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●第4章:蜃気楼の同盟

 深夜の王宮地下室は、かすかな松明の明かりだけが闇を照らしていた。セレナは、ブラックウッド局長と共に、ひっそりとノルドハイム帝国の密使を待っていた。


「本当に来るのでしょうか?」


「ええ、必ず」


 セレナは確信を込めて答えた。三日前、ノルドハイム帝国と大玄朝の国境衝突は、予想以上に深刻化していた。両国とも、表向きは事態の収束を図っているが、実際には着々と軍事的準備を進めている。


 足音が響いた。現れたのは、ノルドハイム帝国の軍事顧問、クルト・フォン・シュタインフェルトだった。


「セレナ女王陛下」


 シュタインフェルトは深々と頭を下げた。


「よくぞお越しくださいました、将軍」


「陛下のお招きを、帝国の多くの者が心待ちにしておりました」


 セレナは、さりげなく相手の表情を観察した。シュタインフェルトは、ノルドハイム帝国軍部で最も影響力のある人物の一人だ。しかし、皇帝の強硬路線には密かに反対していると言われている。


「では、本題に入りましょう」


 セレナは古い地図を広げた。そこには、ノルドハイム帝国と大玄朝の国境地域が詳細に描かれている。


「この地域での衝突は、誰の利益にもなりません。大玄朝の軍事力は、帝国の予想を上回っているはず」


 シュタインフェルトの表情が曇った。


「その通りです。しかし、皇帝は……」


「皇帝陛下は、正確な情報を得ていないのではありませんか?」


 セレナの言葉に、シュタインフェルトは鋭い視線を投げかけた。


「アルファリアには、両国の軍事情報が集まっています。私たちは、この危機を回避する方法を知っています」


「どのような方法です?」


「まず、アルファリアが仲介役となって、秘密裏に和平交渉を行う。そして、両国の体面を保ちながら、段階的な軍事力の撤収を実現する」


 シュタインフェルトは深く考え込んだ。


「しかし、それだけでは……」


「もちろん、経済的な見返りも用意してあります」


 セレナは、もう一枚の地図を広げた。今度は、アルファリアを中心とした新しい通商路が描かれている。


「永世中立国となったアルファリアを経由することで、帝国の商品は、大玄朝の市場に、より安全に、より効率的に届けることができます」


 シュタインフェルトの目が輝いた。


「これは、画期的な提案です。しかし、他の二カ国は?」


「アイゼンブルク連邦とマハーラージャ王国にも、それぞれの利点を提示します。誰も損をしない、そして誰もが何かを得られる。それが私たちの提案です」


 シュタインフェルトは長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。


「陛下の提案を、しかるべき人々に伝えましょう」


 密使が去った後、ブラックウッドが感嘆の声を上げた。


「見事です。これで、ノルドハイム帝国の軍部に、反戦派の動きが強まるでしょう」


「ええ。でも、これも始まりに過ぎません」


 セレナは疲れた表情を見せた。


「次は、大玄朝の動きを待ちましょう。彼らも、必ず接触してくるはず」



 予想は的中した。三日後、大玄朝の密使が、異なるルートでアルファリアに潜入してきた。セレナは、今度は王宮の離れの茶室で、朝廷の重臣、李玄岳を迎えた。


「お茶を、どうぞ」


 セレナは自ら茶を注いだ。李玄岳は、その所作の美しさに目を細めた。


「陛下は、私どもの作法にも通じておられる」


「母から教わりました。大玄朝の茶道は、まさに芸術です」


 李玄岳は満足げに頷いた。


「陛下、率直に申し上げます。我が朝廷内でも、北方との全面衝突を望まない声が強まっています」


「それは、賢明な判断かと」


「しかし、面子もございます。ノルドハイム帝国に対して、弱腰に見られるわけには……」


「もちろん」


 セレナは、ゆっくりと茶碗を置いた。


「だからこそ、私たちの提案が有効なのです」


 李玄岳は身を乗り出した。


「お聞かせください」


 セレナは、ノルドハイムの密使に示したものとは異なる地図を取り出した。そこには、大玄朝の影響下にある地域が、より広く示されている。


「永世中立国となったアルファリアは、大玄朝の文化的影響力を、より効果的に西方に伝えることができます。それは、軍事力以上の価値があるのではないでしょうか」


 李玄岳の目が輝いた。大玄朝は常に、その文化的優位性を誇りとしてきた。


「そして、その文化的影響力は、必ずや経済的利益となって還ってくる」


「まさに、その通りです」


 セレナは、優雅に袖を通して、机の上に三枚の絹布の地図を広げた。最初の地図には、アルファリアを中心とした文化交流のルートが描かれている。


「まず、文化的影響力の拡大についてお話しいたしましょう」


 セレナは、しなやかな指先で地図上の拠点を示した。


「カンタベリアに、大玄朝式の学堂を設立します。この学堂では、貴国の古典や書法、そして思想を学ぶことができます。西方の若者たちは、すでに大玄朝の文化に強い憧れを抱いています」


 李玄岳の目が輝きを増した。


「その学堂の教授陣は?」


「もちろん、大玄朝の一流の学者をお招きしたいと考えています。そして、彼らの下で学んだ西方の若者たちは、必ずや貴国の文化の伝道者となるでしょう」


 セレナは二枚目の地図を示した。そこには貿易ルートが詳細に記されている。


「次に、経済的な側面です。アルファリアは、大玄朝の絹織物や陶磁器を西方に運ぶ中継地点となります。しかし、単なる中継に留まりません」


 セレナは、地図上の特定の地点を指さした。


「この地域に、大玄朝の職人たちのための工房を設けます。西方の職人たちと技術を交換し、新たな価値を生み出すのです。例えば、大玄朝の絹織技術と西方の染色技術を組み合わせれば……」


「素晴らしい着想ですね」


 李玄岳は、思わず声を漏らした。


 最後に、セレナは三枚目の地図を広げた。そこには、アルファリアの地下資源の分布が記されている。


「そして、これが最も重要な提案です。私たちの国で産出される銀と水晶は、大玄朝の工芸品に欠かせないもの。この資源を、独占的に供給させていただきます」


「しかし、アイゼンブルク連邦も……」


「ええ、彼らも強い関心を示しています。しかし、私たちは大玄朝を優先します。その代わり……」


 セレナは、さらに詳細な取引条件を説明していった。関税の優遇措置、通行料の減免、そして文化施設への助成金。それらは全て、大玄朝の体面を立てながら、実質的な利益をもたらす仕組みとなっていた。


 李玄岳は、説明の一つ一つに深く頷きながら、時折、感嘆の声を漏らす。セレナの計画は、大玄朝の文化的プライドを満足させながら、実利も確保する絶妙なバランスを持っていた。


「これほどまでに、私どもの文化を理解されている方がおられるとは……」


 李玄岳は、心からの感服を示すように、深々と頭を下げた。


 セレナは静かに微笑んだ。説明を終えた彼女の指先は、さりげなく茶碗に触れ、その場の雰囲気を柔らかく和ませた。机上の三枚の地図は、まるで彼女の計画の完璧さを証明するかのように、整然と並んでいた。


 密使が去った後、セレナは疲れ切った様子で椅子に深く腰掛けた。


「陛下、お疲れではないですか?」


 心配そうに声をかけるブラックウッドに、セレナは小さく首を振った。


「休んでいる暇はありません。次は、アイゼンブルク連邦です」


 窓の外では、秋の気配が漂い始めていた。時は、刻一刻と過ぎていく。



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