第5章 魔法使いの館 10
魔神狩人の少女は、そこに立ちはだかるように広がるクリーム色の壁を見上げた。
縁に蝶がたくさん集まっている装飾を施された窓が、等間隔に並んでいる。
あのどこかだ。
そこは、先程門前払いを食らったアヌヴィムの魔法使いの館だった。
だが、館を囲む塀は簡単に乗り越えられたし、ここまで問題なく入って来ることが出来た。
ただ猫が数匹、彼女が敷地内に降り立ったときから、ずっとあとをついてきたのだが。
(何て警備の薄い家なんだろ。不用心ね)
猫たちはおとなしくついてくるだけなので、あまり彼らの存在は気にしないようにして、彼女は館の周囲を注意深く移動した。そして、ユードがいそうな部屋に見当をつけたのだ。
少女は、細いロープを窓のひとつに向かって投げた。
蝶の装飾の一部に、ロープの先がひっかかる。
ぐっと引っ張って確かめてみると、十分な手ごたえが返ってくる。
「よし。行くぞ」
少女は呟いたが、たくさんの視線を感じて、振り返る。
半円を作るようにして、猫たちが少女の周りに座っていた。
数十の透明な目が自分を遠巻きにして観察しているのに気づいて、彼女はぎょっとする。
さっきより猫たちの数が増えていた。
「き、きっと、私に犬の匂いがするから、近づいて来ないのね。そこでおとなしく見てなさいな」
少女はロープを手繰って、壁を上り始めた。
この建物は、二階までしかない。ユードを探し当てるのはそんなに困難ではないだろうし、時間もかかるまい。
ふと下を見ると、もっと数が増えた猫たちが、彼女を一斉に見上げている。何か、いやな感じだ。
猫は苦手ではない。どちらかといえば好きなほうだ。魔神狩りのために犬を飼っているとはいうものの。
とはいえ、この数の猫に見つめられたら、不気味ささえ覚える。
いったいこの家には、猫がどれくらいいるのか。百匹くらいか?
少女は窓の高さまでロープで上がり、蝶の装飾に手と足をかけて、体を支えた。
そっとガラスの向こうを眺め、そこにあるものを確認する。
「当たりね。私のカンも、なかなかのものだわ」
少女は、ガラスを軽くたたいた。
ベッドに横たわるユードが目を細めて、窓に目を向ける。
ユードの足の上や両脇、枕の横で丸くなって眠っていた猫たちも、揃って目を覚ました。
少女は窓を開けた。窓も、拍子抜けするくらいに簡単に開く。
「カディナ……!」
ユードが呟いた。
「何してるのよ、ユード。こんなところで。ここはアヌヴィムの家なのよ」
カディナと呼ばれた少女が、非難するようにユードを睨む。
「そう責めるな。好きでここにいるわけではない」
ユードが言った。
「ちょっと待って。中に入るから」
カディナは、窓から部屋の床に下りようとしたが、何か弾力のある透明なものに体が突き当たる。
「どうして? これは……」
カディナは、窓の枠の中の何もない空間をたたいた。
空間はカディナの手を確実に押し返してくる。これでは、部屋には入れない。
「おそらくそこには、魔法の見えない壁が貼られているんだろう」
「魔法の壁? それで警備が薄いわけね」
「私を助けに来たのか?」
ユードが灰色の目でカディナを見る。
カディナは、首をすくめた。
「まあ、そういうこと。魔法使いって、あの赤い髪の男の人でしょ。彼を脅して、魔法の壁を取っ払わせたら……」
「無駄だ」
ユードが冷たく言った。
「私は、当分動くつもりはない。もう少し回復するまでは、ここにいることにした。今無理をしたら、動くようになるものも動かなくなる」
ユードは、右手をちらっと見下ろす。
カディナは、信じられないとでも言いたげに、目を見開いた。
「このアヌヴィムの家に、まだ留まるってこと? あなたが?」
「余計な感情は、当分封印する。これも、血の吐くような努力の一部かもな」
「その怪我は、魔神族にやられたの?」
「魔王だ」
「え?」
カディナは、顔をこわばらせた。
「水の魔王シルヴェリス。本名はナイジェル。彼の右腕を奪った代償だ」
「魔王がこの町の近くにいるの? それで、剣が半分金色に光ってたんだ」
「おまえは、すぐにこの町から出て行け」
ユードが言った。
「なんでよ? あなたがもう少しよくなるまで、この町の宿にでも泊まってるから。魔王がいるなら、なおさら……。魔王なんて、めったにお目にかかれないじゃない。それにその魔王は、あなたとの戦いで怪我してるわけでしょ」
「おまえの手には負えん」と、ユード。
「傷ついて弱った魔王がいるからといって、見に行こうなんて考えるなよ。油断して近づくと、命取りだぞ。だいたいおまえは、魔貴族どころか下級魔神族しか相手にしたことがないんだろうが」
カディナは、不満そうな顔をする。
「だって私の担当は、今のところ下級魔神族ってことになってるもの」
「それが妥当だからだ。あと、この館にはひとり、魔神がいる。見た目は人間のかよわそうな少女だが、エヴァンレットの剣を二本破壊された。彼女は太陽の光の中を我々と変わらずに歩ける。エヴァンレットの剣も、彼女に対して反応はしない。彼女が魔力を使ったときは、反応するようだが」
「なに、それ……」
魔神族が近くにいるというのに、この剣が反応しない……?
カディナは、エヴァンレットの剣を鞘から抜いた。
刃の全体が青味を帯びた銀色の光を放っている。
それは、魔神族を示す金色の光ではなかった。アヌヴィムが近くにいるという意味でしかない。
「そういう魔神族もいるということだ。おまえのその剣も破壊されないうちに、この館から立ち去ったほうがいい。そして、その剣がどんな反応をしようと無視して、隣の町までよそ見をせずに行くんだ」
「でも、あなたを置いて行けないよ」
「私は怪我が治り次第、勝手にここから出て行く。心配しなくてもいい」
ユードは言ったが、魔神狩人の少女は窓枠の蝶につかまったまま、そこから動く気はなさそうだった。




