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緑の扉 <ダーク七都Ⅰ>  作者: 絵理依
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第4章 魔王の神殿 2

 エンジ色のマントをまとった七都は、崩れた柱の間を抜け、丘をゆっくりと下った。

 滑らかな丘の斜面は柔らかい緑の草で覆われ、風が軽く吹き渡っていく。

 空があり、雲があり、大地があり、地を彩る植物もある。

 遠くには森も見え、山々も拡がっている。

 だがそこは、七都の知っている世界ではなかった。

 すべての色が微妙に違っているような気がする。

 太陽の光は、七都には白すぎた。そして、眩しすぎた。まるで光自体が悪意でも持っているかのように、七都に攻撃を仕掛けてくる。


 丘を下りると、整備された広い道に出た。

 正面に、あのチーズケーキを集めたような小さな都市がある。

 町全体が同じ色と素材で出来た建物で統一されているので、一つの平たい城のようにも見える。

 人々が、道を行き来していた。

 頭に野菜を乗せている女性、機械ではなく、ちゃんと生きている馬に乗っている若者、荷車を引いている老人、笑いさざめきながら通り過ぎていく娘たち。それぞれ、そこにいる理由と目的を持った、忙しそうな人々。

 七都は、彼らが自分に対してどういう反応をするのかと身構えたが、人々は七都にさしたる関心は払わなかった。

 七都と同じように、フード付きのマントという人々も少なくはない。よくある服装らしかった。

 人々の髪の色も、さまざまだ。金や銀はもちろん、青、黄色、薄紅、そして七都と似たような緑の髪の人物もいる。地毛なのか染めているのかは、判断できないが。

 目の色もバラエティに富んでいた。七都の目の色は、まだ地味なほうかもしれない。

 七都は、ほっとした。少し気を楽にして、町へと入る。

 門の脇には門番らしき役人がいたが、欠伸をしながら、通り過ぎて行く人々を眺めている。もちろん七都の正体に気づいて、呼び止めることもなかった。


 門を抜けた石畳の道に、賑やかな店がずらりと並んでいる。市がたっているようだ。

 色とりどりの収穫物が積み上げられている。野菜なのか果物なのかは七都にはわからない。

 見たこともない形状のものが多かった。瓜っぽいものや、トマトやトウモロコシによく似たものもある。

 美しい鳥の羽根や動物の毛皮、巨大な魚の干物なども並べられていた。デザートのような食べ物や飲み物を売っている店もある。

 七都は、遺跡の地下に置いてあった花やコーヒーに似たあのお茶を探したが、見つからなかった。

 もちろん、魔神族の食べ物が人間の市場で普通に売られているはずもない。


「そこのきれいなお嬢ちゃん、買って行かない? とれたてだよ」

「甘くておいしいよ、かわいいお嬢ちゃん」


 店主たちが、七都に話しかけてくる。他のお客に対してそうするのと同じように。

 七都は、にっこりと笑い返しながら通り過ぎた。

 お嬢ちゃん、か。

 やっぱり実際の年齢より、うんと年下に思われてるのかな。

 見た目、ほんとに少女だものね。この体、小柄だし。まあ、いいけど。


 七都は、たくさんの野菜を並べている一軒の店の前で、ふと立ち止まった。そこで店番をしていた少女と目が合ったのだ。

 年は十二、三歳くらいだろうか。金色の巻き毛と緑色の大きな目。七都をぽかんと眺めている。野菜売りにしておくにはもったいないような、美しい少女だ。

 少女は、少しはにかみながら、七都に話しかけてきた。


「い、いらっしゃいませ。いかがですか?」

「一人で店番してるの?」

「は、はい。でも、もうすぐ母が来ますから」


 七都は、目の前の赤い野菜を見下ろした。野菜ではなく、果物かもしれない。


「おいしいですよ、それ。私が朝、摘んできたんです」


 少女が言った。


「でも、わたし、お金持ってないから」

「あ、いいですよ。試しにひとつ、食べてみてください」

「え? でも……」

「どうぞ。おねえさん、とてもきれいだから、食べてほしいです。それを食べると、もっときれいになれますよ」


 少女が言った。

 この子は、きっと将来凄腕の看板娘になるだろうと、七都は思う。


「ありがとう」


 七都は、小さいのを選んで、その赤い実をつまみあげた。

 プチトマトに似ている。

 十分に熟していて、みずみずしい。きっと甘く、美味に違いない。

 果林さんの作るサラダに、見ばえよく入っていそうだ。


<この世界のものは、うかつに食べちゃだめだよ>


 ナイジェルは、そう言ったけど……。

 食べても大丈夫かもしれない。

 もしかしたら、きみはおいしく食べられるかもしれない、とも言ったもの。

 だってわたしは、太陽にも平気なんだし……。


 七都は、赤い実を口に放り込んだ。

 実がはじけ、豊富な果汁が舌の上に溢れる。

 甘くもなく、酸っぱくもない。

 果汁は冷たい液体となって、七都の喉元を下っていく。

 だが、七都は咳き込んだ。

 自分の体が無意識のうちに、その食べ物を外に出そうとしていることに愕然となる。


 まずい……?

 違和感が、口の中いっぱいにひろがる。

 舌も歯も、これは違うと必死になって叫んでいるようだった。

 味はなかったが、耐えられない感触。総毛立つくらいに、おぞましい。


「お、おいしくないですかっ!!」


 少女がおろおろして叫ぶ。

 七都は我慢して、ようやくそれを全部飲み込んだ。 

 そして、吐き気が喉を駆け上がってきそうになるのを無理やり押さえつける。

 ああ、だめだ。

 やっぱり、ナイジェルの言うとおり。

 人間の食べ物をこの体は受け付けない。


「甘くて、おいしい……」


 七都は呼吸を整えてから、やっと少女に答えた。


「ちょっと、むせちゃって。ごめんなさいね」


 そのセリフは、もちろん完璧に嘘だった。


「セージ!」


 呼ばれて、少女が振り返る。

 店の横に、質素な身なりをした、すらりとした女性が立っていた。


「あ、母さま」

「だめよ、この方にそんなものを……」


 少女と同じ緑色の目。髪は、少女よりも濃い色の金髪。母親らしい。

 この少女のような年齢の子供がいるようには見えなかった。とても若い頃に、このセージという少女を生んだのだろう。

 彼女は、七都に深くお辞儀をした。

 それは、彼女の服装には似合わないくらい優雅な仕草だったが、どことはなしに緊張感が漂っている。それは明らかに、七都に対してのものだ。

 なぜ、通りすがりのごく若い客にしか過ぎない七都に深々と頭を下げ、緊張感を持つのか。


「申し訳ありません。お許しを。ぜひ、私と一緒においでください」


 彼女が言った。


「え?」

「あなたさまのお口に合うものもございます」

「え……」


 七都は、思わず彼女を見つめた。

 七都の赤紫の透明な目で凝視されて、彼女はするりと目をそらす。

 その目の奥に、静かな恐怖が宿っているのを七都は感じた。

 この人、わたしを怖がってる?


「あの……。わたしのこと、知ってるんですか?」


 七都は、訊ねてみた。


「わかります。たとえ太陽の光の下に出ておられようとも。私たちは、あなた方を見間違うはずがありません」


 正体がばれてる……。

 この人、わたしが魔神族だってことを知ってるんだ。


「心配なさらないで。私たち一族は、古来よりあなた方に懇意にしていただいている者」


 彼女が微笑んだ。

 では、ナイジェルが言っていた、魔神族にとっての数少ない味方……という人々が、この女性の一族なのだろうか?


「さあ、参りましょう」

「母さま、お店が終わったら、私も行っていい? お屋敷にお連れするんでしょ?」


 セージと呼ばれた少女が訊ねた。

 母親は、彼女をキッと睨む。


「だめ! あなたはついて来ないで! きちんと後片付けをして、真っ直ぐ家に帰るのよ!」


 有無を言わせぬ迫力だった。

 セージは、しゅんとして俯く。


 七都は、彼女の態度に戸惑った。

 なぜそんなヒステリックな言い方をするのだろう。

 ああ、そうか。そうなんだ。彼女は、娘さんがわたしに関わるのを避けようとしているんだ。

 わたしから娘さんを守ろうとしているんだよね、たぶん……。

 七都は、すぐに理解する。

 魔神族の味方だという人間の一族でも、やはり魔神族を恐れているのだ。結局、魔神族は人間からは嫌われているということか。

 魔神族は、人間にそれほど嫌われ恐れられる何をしてきたというのだろう?


「どうぞ。私はティエラと申します、魔神さま」


 彼女は背後を丁寧に指し示し、七都に微笑んだ。

 けれども、それは明らかに礼儀的なもので、彼女の目は心底からは笑っていなかった。

 七都は複雑な気持ちを抱きながら、ティエラのあとについて、町の中心部に入って行った。

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