駒込ピペット
ぼちぼちやりましょかあ
駒澤大学駅付近にあるスーパーマーケット『えつまる』がお客様に少しでも休んでいただけるように提供してくれていると勝手に思い込んでいるベンチに腰掛けていたとき………ハタケヤマ星人が訊ねて来た。
「アホとバカの違いを教えろ」
僕は、嫌だと言った。そしたら思いっきり殴られた。
彼の指は星屑くらい輝いていたから、これまた美しいなあ。なんて思いながらも頬の辺りに広がる激痛を味わった。
ベンチから崩れ落ちた僕を見て見ぬふりする歩行者たち……。都会の流れの速さを感じて、胸がぎゅーと締め付けられているなあ。と感じている僕の胸元をぎゅーと締め付けてくるハタケヤマ星人。この、ダブルミーニングは久しぶりに感性を刺激してくれた。物理的な締め付けと感覚的な締め付けが巧い具合に重なって身体をふわふわさせてくれる。もう誰にも邪魔されたくなかった。だから僕は全身の力を抜いて世界に身をあずけることにした。このまま、地球の果てまで飛んでいくことはできないのだろうか? でも、目の前のハタケヤマ星人は僕の気持ちなんて考えずに僕の余韻を奪おうとしてくる。
「おい。アホとバカの違いを教えろ」
僕は又、嫌だと言った。そしたら又、殴られた。
正直、やめて欲しいとも、もっとやってくれとも思わなかった。ただ彼の星屑が五つ、僕の胸元を握り締めている状態があるだけで、周りの人々の足並みが遅くなるわけでも、突然晴れた空に雲が広がって雨が降るわけでもなかった。信号機は規則正しく赤から青に交互に成り代わっていたし、コンビニエンスストアは二十四時間営業を継続していた。
ハタケヤマ星人が、これが最後だぞ。とテレパシーを送ってきた。肯いた僕に、ハタケヤマ星人の口元が開いた。
「アホとバカの違いを教えろ」
僕は懲りずに又、嫌だと言った。
そしたらハタケヤマ星人が言ってきた。
「じゃあ、駒沢公園で散歩しない?」
僕は、『喜んで!』と言った。すると、ハタケヤマ星人は大喜びした。
肩を組んで歩く僕たちを二度見する歩行者たち……。さっき殴られていた時は見て見ぬふりしていたのに、と少し哀しい気持ちが芽生えている。でも、そんなことに構っている暇はなく、僕は右肩に伸し掛かるハタケヤマ星人の星屑の重みをしっかり受け取っていた。
駒沢公園の中へ入ると地図がある。正式名称は、駒沢オリンピック公園。広い敷地にはスポーツ施設がふんだんに設けられている。競技場や球技場が幾つもあり、人間たちはそこで野球やサッカー、陸上などの試合や練習をしている。体育館やトレーニングルーム、弓道場、バスケットゴール、テニスコートも兼ね備えてあり、敷地内にはスケートボードの練習場までもある。スポーツ選手を夢見る未来のアスリートにとってはお花畑よりも美しい場所に見えているのだろう。
一方で、駒沢公園には家族連れの人間たちも頻繁に足を運ばせて賑わいを見せている。なぜなら、ここはスポーツ施設だけが備えられている場所ではないからだ。
緑で埋め尽くされた公園内。季節によって色合いが異なり、花が咲いてはお花見お花見。花が散っては寝転び寝転び。年中無休、レジャーシートを引いてまったりゆったりのんびりと……都会の真ん中にあるにもかかわらず、緑を存分に感じられる場所としての役割も果たしているのだ。
くつろぐ大人たちに退屈しない子供たちの為にも、噴水があったり、広場があったり、ドッグランがあったり又、うま公園、ぶた公園、りす公園と三種類の公園が設置されていたり……と、至れり尽くせりな場所でもあるのだ。お日様のもと、家族団らん、だらーんだらーんと日頃のストレスを駒沢オリンピック公園で発散する。マイナスイオンが心を穏やかにさせてくれて、家族の笑顔がより一層輝いて見えるに違いない。
後、何と言っても駒沢公園の最大の魅力はジョギングコースとサイクリングコースがあることだ。
全長二・一キロ。百メートルごとに地面には数字が書かれており、今自分が何メートル地点にいるのかが一目で分かってしまう。これほど有り難いシステムは駒沢公園だけだぞ! と、僕はひそかに思っている。(他にもあるかもしれないけれど)
お年寄りや運動不足の方、老若男女問わず気軽に運動できる場所。緑に囲まれ自然の有り難さも味わえる場所。それが、駒沢オリンピック公園なのだ!
いい街、こまざわ。
安心安全……いい街、こまざわ!
僕は、ジャブジャブ池の近くのベンチでハタケヤマ星人に駒沢公園の魅力を熱弁した。彼は僕の言葉をひとつひとつ丁寧に受け取り、感服した表情を浮かべているようだった。一通り終わった後、彼は僕にこう言った。
「歯に青のりが……付いているよ?」
僕たちは、手を繋いで駒沢通り沿いにあるバッティングセンターへ向かった。
手を繋いでいる光景を二度見する人間たち……。さっきベンチから崩れ落ちていた時は見て見ぬふりをしていたのに、とまた少し哀しい気持ちが芽生えてしまった。でも、それはもう過去の話だからウジウジなんて言ってられない。なぜなら、僕は今を楽しむために生きているからだ!
「かむぉーん、かむぉーん」
と、言って八十キロのボールを全身で受け止めているハタケヤマ星人。
バッティングセンターに入ったとき、彼は僕にこう言った。
「さっき君を殴った罰を自分に受けさせる」
彼はその言葉を残し、入って一番左側にあるバッティングエリアに足を進ませた。金属バットも持たずにホームベースの上に立ってボールを待ち構えるハタケヤマ星人。しかしボールは一向に現れなかった。
僕は、その様子をしばらく眺めていた。しびれを切らしたハタケヤマ星人が、『なぜだ?』と訊ねて来た。
僕は、その言葉を律儀に受け止めてから、『何をするにもお金が必要だよ』と言ってコイン投入口に二百円を入れてあげた。すると、前方にある赤いランプが灯り機械音が鳴り始めた。
興奮する星屑は、全身に力を込めているようだった。
グーン。グーン。と鳴り響く機械がボールを乗せて動いている。三、二、一、シュッ。機械の動力で放たれたボールはハタケヤマ星人目掛けてまっしぐら。時速八十キロと書かれたバッティングエリアのホームベースに立っているハタケヤマ星人の右胸辺りにボールが当たった。
ボコッ……。威力を失い床に落ちるボール。残り十六球……。僕は、大丈夫? と訊ねた。すると彼は僕の言葉を無視して、
「かむぉーん、かむぉーん」
と、次のボールを待っている。二球目は左胸、三球目は懐辺りにボールが当たった。ハタケヤマ星人は痛がる様子もなく、むしろ回を増すごとにアドレナリンでも分泌しているのか、どんどん陽気になっていった。そして、声量も意気込みも段違いにレベルアップしていった。
十七球の快楽を受け終えたハタケヤマ星人が姿を現した。そして僕の姿を見つけるや否や開口一番、『途中で止めるのがセオリーやろっ』と文句を垂れてきた。僕は少し苛立ちの感情を得たがすぐに心の中で、彼は今アドレナリンが分泌されているから少しは大目に見てやるか。と、この場を穏便に済ませるために体内で感情を変換させた。そして、『ごめん。何球目くらいに止めれば良かったかな?』と柔らかい表情を装って訊ねてみた。すると、彼は少し考えたあげく『七、八球目くらい?』と文句を垂れた割には自信がないのか、それともセオリーなんてそんなもの初めからなかったのか、弱々しい口調で言葉を放ってきた。僕の心は彼のそんな態度を、可愛らしい。と感じてしまったみたく、彼の身体を優しく包み込み、『ごめんね。次からは気をつけるね』と耳元で囁いた。
僕の身体からそっと離れたハタケヤマ星人はそのまま何も言わずに僕の額にキスをした。そのとき、僕は思った。さっき出会ったばかりの相手とキスをするなんて僕はなんて淫らなんだ……と。
駄目なことをしていると頭では分かっているのに、僕は歯止めがきかなかった。
気づいた時、僕は感情の赴くままに言葉を放っていた。
「今から家こない?」
自宅にあるプロジェクターで映画を見ていた。黒いソファに二人で座り、コンビニエンスストアで買ったキャラメルポップコーンと炭酸飲料を机の上に置いている。バッティングセンターから戻る途中、『船が沈没する、あの有名な映画が見たい』と、ハタケヤマ星人が言うもんだから僕は、『それ以外を見ようね!』と優しく微笑んだ。すると彼は、『分かった。スター・ウオーズで我慢する』なんて言うもんだから僕は、『スター・ウオーズ、見たことないの?』と、訊ねると、『一度もない』と言った。僕は彼の頭を撫でてから、『仕方ないなあ。じゃあスター・ウオーズを見ようね』と言って二人で近くのビデオショップへ足を運んだ。
僕たちは、スター・ウオーズ、エピソード八、を鑑賞していた。正直、彼は意味が分からないみたいだった。僕は昨日エピソード七を見終えたところだったからどんどん話が入ってきて前のめりになってしまう。隣でつまらなさそうにしている彼の様子を感じておきながらも知らないふりをして画面に釘付けだ。キャラメルポップコーンを食べる音が耳障りだと思ったが、仕方がない……お互い様だ! と自分に言い聞かせてやった。
一時間が過ぎた頃、鑑賞する気力を失ったハタケヤマ星人は僕の肩に頭を乗せてきた。可愛いなあ、と感じながらも、僕は画面から目を離さなかった。初めのうちはちょっかいを掛けて気を引こうとしていたハタケヤマ星人だったが、僕にその気がないと知ると潔く黒いソファから離れて腕立て伏せをし始めた。同じ空間に居るのに各々違う目的に没頭する。この関係性はとても素晴らしいと僕は思った。将来の恋人に求めるものリストに追加しておこう。と映画をみる僕は彼のおかげで又一つ、自分を知ることができた。
エンドロールが流れ、拍手をしている僕の隣でハタケヤマ星人はスヤスヤと寝息を立てながら眠っていた。腕立て伏せをして疲れたのだろう。眠っている表情を見ると愛おしさが溢れ出し、居ても経っても居られなくなってしまった僕は、彼の額にそっとキスをした。
眠っている彼を起こさないようにゆっくりと動き、近くに転がっていた白い紙とボールペンを手に取り、”すぐに戻ってきます”と書置きを残して外へ出た。
お腹が空いてきたのでお弁当を買いに出掛けようと思ったのだ。
駅から徒歩一分くらいの場所に「カフェ・ライスィ―」がある。イートインもテイクアウトも出来るお店。僕はここの日替わり弁当が大好きだ。生姜焼き、ロースカツ、ポークステーキ、タコライス。日替わりのメインディッシュも魅力的なのだが、それよりももっと魅力的なものがある。サイドメニューで付いてくるお惣菜の種類が豊富なのだ。ゴーヤの佃煮、キムチ、ナスのお浸し、玉子焼きなどなど、一つのお弁当に七種類八種類ものお惣菜を使うお弁当がこの世に存在するのか。と初見の衝撃を今でも覚えている。メインディッシュが無くてもサイドメニューだけで充分お腹が満たされる。心も満たされる。ふんだんに使われているお野菜の数々。味付けも僕好み。お店の雰囲気も素敵です。もちろん店員さんも素敵です。
スター・ウオーズを観ている途中、ふと思いついた。あそこのお弁当をハタケヤマ星人と一緒に食べたい。自分が好んでいるものを共有して共感して欲しいと思ったのだ。だから僕は眠る彼を驚かせるためにそっと外へ出てカフェ・ライスィーへ向かったのだ。
「日替わり弁当二つお願いします」
「はい」
待っている間、お店の中に居させてもらう。カフェ・ライスィーには犬が数匹いる。吠えるし、ウロウロしている。動物って何を考えているか分からないから可愛い。イートインの時、テーブルにご飯が届くと尻尾を振って貰いに来る犬がいる。でも、あげないで下さい。という張り紙があるから人々はご飯をあげない。これまた可愛い。流れる音楽も癒される。とっても素敵な場所なんです。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
目を見てお礼を言う。親しき中にも礼儀あり。親しくなくても礼儀あり。僕は、黄色いビニール袋に入ったお弁当を二つ頂いた。ウキウキして階段を上っていく。お尻がフリフリ動いていたのを見られてしまったかもしれない。でも、そんなの関係ない。僕は、近くの自動販売機でお水を二つ買ってハタケヤマ星人が眠る自宅へと足を運んだ。
「ただいま」
おかえりって言われないのは少し寂しい。まだ眠っているんだろう。そう思った僕は、音を立てないように玄関の扉を閉めた。喜んでもらいたいと思う気持ちと、初対面なのに何してるんだろうと思う気持ちと、人生一回きりなんだから思ったことやればいいじゃん! と思う気持ちなどが合わさって僕の胸は高鳴っていた。人間はどうして自分を抑えて生きるのだろう? 不意に問いただしてくるもう一人の自分が居た。立ち止まった僕は、その場に立ち尽くしてしまいそうになる。でも、今は楽しめよ? と、すぐに違う自分が背中を押してくれた。後で独りの時に考えな。肯いた僕は、ハタケヤマ星人の笑顔を見るために部屋の中へ進むことにした。
……彼は、どこにも居なかった。
部屋の中をどれだけ見渡しても居なかった。寝息も聞こえてこないし、眠ってもいなかった。全部、夢だったのか? と思ってみるけど、飲みかけの炭酸飲料と食べかけのキャラメルポップコーンは机の上に置かれたままだった。ビデオショップで借りたスター・ウオーズ、エピソード八、も存在している。
唐突に、ハタケヤマ星人に胸を締め付けられた感覚が蘇ってきた。確かに居たはずなんだよ! 肩を組んだ感覚や手を繋いだ感覚……。確かにここに居たはずなんだよ! 僕は彼にお弁当を食べて欲しいと思った……。確かに、隣に居たはずなんだよ!
僕は、困惑した。お弁当を二つも食べきれない。一つだけでもボリューム満点なのに……。このクオリティーで千円ぽっきりなんてあり得ないのに!
ふと気が付くと、書置きした白い紙を見つめていた。自分の書いた文字とは異なる文字が書かれている。僕は、黄色いビニール袋を手放して書置きの紙を手に取った。
「もうすぐ暗くなるから帰るね。夜はどうして暗いのだろう?」
名前も知らないハタケヤマ星人は、僕の知らない場所に帰っていった。
僕は、全てを忘れ、机の上にお弁当を二つ、丁寧に並べた。そして両手を合わせて、『いただきます』と言ってからボリューム満点のお弁当に手を付け始めた。
「やっぱり……美味しい」
ふいに、ハタケヤマ星人が着ていたTシャツに描かれていた絵を思い浮かべて吹き出しそうになりながらも、黙々と、美味しいごはんを口の中へ放り込んでいく。