が浮く。水中で、皆の下半身がカニのように揺らめいている。
「なにやってんの」
「死体ごっこ」
短い水着を身につけた須賀君が私のそばにやってくる。
「水死体ってグロいんだよね、水吸って膨らんでブヨブヨなんだよ」
嬉しそうに言いながら、私にならい丸くなる。胎児のようだ。
「ねえ、李菜が言ってたよ。おのれのかわいい外見を利用できる、強かな子は好きよって」
「李菜さんには敵わないな」
そう言って細い未発達な身体をねじる彼。ああ私は彼のお父さんの気持ちがわかる。須賀君はずるいし、かわいい。私はこの目覚めたばかりの劣情をどうすればいいのだろう。李菜にきいてみようと思った。
おわり。
言葉数を抑えた文に憧れているんです。