第85話「逃走」
数日後。
ヴァリーナ経由で、CIDから一通の封筒が届いた。中には能力者の写真と住所。どちらもソルズカ本土に所在がある為、手分けして向かうことにした。
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ソルズカ本土とセルカ島を隔てる最狭部の海峡に面した都市――“ストリガ海峡市”。
晴れていれば、セルカ島の街明かりが見える。くびれた海峡と段丘状の市街。旧市街は高台、新市街と港湾区は低地に広がる。
街全体は静かな雰囲気を醸し出しながらも、どこか異様な空気が漂う。別名“監視都市”。
ここに一人目の人物がいる。
ヘンリー・パブロ。能力は《獣化−デグー−》。
デグーはネズミというより、チンチラやモルモットに近いデグー科の齧歯目。完全草食で、ネズミと違い建材などを齧ることはない。
ルカの証言には当てはまらない――それでも、一応確認は必要だ。
記載された住所に到着したアラタ。
ストリガ旧市街、路地に面した石造りの二階建て。ところどころ白い漆喰の補修跡が目立つ。分厚い木の扉を軽くノックするが、中から出てくる気配はない。
「おーい、いるかー?」
今度は強めにノックしながら留守を確かめる。
一分も経たないうちに、扉の向こうに人が立つ気配。おそらくドアアイで確認しているのだろう。数秒後、甲高い音とともに扉が少しだけ開く。
「どなたですか?」
顔を覗かせたのは小太りの男だった。
「ヘンリー・パブロ……で合ってるよな?」
「え、はい、そうですけど…」
アラタは間髪入れず切り込む。
「単刀直入に聞く。“ブースター”について、知ってることはあるか?」
「ブースターですか……ここストリガ海峡市でも、ブースター絡みの事件や事故は増えていますね」
淡々と答えるヘンリー。だが額からは汗がだらだらと流れていた。
「お前自身は関与してない、と」
「それはそうですよ!そんなこと出来る性格でもないですし、仮に関与しててもここに暮らしてれば、すぐにバレますよ!」
少し声を荒げる。
「すぐにバレるか……つまり他の住民なら知ってる奴がいるってことだな」
「それはまぁ……ですが、知っていたとしても答えないと思います」
「……何故だ?」
ヘンリーは一度、喉を鳴らしてから言った。
「ここストリガでは、“知っている”は武器になるんです。
誰がどこで何を見ているか分からない。常に誰かに見られ、見たことを隠し、互いに牽制し合う。
……それ故に治安が良くなる。そういう街なんです、ここは」
表に出ない互いの圧力で治安を維持する。ストリガ海峡市が“監視都市”と呼ばれる由縁だろう。
「お前の話からすると、お前も“知ってる”可能性はあるってことだよな?」
「………」
ヘンリーは口を噤む。
「だんまりか。だがそれでいい。お前が関与してない証明でもある」
アラタは静かに続ける。
「もし関与していて疑われたなら、逃げるか抵抗することもできる。お前はそれをしない。
ブラフの可能性もあるが……そこまで頭は回らないだろう」
そう言いながら、アラタは懐から札束を取り出し、ヘンリーに押し付けた。
「ひとまず助かった。これは些細な礼だ」
ヘンリーは困惑した顔のまま、手にした金を見て笑みがこぼれる。
アラタはその場を後にし、ストリガ海峡市を回って他の情報を探ることにした。
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ソルズカ共和国中部、やや南寄りの内陸にある最大級の物流・交通結節都市――“セレンディオ”。
盆地から緩い丘陵へと広がり、都市というより物流の中枢。昼夜問わずトラックと貨物列車が止まらない。
ディノとミオナは、セレンディオ郊外丘陵の住宅街に向かった。
二人目の能力者――アントン・ロナウス。能力は《獣化−ネズミ−》。
ルカの証言通りなら、ほぼ確定で容疑者だ。
記載された住所に着く。
元農家の石造りを改装したのだろう。壁が分厚く、小さな整備小屋が付属している。外観は地味だが中が広い家は多い。
ディノが分厚い木の扉をノックした。
「ほーい」
低い声とともに扉が開く。出てきたのはスキンヘッドの男性。三十代、といったところだ。
「こんにちは。アントン・ロナウスさんでいいですか?」
ディノが紳士的に挨拶をする。
「はい、そうです。どうかしましたか?」
アントンはディノを見たあと、傍らのミオナへ視線を移した。
「それがですね、少々聞き込みをしてまして。お話を伺えればと」
「なるほど。立ち話も何ですし、中にどうぞ。コーヒーでいいですかね?
“最近いい豆が手に入ったんですよ”」
家の中へ案内される。ディノが足を踏み入れた、その瞬間だった。
ミオナがディノの服の裾を掴む。
「どうした?」
「今この人、嘘を――」
だが遅かった。
ディノがミオナを片手で突き飛ばしたと同時に、火薬の匂い。
家が爆発に包まれた。
「ディノさん!!!」
「大丈夫だ!」
間一髪というわけでもない。ディノは爆炎で外傷を負っていた。
「しくったな……だがありがたい、自分から“悪者”って言ってくれたもんだ」
ディノは傷を負いながらも、燃える家の中へ突っ込む。
(爆発の影響は奴も負ってるはずだ。この爆発に乗じて能力で逃げるなら――)
ディノは床を思い切り踏み抜いた。
その下には、動物一匹なら通れそうな配管が走っていた。
「ミオナ!外だ!どこに繋がってるか分からんが、十中八九水路だ!
爆発で奴も火傷してるはず!急いで水で冷やしたいだろうさ!」
ミオナは指示通り、水路へ向かう。家の位置から逆算し、出口になりそうな場所へ走った。
到着すると同時に、水路から一匹のネズミが這い出てくる。
ミオナは咄嗟に腰のリボルバーを抜き、構えた。
念のためアラタから教わっていたのだ。
背を向け走るネズミへ慎重に狙いを定め、撃つ。
だがネズミは弾道を読み、弾丸を回避した。
回避したネズミは切り返し、今度はミオナへ向かってくる。
目の前まで迫った瞬間、ネズミは人の姿へ戻った。
不意を突かれたミオナは咄嗟にガードを取る――が、アントンのブローが腹部に突き刺さる。
「ぐっ……」
その瞬間、ディノがアントンの背後に現れ、刀を振り下ろす。
しかしアントンは再びネズミへ。的を小さくして斬撃を回避する。
「小さくなったり、でっかくなったり……面倒い野郎だな!」
ディノは小さくなったアントンを蹴り上げる。
蹴り上げられた勢いでアントンは人に戻る。
「ミオナ!立てるなら狙え!」
ミオナは腹を押さえながらも、リボルバーを構えて撃った。
弾はアントンの肩を撃ち抜く。
だがアントンは構わず距離を取り、再びネズミとなる。
そして水路へ――姿を眩ませた。
「クソッ!ミオナ、大丈夫か!」
「はい……ごめんなさい、取り逃がしちゃいました…」
「いや、上出来だ。あの状況で一発当てた。奴も相当疲弊しているだろう。
一度帰って、お嬢に報告だな」
「はい…」
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アントンは水路を走り抜けた。
辿り着いたのはセレンディオの外れ、物流外環の端。倉庫が途切れかけ、空き地が増える区域。
その外れにある使われなくなった倉庫へ、アントンは転げ込む。
「はぁ…はぁ…しくじった…」
痛みに悶え、肩を押さえる。
「おや〜?アントン君、大丈夫かな?」
見下ろすのは眼鏡をかけた男。
「うるさいぞ、J!」
Jと呼ばれた男は、ニィと歯を見せて笑う。
「火傷……そして肩に銃弾。火傷は仕方ないとしても、君の能力なら当たるはずがないと思うのだがね?」
「二対一だったんだ。それに当たったのもたまたまだ!
あの女、下手くそのくせに俺を撃ちやがって…!」
「はいはい。弾丸取り出すから、じっとしてね」
Jがアントンの肩に手を当てると、微かに振動が始まる。
ほどなくして命中していた弾丸が、体外へ押し出されるように出てきた。
「はい、終わり。あとは適当に治療して安静にするんだよ、アントン君」
「クソが…」
ニタァと笑うJを前に、アントンは悪態をつくことしか出来なかった。




