第73話「煙は口を噤む」Part1
セルカ島南岸の工業都市インダストラ。海に面した平野部を切り拓いて築かれた人工都市は、磨き上げられたガラス張りの棟と、碁盤の目に通された幹線道路が無機質に光っていた。巨大な精密機械工場と研究施設が並び、「近代化の象徴」と飾られる。
そのインダストラで、従業員死亡の一件。工場側の発表は「単なる事故」。
本来なら、依頼でもない限りクロード家が首を突っ込む筋合いはない。だが数日前、アラタが情報屋から掴んだ「インダストラでブースターが出回っている」という話が、街路灯の下で黒く揺れている。もし本当なら、放置は街ごと腐らせる。そしてインダストラには裏があると情報屋は言う。
治安維持と手掛かり探しを兼ね、シュティーはアラタを伴って現地へ向かった。ラグーザから車で二時間ほど。冷ややかな潮風の先に、件の精密機械工場が現れる。
事務室。白色蛍光灯の均一な明かりの下、受付の事務員が内線で社長室へと取り次ぐ。数分後、二人は厚い防音扉の向こうへ通された。
社長室には、スーツの男が一人。四十代後半、中肉中背。椅子にふんぞり返っているのに、あの“社長の圧”が乏しい――それでも、目の奥のどこかに乾いた棘が刺さっているのを、シュティーは見逃さない。
「クロード家の方ですね。どうぞお掛けになってください」
勧められた高級ソファに腰を沈める。革の沈みは上等、居心地は悪くないのに、室内の空気はどこか薄い。
「それで、聞きたい事というのは?」
「“例の事件”のことかな」
社長は深々とため息を吐く。
「正式に発表していますが、あれは事故です。CIDの鑑識も入っています。どこぞの記者にも同じようなことを聞かれましたが、単なる事故。それ以上でも以下でもない」
「事故って具体的には?」
「機械の不調ですよ。従業員が原因を調べていたところ、機械が暴走しましてね。それで運悪く――」
「“運悪く”何? 『機械が暴走して死亡』で話を進めるとして、どういう死に方? 挟まれた? 刺さった?」
問いに、社長の眉間がわずかに寄る。
「……ラグーザのマフィアが調査したいと仰るから警戒しましたが、そんなくだらない話をしに来たのですか」
声音に棘が混じりはじめる。
「そもそも貴方がたの管轄はラグーザで、ここはインダストラでしょう?」
「そうだね。でも今、調査しないと後々面倒になる」
「だからといって“既に終わった話”を掘り返すとは。正直、迷惑です」
「それはごめん。でも『事故』で片づけながら、死の具体を伏せ続けるなら――隠してる、って思われても仕方ないよね?」
「先ほども申しましたが、CIDの鑑識に基づいて正確に開示しております。隠し立てなど――」
「ソルズカの未来を背負った工業都市、って看板だもん。何かあっても穏便に済ませたいのが“国の意向”。だったら、CIDの紙は好きに色が塗れるよね?」
社長の怒りが、言葉だけでなく表情にも滲み出る。
「つまり我々、そしてCIDが捏造していると?」
「そうだけど? 問題ある?」
「ハッ。何がマフィアだ。やってることはそこらの陰謀論者と同じだな。くだらない妄想に踊らされて、こんな小娘を寄越す程度か!」
「おい、それ以上喋るな」
アラタの声が低く落ちる。威圧は十分――だが社長は歯を剥いた。
「どうした? 腹が立ったか? やるか?そのときはCIDが、お前らを豚箱に送ってくれる」
「この野郎ッ――」
アラタが身を乗り出した刹那。
バチン、と乾いた音が室内に跳ねた。殴られたのは社長ではない。シュティーの拳が、真っ先にアラタの頬を打っていた。
「ぐはっ!?」
情けない声が転がる。
「いや〜ごめんね、うちのバカが。ボクたちをどう言ってくれてもいいけど“ちゃんとお話がしたい”かな?」
ふと、空気が一段冷える。圧を孕んだ声音に、社長の目がわずかに細まった。
「ふん。お前らに話すことなどない。お引き取りを」
「そっか。あなたと話しても意味なさそうだし、今日は帰るよ、ほら、行くよ、アラタ」
アラタはギロリと睨みつけ、社長も睨み返す。牙は交わらない。扉が閉じるまで、互いの視線だけが火花を散らした。
「反省してね、アラタ」
工場の外、潮風の混じる空気の下で、シュティーが頬をさすっている男を横目に言う。
「すまねぇ……でもよ、クロード家をバカにされるのは――」
「わかるけどね。正直、今回はボクも先走りすぎた……でも結果は、最悪じゃない、かな」
「どういうことだ?」
「“事故”じゃない。おそらく殺人。で、CIDが黙認できる程度の“国の後ろ盾”がある。だからあれだけ強気になれる」
「殺人、か……じゃあ犯人は、あのバカ社長か?」
「いや、社長は“知っている側”知っていて、良しとしている」
アラタは短く舌打ちした。
「情報屋の言ってた“裏”ってやつだな」
「うん。だからまずは社長を起点に。接点、資金の流れ、出入り――全部。お願いね」
「了解。きっちり暴く」
「三位一体、だっけ? 調査には最高でしょ。戦いは“必要になったら”でいい」
「新しい罪を、こんな地味な仕事に使うのかよ……」
アラタは肩を回し、息を吐く。
インダストラの空は澄んでいる、だが煙はどこかで確かに上がっている――その口は固く噤まれていた。二人は、その噤んだ口をこじ開けるため、静かに歩を進める。




