塔の魔法使いと麓の村
男がタバコを吸い終える頃、セラフィは支度を終えて階段から降りてきた。
その手には蔦で編まれた籠が握られており、その中ではスヤスヤと寝息をたてるファーファが見てとれる。
「お待たせいたしました。」
「遅えよ。殺すぞ。」
ソファーからゆっくりと男は立ち上がると銀縁眼鏡を取り外し、手に持っていた本と一緒に机に放り投げた。
まるで静かに机に置かれたかのように、音をたてることなくゆっくりとした放物線を描き机の端に置かれると、男は塔の外へと出ていく。
その後ろを足音をたてずに付かず離れずセラフィは付いて行った。
セラフィとファーファが外に出たことを男は確認すると、男は右手を翳し両目を閉じる。
「我が目の前に開かれし時空の扉よ。我等を彼の元へと送り届けん。術式【瞬間移動】。」
男が呪文を紡ぎ始めると周囲の魔力が男の元へと集い始め、魔力はある程度収束をみせると、こんどは光となって拡散し始めた。
その光が三人を包み込んだ次の瞬間、三人の目の前には人の賑わいを見せる小さくない町が姿を現していた。
「……行くぞ。」
男は町の門へとなんとも嫌そうな顔をしながら近づいていく。
それをセラフィは不思議そうに眺めながら、やはり後ろから男に追従していった。
「お?魔法使いの兄ちゃんじゃねえが!!こんどは偉いべっぴんさんを連れてきたもんだな。」
門の側に建っていた櫓から少ししゃがれた声が響き渡る。
男はその声に、一層顔をしかめていく。
「てめえには関係ねえだろ。殺されてえのか。さっさと門を開けろ。」
「がはははは!照れるな照れるな。おーい!例の魔法使いの兄ちゃんだ!!門を開けろ!今回は偉い綺麗な姉ちゃんも連れてきてるぞ!」
男の声が辺りに響くと、人の三人分はあろうかと云うほどの太さの木を何本も並列して作った分厚い門がゆっくりと開かれていく。
男は小さく溜め息を漏らしながら右手で眉間を押さえていた。
扉が開ききると中からは何人もの住人が嬉々として男の元へと駆け寄っていく。
「おう兄ちゃん。元気にしてたか?」
「来るなら一声掛けてからおいでってあれほど言っといたのに。嫌だよこの子は。」
「うるせえ。耳元で騒ぎたててんじゃねえぞ。」
「それにしてもべっぴんさんだね。この子のこれかい?」
恰幅のいい女性は小指を立ててなんとも嬉しそうにセラフィに話しかける。
「ババア!うぜえぞ!!殺されてえのか!」
「んもう。恥ずかしがって嫌だよこの子は。私も後5年若かったらこんなかっこいい男放っておかないんだけどね。」
「おいおいアニタさん。50年の間違いじゃないのか?」
「ちげえねえ!!」
男を取り囲んでいた住民は、どっと笑い声をあげる。
アニタは男からゆっくりと視線を外し、周囲の男共に向き直ると、笑顔をその顔に張り付けたまま凄まじい勢いで男たちを張り倒していく。
「いっっっってえ。」
「何すんだよアニタ婆!?」
「蚊が…とまってたよ。」
「そんなわけ―」「蚊がとまってたよ。」
「「「「「で、ですよねー。」」」」」
「いい子だ。いい子ついでにさっさと仕事に戻りな!!」
「「「「「は、はい!」」」」」
男達はアニタの迫力に押し負け、そそくさと自分の仕事に戻っていく。
「全く、男共と来たら…。さてと。見苦しいところを見せたね。いらっしゃい。我らが町ゴメラフへ。今回は何の用で来たんだい?」
「餓鬼のミルクが残り少なくなったらしいからな。恩を返させてやりに来たんだよ。さっさと案内しろ。」
男は軽い頭痛を覚え、右手でこめかみを押さえながら アニタを促す。
道中アニタはセラフィに色々二人の関係について聞くも、セラフィが男の従者であり、なおかつ人間でないことを知るとなんとも面白そうに色めき出した。
「てことはあれかい?人種を越えた主従の恋ってことかい!?かぁー。燃えるねぇ!」
「ふざけろ糞ババア!さっきからそんなんじゃねえって言ってんだろうが!?頭の中沸いてんのか!?ぶっ殺すぞ!!」
「照れるな照れるな!わかってるんだから。」
「わかってねえじゃねえか!?」
「あの……仲睦まじいお二人のお邪魔は大変差し出がましいようで申し訳ないんですが。あんまり騒がしくされてはファーファ様が起きておしまいになられるかと。」
「仲良くねえよ!?てめえの目はどんな作りになってんだ!!殺されてえのか!」
「ほらほら。子供が起きるって言ってんだろ?静かにしな。」
「チッ…。」
それから男は一切会話に加わろうとせず、ただタバコを燻らせるだけでアニタの後を付いて行った。
「よし着いたよ。サラー!愛しの魔法使いさんがあんたの母乳を貰いにやって来たよー!開けとくれー!」
「なんかすごく誤解されそうなフレーズですね。」
「…何でもいいから早くしろ。」
セラフィは横目でチラリと男を一瞥するも、男は既に諦めの境地に入っていた。
少しすると、家の中から派手に何かを落とす音が響き渡り、短めの茶色の髪をした、ほっそりとした女性が顔を真っ赤にして出てきた。
「アニタさん!?そんなこと言ったら魔法使いさんが怒られますよ!」
「おやおや?自分が変な噂がたてられるとかじゃないんだね。恋は盲目ってのは本当だねぇ。」
「もう!そんなんじゃないですって何度も言ってるのに。」
「諦めろ。そのババアには何を言っても無駄だ。」
二人は軽く溜め息をつくが、アニタは相変わらず楽しそうにニヤついている。
「どうぞ、散らかってますけど中へ。」
「悪いけど、わたしゃそろそろ仕事に戻らせてもらうよ。それじゃあサラ、頑張るんだよ!」
「もう!アニタさん!?」
「あはは。それじゃあね。」
いまだ顔を赤くしているサラは三人を家の中へと案内するが、アニタはサラを焚き付けるとさっさと帰路に着いた。
「むう。ほんとにアニタさんは…。」
サラは小麦色の頬をぷっくりと膨らまし不満を訴えるも、本人は既にここにはいない。
「なんでもいい。早く乳を寄越せ。」
「え?…こ、こで……ですか?」
「俺は疲れてんだよ。早くし―っ!?いってえな!てめえセラフィ!」
「申し訳ありません。足が長いものでつい。そんなどうでもいい事はさて、マスターは家から出ていてもらえますか?」
「てめえ主人の足を踏みつけておいてなに―」「ふぇ…ぇぇえええぇん!!」
男の急な大声にそれまでぐっすりと眠っていたファーファは大きな声で鳴き始めた。
そこで頭が少し冷静になった男はサラを一瞥すると、サラは服の上から胸を隠すように腕で覆って恥ずかしそうにしていることに気付く。
男は小さく舌打ちすると、早くしろよと言い残し家の外へと出ていった。
「えっと…すいません。」
「サラ様が謝られることはありません。今回は全面的にデリカシーに欠けるマスターが悪いんですから。」
「ふふ。セラフィさんと魔法使いさんは仲が良いんですね。」
泣きじゃくるファーファを抱き寄せ、あやしながらサラは優しく微笑む。
「私はあくまでマスターに召喚されているだけですからサラさんが思っているような関係じゃありませんよ。」
サラと違いセラフィは天使には似つかわしくない笑みを浮かべる。
これは先程アニタが浮かべていたからかう気満載の悪魔のような笑みだった。
「失礼ですが、サラさん達町の方と主がどのようにして知り合ったのか教えていただけませんか?」
サラは服を着崩すと、僅かに膨らんだ片胸にファーファの口を近づける。
ファーファは母乳の匂いを嗅ぎとったのか、泣きじゃくっていたのが嘘のように必死に胸に吸い付き始めた。
「えっと…。あんまり話は上手じゃないんですが。」
「構いません。ちょっと気になっただけですから。話したくないと言われるのでしたら、無理にお話しいただかなくでも大丈夫ですよ。」
「いえ!?そんなことはありません。えっと、ほんとに下手くそなので先に謝っときますね。ごめんなさい。」
サラの言葉に、セラフィは今度は天使に相応しい慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、サラの話を促した。