塔の魔法使いと戦いの行方
少年と男の間は、長く沈黙が支配していたが、周囲は二人と異なり俄に騒がしくなり始めていた。
男の手には力は既に戻っており、マオの脇腹の痛みも既に戦う上では気にならない程度のものに落ち着き、表情も平静に戻りつつあった。
(やはり演技だったか…。見た目の若さに騙されるとこだったな。あそこで踏み込んでいれば、右手のアドバンテージがあった分私が危なかったかもしれん。侮れぬ。慎重にいかねば。)
検討違いの男の考えを他所に、マオは無表情を装いながら一息ついていた。
(あ、危なかった。なんとかポーカーフェイスを保ててたみたいだな。彼処で攻めてこられなかったのは僥倖だった。ていうかなんでこうなった!?俺が一体何をしたっていうんだ!!全く……これだから人間は嫌いなんだ!いつもいつも自分勝手に他を害することしかしない……。そう、しないはずなんだけど…。)
マオは、自身の心の内に怒りが全く込み上げてこないことに困惑していた。
それもこれも、目の前の男の瞳は自分のよく知った者の瞳に似ているからだった。
「誰に……似てるんだっけ?」
蚊の羽音のように小さく呟く声は、誰に届くわけでもなく、風に吹かれて消えていく。
二人はお互いを見据えたまま時間はゆっくりと過ぎていき、辺りには大きな音を聞き付けた人達がかなり集まり始めている。
本来男はこうなる前に事態を終わらせるつもりであったが為に、非常に焦りを感じていた。
(不味いな…。このままではいつあの方が帰ってこられるかわからない。…出し惜しみしている場合ではない…か。)
小さく溜め息を吐くと、男は出しうる限りの魔力を発し、マオと自身の周りに力場を展開させた。
一瞬にして濃厚な魔力の気配に囲まれたマオは、僅かに動揺を見せるがすぐに心を落ち着かせる。
その様なことが出来たのは、一重にソフィアとの初めての戦いのお陰だった。
「力場か…。」
辺りの景色は徐々に赤く姿を変えていき、周りに屯していた観衆の姿は既にない。
つまり、男は本気でマオの命を刈り取りに来ているということに他ならなかった。
「これを見て動揺を見せないとは…やはりあなたは危険だ。ウィルザード家に害を成し兼ねない者は早々に排除させていただく!」
男から送られる強い殺気が、先程と同じように刃のように形成され、凄まじい速さで飛来してくる。
しかも、今度はさっきとは比べるまでもないほど大量の数の赤い刃だった。
一度見た攻撃であったが為に、マオは赤い刃が飛んでくる前に左へ強く飛び退き刃を躱す。
幾ら速くとも、既に見たことのある上にまっすぐ飛んでくるだけの攻撃であれば避けることは容易だ。
容易なはずだった――だが。
避けた先にいきなり刃が現れ、肩と脇腹を抉っていく。
「がぁ…クソッ!!」
体を無理矢理捻った事で、傷は浅いが、体勢を大きく崩したマオに、第二陣の刃達が飛来してきていた。
避けるだけでは一方的な展開になると判断し、右手に握る魔剣に魔力を纏わせ、がむしゃらに振るい刃を叩き落とす。
前から来る刃に集中していれば、不意に後ろから、また左右から、時に上下からと四方八方から飛んでくる刃にマオはどんどん傷を作っていく。
大きく息を切らせながらも、なんとか打開策を考えるマオだが、攻撃は止むこともなく、徐々にマオの身体を赤く染めていった。
段々と意識が朦朧としていくなか、男の視線とマオの視線が交差する。そこでマオは漸く男の瞳が誰に似ているのか気付いた。
「そっか…。闘うことが嫌いな父さんの……いつも誰かの為に闘う時の眼に似てるんだ。」
致命的な隙。マオは父の面影を男から読み取った時に、動きを止めてしまう。男はそれを見逃すことはなかった。
「長い間苦しめてしまい申し訳ありませんでした。ですが……これで終わりです!!」
男は殺気だけでなく、殺気に魔力を合わせた刃をマオの周囲を囲むように展開させる。
それを見たマオは思わず口角をあげる。
(フッ。こんなこと……前にもあったっけ。)
男はタクトを振るうように両手を前に掲げ、振りおろす。刃はそれに呼応するように一斉にマオをめがけて降り注いでいく。
躱す事は不可能。男は勝ちを確信し、目の前に造り出されるであろう無惨な光景を見ないよう眼を閉じ 全てが終わる時を待った。
そして、刃が大きな音をたて地面に突き刺さるのと、男の両腕が切り落とされるのはほとんど同時だった。
「ぁ…うああああああああああ!!」
男は一瞬遅れてきた痛みに声をあげながら膝を着く。
呻く男の胸元には、魔剣を突きつけるマオの姿があった。
男はマオの短距離転移の事を忘れていたわけではない。ただ、施行するのに何らかの限定条件があるのだろうと、マオの行動から深読みしていたのだ。
マオの短距離転移は魔力を必要としない。これは自身が術式を展開して行っているのではなく、毎回行う前にマントを翻していたことからそれが魔道具なのだろうと予測できた。
事実、マオはそのマントがなければ転移をすることは出来ない。だが、あまりに便利なその魔道具を初めとその後の二回しか使っていないことから多用できるものではないと踏んでいたのだ。
だからといって油断していたわけではない。あの状況下で魔道具を発動させるために、マントを翻すことは出来ないだろうと思い勝ちを確信した。だからこそ男は瞳を閉じたのだ。
だが、マオは転移をする際にマントに触れる必要はなかった。初めはただ使う際に「格好いいから」と、毎回マントを翻して、癖になっていただけだったが、塔での修練の際に、ソーマから助言を受けていたのだ。
敵に『発動条件を誤認させろ。』と。
その小さな思い込みは、両腕を失うという男に致命的なまでの傷を追わせることになったのだ。
「俺は…まだ死ぬわけにはいかない。父さんを…母さんを殺した人間共を殺すまでは!!」
男は苦痛に耐えながらもマオを力強く見据える。そんな男を見下ろしながらマオは魔剣を胸元に突き入れようと右手を――――動かす事ができないでいた。
男の眼の光は、死ぬ間際になっても尚も失われず輝き、マオを真っ直ぐ捉えている。
そんな姿にマオは父の最後の姿をダブらせていた。人間達に、剣を、槍を、無情に突き入れられる父の姿を。
『どうした?殺せ…。憎いのだろう、人間が。』
男を殺すことに躊躇いを感じていたマオに、誰かが囁く。
その声音は、迷うマオの心を冷たく包み込んでいく。
『人間を殺す。その為にお前は力を求め……そして手に入れた。どうした?……殺せ!!』
顔色は青白く変わり、右手に持つ剣は震え始める。
マオの異変をチャンスと捉え、殺気の刃を形成しようとした所で、いきなり展開していた力場が打ち砕かれ、男は力なくその場に倒れ伏し、意識を手放す。
そして、殺気の刃の代わり、何やら小さな人影がマオに向かって一直線に向かってくる。
だが、マオは未だ頭に響く声に心をとらわれ、それに気付くことが出来なかった。
人影はマオに近付くにつれ、凄まじくスピードを上げていき、何やら叫びながら、最後にはマオの鳩尾を目掛け突進を喰らわせた。
「ゴファ……。」
突然の激痛に意識を手放し、激突の衝撃に吹っ飛ぶ体が地面に擦れながら倒れていく。
「ッあぁ!ぃたい痛い痛い痛い!?」
「マオお兄ちゃん大丈夫!?嫌だ!マオお兄ちゃん死んじゃ嫌だよ!!お兄ちゃん!お兄ちゃん!お兄ちゃん!!」
「き、貴様、ファーファ!殺す気か!?は、放せ。マジで、死ぬ…。」
「ご、ごめんね…。……つい。」
「貴様は。……つい。で人を殺していいと思ってるのか!?馬鹿かお前は!本当に死ぬとこだったわ!?大体何しに来た!?お前は夕べから何やら依頼を受けて出掛けてたんじゃないのか?全く…。いつも思うのだが、お前は隙あらば殺しに掛かってきてないか?そうだよ、よくよく考えてみたら初めてあったときも、あの時も、その時も………………塔の中でお前が一番恐ろしいわ!?」
目の前で未だ瞳を赤く張らしたファーファに畳み掛けるように言葉を投げるマオだったが、その肩に留まる銀龍が助け船を出す。
「まあそう責めるでない。ファーファもお主の事を心配して急いで戻ってきたのだ。」
「っ!?…全く。今回は銀龍さんに免じて許してやるが、気を付けろよ。」
「うん!…でも、よかった。マオお兄ちゃんが死んじゃうんじゃないかと思って…よかった。無事で。」
「この姿を見て無事ってお前…。まあいい。全く。」
泣きながらも花が咲くような笑顔を見せて笑うファーファに毒気が抜かれるマオ。
ファーファのお陰ですっかり気の抜けてしまったマオの頭に再び声が響く。
『殺せ…。人間を……殺せ。』
「うぅ…。」
頭の中を何かが蠢くような不快感がマオを襲い、それに加えて戦いの疲労とダメージで意識が再び朦朧とし始める。
「止めろ…。」
「え…。でもこの人マオお兄ちゃんを殺そうとしたんだよ?」
マオは頭に響く声に思わず声を漏らすと、ファーファは振り下ろそうとしていた杖を止める。
その杖の先には先程まで死闘を繰り広げた男が大量の血溜まりを作って横たわっていた。
「バカ、おまっ!?何するつもりだ!!」
「だって…マオお兄ちゃんをこんなにしたんだもん。」
「何考えてるんだ!?そいつはお前と一緒で人間なんだぞ?」
「そんなの知らない!…でも、マオお兄ちゃんが殺しちゃダメっていうなら…やめる。銀もマオお兄ちゃんに賛成みたいだし。」
そう言いファーファは自分の肩に留まる銀龍に眼をやると、銀龍の体は薄く銀色に輝いていた。
「恐いわ!?俺よりよっぽどお前の方が魔王らしいわ!?」
「ぶーっ…。」
頬を膨らませながら不機嫌を露にするファーファに男の治療を命じると、心の底から嫌そうに、男にセラフィ特製の傷薬を振り掛ける。
それを手伝うように銀龍は男の切断された両腕を傷口に合わせ、男の腕は勿論、弱々しくなっていた呼吸も徐々に戻り出す。
今度こそ一息つけると思い、マオはその場に蹲るように座り込む。
マオの事をチラチラと心配そうに覗き見るファーファを見て、マオはふと当たり前の事を改めて考える。
(そう言えば………こいつも人間なんだよな。)
意識が段々と薄れていく中、頭に響く人間を殺せと叫ぶ声と、ファーファの自分を心配する声が同時に響いた。