第20話「揺れる闇」
夜の路地裏。
細い影が、闇の中を音もなく走っていた。
月も雲に隠れ、街灯は頼りなく明滅している。
その中を、少女はまるで幽霊のように、冷たい石畳を蹴っていく。
小さな肩が震え、呼吸が乱れる。
一歩、また一歩。
後ろから迫る闇が、心臓の鼓動を早くする。
――逃げなきゃ。
このまま捕まれば、きっと――。
角を曲がった瞬間、真っ黒な壁のような影とぶつかった。
「──ッ!?」
目と目が交差する。
相手もまた、こちらを見据えていた。何かを背負うような、深い瞳で。
この瞬間から、彼女の運命の歯車は、音を立てて動き始めることになる。
───
場面は変わり、夜の静寂の中。
シュティー・クロードは一人、自室のソファに沈んでいた。
天井を見上げながら、心の奥で渦巻く靄を持て余している。
キリアンとの戦いは、終わった。
相手の力量、意志、覚悟。
すべてを見極めた上で“手加減”し、勝利した。
でも──
「ボクには分からないな。どうして、あの人の目はあんなに変わったんだろう」
シュティーにとってキリアンは「取るに足らない相手」だったはず。
けれど、彼の敗北の先にあったのは、絶望ではなかった。
むしろ、“希望”のような光すら見えた。
──希望。それは、ボクには眩しすぎる。
あの目の奥には何があったのだろう。
なぜ、敗北で人は強くなれるのだろう。
彼のように変われるだろうか──自分は。
シュティーは膝を抱えたまま、ぽつりと呟いた。
「お母さん……」
その言葉と共に、心の中に沈めていた過去が顔を出す。
3歳のあの日。
自分が初めて“能力”というものに目覚め、暴走し、そして。
抱きしめるようにして死んだ。
母の腕の温もり。
静かに崩れていくその身体。
空気に漂う、甘くも鉄くさい匂い。
──赦されるはずがない。
どれだけ時が経っても、赦してはいけない。
それはボクが、ボスとして強くあるための“支え”でもあった。
ため息が落ちた。
その深さは、誰にも届かない。
───
朝。
陽の光が部屋に差し込む。
けれど、シュティーの影はまだ晴れない。
バルタが作る朝食の匂いが漂う中、彼女はコーヒーを啜る。
苦い。だが、それがいい。
砂糖もミルクも入れない。
この苦さこそ、ボクの原点──。
コンコン
軽やかなノックの音。
ドアが開き、入ってきたのはヴァリーナだった。
「おはよ、シュティー。今日はひときわ顔色が悪いじゃない」
軽口を叩くその声は、まるで風通しの良い廊下に吹き込む春風のよう。
「ちょっとね。寝不足。それで、どうしたの?」
「んふふ〜♪ もちろん依頼よ」
「……こんな朝から?」
首を傾げたくなる。いつもなら学校帰りの夕方、依頼を持ってくるのが常なのに。
「依頼って言うか、頼み事に近いかな。ねぇ、シュティー、犬って好き?」
シュティーは一瞬、眉をひそめた。
「まぁ……どちらかと言えば?」
その曖昧な返答を聞いた瞬間、ヴァリーナの顔がパァァァと輝いた。
「よかったー!ってことで、犬の散歩に行ってきて!」
「……ことわ──」
言い終える前に、間髪入れず。
「ダメ!もう外に連れて来ちゃったし!近所のおばさんが用事あるんだって。だから、ほんっっっとにちょっとの間だけ!お願い!」
「……はぁ。ったく……」
やれやれ、とため息を漏らしつつ、シュティーは依頼を受けることにした。
この街を陰で動かす“裏社会のボス”が、犬の散歩をする朝──。
こんな非日常な日常が、シュティーの日々を少しずつ変えていく。
2章のスタートって事ですね!




