第4話「消えた本棚」Part1
「――で、結局アラタはどうしたの?」
ソファに座ったシュティーが聞くと、テーブルの向かい側でディノが苦い顔をした。
隣では、アラタがうな垂れていた。頭には白いタオルが巻かれ、鼻にはティッシュ。さっきまで追いかけっこでもしてたような、そんな疲労感が漂っている。
「猫。民家の屋根で寝てた猫を救出しようとして転んだらしい。鼻打ってんだよ、バカだな」
「おやっさん、ひどくない? ボランティア活動なんだけど?」
「“善行のつもりでやった間抜け”ってだけさ」
「耳が痛い……」
朝の日差しが差し込む居間で、平和そのものの空気が流れていた。
バルタがキッチンから顔を出す。「ボス、朝メシできたぞ」
「ありがと、バルタ。いっただきまーす」
シュティーが手を合わせたその時――玄関のチャイムが鳴った。
「……っと、早いな。こりゃきっと仕事だ」
ディノがすっと立ち上がり、玄関へ向かう。
「お邪魔するわよ」
入ってきたのはヴァリーナ・セシルだった。制服の裾を揺らして、まるで“放課後に友達の家へ来た”くらいの軽さだった。
「はい、差し入れのクッキー。で、仕事」
「早すぎない?」
「だって依頼来たんだもん。“本棚が消えた”って」
「……本棚?」
シュティーは思わず聞き返した。
「本じゃなくて?」
「ううん、“本棚”が、まるごと、跡形もなく」
「…………」
一瞬、空気が止まった。
「その人、ちゃんと寝てる?」
「本人は正気。場所は第三区画の住宅地。依頼書も受け取ってる」
ヴァリーナは鞄から丁寧に折りたたまれた依頼書を取り出し、シュティーの前に置いた。
「現場見れば分かるわ。ちょっとヘンな話だけど、ボクは本物だと思う」
「なるほどね」
シュティーはクッキーを一つつまみ、口に入れる。
「バルタ、付き合って。ちょっと調べてくる」
「了解だ、ボス」
「気をつけろよ」
ディノが短く声をかける。
アラタはタオルを頭に乗せたまま、のんびりと手を振った。
依頼主の家は、外観こそ平凡な戸建てだったが、玄関からして異様なほど整然としていた。
無駄な家具はなく、廊下にも埃ひとつ落ちていない。どこか神経質な几帳面さを感じさせる家だった。
「ようこそ……シュティー様、バルタ様。あの……本当に、すみません、こんなことでご足労いただいて……」
依頼主は中年の男性だった。神経質そうな眼鏡の奥に、不安が浮かんでいた。
「気にしないで。それが仕事だから」
シュティーが笑って答えると、バルタが背後で静かに頷いた。
案内された部屋は、二階の書斎だった。
一歩入った瞬間、シュティーは違和感を覚えた。
壁に沿って“何か”があったような跡。床板の色がそこだけ変色しており、ホコリのつき方にも差がある。
明らかに、そこにはかつて“重いモノ”が鎮座していた。
「……ここが、本棚が消えた部屋?」
「はい。私の蔵書をすべて収納していた棚です。壁に固定していたわけではないですが、ひとりで持ち上げられる重さでは……到底」
依頼主は額に汗を滲ませながら続けた。
「昨晩まであったのです。寝る前に本を戻して……そして朝起きたら、忽然と消えていた。鍵は閉めてありましたし、他に誰も……」
「窓は?」
「防犯ロック付きです。割られた様子もなく……」
シュティーは本棚のあった跡にしゃがみ込み、手を滑らせるように床をなぞった。
微かに残る筋――引きずられた痕跡もない。
「バルタ、どう思う?」
「運び出された痕はないな。床にキズもねぇし……何かで“消えた”としか思えねぇ」
「だよね」
シュティーは立ち上がり、依頼主に向き直った。
「……で、その本棚、どれくらいの重さだった?」
「正確には分かりませんが、かなりの本が詰まっていました。百科事典や専門書、画集も……下手すれば二百キロ近く」
「だとしたら、人力で持ち出すのはまず無理」
言い切ったその声音に、バルタがぴくりと反応した。
「つまり……?」
「“能力”による犯行だよ。……これ、多分ね。間違いない」
シュティーの目が細くなる。
その表情は、“いつもの日常”から、“非日常”へと切り替わる瞬間のものだった。
「誰かが、“棚ごと”持ってった。理由は分かんない。でも……」
そのとき、風が微かに窓を鳴らした。
シュティーの視線が静かに外へ向く。
マフィアとは…()