第62話「路地の棘」Part3
日没。アラタはノーラの退勤に合わせ、少し離れた後方でその背を見守っていた。丘の上の都市カリスベッタは、かつて要塞都市として栄えた面影だけを残し、今は人口減少の風にさらされている。夜ともなれば人影は途絶え、静けさが石畳に沁み込む。その静けさこそが、通り魔事件を許しているのかもしれない――アラタはそう考える。
ここ数日、アラタは家までの道のりを欠かさず護衛した。怪しい影はない。外部の人間は目立つ街で、いちばん怪しく映るのは、皮肉にもコソコソ動く自分自身だ。とはいえ、ノーラにとっては“守る者”の存在が何よりの安心なのだろう。
──ノーラ宅。
「ありがとうね、今日も護衛」
「いや、仕事だからな」
一線を引く言い方に、ノーラは小さく目を伏せる。
「そう……でも今日は家で休んだら? 夜中ずっと起きてるし」
「大丈夫、慣れてるから。俺より子供と自分の心配でもしてろ」
淡白な返し。ノーラの表情にかすかな痛みが浮かんだが、アラタは見ないふりをした。
──深夜。
家の周囲。風だけが通る。二件の通り魔事件は、いずれも日没から深夜にかけて発生。遺体には“貫かれた”痕跡が残り、能力者の犯行と見られている。CIDも動いてはいるが、本土で人員を割かれている今、調査は名ばかりのものだ。
「ったく使えない連中だな……」
月を仰ぐ。淡い光が影を濃くする。
刹那、路地の角で何かが動いた。アラタは見逃さずに追う。角を曲がる――誰もいない。しかし壁面に不自然な穴。穿たれた傷が、上へ上へと連なっている。
「壁を能力でよじ登った……ってことは」
言いかけた瞬間、空が裂けた。鋭い“棘”が背を狙って降る。
「ギルティ、狂狼」
反射で身体能力を跳ね上げる。見上げれば、月を背負い、男がこちらを見下ろしていた。
「ようやくお出ましかよ、通り魔さんよ! ギルティ、呪鎖」
掌から呪鎖が迸り、空中の男へ絡みつく――引き寄せる。それが、悪手だった。
引きつけられた男は、冷徹に、瞬時に、棘を突き出す。
「やべ……」
腹部を貫く激痛。鮮血が舞った。アラタは肩に刺さった棘を掴み、全身のバネで男を地面へ叩きつける。
「クソが……ギルティ、再生」
裂けた腹が瞬く間に塞がる。だが、これで“再生”は次に使えるまで二十四時間。次に致命傷を受けたら…
地に叩き落とされた男は一度動きを止めた。慎重に詰めていくアラタ。だが、ビュン、と音が裂け、男の身体が跳ね上がる。地面へ棘を噴き上げ、反発力で宙へ逃れたのだ。
再び呪鎖を伸ばそうとした刹那、男は身を捻り、屋根から屋根へ、闇の縁へ消える。追えなくはない。だが今追えば、確かに仕留められても、こちらの損傷は免れない。
アラタは舌打ちひとつ、夜気を肺に満たし、足を止めた。視線は獲物を捉えたまま離さない。
――逃げ場は、もうない。




