第37話「鋼の怒り、機械の絶望」Part2
冷たい水路に、機械の唸りと肉が軋む音が響き渡る。
倒れ伏したバルタの意識は、死の淵をさまよう中で、かつての記憶に囚われていた。
それは、怒りと悲しみ、そして、己が存在する意味を問い直す記憶だった。
──15年前。
まだ“鋼の盾”などと呼ばれる以前、バルタ・コレンはただの工場労働者だった。
薄汚れた作業服を着て、毎日鉄を運び、油まみれになって働いていた。
だが、それでも不幸ではなかった。
家に帰れば、優しく迎えてくれる妻と、無邪気に笑う娘がいた。
それだけで、明日もまた働けると思えた。
だが――そんな日々は、ある日を境に崩れ去る。
その日、工場の残業を終え、くたびれた身体を引きずって帰宅したバルタを迎えたのは、
家の中に漂う、むせ返るような鉄臭い“血の匂い”だった。
玄関の扉を開いた瞬間、直感的に悟った。何かが、壊れたと。
室内は荒らされ、家具は倒れ、壁に血飛沫がこびりついていた。
そして、リビングの床。
そこに、娘を庇うように覆いかぶさる――妻の冷たい亡骸があった。
「う、そだろ……?」
声は掠れ、震え、言葉として形にならなかった。
胸に広がったのは、呑み込めない現実。理解できない理不尽。
そして、込み上げる怒りだった。
犯人はすぐに捕まり、終身刑が下された。
だが、それでは足りなかった。
足りるはずがなかった。
“法”では裁ききれないものが、確かに存在する。
バルタは、犯人の仲間や協力者、そして少しでも事件に関わったと噂される者たちを、手当たり次第に殴り潰していった。
彼の拳は、怒りと悲しみを乗せて唸りを上げ、街の裏社会を震えさせた。
やがて、怯えたゴロツキたちは徒党を組み、バルタを始末しようと包囲した。数十人にも及ぶ大人数だった。
だが、バルタは恐れなかった。
自分を襲うそのすべてが、“家族を奪った世界”の象徴に見えたからだ。
――だが、現実は非情だった。
幾ら力があっても、多勢に無勢。
彼の身体は地に叩きつけられ、意識が遠のいていく中で、もう一度妻と娘に会えるのなら、それでいいとさえ思った。
その時だった。
群がるゴロツキたちの間に、ただひとりの男が立ちはだかった。
「あんたら、コイツに何の恨みがあって集まった?」
静かに、だが重く響いた声。
次の瞬間、ゴロツキたちはなす術もなく地に伏していた。
圧倒的な強さと、凄みを纏ったその男こそが、クロード家の先代ボスだった。
「その拳、復讐のためじゃなくて、俺のために使え」
その言葉が、バルタの運命を変えた。
クロード家に身を寄せたバルタは、怒りを力に変えた。
ファミリーの特攻部隊として頭角を現し、やがて隊長の地位に就く。
彼にはもう、命を懸ける理由があった。
幼きシュティー。
失った娘を重ね、ボスの娘を守り抜くという強い決意を抱いたのだ。
シュティーが瘴気の能力を発現させ、母親を殺めてしまった日も、バルタは彼女を見捨てなかった。
彼女の暴走は、罪ではないと信じた。
それは、自分自身の生きる道でもあったからだ。
そして、ボスが死んだあの日。
ファミリーが崩壊しかける中でも、バルタは残った。
どれだけ誘いを受けても、どんな報酬を提示されても、彼は頷かなかった。
「ボスを……お嬢を、守る。それが、俺の仕事だ」
現在。
バルタの脳裏に、怒りと共にその想いが沸き立つ。
口元がニヤリと吊り上がる。
「あの日決めたんだ……守り抜くってよぉぉ!!」
雄叫びと共に、立ち上がるバルタ。
その拳が、機械人形の腹部にめり込む。
凄まじい音が水路に轟き、機械人形がぐらつき、その巨体が地に倒れる。
「ば、バカな……!」
ドロマの顔に、初めて明確な恐怖の色が浮かんだ。
バルタの拳がうなりを上げ、次の瞬間、ドロマの顔面にクリーンヒットする。
「おぬしは、もう立てぬはずじゃった! どうして……どうしてそんな力が……!」
バルタは静かに立っていた。
「さあな……だが、お前と違って……守るもんがある。それだけだ」
怒気を孕んだ声が、まっすぐにドロマを貫く。
「機械人形ッ!やれッ!やつを止めろ!」
起き上がった機械人形が再び襲いかかる。
だが、バルタの動きは先ほどまでとはまるで違っていた。
その拳が銀に光る。
「……おぬし、まさか……!」
「そうだよ。攻撃の瞬間だけ、拳を鉄にした。それなら……」
バルタの拳が、機械人形の頭部を一撃で叩き砕く。
「こんなもん、ただの鉄屑だ」
そして、恐慌するドロマに向かって歩み寄る。
「や、やめろ、近寄るな!おぬしのような男が、わしの発明品に勝てるはずが――」
ドロマが放とうとした大砲は、撃つより早く、バルタの拳に弾かれ、彼の身体ごと壁に叩きつけられる。
「老人ホームで寝ときな、クソじじい」
ドロマの意識が闇に沈んだそのとき、バルタはゆっくりと息を吐いた。
傷だらけの身体を引きずりながらも、その顔には確かな誇りと、静かな決意が宿っていた。




