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居ていい場所




「アシェ。今日は健康診断の日だ。

忘れるなよ」


「はい」


アシェはもぐもぐとハンバーグを頬張りながら頷いた。


以前ルシアンにアシェの定期検診をするように言ってある。

騎士団員達も月1で行っているが、アシェは週1で行っている。

責任を持つと言ったんだ。

このくらい普通のことだろう。


「今日は午前が武器訓練だったな。

皆上達している。先に進めていてくれ」


「分かったっす!」


リオットは敬礼で返す。

その後朝食を食べ終えて、アシェが美味そうに食べるのを横目で眺めていた。


____



「――数値の方は徐々にだけど回復しているよ。食事の効果と睡眠もよく取れているからね。治癒魔法のおかげで細かい擦り傷や、背中の打撲もすっかり良くなってるようだね」


ルシアンが手元の書類を確認しながら言う。


「ありがとうございます。ルシアン先生。

もうね、全然どこも痛くないんだ」


アシェは自身の身体を見回す。

ルシアンの治癒魔法は傷は治せるが、心や栄養不足までは対処しきれない。

こればかりは徐々にやっていくしかないが、アシェは以前よりも元気そうだ。


「それは良かったよ。

にしても、ルシアン先生……いい響きだね」


「勝手に呼ばせたんだろう」


「君たち誰も呼ばないからね。

少しは敬ってほしいよ」


「それから今日、専門の美容師が騎士団庁舎にくる。アシェの髪を切り揃えてもらおう」


アシェの髪は毎日梳いているが、かなり伸びている。切り揃えるくらいが、アシェには似合うだろう。


「……痛く、ない?自分で切ったら、ハサミで耳のところから血が出ちゃって、ちょっと怖い」


「向こうはプロだ。怪我なんてさせない。少し切り揃えた方が見た目も良くなるし、軽くなる。どうだ?」


「わ、分かった」


アシェはこくりと頷いた。


「偉いな。きっと格好良くなるだろう」


「ほんと?」


頭を撫でてやると、アシェが首を傾げた。


「幼心を弄んで……」


ルシアンは苦笑する。


「本心だが」


少し髪を整えただけでも、可愛らしくみえるんだ。事実だろう。


「ルシアン先生は、切らないの?」


「僕は長いのに慣れてるからね」


ルシアンはいつも長い髪を適当に結んでいる。


「面倒なだけだろう」


「まあ、そうだね」


ルシアンはひらひらと手を振った。

魔法実験がしたいらしい。

アシェを連れて医務室を出るか。


「行くぞ。アシェ」


「ルシアン先生。ありがとう」


「いいえー」


アシェは小さくお辞儀をすると、医務室の扉を開けた。


「ルシアン。先日は助かった」


「いいや。こちらこそいい機会をもらえたよ」


例の魔法が使えたことに対してだろう。

えげつない魔法だが、アシェのために使えたのなら良しとする。

ただ、使用にはいくつかの条件が必要らしく、滅多に使えるものではないと、ルシアンは少し落ち込んでいた。


「……気が早いけど、アシェくんは騎士にするつもりなのかい?」


「本当に気が早いな。アシェが望む方に進ませる。しかしアシェは――」


「気付いてたんだ。

アシェくんの今後が楽しみだなぁ」


「まだ先の話だ」


医務室を出て扉を閉めると、外でアシェが待っていた。


「美容師さんに切ってもらうの、ぼく初めて。

ドキドキする」


髪を整えることなんて、あの環境では、やってもらえなかったのだろう。

10歳の子供に何も与えてやらないなんて。

こんな、優しい子に。


「……行こう」


アシェの背中を押して、医務室の外へと向かった。


____



騎士団庁舎の中庭に今日は美容師さんが来ているみたい。

そこに向かう途中の廊下。


ヴァルドさんは団員の人に呼ばれて行ってしまった。少しここで待っていてくれ、と言われたのでぼくは待っているんだ。


ふと、窓ガラスに映るぼくの姿と目が合う。


『掃除もできない役立たず。せめて汚らしい顔ぐらい隠しておきなさい』


「あ……」


脳裏にお義母さんの言葉がフラッシュバックする。鏡に映った自分の顔が、やけに白くて気持ち悪かった。

髪をぐちゃぐちゃにして、その顔を見えなくする。


ちゃんと掃除したのに「手抜き」って言われて、食事はなし。ぼく、頑張ったんだ。

お腹が空いて、その前の日も食べられなかったから。


『調子に乗るなよ。血も繋がってないくせに』


あの時レオン義兄さんが床にジュースをこぼした。でもぼくがこぼしたって。

アシェが欲しがるからって。

ぼく、欲しいなんて一言も言ってない。


ジュースなんてぼく、もらえないもの。


でもお義母さんは、ぼくを平手で叩いた。

いつだってそうだった。

ぼくのせいにすれば、レオン義兄さんは怒られないから。


『ほんといらないな、お前』


でも、どこに居たらいいの?

お義母さんにも、レオン義兄さんにも、ぼくは、いらないって言われて。

じゃあぼくはどこに、居たら――


「アシェ」


「!」


振り返るとヴァルドさんが、そこに居た。


「待たせてすまなかった。

中庭に行こう。

……どうした?頭がぼさぼさだな」


ぼくの顔がなんだか見れなくて、頭をぐちゃぐちゃにしてしまった。


「ご、ごめんなさい……」


顔を伏せる。

真っ白な顔を見られたくなかった。

ヴァルドさんは手で髪を整えてくれる。


「……。健康診断で疲れたな。

ココアでも飲むか」


「え?でも……」


「少し休憩だ。行くぞ」


ヴァルドさんに手を引かれる。


ぼくはヴァルドさんみたく、かっこよくなりたいんだ。

みんなに頼られて、強くて優しくてかっこいいヴァルドさんみたいな、騎士様に。


もう“いらない”って言われないために……。


「全く。アシェはまだ子供だろう」


「え、わ、あ!」


ヴァルドさんに再び抱っこされる。


「アシェは泣き虫だったと記憶しているが。

何か思い出したのか?

我慢しなくていいんだぞ」


背中を撫でられると、ぽろりと涙が出てしまった。ヴァルドさんと、ずっと一緒にいたいな。

そんな想いが涙になって、こぼれ落ちていった。


____


アシェの顔が真っ青だった。

嫌なことでも思い出したのだろうか。


「ご、ごめんなさい」


「いいんだ。甘い物が飲みたい気分だったからな」


子供なのに、気を使いすぎだ。


この時間、食堂は開いてないからな。

自身の部屋の卓上に設えられた、小さな魔導コンロに鍋を乗せる。


部屋にストックしてあるココアを取り出して、ミルクを注ぎハチミツを垂らす。

疲れた時には甘い物だ。


「かき混ぜてみるか?」


「うん」


「熱いから気を付けろよ」


「はい」


横でじっと見ていたアシェに、ココアの入った鍋を木製のスプーンでかき混ぜるように伝える。甘い香りが室内に広がる。


「甘い匂いがする」


「ココア、好きか?」


「飲んだことない。でも、美味しそう」


「……甘くて美味いぞ。疲れた時に飲んでいる」


混ぜ終えたので2つのマグにココアを注ぐ。

そのうちアシェ専用のマグを買わないとな。


「湯気が……」


「よく冷まして飲めよ」


「あ、ありがとう……」


マグを受け取ったアシェは、両手でしっかり抱えてふーふーと息を吹きかけ、一口。


「あ、熱っ。あ、甘い。美味しい!」


「感想が忙しいな。美味いだろう」


アシェの素直な反応に、つい口元がほころぶ。


「さっき何を見ていたんだ?」


「窓ガラスのぼくと、目が合って。お義母さんはぼくと目が合うと、嫌な顔をするから……」


義母たちの呪縛はそう簡単に解けないだろう。

アシェはマグの縁を見つめている。


「オレはアシェを、義母や義兄と引き離したのは間違っていないと思っている。ここにはあいつらはもう来ない」


「はい」


「ここがアシェの、新しい居場所だ。……まだまだ無能だった団員たちの面倒をずっと見てきたオレが、アシェを見捨てると思うのか?」


問いかけに対してアシェは首を横に振る。


「思わない。……ヴァルドさんは憧れの、騎士様」


ふっと息を吐いて、マグを置く。


「それは買い被りすぎだ。まあいい。

ひとつアシェに、お願いしたいことがある」


「はい!」


アシェは身体を乗り出して、まっすぐこちらを見つめてくる。

何か期待しているような、役に立ちたいと思っているような――そんな瞳だった。


「……甘えていい」


「え?」


「アシェはまだ子供なんだ。

オレに、甘えてくれ」


……妙なことを言っただろうか。

アシェは首を傾げている。


「ヴァルドさんのお願い。聞く!

でも甘えるって?」


「そこはのちのち……自分で考えてくれ」


「……?はい!」


子供らしさを取り戻させるために言ったが、妙なお願いをしてしまったかもしれない。


「“甘える”ぼく、本で読んだんだ。

結婚している女の人が他の男の人を好きになっちゃうお話に書いてあった。意味がよくわからなかったんだけど、“甘えて”っていっぱい出てきて……」


「……それは参考にしなくていい。

その小説はまだアシェには早い」


「……?」


アシェの以前の部屋にあったものだ。

ゴミ捨て場から拾ってきたと言っていた、恋愛小説。何もわからずに読んでいたんだろうな。


教えることが山ほどありそうだ。

だが、楽しみでもあり、そんなアシェをたくさん可愛がりたいと思うのは、おかしな話だろうか。



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