第69話「暗闇に笑う」Part4
夜、二十時。シュティーとヴァリーナはふたたびリベルタ高等学校の門をくぐった。笑う影の正体を突き止めるためだ。
通常なら巡回は警備員の役目だが、今夜に限っては監視室で待機してもらい、二人が校内を回る。幽霊さんは、生徒のいない夜はひっそりと美術室にいるらしい。渡り廊下へ向かう前に、美術室へ一声かけていくかとシュティーは考える。
「さ、いきましょうか」
どこか楽しげな声音のヴァリーナに、シュティーは肩をすくめた。
「そんな楽しいことある?」
「もちろん。夜の学校って、昼と違って……ほら、ワクワクするのよ」
貴族令嬢らしからぬ言い草に、シュティーは苦笑する。けれど、この軽さがたしかに彼女の強さで、何度も救われてきた。
まずは職員棟を抜け、中庭へ。猫が逃げたという方向だが、目立った痕跡はない。月明かりに揺れる花壇の花だけが、夜気を吸って静かにきらめいていた。
二人はそのまま美術室の前へ。
「幽霊さーん、いるー?」
返事はない。
「いないのかな?」
踵を返しかけた瞬間、シュティーの手首がぐい、と見えない何かに引かれた。振り向いても、そこには誰もいない。
「……えっと、多分、幽霊さんだよね?」
問いかけると、離れた机の上のノートとペンがふわりと浮き、空中でページが開く。ペン先が走った。
『こんばんは』
さらに一行。
『夜は能力が強まるから、人に触れるの。何かあったら助けるから言ってね』
「助かる。よろしく」
見えない協力者がいるそれだけで、背に一本、心強い芯が入る。
幽霊さんと合流し、目撃地点の渡り廊下へ。体育館の外壁には影も形もない。そもそも“影”が映るなら月光が必要だが、今夜は雲に月が隠れている。
「今日はダメかなー」
とぼやいたところで、裾がつままれた。ヴァリーナが指差す先に、一匹の猫。
「多分、例の猫さんよね?」
彼女がそっと近づいた、その足もと猫の影が、不自然に、液体のように揺れる。
「下がって!」
シュティーはヴァリーナの襟を掴み、背後へ投げる。
「幽霊さん、キャッチ!」
ヴァリーナの体がふわりと浮き、空中で受け止められた。
「ちょっと、急に何よ!」
「いいから後ろで!」
猫の足もとの影が膨れあがり、たちまち巨大な“猫の影”の形を取る。
「ニャァァァ!」
怒声にも似た鳴きとともに、影の左腕が振り下ろされる。
シュティーは紙一重で退く。足もとを見る――床に傷はない。
(物体には触れないタイプ……か。でも“動物が能力持ち”なんて聞いたことない。いや、例外はあるか)
常識では、能力は人間にのみ発現する。目の前の現象は、その常識を撥ねつける“何か”だ。
影の“猫”が、じっとシュティーを見据える。影の口元が笑ったように、黒い線がゆるむ。
「ヴァリーナ!」
影が壁づたいに回り込み、後方のヴァリーナへ跳ぶ。幽霊さんが彼女の体をぐいと引いて回避。
シュティーは駆け寄り、短く告げる。
「固まって。あの影、猫由来の敏捷。物体を伝って襲う分、迎撃は厄介」
懐から硬貨を一枚つまみ、弾いてヴァリーナへ。
「それで何か作って。影を避けながら、本体――猫を直接狙えるもの」
「……猫さんを倒すつもり?」
「現状、それしかない。気は進まないけど」
「わかった。ただ、できるだけ攻撃力は抑えるわ」
硬貨が掌の上でほどけ、形を変える。細身の柄、しなやかな軸、その先にふさふさの穂――
「はい」
受け取ったシュティーは、微妙な顔。
「えっと……これ、なに」
「ごめん、猫さんのこと考えたら、こうなった」
見た目は“猫じゃらし”。だが先端の穂は意外な硬度を帯び、軸はしなる強化材の手応え。打撃と牽制、両立可。
「……よーし。猫さん、遊ぼっか」
冗談めかしつぶやき、シュティーは影の主へ駆けた。




