魔物退治
オレは騎士団庁舎の一角にある医務室を目指していた。
怒りが抑えきれない。
紋章を簡単に盗まれるような警備体制だった。
それは騎士団長としてのオレの落ち度だ。
それだけなら謝罪し返しに来たら、二度とこのようなことはするなと殴って済まそうと思っていた。
だが、罪のない子どもを身代わりに立てただけではなく、自ら罰せられたいと頭を下げさせるよう命じた。
「もう戻れない」と泣く声。
天国に持っていくために持参した、大切な本。
痩せ細った身体。擦り切れた衣服。
何度も繕われた靴と鞄。
誰にも頼れなかった。
いや、頼り方なんて分からなかったのかもしれない。
いつ、その命の灯火が消えてもおかしくなかった。
アシェは1人でよく、頑張ってきた。
騎士である以上、殺しはしない。
だが、“苦しみ”を知らずに逃がすつもりもない。
「ルシアン。居るか」
「乱暴だなぁ。居るよ」
勢い良く医務室の扉を開ける。
そこには、眼鏡をかけ、髪を雑に結んだ男が椅子に座っていた。こちらに気づき、面倒くさそうに振り返る。
彼の名はルシアン・ベルネ。
彼はこの騎士団庁舎に所属している、治癒魔法使いだ。治癒魔法の腕は優秀だが、相変わらず書類整理は苦手なようで、医務室は散らかっている。
「伝令文見たよ。
彼を新しくウチに置くことにしたんだね。
彼の境遇を知って反対する者は、ここには居ないだろうね。放っておくなんて、騎士団の名折れだ」
「責任持ってオレが面倒みてやる。
ただ健康面に対してはルシアン、お前のが秀でているだろう。診てやってくれないか」
「言われなくとも。
それに君だけが背負わなくても、皆協力してくれるはずだよ」
「助かる。それから……以前、お前が話していた魔法。試せる場所を確保できた」
「本当かい…!?」
ルシアンは目を輝かせている。
「ああ。――試してもらわないと、俺の気が済まない」
「……なるほど。実は今日彼の話を聞いて、最初から同行したいと願っていたんだ。
同時にこの魔法を試せる機会をもらえるなんて。嬉しいね」
「自分も、いいっすか?」
医務室に入ってきたのは、見慣れた顔、リオットだ。
「彼のことを放っておけないのは自分も同じっす。ヴァルドさん。ご一緒していいですか?」
「……あぁ。着いてこい。
これから向かうのはただの――醜悪な魔物退治だ」
__
「ママー!ポテトおかわり。
このピザ焦げてるよ」
「レオンちゃん。今新しいの用意するわね」
レオンちゃんは最近少しぽっちゃりしてきた。
野菜を食べた方がいいと言った独り言が、アシェに聞かれていたなんて。
ただ、レオンちゃんは野菜嫌い。
朝から山盛りポテトにミートピザ。いっぱい食べることはいいことだわ。
好物は大抵レオンちゃん1人で全て食べるから、アシェに与えたことはない。
でも姉が亡くなり、他に身寄りがないからと言って、役立たずを押し付けてきた方も悪いわ。
だから家事や掃除をやらせていた。
もちろん姉の残した財産は全て私の物!
服や宝石、あとレオンちゃんの魔法学院への入学金に使わせてもらったわ。
役立たずを引き取るのだから、そのくらいはもらっておかないとね。
「ママー早くー!」
「今新しいポテトを揚げてるわ」
すると家のチャイムが鳴る。
「誰かしら?レオンちゃん、ちょっと見てきてくれるかしら?」
「嫌だよ。もしアシェが失敗して……ヴァルド・ノイシュタット騎士団長がいたらどうするんだ」
レオンちゃんはおかわりが来るのを待ちきれず、ピザを口一杯に詰め込んで、もごもごと噛み潰していた。
仕方なく玄関に向かい、念の為、覗き穴から確認する。
「どうも!魔物が入り込んだと通報を受けたので、見回りに来たっす」
覗き穴には赤い髪の男性が、にこやかな笑顔を浮かべていた。
あら。あの騎士団長ヴァルド様ほどではないけど、なかなかのイケメンね。
「魔物?怖いわ。助けて頂けるのかしら?」
玄関の扉を開ける。今日はヴァルド様のご尊顔を見に、騎士団庁舎に行く予定はなくなってしまったけど、化粧はバッチリよ。
ヴァルド様にお近付きになりたくて、騎士団庁舎に通っていたけど、彼のようなタイプのイケメンもいたなんて知らなかったわ。
「勿論。お邪魔しますっす!」
「失礼する」
赤髪の彼の後ろから入ってきたのは――
「騎士団長ヴァルド・ノイシュタット様……!?ど、どうして、こちらに……」
「言っただろう。魔物退治だと」
ヴァルド様に声を掛けられた……!
魔物がどうとかはよく分からないけど、今日は最良の日だわ!
「ママ、誰が来たのー?」
レオンちゃんの声で我に帰る。
もしかして、このタイミング。
アシェが何か言ったのかしら……。
でも騎士団からしたら、紋章は戻ってきたし、《《犯人も名乗り出た》》。
何も問題ないはずだわ。
もしレオンちゃんがやったなんて言ってのこのこと戻ってきたのなら、アシェはまた罰として外の物置小屋に閉じ込めてやるわ。
でもあんな子の戯言なんて聞くわけがない。
「うわ。君すごい食べてるっすね。
肉付きが半端ないっす」
「だ、誰だよお前!不法侵入だぞ」
「ちゃんと許可を得てるっすよー」
ひらひらと手を振り赤髪の彼は2階へと上がっていった。ヴァルド様は家内を見回している。
「汚い家で申し訳ないですわ。
魔物はどちらに……?」
「……彼が食事をしている場所、そして今使っているキッチン以外は掃除が行き届いているな。本当に綺麗だ」
「まあ……!」
ヴァルド様が褒めて下さったわ!
アシェに隅々まで掃除をするように、言いつけていた甲斐があったわ。
「……1人で、頑張っていたのだろう」
「マ、ママ!ヴァルド・ノイシュタットがなんでうちに!?」
レオンちゃんが持っていたピザをぼとりと落とす。
「魔物が入り込んだらしいわ」
「本当かよ!?ママ、ヴァルド様のファンだからって」
「静かになさい」
ヴァルド様に気に入ってもらうチャンスなのだから。
「ヴァルドさん」
2階から赤髪の彼の声がする。
「今行く」
2階に魔物が忍び込んでいるのかしら。
2階はレオンちゃんの部屋と物置しかないはずだけれど。
__
2階は廊下の左右に2部屋。
1つは本や大きなベッドと机にソファー。
おもちゃや食い散らかした菓子などが、そこらかしこに散らばっている。
「多分こっちが……」
リオットが部屋のドアを開ける。
「こんなところに彼を、押し込めていたなんて、見てられないっす……」
「…………」
思わず絶句してしまう。そこはまるで、“物置”と呼ぶしかない部屋だった。
壊れた家具や使われていない雑多な道具が、めちゃくちゃに詰め込まれている。どこを見ても、生活のために整えられた空間ではなかった。
けれどそこには、“人が居た痕跡”が、確かにあった。
カーテンもない部屋の、ほんのわずかなスペースに布が敷かれ、綿の飛び出たクッションには、人が腰かけていたような凹みがある。
積み上げた物の上に板を置き、机のように使っていたらしい。その上には、数冊の本とヒビの割れたランプが置かれていた。
「これが、アシェが読んでいた本か……?」
騎士の本は見当たらないが、哲学の本、恋愛小説などジャンルはバラバラだ。
この恋愛小説はアシェにはまだ早いだろうとは思うが、かなり見た目がボロボロだ。まるで、元はゴミとして捨てられていたかのような。
そして近くには薄い布が小さく折りたたまれていた。
布をそっと手で触れてみる。
アシェはここで、眠っていた。
この布団とも言えない布を被って――
「アシェくん……こんな環境にいたなんて」
「…………。外にいるルシアンの準備が終わったようだな。下に行くぞ」
「は、はい」
リオットが下に行くのを見て、再び振り返る。
アシェがここで小さく丸まって眠っていただろう姿を思い浮かべる。
こんな暗く、寒く、汚いところで、1人。
一体、どんな気持ちで――
オレは、自分のために、彼が使っていた物を手に取る。ここで彼が必死に生きていたことを、忘れないためだ。
きっと彼は騎士団庁舎に来る時に、最期だと覚悟していた。
大事な物は全て持ってきたのだろう。
ここにある物は要らないものだ。
それでいい。
これからオレが新しく、アシェにとって大切な物を増やしていくんだからな。
そして彼をここに戻って来させるなど、二度とない。
オレは階段を降り、アシェが過ごしていた部屋を後にした。




