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緑の扉 <ダーク七都Ⅰ>  作者: 絵理依
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第5章 魔法使いの館 4

 七都とセレウスは、回廊に出た。

 太陽の位置は高くなっていて、その光は中庭に降り注いでいる。

 朝よりもさらに暑くなり、白い光をたっぷり含んだ空気は、呼吸するのさえ苦しいほどだ。

 猫たちはのんびりと、それぞれ思い思いの位置に好みのポーズで散らばっている。

 七都はフードを深く下ろし、セレウスのあとについて行った。

 カトゥースのお茶を飲んだおかげで、体力は少し戻っていた。喉の渇きも空腹も、ある程度は癒されている。

 セレウスが突然立ち止まったので、七都は彼の背中にぶつかりそうになった。


「この上に、彼がいますよ」


 セレウスが、二階に続く階段を指し示した。


「え?」

「あなたのお知り合いの水の魔神族と渡り合ったという、例の魔神狩人です」

「ユードが?」

「本当に無視していいのですか?」


 七都は階段を眺めたが、すぐに目をそらす。


「いいよ、もう。会いたくない。あの人は、水の魔神族の男の子の片腕を太陽にかざして奪ったし、その前に闇の魔神族の女の人をエヴァンレットの剣で殺したもの。だいたい私も殺そうとしたし。遺跡の柱に縛り付けて、太陽で焼こうとしたんだから。絶対、許せない」

「それは、聞き捨てなりませんね」


 セレウスは腰のあたりから、さりげなく剣を取り出した。


「彼を殺しますか? あなたがそうお望みなら……」


 セレウスの若草色の目が、きらりと妖しく光る。


「や、やめてよっ。物騒なもの持って、物騒なことをさらっと言うのはっ」


 七都はあわてて、剣を握りしめたセレウスの手を両手でつかんだ。

 その途端、彼の体温が軽い衝撃となって伝わってくる。

 あ、この人も体温高い。

 熱いくらいにあたたかすぎる。ユードと同じだ。

 この世界の人間って、こういう体温?

 七都は、セレウスの手を離した。

 セレウスは、七都が触れても、ティエラのようには固まらなかった。そのことに七都はほっとする。


「彼は、殺しません。殺しちゃだめ。怪我がよくなったら、この館から無事に出してあげてください」


 七都は、ごく軽く命令するようなニュアンスを含めて、セレウスに言った。

 魔神族はアヌヴィムよりも立場が上みたいだから、言うことはきいてくれるはず……。


「わかりました。そうしましょう」


 セレウスは、七都が思ったとおり、素直に剣をしまった。


「あ、でも……。ちょっとだけ隙間から覗いてもいい? 彼、眠ってるんだよね?」

「ええ。さっき様子を見に行ったときには、よく眠っていましたよ。では、どうぞ」



 二人は、二階への階段を上がった。

 回廊でくつろいでいた猫たちが、二人のあとをついてくる。

 廊下に出るとセレウスは、木製の丁寧なつくりの扉の一つを細く開けた。

 七都は、その隙間から中を覗き込む。

 部屋の奥に、ベッドが置かれているのが見えた。

 見覚えのある灰青色の髪が、枕の上で渦巻いている。

 そしてその下には、暗い灰色の目。その目は、いぶかしげに扉の隙間に向けられる。

 彼と目が合ったとき、ばちっという音がどこかで聞こえたような気がした。実際そんな音は、もちろんしなかったのだが。

 七都は、思わず扉を閉める。


「うわ、起きてるよお。まともに目が合ってしまった」

「お目覚め、というわけですね。あとで彼に、薬草入りのスープでも持ってきましょう。で、彼と話しますか? このまま無視して、カトゥース畑に行きますか?」


 七都は扉を背にして、しばらく迷った。

 話さなければならない理由はないし、話さずに済ます理由もない。

 けれども、目を合わせたのにこのまま通り過ぎてしまうということは、つまり逃げたことになるかもしれない。それに、なんとなく負けを認めることになりそうな気もする。


「……やっぱり、彼と会って話してみる」

「まあ、暇つぶしにはいいかもしれませんね」


 セレウスは、にっこり笑った。

 この人、少し冷ややかなところが、なんとなくナイジェルと似てる。

 七都は、思った。


 セレウスが、大きく扉を開ける。

 軽く頭を下げた彼の傍を通り抜けて、七都はユードが寝ている部屋に入った。

 廊下にいた猫たちも、こぞってぞろぞろと部屋の中に入る。

 ユードは頭を上げ、近づいてくる七都を見据えた。


「なぜ、あんたがここにいる?」


 彼が、怒ったように言う。


「あらあ。ここはアヌヴィムの魔法使いさんのおうちなんだもの。私がいたっておかしくはないってことでしょ?」


 七都は、にーっこりと会心の笑みを作り、ユードのそばに屈んだ。

 セレウスは、扉の前で腕を組んでいる。その手には、いつでも抜ける状態の剣が握られていた。

 猫たちは、部屋を調査しているかのように床を歩き回った。


「アヌヴィムの家だと? 最悪だな。仇同士だ」


 ユードが呟いた。


「助けてもらったんだから、文句は言わないの」


 ユードの右手には、包帯が丁寧に巻かれていた。

 指先にも包帯がぐるぐると巻かれている。七都が噛み付いたところだ。


「で、あんたは私を殺しに来たのか?」


 ユードは、曇った冬の空のような灰色の目で、七都を見上げた。


「殺さない。ナイジェルがあなたを死なすことを望まないから。私も、今回はあなたを見逃すことにする。おとなしく手当てを受けて、怪我がよくなったら、ここから出ていけばいい。暴れたり、ここの人たちに危害を加えたりしなければ、アヌヴィムさんたちも、あなたに何もしないで見送ってくれるはず」


 扉の前のセレウスが、微かに笑みを浮かべ、頷いた。


「出て行くとき、ちゃんとこの家の人たちにお礼を言わなきゃだめだよ。助けてくれたお礼と手当てをしてくれたお礼と、敵なのに手出しされなかったお礼」

「ナイジェルは?」


 ユードは、七都の忠告を完全に無視して訊ねた。


「もちろん、あなたよりひどい怪我だよ。今は、安全なところで眠ってる」

「あの遺跡の地下か……」


 ユードは、枕に頭を沈めた。


「ふさわしい場所を選んだな。それにしても、水の魔王がみすみす片手を失うとは。それほどあんたを助けたかったってことか」

「水の魔王? ナイジェルが?」

「おそらく、そうだろう」

「あ、だから、金の冠持ってたんだ。あれは魔王の冠ってことかな」


 七都は、呟く。

 ナイジェルの力を回復してくれるという、あの妖しくきらめき、変化する、不思議な冠。

 やはり、ただの冠ではなかったのだ。あれは、魔王の冠――。


「あまり驚かないんだな。知らなかったんだろうに」

「だって、この世界はびっくりすることばかりだから。そもそも魔神族のこともよくわからないし、魔王がどんな存在だとか、何を意味するのかも知らない。ナイジェルが魔王だって言われても、ふーん、そんなもんかって感じだもの」

「魔王は、七つの魔神族のそれぞれの長だ。当然七人いる」


 ユードが言った。


 その七人の魔王のひとりが、ナイジェル。

 ナイジェルは、王子さまじゃなくて王さまだったんだ……。

 七都は、ぼんやりと思った。

 王さまといっても、おっかない魔王さまだけど。

 ナイジェル、おっかないのかな……。


「でも、なんで魔王だってわかったの?」


 七都は、ユードに訊ねた。


「少なくとも、彼と知り合った頃は、彼は魔王ではなかった。魔貴族の放蕩息子だと思っていた。だが、いつの頃からか、彼の耳に金の飾りが光るようになった。あれは、魔王の冠が形を変えたものだ。古い魔神狩人から聞いたことがある。魔王たちは、冠を額にはめないときは、指輪や耳飾りにしていると。間近で耳飾りを見て確信したのは、ついさっきだ。あれほど至近距離で彼を見たことはなかったからな。今までは、耳飾りのことなど気にもかけていなかった」

「そうだね。普通は男性同士であの距離にまで接近するなんてこと、そうそうないものね」


 七都は言ったが、ユードは当然、にこりともしない。


「もしあんたが助けなくても、彼は切り抜けていただろう。魔王ともあろうものが、一介の人間に簡単に殺されるはずもない。あんたを上回るくらいに彼は力を爆発させて、あの丘は遺跡ごと吹き飛んでいたかもしれない。このくらいの怪我ですんだのは、あんたのおかげかもな」

「じゃあ、もう、魔神狩人なんていう危ない職業はやめたら? エヴァンレットの剣も二本ともなくなっちゃったし、その手じゃ剣も使えないでしょ? せっかくナイジェルが加減してくれたんだしね。あの時、ほんとはあなたの腕を切り落とせたし、殺すこともできたけど、彼はそうしなかったんだよ」

「使える手は、もう一本あるからな。それに、血を吐くような訓練と努力をして、この手も動かして見せるとも。剣もまた、手に入れる」

「しつこいんだね」


 七都は、眉を寄せた。


「ナイジェルが私を助けたのは、猫と同じだろうが」


 ユードが言った。


「猫?」

「猫は、獲物をいきなり襲って殺したりはしない。さんざん弄んでからだ。それと同じだろ」

「ナイジェルは、あなたを弄んでいるって?」

「彼はのんびりして穏やかそうに見えるが、したたかだ。物事の本質も鋭く見抜く。なんせ魔王なんだからな。おっとりしていては、務まるまい」

「ただのノーテンキじゃないってことね。そういえばナイジェルは、あなたをおちょくるとおもしろいって言ってたよ」

「ふん」


 彼は、七都から目をそらす。


「ところで、あなたが切り取って持って行った私の髪は、返してもらったから」

「そうか。残念だな。高く売れそうだったが」


 ユードが目をそらしたまま言った。


「売るつもりだったの?」


 七都は、あきれる。


「魔神族のものは、貴重ですからね。魔神族がつくった装身具や武器などは、もちろん買い手がたくさんいますし、体の一部の髪ともなると、とてつもない金額で取り引きされます」


 セレウスが説明した。


「マニアとか?」


 七都は、小さく呟く。


「何ですか、それは? とにかく、魔神族に魅入られた金持ち連中は、財産をつぎ込んで、魔神族に関するものを手に入れようとしています。彼らは、魔神狩りの連中の資金源でもある。魔神族の髪や爪などを身に着けていると魔神族に襲われないとか、その持ち主の魔神族を支配出来るとか、反対に支配されるとか、噂はいろいろですね。本当のところは、私にはわかりませんが。でも、そういう理由だけで、彼はあなたの髪を切り取ったのでしょうかね?」

「え?」


 ユードは黙ったまま、答えなかった。



 床を歩き回っていた猫たちの中の一匹が、ユードのベッドの上に飛び乗った。

 一匹が乗ると、次々と順番にあとに続く。


「何の真似だ!」


 ユードが叫んだ。


「猫に本気になって怒っても、無駄なことだと思うけど。……あ、猫、嫌いなんだ」


 七都は、にっと笑う。

 猫たちは、ユードの周りに陣取った。

 足元に丸くなる猫もいれば、彼の腰あたりを枕にする猫もいる。枕の横で毛づくろいを始める猫もいた。


「出ていけ。重いっ。毛が付くっ!」


 ユードは叫んだが、位置を定めた猫たちは、微動だにしない。


「動くと、怪我が痛むよ。せっかくこの子たちが好意持ってくれてるんだから、遠慮しなくてもいいのに」

「好意だと? 私が猫嫌いなことに感づいて、嫌がらせをしているだけだ」

「なんだ、わかってるんだ」


 七都が言うと、セレウスが口に手を当てて、控えめにくすくすと笑った。


「そうやってると、あなたは子供っぽくて、いい感じなのにね」


 ユードは、じろりと七都を睨んだ。

 動揺している。

 もっとおちょくっちゃおうか。


「あなたの血は、甘くておいしかった」


「寄るな、魔物……」


 ユードがくぐもった声で呟く。

 彼の灰色の瞳の奥に、恐怖と警戒の影が、初めてじんわりと現れるのを七都は感じ取った。


「魔神族もアヌヴィムも猫も、一匹残らずここから出て行け!」

「まあ、あなたにはそう言える権限はないけどね」と、セレウス。「立場的に言うと、あなたはここの囚われ人なんだから」

「私を助けたことを後悔するなよ。今度会ったら、あんたもナイジェルも容赦しない。アヌヴィムの魔法使いたちも例外ではない」


 七都は、立ち上がった。


「私も、メーベルルのこととナイジェルの腕のことは許さない。今度どこかであなたに会ったら、何もしない自信はない。だから、あなたにはもう会いたくない。でも、そうはいかないらしいからね」


 セレウスが、扉を開ける。


「猫たちは、そこが気に入ってるみたいだから、置いときますよ」


 彼が、にんまりと笑って言う。

 七都は、扉の前でユードを振り返った。ダークグリーンの長い髪がふわりと舞う。


「そうだね。猫は結構あったかい暖房器具になるよ。おやすみ」


 セレウスは、七都の後ろで静かに扉を閉めた。

 途端に、「寄るな、出て行けーっ!」という、猫たちに対して無駄に叫ぶユードの声が響いた。


「確かに、彼をおちょくるとおもしろいかも」


 七都は呟く。


「魔王から片腕を奪って重症を負わせた魔神狩人。彼はきっと、伝説の人物になりますね。ところで、ナナトさま。彼の指をかじったのですか? 彼の指には深い歯型がついていましたが」


 セレウスが、真面目な顔をしてたずねた。


「別に、好きでやったんじゃないけどね」

「私の指も、かじってみます?」と、セレウス。


 七都は、あんぐりと口をあけた。


「かじりませんっ!」

「それは、残念です」


 セレウスは、本当に残念そうに呟いた。


(セレウスって、時々変なことを言うんだから……)


 七都は眉を少し寄せて、彼を睨む。


「では、カトゥース畑に参りましょうか」


 セレウスが、気を取り直したように、明るく言った。

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