佐藤さわりの霊障事件簿 平安貴族の霊が妻さがしと復讐
最初にこの物語を書き始めたとき、千文字にも満たない小さな話になると思っていた。ところが登場人物が動き出し、田村麻呂が語り始め、佐藤さわりが歩き出すと、物語は自然と広がっていった。気づけば文字数はどんどん増え、当初の想定を軽く超えてしまった。書きながら「こんな展開になるとは」と自分でも驚きつつ、筆を止められない一週間だった。
第一章:建設現場の悲劇
千葉県の海沿いに広がる再開発地区。
地震と津波で壊滅的な被害を受けたその一帯では、復興のための建設工事が昼夜を問わず続いていた。
その日の朝、湿った潮風が現場を包んでいた。
突然、甲高い悲鳴が響き渡った。
「うわああああっ!」
作業員たちが振り返ると、若い男が足場から転げ落ち、鉄骨の上に叩きつけられていた。
鈴木英一、二十代。
即死だった。
警察も救急隊も「不慮の事故」と判断した。
誰もがそう思った。
――ただ一人を除いて。
現場監督の長岡隆行である。
長岡は身長150センチほどの小柄な男で、いつも電子タバコをくわえている。
酒は一滴も飲まないが、笑顔だけは誰よりも明るかった。
しかし、あの大地震と津波のあと、その笑顔は跡形もなく消えた。
鈴木の死を前にしても、長岡はただ一つの思いに囚われていた。
――これは偶然じゃない。
彼は宗教に傾倒しているわけではない。
だが、「世の中の出来事には必ず理由がある」と信じる男だった。
そして、地震の翌週から、工事現場では説明のつかない出来事が続いていた。
最初に異変を見たのは、早朝の重機担当だった。
ブルドーザーの運転席に、誰かが座っている。
近づくと、それは干からびたミイラのような男で、目だけがぎょろりと動いたという。
別の日には、誰もいないはずの資材置き場から、女のすすり泣きが聞こえた。
足場の影には、濡れた着物姿の人影が立っていたという証言もあった。
長岡は作業員たちを「気のせいだ」となだめたが、内心は恐怖でいっぱいだった。
逃げられるものなら、真っ先に逃げ出したかった。
鈴木もまた、恐怖に耐えられず長岡に相談していた。
「監督……あれ、本当に人間なんですか……?」
しかし長岡は言えなかった。
「幽霊が出ている」などと。
工事を止めるなど、会社が許すはずもない。
そして鈴木が死んだ今、長岡は自分の判断が間違っていたのではないかと、胸を締めつけられていた。
*
だが、恐怖は工事現場だけではなかった。
海辺のこの街では、深夜に女性が歩いていると、忽然と姿を消す事件が相次いでいた。
ある夜、ラウンジで働く若い女性が、仕事帰りに家路を急いでいた。
潮風が強く、街灯の光が揺れている。
「……やっと、見つけた。こんなところにいたの」
背後から低い声がした。
「えっ?」
振り返った彼女の目に映ったのは、烏帽子をかぶり、神主のような衣をまとった男。
飛び出した目。
額には刀で斬られたような深い傷。
血が垂れ落ち、下顎は朽ちて骨が露出していた。
悲鳴を上げる間もなく、彼女は崩れ落ちた。
そのまま行方不明となった。
被害者は一人や二人ではない。
次々と消えていく。
ある夜、長岡は偶然その“男”を目撃してしまった。
平安貴族のような異様な姿。
工事現場の怪異と、この街の女性失踪事件――
繋がっていると考えざるを得なかった。
SNSではすでに騒ぎになっていた。
「千葉の海辺で女性失踪!犯人は平安貴族?」
「コスプレじゃない、ガチでヤバい」
「夜道歩くな、マジで消える」
「警察の囮捜査も失敗したらしい」
「この街、もう終わりだろ……」
地元警察は囮の婦人警官を投入したが、その警官までもが行方不明になった。
街は恐怖に包まれ、SNSでは“女性さらいの街”と呼ばれるようになっていた。
長岡はついに決断した。
自分ではどうにもできない。
だが、SNSで必ず名前が挙がる人物がいる。
――佐藤さわり。
霊障事件をいくつも解決してきた、黒縁眼鏡の政治ジャーナリスト。
長岡は、彼女に助けを求めるしかなかった。
第二章:佐藤さわり登場
千葉の海辺の街が“女性さらいの街”とSNSで呼ばれ始めたころ、
東京では一人の若い女性が、パソコンの前でコーヒーをすすっていた。
佐藤さわり――政治ジャーナリスト。
黒髪のチューリップ型ボブに黒縁眼鏡。
身長一六〇センチの小柄な体に、鋭い観察眼を宿す。
普段は国会を歩き回り、日本一お馬鹿な国会議員・杉浦鯛蔵の珍行動を追いかけている。
だが、与党が三分の二を占める国会は退屈で、ニュースらしいニュースもない。
そんな彼女には、もう一つの顔があった。
超能力者ではないが、数々の霊障事件を解決してきた“怪異ジャーナリスト”。
SNSで怪奇現象が話題になると、必ずと言っていいほど彼女の名前が挙がる。
その佐藤のもとに、一通のメールが届いた。
――差出人:長岡隆行
――件名:助けてください
メールには、工事現場で起きている怪奇現象、作業員の失踪、そして女性が次々と消える街の現状が書かれていた。
文章は震えているようで、読み手にまで恐怖が伝わってくる。
「……これは、ただの怪談じゃないわね」
佐藤は眼鏡を押し上げ、画面を閉じた。
最近は暇だったし、取材費も悪くない。
何より、こういう“事件”は彼女の血を騒がせる。
「よし、千葉に行ってみよう」
*
佐藤はSNSで現地の情報を集め、拠点にする場所を探した。
建設現場から歩いて行ける距離に、深妙寺という古寺と、大方正恵温泉旅館があるらしい。
まずは旅館に向かった。
大方正恵温泉旅館は、地震の被害を受けながらも最新設備を備えた近代的な宿だった。
しかし、津波以降は客足が途絶え、館内は静まり返っている。
女将の大方正恵は、小柄で着物姿、長い黒髪が印象的な女性だった。
三十代にも見えるし、四十代にも見える。
気品がありながら、話し上手で気さく。
二十二歳の佐藤ともすぐに打ち解けた。
「こんな時期に来てくれて嬉しいわ。
でも……気をつけてね。夜は絶対に一人で歩かない方がいいわよ」
女将の声には、冗談ではない重みがあった。
*
翌日、佐藤は深妙寺を訪れた。
深妙寺は千年の歴史を持つ古寺だが、戦前の空襲で焼失し、戦後に再建された。
八十年が経ち、木材は黒ずみ、瓦はところどころ欠けている。
佐藤には、どこか“疲れた寺”に見えた。
出迎えたのは、五十代半ばの月極和尚。
丸い頭に深い皺、いかにも“坊さん”という風貌だ。
「霊障現象は、地震と津波のあとから急に始まったのです」
月極は静かに語った。
佐藤は直感的に、何かが“欠けた”のだと感じた。
「災害の前にはあったものが、災害後になくなった……
そういうものはありませんか?」
「特には思い当たらんが……」
和尚は腕を組み、しばらく考え込んだ。
だが、首を横に振った。
「SNSでは平安貴族の霊だと騒がれているが、寺にはそんな由来はない。
千年前の話ならともかく、今の事件と結びつけるのは難しいな」
「……これは厄介ね」
佐藤はため息をついた。
だが、彼女の目はむしろ輝いていた。
難しい事件ほど、燃える性質なのだ。
*
そのころ、長岡は現場で震えていた。
作業員は次々と辞め、幽霊らしきものを見たという証言も増えている。
地震のあとから、すべてが狂い始めた。
「佐藤さん……早く解決してくれ……」
長岡は空を見上げた。
海風が強く、雲が低く垂れ込めている。
その雲の向こうで、何かが蠢いているような気がした。
第三章:第二の被害者
東京・深夜。
首都高を走るエンジン音が、冬の空気を震わせていた。
梅川梅男――半グレ集団のリーダー。
強面で知られていたが、実際は気が小さく、最近は特に様子がおかしかった。
食事中に突然、箸を落として叫ぶ。
「……あいつが見てる。ずっと、ずっと見てるんだよ……!」
仲間が笑っても、梅川だけは笑えなかった。
背後に、白い影が立っている気がしてならなかった。
それでも、バイクだけはやめられない。
エンジンの振動だけが、恐怖を忘れさせてくれる。
その夜も、いつものように首都高を何周もしていた。
スピードを上げ、風を切り、恐怖を振り払うように。
だが――。
カーブに差し掛かった瞬間、梅川は息を呑んだ。
視界の端に、白い“もや”が現れたのだ。
「……やめろ……来るな……!」
もやは意思を持つかのように形を変え、梅川の体を包み込んだ。
背筋が凍り、手が震え、ハンドルがぶれた。
次の瞬間、バイクはフェンスに激突した。
その上から、何トンもある巨大な宣伝看板が落下し、梅川の体を押し潰した。
即死だった。
監視カメラには、事故の一部始終が映っていた。
警察が映像を確認したとき、誰かが呟いた。
「……なんだ、この白い影は……?」
白いもやは事故直後、ふわりと浮かび上がり、
まるで目的地があるかのように、千葉県の方向へ消えていった。
*
そのころ千葉では、佐藤さわりが旅館の部屋でニュースをチェックしていた。
「首都高で死亡事故……梅川梅男……?」
記事を読みながらも、佐藤は特に気に留めなかった。
今追っている“女性失踪事件”と関係があるとは思いもしなかった。
だが、その“白いもや”は確実に千葉へ向かっていた。
*
深夜の海岸。
佐藤は、女性をさらう霊を探すために、あえて一人で歩いていた。
波の音が低く響き、街灯の光が揺れている。
そのとき――。
「……見つけた……見つけた……」
背後から、地の底から響くような声がした。
「えっ……?」
振り向くと、白いもやが渦を巻きながら形を変え、
やがて一人の男の姿になった。
烏帽子。
直衣。
飛び出した目。
額の深い刀傷。
血が垂れ、下顎は朽ちて骨が露出している。
平安貴族――いや、怨霊そのものだった。
佐藤は息を呑んだ。
「あなたは誰? どうして若い女性ばかりをさらうの?」
怨霊は、かすれた声で名乗った。
「……桜子……麻呂じゃ……石川田村麻呂じゃ……
桜子を……妻を……探しておる……」
その瞬間、ヘッドライトが佐藤を照らした。
「佐藤さん! 危ない、こっちへ!」
長岡隆行だった。
現場の見回りの帰り、偶然佐藤を見つけたのだ。
佐藤は怨霊から目を離さず、車に飛び乗った。
長岡はアクセルを踏み込み、旅館へ向かって走り出した。
バックミラーには、白いもやが追いすがるように揺れていた。
「ありがとうございます……助かりました……」
佐藤は息を整えながら言った。
長岡は震える声で答えた。
「まさか……あんなものが……本当に……」
旅館に戻ると、佐藤はすぐに女将・大方正恵に尋ねた。
「石川田村麻呂という人物について、何か知っていますか?」
女将は首をかしげた。
「それなら……深妙寺の和尚さんの方が詳しいかもしれないわ」
しかし、佐藤は思い出した。
月極和尚は「何も知らない」と言っていた。
――本当に、無理もない?
*
翌朝。
佐藤は旅館の食堂で簡単な朝食を済ませると、深妙寺へ向かう前に少し周辺を見て回ることにした。
気分転換も兼ねて、レンタカーを借りるために街を歩いていると、ふと足元に木の破片が散乱しているのに気づいた。
「……何かが壊された?」
拾い上げると、古い木材の匂いがした。
海風にさらされていたのか、表面はざらつき、ところどころ黒ずんでいる。
佐藤は眉をひそめ、破片を手にしたまま周囲を見渡した。
地震と津波の爪痕はまだ街のあちこちに残っている。
だが、この破片は“最近壊れたもの”のように見えた。
「……気になるわね」
佐藤はスマホを取り出し、SNSでこの場所に関する投稿を検索した。
すると、近くに“郷土資料館”があることを知る。
「資料館なら、何か手がかりがあるかもしれない」
佐藤はレンタカーを借り、そのまま資料館へ向かった。
*
郷土資料館は、地震の影響で外壁にひびが入っていたが、館内は辛うじて公開されていた。
展示室には、この地域の歴史を伝える古文書や模型が並んでいる。
佐藤は平安時代の展示コーナーで足を止めた。
「……あった」
パネルには、1090年代のこの地の歴史が記されていた。
平安貴族といえば京都のイメージが強い。
だが、実際には地方官として全国に派遣されていたという。
その中に――
石川田村麻呂
という名があった。
中流貴族で、妻・桜子とともにこの地で暮らしていた。
出世には縁がなかったが、静かな生活と待遇に満足していたらしい。
しかし、ある満月の夜。
野盗が屋敷を襲撃し、桜子を拐い、田村麻呂を惨殺した。
脳天を割られ、血を吐きながら倒れる田村麻呂――
その凄惨な最期が古文書に記されていた。
当時の源氏の棟梁・源義家は家臣の蛮行を恥じ、
首謀者三人の首を刎ね、田村麻呂の供養塔を建てたという。
桜子は拐われたその日に、辱めを受け、殺された。
供養塔は千年もの間、海辺に静かに佇んでいた。
だが――。
「……地震と津波で流された?」
資料には、供養塔が“行方不明”になったと書かれていた。
佐藤は息を呑んだ。
「すべて……繋がる」
供養塔が消えた。
その直後から怪異が始まった。
田村麻呂は桜子を探して彷徨い、若い女性をさらっている。
「桜子さんと、あたしを間違えたのね……
あの世でまだ再会できていない……可哀想に」
佐藤は胸の奥に、奇妙な同情を覚えた。
*
さらに資料を読み進めると、源義家に処刑された三人の武者の名前が記されていた。
――鈴木某
――梅川某
――長岡某
佐藤は思わず眼鏡を押し上げた。
眼鏡には隠しカメラが仕込まれており、資料の文字を大きく映し出す。
「鈴木……梅川……?」
佐藤の脳裏に、昨日の出来事がよぎる。
最初の犠牲者・鈴木英一。
東京で事故死した梅川梅男。
「……まさか。
田村麻呂を殺した武士の子孫……?」
桜子を探すと同時に、
田村麻呂は“復讐”も果たしているのではないか。
そして三人目の名前――長岡。
「長岡……って、もしかして……」
工事現場の監督、長岡隆行。
佐藤は立ち上がった。
胸の鼓動が早くなる。
「長岡さん……あなた、狙われている……!」
第四章:佐藤さわり対石川田村麻呂
深夜の大方正恵温泉旅館。
廊下は静まり返り、外では波の音だけが低く響いていた。
だが、その静寂を破るように、旅館の玄関がふっと揺れた。
白いもやが、床を這うようにして入り込んでくる。
やがてそれは人の形を取り、烏帽子をかぶった男へと変わった。
石川田村麻呂――怨霊。
「……桜子……桜子……随分探したのだ……」
旅館の部屋を一つずつ覗き込み、低い声で呼び続ける。
「一緒に黄泉の国へ行こう……ずっと、ずっと一緒だ……」
しかし、佐藤の姿はどこにもない。
怨霊は苛立ったように空気を震わせ、霊力を放った。
白いもやが旅館全体に広がり、佐藤の“気配”を探る。
そして――。
「……見つけた」
怨霊は深妙寺の方向を向いた。
佐藤がそこにいると悟ったのだ。
白いもやは一瞬で霧散し、次の瞬間には深妙寺の境内に現れた。
*
深妙寺の本堂。
月極和尚が描いた退魔陣が、淡い光を放っている。
その中心に、佐藤さわりは静かに座っていた。
眠ってはいない。
呼吸を整え、気配を極限まで薄くしている。
部屋の隅には小さな炎が灯されていた。
その炎が揺れ、白いもやが現れた。
やがて田村麻呂の姿へと変わる。
「桜子……桜子……随分探したのだ……
一緒に黄泉の国へ行こう……」
怨霊は佐藤の“気配”を感じているが、姿が見えない。
そのとき、暗闇から声がした。
「あたしは佐藤さわり。あなたの奥さん、桜子さんじゃないわ」
「……麻呂が見間違えるはずがない……
桜子よ、姿を表しおくれ……」
田村麻呂は手を伸ばすが、
退魔陣に触れた瞬間、白い火花が散り、弾き飛ばされた。
「あなたの奥さんは、もうこの世にはいないの。
あたしは違う」
「嘘を申すな……桜子……桜子……!」
怨霊は退魔陣に踏み込もうとするが、
光が壁のように立ちはだかり、近づくことすらできない。
そのとき――。
コケコッコー。
鶏の鳴き声が響いた。
夜明けだ。
田村麻呂の姿は、朝日とともに薄れ、やがて消えた。
*
翌夜。
本堂では月極和尚の読経が響いていた。
退魔陣の中心には佐藤が座り、静かに目を閉じている。
再び、白いもやが現れた。
「桜子……桜子……出ておいで……
一緒に黄泉の国へ……」
佐藤は答えない。
無駄な口論はしないと決めていた。
怨霊は強引に退魔陣へ踏み込もうとするが、
またしても弾き飛ばされる。
「う……うぅ……!」
怒りと悲しみが入り混じった声が本堂に響いた。
その夜も、田村麻呂は夜明けとともに消えた。
*
田村麻呂が深妙寺を訪ねてきてから、まもなく一週間が経とうとしていた。
夜ごとに退魔陣の中で息を潜め、佐藤は怨霊の襲来に備えてきた。
そのため、昼間はどうしても眠らざるを得ない。
七日目の昼下がり。
本堂には柔らかな陽光が差し込み、布団の中には佐藤が静かに眠っている――ように見えた。
その瞬間、空気がひやりと冷たくなった。
白いもやが天井から流れ落ち、
烏帽子をかぶった男の姿へと変わる。
石川田村麻呂。
「……桜子……
夜は近づけぬ……ならば昼に来るまで……」
怨霊は迷いなく布団へ近づき、
中にいる人物を抱き上げた。
「ようやく……見つけた……桜子……」
「ぐえっ……!」
妙に低い声が漏れた。
田村麻呂は動きを止め、
抱き上げた顔を覗き込む。
「……違う……」
布団がずり落ち、
そこにいたのは――
月極和尚だった。
怨霊の飛び出した目が、さらに大きく見開かれる。
「桜子では……ない……?」
そのとき、
本堂の柱の陰から、静かな声が響いた。
「そうよ。あたしはここ」
佐藤さわりが姿を現した。
手には十センチほどの石――封印石が握られている。
怨霊は和尚を放り出し、
佐藤に向き直った。
「桜子……! なぜ逃げる……!」
「逃げてなんかいないわ。
でも、あたしは桜子さんじゃない」
封印石が淡く光り始めた。
「やめてくれ……!」
光は床から立ち上がる渦となり、田村麻呂の足元から体を飲み込んでいく。
佐藤は静かに告げた。
「この封印石はね、霊石彫師の堀越勝さんに作ってもらったの。
あなたみたいに強い未練を持った霊を封じるためのものよ」
「桜子……桜子ぁぁぁ……!」
怨霊の叫びが本堂に響き、その姿は完全に封印石の中へ吸い込まれた。
静寂が戻った。
佐藤は封印石をそっと抱え、深く息をついた。
*
その後、佐藤は封印石をもとに、
石川田村麻呂の雛人形を作ってもらった。
実はすでに、桜子の雛人形も用意していた。
桜子の雛人形には、月極和尚が読経を施し、彷徨っていた魂を静かに入れ込んだ。
佐藤は二つの雛人形を深妙寺の本堂に預け、和尚に供養を頼んだ。
「ここなら、地震も津波も大丈夫ね。
これからずっと一緒よ」
雛人形が並んで座る姿は、どこか寄り添っているように見えた。
佐藤には、田村麻呂と桜子が小さくお辞儀をしているようにさえ思えた。
「田村麻呂さんはえらいわね。
千年以上も桜子さんのことを忘れないなんて」
エピローグ
工事現場の監督・長岡隆行は、事件のあいだ深妙寺の封印堂に身を隠していた。
田村麻呂の復讐の対象――
その事実を知ったとき、彼の顔は紙のように青ざめた。
そして今、事件が終わり、ようやく外に出られるようになった。
「佐藤さん……本当にありがとうございました。
まさか俺まで殺そうとしていたなんて……信じられない」
長岡は震える声で言いながら、深妙寺の本堂に並べられた二体の雛人形――
石川田村麻呂と桜子の人形に、深々と頭を下げた。
「俺の先祖がね……
田村麻呂さんを殺した武士の一人だった。……因果応報ってやつか」
その背中は、どこか寂しげで、しかしどこか救われたようでもあった。
*
一方、拐われていた女性たちは全員無事に発見された。
鋸山の麓にある洞窟の奥――
まるで“安置”されていたかのように眠っていた。
全員、命に別状はなく、事件の記憶もまったく残っていなかった。
「桜子さんを探すために……
田村麻呂さん、女性を傷つけるつもりはなかったのね」
佐藤はそう呟き、深妙寺の本堂に預けた二体の雛人形を見つめた。
「ここなら、地震も津波も大丈夫。これからはずっと一緒よ」
雛人形は静かに並び、どこか寄り添っているように見えた。
佐藤には、二人が小さくお辞儀をしているようにさえ思えた。
「田村麻呂さんはえらいわね。
千年以上も桜子さんのことを忘れないなんて」
*
事件の謝礼を受け取り、佐藤は大方正恵温泉旅館に宿泊費を払い、月極和尚にも礼を渡した。
そして東京へ戻った翌日。
青梅のスターバックス。
佐藤はラテを飲みながら、久しぶりに“普通の朝”を味わっていた。
そのとき、店の外で大きな声が響いた。
「皆さん、おはようございます!日本一お馬鹿な国会議員、杉浦鯛蔵です!タイ! タイ! いってらっしゃい!」
佐藤はストローをくわえたまま、ガラス越しに鯛蔵を見つめた。
「……鯛蔵さんは比例代表なのに、
ここで辻立ちしても意味ないのよね。
次はこの辺りを選挙区に鞍替えするつもりなのかしら」
鯛蔵は満面の笑みで手を振り、通勤客に向かって意味不明な“タイポーズ”を繰り返している。
佐藤は小さく笑った。
「鯛蔵さんは平和でいいわ」
ラテの湯気が静かに立ちのぼり、
佐藤の心にも、ようやく穏やかな朝が戻ってきた。
(完)
最初は短い怪談のつもりだったのに、気づけば千文字どころか、ずいぶん長い物語になってしまった。書いているうちに田村麻呂の哀しさや、長岡の不安、佐藤さわりの冷静さが勝手に動き出し、筆が追いつかないほどだった。物語というのは不思議なもので、作者が作るようでいて、実は登場人物たちが自分の行き先を決めてしまうことがある。今回もまさにそんな一作になった。ここまで読んでくれたあなたに、心から感謝したい。




