塔の魔法使いと優しい嘘
少女のあまりにもまっさらな笑顔に、不覚にも心臓がまるで体全体を揺らしたかのように錯覚させるほど男の胸を打った。
自然と胸元へと伸びていた右手は、右頬を掠めて行った銀色の一線により止まる。と、同時に後ろから何かが破裂する音と共に赤い雨が辺りに降り注いだ。
「きゃっ!?……もー!銀!ビックリさせないでよー。」
ファーファはいきなり降ってきた赤い雨を反射的に後ろに飛び退きなんとか避ける。そしてルークの背後に視線を向けて不満げに愚痴を漏らし始めた。
自分の背後に何があるのかを薄々分かってはいながらも、ルークは乱れた呼吸を整えるようにゆっくり、深く呼吸をしながら振り返る。
まず眼に入り込んだのは喉に突き刺さったナイフ。これはルークが男を殺すために自ら手を下したものに相違ない。
だが、男の胸には十センチほどの見知らぬ穴が開いており、その穴からは、銀色に輝く小さな竜が一滴の血にすら塗れる事なく宙に佇んでいるのが窺えた。
その穴から、まるで脈打つように断続的に大量の血を振り撒きながら、男は今正に地に倒れ伏す。
その男は右手にうっすらと白く光る石を持っており、喉に致命傷を負いながらも最後に一矢報いようとしたところを銀龍がルークを助けたのだ。
「今しがたのような殺気を受けて、尚気付けぬとは…。DとCの中間と云ったところか。悪いことは言わぬ…やめておけ。無駄に死にに行くようなものだ。」
直視しがたい、えぐい死体を作った竜は純粋な親切心から胸を抉らんばかりに辛辣な言葉を突きつける。
「………あ、ああ。」
なんと返していいのか、状況にもついていけていないルークは、促されるままに右手を先程とは違った意味で胸元に当てながら空返事を返した。
かつて仲間だった者の死体を丁重に埋め終え、冷えてきた頭で取り敢えず自分と少女の戦力の確認を始める。
ファーファにとってはルークの戦闘能力は既に理解しているようだが、ルークからしてみればファーファは見た目通りの小さな子供でしかない。
だが、その少女の側に控える竜はどう考えても格上。なのにファーファに苦言は挟んでも何処か付き従っている風がある。
しかし、自分がそのファーファを陥れようとしていたことがもしこの竜にバレたら…。今から行く場所を鑑みるにその可能性は十分有り得る。というか間違いなく気付かれるだろう。
それだけは避けたい。
ルークがそんなことを考えてる内に、ファーファは銀に全く眼が笑っていない笑みを浮かべ、優しい声音で語りかけていた。
「ねえ、銀。お兄ちゃんが銀の事怖がっていたから銀には待っててって言ったはずだよね?何でここにいるのか聞いてもいいかな?ねえ?いい?いいよね!?」
「う、うむ。これには深い事情がだな―――」
「…言い訳…するんだ。……最低。見損なったよ。銀は何でも知ってて、男気があって、一本筋のとおった人だってマオお兄ちゃん言ってたけどまさかここまで女々しいなんて…。」
「め、女々―――。」
「大体さっきのだってファーファが一人で―――」
それから五分近く、ぐうの音も出ないほどファーファに淡々と責められた銀龍は、銀色から無色に、無色から無色透明にと変わっていき、最後にはその場から姿を消した。
「ごめんねお兄ちゃん。銀には待ってるように言ってたのに…それじゃあ行こっか!」
「…ファーファちゃん。気持ちはとってもありがたいんだけ―――」
「行くから!」
「いや、だからね―――」
「うん!行くから。」
先程の銀とのやり取りも見ており、何を言っても説得できそうもない状況に、再び深い溜め息を吐きながらファーファを取り敢えず連れ添って目的の場所へと進む。
できるだけ早急に落第点をつけ、安全な街に戻ってもらおうと魔獣を探すも、こんなときに限って魔獣の魔の字も見当たらない。
広い平地をかなり長い時間をかけて歩くと、目の前に段々と鬱蒼と生い茂った森が見え始めた。
仮拠点までもうそう遠くない。30分もすれば着くだろう。
ルークは内心とても焦っていた。仮とはいえ常時五人近くは居るあそこに連れていけば守りながらの戦いになる。
不意を突けば二人くらいは戦闘不能にできる筈だから、残り三人と考えると守りながらは流石に自信がない。
それ以前に、そこにハルマがもしいたら…。それを考えると守るなどと烏滸がましいことはとてもじゃないが言えないし、出来ない。
やはり本当の事を告げるべきなのだろうか。そんなことを考え始めたルークは徐々に歩みを緩め、森の入り口で足を止めると、横を歩いていたファーファもそれに追従するように足を止めた。
「……ファーファちゃん。」
「うん。わかってる。」
ファーファはそう返事を返すと何処からか黒い珠を一個取りだし、勢いよくそれを投擲した。
ブギイイィィィィ
「へ?」
「あ、あれ?……もしかしてファーファが先に攻撃したらダメだった?」
おずおずと不安げに上目遣いにルークを見上げるが、残念ながらルークの視線はファーファが放った珠の先、茂みから断末魔をあげながら倒れたグルメポークに釘付けだった。
「もし、もーし…。えっと、お兄ちゃん?」
不安に駆られ何度も声を掛けるがルークからの反応は全く見られない。
「え、えっと、さっきは、ごめんね。銀がお兄ちゃんの力がDとCの中間くらいーなんて言って……。ファーファお兄ちゃんが気付くまで気付けなかった。足を引っ張らないよう気を付けるから、付いて行っちゃ…ダメ、かな?」
もちろんルークは目の前の奇妙な死に方をしている憐れな魔獣には全く気が付いてなかったのだが、ファーファはルークのようすがおかしいのはグルメポークに気付けなかった自分の不甲斐なさからだと思い込んでいるためルークの周りを忙しなく行ったり来たりしている。
何が起きたのかルークには理解できないでいた。何故なら、グルメポークは死んでいるのではなく、今尚死に向かっているのだ。
ただ外傷を受けて弱ってきているのならまだ分かる。だが目の前の個体は強制的に肉団子のような形に変えられていっていた。
まだ意識もあり、必死にもがこうとするも、抵抗も虚しく数秒の内に完全な球体の肉の塊になってしまっていた。
「あ、は。はは。いやいや、別に気にしてはいないんだけど――」
取り敢えず目の前の現象については考えることを止めたルークは、今だ不安げにおろおろと謝るファーファに弱々しく声を掛ける。
「本当!?よかったー。でもグルメポークが出てくるなんてついてるね!あの子のお肉とっても美味しいし。帰りは…。」
安堵の表情を浮かべた後、なんとも嬉しそうにグルメポークを指差していたファーファの表情が途端に冷める。
それと同時に、先程取り出した黒い珠を何個か取り出す。
『『『ブギイイィィィィ!!』』』「豚の丸焼きがたくさん食べれるね。」
口許にうっすらと笑みを浮かべながら少女は茂みから更に現れた豚の魔獣の群れに向かって投げつけていく。
グルメポーク。魔獣の中でももっとも駆け出しの冒険者たちに恐れられているのがこの魔獣だ。
彼らは名前にグルメとついているのは皮肉のようなもので、雑食を主とし、物によっては糞すら食べることもある。
だが、それはあくまで特例で、彼等が好むものは魔力の濃度の濃い物。例えば魔石であったり、魔獣であったり、魔物であったり、往々にして高い魔力を持つ魔法使いだったりだ。
自身の内包する魔力は元々高くはないが、彼等は高純度の魔力を持つものを食べる度に内包する魔力が格段に増えていく性質がある。
故に、食べた後の生理現象として排出されたものでも魔力が多分に含まれていれば躊躇なく食べる。
そして群れの中でも強い個体が排出した分を他の弱い個体が食べることによって群れの戦力は底上げされていく。
この森にはそれほど強い魔物や魔獣はいないので、普通であれば初心者にも特に問題のないレベルの少し大きな豚にすぎない彼等が、個体によっては灰狼より素早く強いなんて者もいるのだ。
そんな彼等に与えられた称号は〔ルーキーキラー〕。初心者殺しの称号を戴くそんな彼等は、今一人の少女に一匹残らず大きな肉団子にされていた。
「うー…。この子達あんまりまだ熟してないみたい。持ってる魔力も少ないみたいだし食べても美味しくないかも…。残念。」
ルークは思う。この子の親はきっと親は親でも親バカなんだ、と。明らかにグルメポーク達はオーバーキルで死んでいった。
聞けば先程の黒い珠は重力の力が込められた魔道具で、ぶつけた者にのみ強い引力で引き付け球状にしてしまうのだとか。
その威力たるやもう既に確認済みで、もしあれを自分に少しでも向けられたら失禁する自信はあった。
あからさまに高価な魔道具をこんな小さな子に渡し、まるで躊躇する事なく使ったところを見ると親バカでは足りない位かもしれない。
(……なに考えてるんだ俺は!?今はそんなどうでもいいことは置いといて、ファーファちゃんを返さ……なくても…いいかもしれない。)
先程の魔道具に加えてファーファは魔法を使えるのだ。本人が魔術に関しては未熟と言っていたが、これほどを恐ろしい魔道具があれば少し魔法を戦いに応用しただけで、油断している相手には有利になっても不利になることはまずない。
死地に赴く。そう思っていたルークに一筋の光明が文字通り目の前の少女によりもたらされた。
「ファーファちゃん…もしよかったら、さっきの魔道具ちょっとの間貸してくれないかな?」
「え?…えーっとね……。」
「なにも全部って訳じゃないんだ。一個でいいから!」
「うーんと……ごめんなさい。もうさっきので全部使っちゃった。」
「え…?」
「あれ、使い捨てなんだ。」
「そう、なんだ……へぇー…。」
そして、少女から与えられた光明は、少女自らの手によって葬り去られたのだった。
昼もまわろうとした頃、二人は漸く山賊の仮拠点を見下ろせる高地にたどり着いた。
正直あれほどの威力の魔道具で、なおかつ使い捨てと言う話を聞いた後は意識がしっかりとせず、何処かフワフワと地に足をつけれていないような感じが続いていたが、この場所まで来て漸くルークの頭が緊張からと冴え渡ってきた。
「あそこ?」
「ああ。俺が出掛ける時はハルマも間違いなくここで待ってるはずだ。できれば遠くから相手の戦力を削っておきたいんだけど…ファーファちゃん何かある(魔道具が)?」
「うーん…自信ないけど、時間をかければ大丈夫だと思う。」
ルークは一歩下がり、黒塗りの一際地味な杖を掲げるファーファを見守っていたが、いつまで経っても呪文を唱えるでもなくただ目を閉じて杖を掲げる姿に不安がよぎる。
(バカか俺は!自分なんとかするとか決めたくせに、この期に及んであの子の魔道具に頼ろうとするなんて…。見ろ!きっと気負わせてしまったんだ。他に魔道具は持ってないなんて言い出せないから、苦手だって言っていた魔法を……。)
「ぐ…ううぅ、ぅぅぅぁ!」
魔法を使う際の式も展開すらされておらず、ファーファの握っている杖は僅かに震えており、覗く横顔には苦しそうな表情が伺えた。
「ファーファちゃん…。」
一瞬でもこんな小さな子に頼ろうと考えていた自身を恥じ、やはり一人でハルマだけでも相討ち覚悟でと心に決め、絞り出すように震える声で離別の言葉を掛けようとルークはファーファに歩み寄る。
その声に観念したのか、ゆっくりと掲げた杖を下ろし、大粒の汗を袖で拭いながら深く深く息を吐き出した。
「……どうしたのお兄ちゃん?」
「やっぱり……ファーファちゃんは帰った方がいい。魔法は使わなくていいから。山賊に関しては…良い方法を思い付いたんだ。」
無論ルークにはそんな起死回生の策などまるでない。ないのだが、こうでも言わないとこの子は何が何でも帰ろうとしないであろうことは、短い付き合いながら既に理解していた。
それ故の優しい嘘。
死ぬことを何よりも恐れていたルーク。そんなルークに死への恐怖を上回るほどの暖かい気持ちを与えてくれた少女には死んでほしくない。
できれば、いや、必ず幸せになってもらいたい。
「え、そうなの!?ど、どうしよう…。」
「ファーファちゃんは気にしなくていいから。俺なら大丈夫。だから……先に戻ってあの銀って竜と一緒に待ってて。」
仲間に何処かでこの子と一緒に居るのが見られていたとしても、竜が側に居れば、如何にハルマとて迂闊に手は出せないはず。そう考えたのだが――――
「え?いや、そうじゃなくてね…。」
「なに?どうしたの?」
(本当に……優しいな、この子は。)
心配してくれているのだろう。そう思ったルークは優しく微笑みながら腰を軽くおとし、目線をファーファに合わせると頭をそっと撫でる。
「…………もう打っちゃった。」
「……は?」
ルークの間の抜けた声と時を同じくして、とてつもない轟音と衝撃が辺りにはしり、事前に拐われた女性達が居ると教えた一件の小屋を除き、仮拠点があった場所は歪なクレーターが出来上がっていた。




