第6章 魔王シルヴェリスの出立 1
七都とセレウスは、館を出た。
セレウスは、カトゥースの花が入った布袋を肩に乗せ、手にはお茶が入った陶製の容器を持っている。
七都はどちらかを持とうと申し出たが、当然のごとく、セレウスは持たせてはくれなかった。
「ここでいいよ。ありがとう」
町の門を通り抜けたところで、七都はセレウスに言った。
「荷物が重いし、やっぱり遺跡まで行きます。丘まで上がるのも大変でしょう。あなたは魔力の使い方もご存知ないみたいですし」と、セレウス。
「普通魔神族なら、こういう場合、どうするの?」
「そうですね。例えば、遺跡まで飛んで行くとか。荷物ごと一瞬で移動するとか?」
「無理かも」
「でしょう?」
セレウスは、ちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「でも、ティエラに怒られるよ」
「私は、アヌヴィムの魔法使いです。もう彼女の知っている小さな子供ではありませんから」
セレウスが言った。
「セレウス!」
その時、聞き覚えのある声が追いかけてきた。
二人が振り返った先に、金色の巻き毛と緑色の目の少女が、息を切らせて立っていた。セージだ。
「おねえさん、魔神さまなんですってね」
セージが、するりと七都の前に回って、物怖じせずに言った。
「こらこら、なんて失礼な」
セレウスが慌てる。
「お別れを言いにきてくれたの?」
「わたしも一緒に、おねえさんを送っていく。ね、いいでしょ、セレウス?」
「きみは、帰りなさい」
セレウスは、語調を強めて従妹に言った。
「わたしも、帰ったほうがいいと思う。お母さんに確実に怒られるよ。あなたがついて来たら、セレウスもお母さんに怒られるでしょう」
七都も、同意する。
セージは、無理やりセレウスから、お茶の入った容器を取り上げた。
「こ、こら!」
「帰らない。母さまは魔神族が好きじゃないみたいだけど、でも、わたしたちはアヌヴィムの一族なのよ。それに、魔神族の血も混じってるらしいもの」
セージが言った。
「ゼフィーアは、わたしには魔法を使う才能があるって、時々言ってくれるんだから」
セレウスは頭を抱えて、溜め息をつく。
「あなたは、アヌヴィムの魔女志望なの?」
七都の質問に、セージは頷いた。
「だからね、おねえさんともっと一緒にいたいんだ」
近い将来、きっとセージとティエラの間には、進路について確執が起こるだろうな、と七都は予想した。
セージは、ついていくことを認められたと勝手に判断した様子で、先頭に立って機嫌よく歩き始める。
「だが、きみは今のところ、完璧に人間だからね。魔法も使えない。ナナトさまは、たまたま友好的な魔神さまだけど、普通はこうはいかない。それに、遺跡には……」
セレウスは、丘を眺めて、言葉を飲み込んだ。
そう、遺跡には、魔王がいる――。
七都は、彼が表に出していない不安と恐怖を感じ取った。
太陽は低く輝き、地上の景色は、オレンジ色を淡く混ぜ込んだように照らされていた。
空は透明感を帯びて、雲は薄い金色に縁取られている。三人は、丘への道をゆっくりと歩いた。
涼しい風が、時折、頬を撫でていく。
この風景の中には、人間がつくったものが少ない。
背後の素朴なクリーム色の町と、丘の上の古代の遺跡くらいだ。
当然のことだが、七都がいつも目にしているビルの群れも、道路も線路も、鉄橋も見当たらない。
「なんか、こうやって自然いっぱいの中を歩いてると、ピクニックに行く途中みたい」
七都は、呟いた。
「なんですか、それは?」と、セレウス。
「お弁当を持って、みんなで野山に出かけるの」
「それは楽しそうですね。いつかやってみたいです」
「わたしも!」セージが言った。
「うん。行ければいいね」
この二人とは、もしかしたら将来、そういうことも出来る機会があるかもしれない。漠然と七都は思った。
七都が元の世界に戻ると、もう二度と会うことはない。そちらの確率も高そうだったが。
一行は丘を登り、やがて遺跡に到着する。
遺跡の柱の表面は、沈んで行く太陽の光に照らされて、薄紅色に輝いていた。
機械の馬もメーベルルの鎧もそのままの位置にあったが、七都が鎧に供えたユードの花束は、既に太陽に水分を吸い取られ、ぐったりとしおれていた。
招き猫は、相変わらず片手を上げて佇んでいて、その頭には付箋がしっかりと貼り付いている。
セレウスとセージは、地下通路の入り口の前で、七都にカトゥースの花とお茶を渡した。七都は花の袋を肩にかけ、お茶の容器は紐に手を通す。
「下まで行こうよ。あの階段、魔神さまひとりじゃ大変でしょ」
セージが無邪気に言った。
「いや。我々はここまでだ。下まで行ってはならない」
セレウスが諭すように呟いた。
彼の尋常ではない緊張感が伝わったのか、セージは黙り込む。
「そんなに固まらなくても」
七都は言ったが、セレウスは声を落とす。
「恐ろしいです。私は、とても中には入れない」
「ナイジェルが? あなたと同じくらいの歳の、ちょっときれいな男の子なんだけど」
「魔神族の方の年齢は、見た目と中身が一致するとは限りません。特に魔王さまは……」
「ユードによると、ナイジェルは、魔王になったばかりみたいだけどね。そういえば彼、なんとなく性格、あなたに似てるよ」
言ってしまってから、七都は後悔する。セレウスが、さらに頬をこわばらせたからだ。
確かにアヌヴィムの魔法使いとはいえ、魔王に性格が似ているなどと言われたら、固まるしかないのかもしれない。
「そ、その、どこかさめてて、でも、子供っぽくて、いたずら小僧的なところが」
七都は付け加えたが、セレウスの表情は、ますます硬直するばかりだった。
「じゃあ、いろいろありがとう。あなたたちに出会えなければ、わたしは相当困っていたと思う。出会えて、本当によかった」
七都は、二人に言った。彼らは頭を下げる。
「さようなら、ナナトさま。またお会いできますように。これからは、カトゥースのお茶と花は、毎日取り替えます。掃除も、出来るだけこまめにやります」
「無理しなくていいよ、セレウス」
「いえ。やはり、手抜きはいけませんから」
「そう? じゃあ、よろしくお願いしますね」
「ごきげんよう、魔神さま。絶対、またお屋敷に来てくださいね」
セージが、言葉に力を込めて言った。
七都は、頷く。
そして七都は、猫たちの彫像の間を通り抜け、闇の空間へ入った。
かつて魔王の神殿として使われていたという、地下の広間へ。
そして今は、ナイジェル――魔王シルヴェリスが眠っているその広間へ、再び戻る――。
セレウスとセージは、七都の姿が闇の中に消えても、突っ立ったまま、いつまでもその入り口を眺めていた。




