塔の魔法使いと思わぬ拾い物
それはまだ少し蒸し暑い雨の日だった。
深い深い森の奥に天空を貫かんばかりに高く聳え立つ塔があった。
その塔の扉の前で蔦で編まれた籠を抱え、血に染まった女性が必死に塔の扉を叩く。
その扉は一見ただの装飾過多の扉で、そこまで重厚なイメージを抱かない。
しかし、女性が懸命に扉を叩き、開けようとしても、扉はほんの僅かに音をたてるだけでびくともしなかった。
やがて女性は徐々に崩れ落ちていき、意識をゆっくりと手放していく。
「……お願い、します。助け…て。」
女性の願いにまるで答えるかの様に、扉はゆっくりと軋んだ音をたてながら開いていった。
その扉の向こうには黒い法衣を身に纏い、髪は銀髪、瞳は緋の色をした男が、佇んでいた。
男はタバコをくわえながらめんどくさそうに女性に近付いて行く。
「おい、女。こんな所で死なれたら迷惑だ。他所へ行け。歩くだけの力はくれてやる。」
男は口から煙を吐き出すと、女性に向けて掌を掲げる。すると女性は淡い白い光に包まれ、濁り始めていた青い瞳には活力が戻った。
男は女性の瞳に光が戻ったのを確認すると、さっさと塔の中に戻り、扉を閉めようと手を掛けたところで手を止めた。
「…死にたいのか。邪魔だ。手を離せ。」
女性は扉が閉められないように、必死の思いで男の袖を掴んでいた。
女性は体力がほんの僅かばかり回復しただけで、出血も止まっておらず、徐々に死に向かっているにも関わらず瞳には力強い光が宿っていた。
「御高名な塔の大魔導師様と」「人違いだ。他をあたれ。」
男には女性が何故未だにこんな力強くあるのか理解に苦しんだ。
一時的に歩けるまでには回復してやったが、致命傷と思わしき背後の傷については一切治療を行っていないのだ。
その事から鑑みるに男が女性を助けるとは誰も思わないだろう。
それでも尚袖を握って離さないのは醜く生にしがみつくもの故だと男は考えた。
だが女性の瞳には何故か清廉とした輝きが宿っており、其れ故に男が袖を振り払うことが出来ないのだ。
「ふん。助けてもらおうと思ったのだとしたらとんだ検討違いだったな。さっさと他所へ行け。」
「私は、私はどうなっても構わないのです。自分で選んだ道ですから、十分すぎるほど幸せな時間を過ごすことができました。ですが、この子はまだ…。」
女性の視線は持ってきていた籠に移る。
男はその籠に被さっているタオルケットに視線をやると、フワリとタオルが開かれ、籠の中にはスヤスヤと気持ち良さそうに寝息をたてている赤子が居た。
「この子にはなんの罪もありません。…こんなことをお願いするのは非常識だとはわかっています。わかっていますが…。」
感情の高ぶりが傷に障ったのか、女性は夥しい量の血を吐血する。
「おいおい冗談だろう。てめえまさか…。」
「この子をお願い致します。」
森の奥から何人もの人の気配が近付いてくることに気づいた女性は、男に頭を深く下げると傷を負った身体を引きずるように森へと消えていった。