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ビッチに学ぶフットフェチシズム

今日相手した爺さんは谷崎潤一郎みたいだったわ。夕飯時、李菜は開口一番私に報告した。そして糸を引くチーズオムライスを器用にスプーンに巻きつけながら続けた。


「顔を足で踏んでくれ、ですってよ」


「……ああ」


その言葉で思い出した。谷崎潤一郎。『刺青』とか『痴人の愛』を書いた作家だ。マゾヒズム、耽美、母性思慕、などのタームとともに評価されることが多い。


「そこで『細雪』だの『陰影礼賛』だのをあげないとこが好きよお」


「李菜の教育の賜物だね」


「さすがはあたしの娘よ。……しかしあの爺さん、鼻を足の股で挟むようにして強く踏んで欲しいとか、そのとき左足を斜め45度曲げて欲しいとか、マニアックな注文が多かったね。足フェチのマゾ自体は珍しくないけどね」


私の母、間宮李菜は自他共に認めるビッチである。色情狂と言い換えても良いかもしれない。李菜は婦人雑誌の記者をしながら、いろんな男(年齢も職業も人種も問わない)と逢瀬を重ねるというスキャンダラスな毎日を送っている。しかし母は決して男をうちにいれないし、夕飯時には絶対に帰宅する。わきまえたビッチなのである。


「SMはあたしも嫌いじゃないけれど、S側になると気を遣うのよねえ。Mにとっては天国ね。つまりアレは快楽の先延ばしだもの」


「マゾヒストって痛いのが好きなひとなんでしょ」


「んー微妙に違うわ。痛いのが好きってひとは究極的にはいないと思うの。だって遺伝子レベルで死は忌避されるものだから」


李菜によると、究極の快楽とやらは常に死とセットで訪れるものらしい。マゾヒストとは死に恋い焦がれる人のことだ。


「でも、死ぬまではいかないんでしょ?」


「そう。死んだら、それはもうそこで終わりだもの。物理的な意味でね。永遠に先延ばしされる快楽。マゾヒストはよくばりなのよ」



昨夜李菜に聞いた話を、そのまま隣の席の須賀君に伝えた。五時間め、自習の時間。私が話しかけるまで鷗外の『ヰタ・セクスアリス』を読んでいた彼は私のクラスメイトであり、彼氏だ。二ヶ月前から付き合っている。もちろんまだ清い関係だ。高学年とはいえ、私たちはまだ小学生なので。


「性癖っていろいろあるんだね」


「盛り上げるためのくふうのひとつなのかもね。結局やることは一緒だからね」


私の言葉に須賀君は心得たように頷き、眼鏡の位置を整え本を丁寧に鞄にしまう。彼の白くて細い、頼りない指の動き。女の子のようだ。

顔もどこか少女めき、体格も私より頼りない。もっとも、大抵の小学校高学年男子は同い年の女子より背が低い。保健の教科書に載っている身長と年齢の折れ線グラフをみればわかりやすいのだが、この時期だけわずかに女子は男子より大きい身体になる。

今、男子が小さいのはこれからぐんと大きくなるための助走のようなもので、その後は男女差がどんどん開く。女子は男子に永遠に勝てなくなる。須賀君は骨格的に背が伸びそうだ。


「女が男に負けるのも、快楽の先延ばしかしら」


「そうだね。女のほうがよくばりだから」


その不遜な言葉は、小学生男子だけに許される、独特の口調で放たれた。須賀君は微笑ましい。眩しくなるほどに。



フットフェチシズムの話に興味をもったのか、放課後須賀君は私に脚を見せてくれと言った。私は少し考えて答えた。


「きのう一輪車で擦った。虫刺されもあるしきれいじゃない」


「それでもいい」


それなら、と私はスカートの端をつまんで、そろそろとまくる。細く、未発達な脚。色気なんて皆無だ。この状況は滑稽だ。放課後の五年二組の教室で、真剣な顔でやることじゃない。

李菜の言葉を思い出す。


「こんなことをしている自分、バカみたいだなって思うこともあるわよ。実際バカなのよ。でもバカじゃないことなんてないじゃない。勉強も政治も経済も法律も芸術も恋愛も、正気になったら負けじゃない?」


須賀君は私の脚を見つめ、そのきれいな指でなぞり、おそるおそる頬ずりし、ぎこちなく舐めた。その様子を眺めながら、彼の読んでいた小説の題名を思い出す。ヰタ・セクスアリス。性欲的生活。その日、私は期せずして少年の性を目覚めさせてしまったのかもしれない。



おわり。





ヰタ・セクスアリスはエロくない。びっくりするほどエロくない。


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