塔の魔法使いと不器用な思い
懐かれている。と大層不服なお言葉を戴いたマオは、白い小さな丸机に座り、ムスッとした顔で対面に座るヘルガを睨みながら昼食を食べていた。
バゲットに生ハム、そして濃厚なチーズと新鮮なサラダ。それらを挟んでの簡易のサンドイッチを大口で頬張る。
「むぁったく!ンガ。ングング。はにをングングはんはえてングふんだきははは。」
口内に限界まで詰め込まれているせいで、マオが何か喋るたび、顔がぐにゃぐにゃゆがんでいく。
「フフフ。」
何を言ってるか分からなくも、態度から怒っているだろう事が伝わり、笑ってはいけないと理解しながらも、自分の口から笑みが溢れるのを、押さえることはできなかった。
そんなヘルガを見て、腹に据えかねるものがあったマオは尚もサンドイッチを食べながらある機会を待っていた。
それは―――
「ごめんなさい。あんまりマオ君が可愛いからつい。」
どこまでも上品に、むしろ優雅とも言える佇まいでサンドイッチを喉に通していくヘルガは、紅茶へと手を伸ばし、クイッと軽く口に含み、吹き出した。
「コホッ、コッホ……マオ君?」
そう、マオはヘルガが紅茶を口に含む瞬間を今か今かと狙いすまし、含むと同時に口の中の物を全て両頬に集中させたのだ。
マオのささやかな復讐が成就し、ヘルガの口から盛大に紅茶がに吹き出された。
だが「き、きたな!?うわ!ちょ!最悪…。」吹き出した紅茶は当然目の前に座っていたマオの顔へと降り掛かったのだ。
ヘルガの見たこともない様子にオロオロとする給仕は、動揺しながらもマオとヘルガにおしぼりをきっちり渡すことは忘れないのはさすがだ。
「んんっ!…それで、お昼からはどうします?もうマオ君がむしった所は新しい草が生えてるみたいだし、お話の通り、やはり一人では難しそうですね。」
ヘルガの仕事が一段落したことで、お昼に軽い昼食でもと言うことで中庭の見えるテラスで二人して食べていたのだが、種子を飛ばすタイプの草が空いたスペースに種を飛ばしたり、もはや蔦というよりは縄といってもいいほどの太さを誇る草が既にその場を占領していた。
「流せてないからな!はぁ…。あれはもう、いっそ焼くでもしないと鼬ごっこになりかねん…。でなければ、少なくとも後二・三人は人手がほしいところだな。」
「そうですね…。以前私が仕事の合間にやったときはこんなに繁殖力はありませんでしたのに。何でかしら?」
ヘルガは小首を傾げながら原因を考えるが、付与術式は専門でないため答えはでない。
「まあ大方、核にも気付かれないし抜かせるだけ抜かせておいて、不自然でない程度の成長力と繁殖力で生息範囲を拡大していったんだろう。」
「そう、ですね。考えても仕方ないので今度研究員にサンプルでも送ってみるわ。これが雑草にのみじゃなく、作物にも効けば農民の生活改善に大いに役立つし―――」
ブツブツと何やら考えに耽り、何か思い立ったように給仕に対して耳打ちし、マオから先ほど持って来られたサンプルを手渡した。
「さてと…人員の話しですが、やはりケイオスに話を通してからでないと直ぐにとはいきません。申し訳ありません。」
「うん?うーむ…それはまあ、仕方ないのかもしれんが…。それより、また口調が戻ってるぞ。」
「…え?あら。ごめんなさい。どうも仕事が絡むと…。」
ヘルガは少し恥ずかしそうに顔を赤らめ、苦笑いを浮かべる。
「それにしても、私も手伝えればよかったんですが、じゃない、よかったんだけど。ごめんね、マオ君。」
「それが出来ないからの依頼だったのだろう?だったら当然じゃないか。もっと堂々としていて問題ない。なんと言っても依頼主なんだからな。」
食後の腹ごなしにと、軽く二人で話をしていたところでヘルガにケイオスから念話が入る。
内容はとても簡潔で、仕事を終えたので今から直ぐに家に戻る。今回の事の顛末の説明に同行人が二人いる。との二つだった。
ヘルガはそれに対して『わかりました。』とだけ返すと、僅かに顔が以前のものに戻る。
それに目敏く気付いたマオだったが、敢えてそれには触れることはなかった。
「失礼致します。ただいま戻りました。ヘルガ…様。」
ケイオスはヘルガの元へ報告の挨拶へと赴いた時、隣に居るマオに気付き一瞬固まるが、なんとか持ち直す。
「御苦労。では早速報告を―――」
「マオお兄ちゃん!?」
「ゴフゥ…。」
ヘルガは感情を感じさせない冷たい表情で、ケイオスへ報告を促そうとするが、ファーファがマオに向かって突進を敢行したためにそれは中断された。
「貴様!!学習能力ないんかい!?それともわざとか!わざとなんだな!?」
「うぅー。ひひゃいひひゃい!」
頬をこれでもかと引っ張られたファーファは赤くなった頬を擦りる。
「………プッ。フ、フフッ。」
ケイオスが戻ってから、以前のように冷えきっていた心が、二人のやり取りを見て、じんわりと暖かなものが胸の奥に灯るのを感じた。
(駄目ね…私は。また、マオ君に怒られちゃうわね。)
「ケイオス。」
「はっ!報告でございますね。少々お待ち―――」
「いつもありがとう。疲れてるところ悪いんだけど、報告をお願いするわね。」
「―――くださ……い。」
「フフッ。あなたのそんな顔を見たのは何十年振りかしら。懐かしいわね。」
「ヘルガ…様?」
いつからだろうか。ヘルガ様が笑わなくなったのは。
賎しくも、自分の欲望のままに生きようとする貴族連中を断罪した時だろうか。
お早くに旦那様を亡くされた時。
御子息を病で亡くされた時。
友と思っていた者に裏切られた時。
血縁と言うものが、儚く脆い絆と知った時。
まだ、ヘルガ様は笑われていた。
慎ましやかに、気丈に、凛々しく、優しく、そして、どこまでも美しく、暖かい笑顔。
いや、ほんとうは知っている。
妹のように慕っていた女中が家族を人質にとられ、ヘルガ様へ毒殺を図った。
その女中を―――
―――この私の手で殺した時からだ。
「ケイ…オス。」
ケイオスは知らず知らず頬を濡らしていた。
嬉しかった。
久しく見ていなかった、無邪気な笑顔を自分に向けられて。
悔しかった。
その笑顔を、自分では作ることができなかったことが。
伊達に長年仕えてはいないのだ。
その行動が、その言葉が、その一言がヘルガの笑顔を曇らせるであろう事は分かっていた。
だが、ケイオスには沸き上がる醜い感情を止めることができなかった。
「この者は危険です。」
柔らかな笑みが僅かに陰る。
それを見て後悔しながらも、ケイオスは尚も続ける。
「仮にこの者が直接ヘルガ様に害をなすことがないにしても、術は示した。殺さないまでも、早急にこの街から追い出すべきです。」
ヘルガの表情から笑みは消え、やがて以前の氷のような表情へと戻ってしまう。
(どうして…。どうして私はヘルガ様の心を傷つけることしかできないのか。)
浮かんでは消えるのは、不甲斐ない自分への呪詛。
敬愛してやまない自身の主に対して、心を曇らせることしかできない。
そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。
「殺す?…誰を?……マオお兄ちゃんを?」
「ちょっと待てファーファ!?そいや!」
突如杖を手にし、突撃せんとするファーファに逸早く気付いたマオは、いつものチョップを以てファーファの蛮行をなんとか止める。
「うぅぅ。痛いよ、マオお兄ちゃん。」
「後先考えずに行動しようとするのは止めろっていつも言ってるだろうが!あれは…その、なんだ。ジョーク…そう、ブラックジョークと言うやつだ!街では流行ってるらしい。」
「そう……だったんだ。ごめんなさい。」
マオのあからさまな嘘を疑うこともせず、落ち込んだ様子でケイオスへと頭を下げる。
そんなファーファの姿をいつまでも見ていると、マオの良心が盛大に悲鳴をあげるため、即座に話題転換を試みる。
「今回のケイオス?さんでいいんでしたっけ?名前。の仕事はファーファと関係があるのか?って言うかないと一緒にファーファまでここに来てないよな。」
「あっ!?忘れてた!マオお兄ちゃん!!ルークお兄ちゃんすごかったんだよ!」
ファーファは随分興奮した様子で、報告のために持ってきていたギルドの印章に記録されている映像付きで、如何にルークが凄いかをヘルガとマオに説明するのであった。




