●第3章:暗中模索
国葬から一週間が経過した。セレナの戴冠式は、慎ましやかに執り行われた。四大国からの使節は、それぞれに祝意を示しながらも、その目は冷ややかだった。
セレナは執務室で、各国からの新たな外交文書に目を通していた。表向きは祝辞が並ぶが、その行間には露骨な威嚇が込められている。
「陛下、マハーラージャ王国の特使が謁見を求めています」
侍従長のクラウス・ヴィンターが告げた。
「お通しください」
現れたのは、マハーラージャ王国の宮廷で高い地位にあるというラージ・カプールだった。絢爛豪華な民族衣装に身を包んだ中年の男性は、優雅な仕草で頭を下げる。
「セレナ女王陛下、この度のご即位を心よりお祝い申し上げます」
「ありがとうございます、カプール卿」
セレナは丁寧に、しかし適度な距離を保って応対した。
「陛下、私どもマハーラージャ王国は、常にアルファリアの良き友人でありたいと願っております」
「それは、大変心強い言葉です」
「そして、その友情の証として、一つの提案を持って参りました」
ここからが本題だ、とセレナは身構えた。
「マハーラージャ王国の第三王子、アルジュン殿下との婚姻を、ご検討いただけないでしょうか」
セレナは、この提案を予期していた。しかし、こんなに早い段階で切り出してくるとは思っていなかった。
「まさか、そのような重大な提案を、即座にお返事することは難しいかと」
「もちろんです。ただ、この提案には多くの利点がございます。マハーラージャ王国の軍事力で、北からの脅威を抑止することもできます。また、私どもの影響力を以て、他国の圧力も和らげることが……」
セレナは静かに手を上げ、カプールの言葉を遮った。
「カプール卿、あなたのお言葉、そしてマハーラージャ王国の御厚意は、深く心に留めさせていただきます。しかし、国家の未来に関わる重大事は、慎重に検討させていただきたい」
カプールは一瞬、不満げな表情を見せたが、すぐに取り繕った。
「もちろんです、陛下。ただ、時間的な余裕は、それほど……」
「理解しています。できるだけ早い段階で、正式な回答を用意させていただきます」
カプールが退出した後、セレナは深いため息をついた。
「よくぞ持ちこたえられました」
影から現れたのは、ブラックウッド局長だった。
「聞いていたのですね」
「私の仕事ですから。彼らの提案は、表向きは魅力的に映るかもしれません。しかし……」
「ええ、わかっています。一度マハーラージャ王国と婚姻関係を結べば、アルファリアは事実上、彼らの属国となる。他の三カ国も、それを黙って見過ごすはずがありません」
セレナは立ち上がり、部屋の隅に置かれた小さな箱を開けた。中には、数日前から集め始めた各国の新聞や雑誌の切り抜きが収められている。
「ブラックウッド卿、作戦を開始しましょう」
「作戦とは?」
「まず、中立国の新聞社に、ある記事を書かせます。『四大国による小国への圧力』という主題で。証拠となる文書も、適切に用意するのです」
「しかし、それは危険では?」
「ええ。でも、今は攻めに転じる時です。カプール卿の提案は、他の三カ国にも伝わるでしょう。そうすれば……」
セレナの目が鋭く光った。
「各国は互いを牽制し始める。特に、マハーラージャ王国の動きに対して、他国は必ず反応します」
ブラックウッドは感心したように頷いた。
「分断工作ですか」
「そう。でも、それだけではありません。この『告発記事』は、あくまでも序章です」
セレナは地図の前に立ち、ゆっくりと説明を始めた。
「次に、各国の商人たちと個別に接触します。彼らは国家の方針よりも、自らの利益を重視する。アルファリアが永世中立国となれば、四大国の狭間で、自由な商取引が可能になる。その可能性に、彼らは必ず飛びつくはずです」
「しかし、それには時間が……」
「ええ、時間との戦いです。でも、私たちには秘密兵器がある」
セレナは、父王から受け継いだ古い文書を取り出した。
「これは、建国期の通商条約の草案です。当時の外交官たちは、四大国の商人たちと、密かに協定を結んでいた。その子孫たちの多くは、今でも各国で影響力を持っているはず」
ブラックウッドは感嘆の声を上げた。
「よくぞそのような文書を!」
「父は、このときのためにこれを残してくれたのでしょう」
セレナは窓の外を見た。夕暮れ時の街並みが、オレンジ色に染まっている。
「準備を始めてください。そして……」
「はい?」
「リリアの護衛を強化してください。敵は、私の弱点を知っているはずですから」
ブラックウッドは深く頭を下げた。
その夜、セレナは一通の暗号電報を受け取った。ノルドハイム帝国と大玄朝の国境地域で、小規模な武力衝突が発生したという。セレナの目論見は、早くも効果を表し始めていた。
しかし、これは始まりに過ぎない。真の戦いは、これからだった。