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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

BL/BLを含むNL

奴隷市場で買われた狼獣人が、最愛の王太子の全てを手に入れるために奮起する話[R15 BL]

作者: 燈子

「おい、止まれ」


視察で訪れた市場で気になるものを見つけた私は、先導する男を呼び止めた。


「はっ。どうされましたか?」


怪訝な顔で返された質問を黙殺し、市場の奥を見つめる。平民たちも避けて通る、昼でも暗い貧民街と繋がる場所に、やけに大きなテントが張ってあった。以前訪れた時にはなかったものだ。

しばらく遠目に眺めていれば、肥えた体をわざとらしく貧しそうに身をやつした者たちが、人目を忍んで入っていく。


なんとも面白そうな()()()がする。

これは確認しないわけにはいかないだろう。


「なぁ、()()はなんだ?」

「あ……っ!さ、さて、なんでしょう」


淡々と尋ねた私に、付き従う男がびくりと震える。無言で答えを待つが、男は私の視線を避けるように目線を彷徨わせて、困り顔で言葉を濁すばかりだ。


「はぁ……」


私のあからさまなため息に、男はびくりと大きく体を震わせ、怯えたように肩をすくめる。大の大人が、私のような、まだ十にもならぬ()()を恐れているのだ。馬鹿馬鹿しい。

父がお目付役にと寄越した男は、真面目なだけが取り柄の、使い勝手の悪い駒だった。いや、嘘をつけないのは、()()()としては適性があるのだろう。私の行動を報告される父の、とり澄ました顔が頭に浮かび、イラっとした。


「おい、何度も問わせるな。お前の役目は私の視察の()()だろう?……答えろ」

「は、はい」


品のない舌打ちを一つとともに、凍りつくような目で睨みつければ、男は青ざめた顔で口を開いた。


()()()は、……殿下のお目に入れるには穢らわしい場所でございます。それゆえ、陛下より近付けるなとの仰せを承っております」


案の定、父が視察を許可していない場所らしい。そちらの方角には行かせないとばかりに、己の体で道を塞ぐ。立派な忠誠心だ。


「危険ですので、殿下。お戻りを」

「はっ、危険など今更だろう」


十にもならぬ幼な子に「視察して来い」とロクな護衛もつけず放り出しておいて、何を言っているのか。

念のために眼鏡を掛け、中流貴族の子弟を装うような格好をしてはいるが、顔を知るものが見ればすぐ分かるだろう。攫われでもしたらどうするつもりなのか。……いや、まぁ、それくらい自分で対処せよということか。どこかに私も知らない護衛も隠れているのだろうが、私の行動が国益を害しない限り、彼らが出てくることはあるまい。


「ふふっ、綺麗な場所だけを巡って、何が視察だろうか。国の暗部を見てこそ世継ぎたる資格があるのでは?」

「いや、あの……っ、で、ですが」

「お前に非は無いと、あとで陛下には言ってやるから気にするな」


どうせあの狸親父は、この展開も折り込み済みだろう。敢えて今日を選んで、この市場に放り込んだのだから。この付き添い人の言うことを間に受けて、市場だけをノコノコ見て帰ったら、優しい顔で皮肉を言われるだけだ。


「御託は結構だ。行くぞ」

「で、殿下!おまちを!」


後ろでお目付け役と護衛達が多少慌てているのを察しながら、私は暗がりへと足を進めた。


この殺伐としたつまらぬ日常を変えてくれるような愉快なモノとの出逢いの予感に、密かに胸を高鳴らせながら。




***




「ご来場くださいました紳士淑女の皆様!本日は皆様の()をより快適にする、素敵な()()の数々をご用意しております!さぁ、それでは、良きお買い物を!」


外観からは想像もできない豪奢な内装のテントの中に、顔を隠した司会者、いやおそらくはこのショーの主催者の高らかな声が響く。


「……不法奴隷の競り落としか」


想定通りだな、と思いつつ呟くと、隣でお目付け役が青い顔で「はい」と小さく頷く。

この場所にやってくるのは訳アリの者ばかりなのだろう。招待券など無くとも、入り口で参加料として提示された額の十倍の金を渡せば、特に咎められることもなく、入場を許可された。

今、我々は、入り口で渡された仮面をつけて席に座っている。


「あれは正規の奴隷ではあるまい。奴隷保護法をあまりにも破りすぎだ」

「はい……しかし、黙認されております」

「数が多すぎて取り締まっていられないか、それとも」


主催者が厄介か。

そう考えながら、もう既に見当はついている。流れるように商品の良さを語る声の不快さには、随分と聞き覚えがあったから。


うんざりと眺めているうちに、次々と奴隷として幼い少年少女が売られ、そしてまた新しい商品が登場していく。


「……はぁ、悪趣味極まるな」

「さてさて本日の目玉商品!狼獣人の仔でございます!」


うんざりした私の声と重なるように、歌うような司会者の濁声が響く。司会者の一声で引き摺り出されたのは、私と歳の変わらぬ獣人だった。


「さぁさぁご覧下さい!ぼろぼろの布切れを被っていても分かるこの顔の良さ!噂によれば、高貴な狼一族の血を引くとか。しかしこの仔狼は生まれ持っての奴隷でございます!その証拠に、ほぉれ」

「なっ!?」


口上とともに巻き取られた布の下に現れた体の異様さに、思わず息を飲む。売られている獣人の上半身には、大きくバツの字に古い裂傷があったのだ。


「幼少期に奴隷として、奴隷印を入れられたのです!それも親の手で、剣で!お前は生まれながらの奴隷である、と……!いやぁ、なんとも浪漫がありますねぇ?」


わはは、と観衆から下品な笑い声があがる。一体何が浪漫なのかと、私は不快感に眉を顰めた。しかし、嘲笑を浴びている当の本人は、正気のない目でぼんやりと床を眺めているだけだ。整った顔立ちをしていることも相まって、その獣人の仔はまるで人形のようだった。


「見事な傷でしょう?あ、ご希望でしたら胸元にでも臍にでも、はたまた内腿にでも、通常の奴隷印も焼き入れさせて頂きますよ!」


サービスのように付け加えながら、司会者がペラペラと薄っぺらい言葉を繋ぐ。


「この仔は狼らしく腕力もあり、力仕事にはもってこい!そして皆さんが気になる()()()()ですが……歳の割には充分()()発達しております!まだ幼いのでクスリの効きもよく、発情剤を少々盛れば長ぁくお楽しみ頂けます!しかもぉ〜っ!この仔はなんと、……ウシロの調教も済んでおります!」

「おおおぉー!」


観客の歓声にも似たどよめきに、力なく項垂れていた狼獣人の仔がわずかに肩を揺らした。


「よく使い込まれておりますので、仕込みも不要!()()()で、ご夫婦でもお楽しみ頂けます!」


ドッと湧く会場の趣味の悪さに辟易する。()()の少年はもはや心も凍りついているのか、無表情で俯いたままだ。


「ただ、少々抵抗して()()()をするかもしれませんので、ご使用の際は手枷、足枷、そして口輪を忘れずに」

「あはははははっ」

「試してみたのか?」


飛んでくる低俗なヤジに、仮面の男はにんまりと笑って答える。


「ふふっ、生憎この仔は()()()()ですのでなにぶん、時間が足らず……他の仔のように使()()()をお伝えできず申し訳ありません」


下劣極まる司会者の台詞で爆笑が広がり、私の眉間の皺はますます深くなる。本当にくだらない大人が多い。


「またこちらの狼ですが、見ての通り耳を切り取られておりますので、狼獣人特有の聴力等はございません。膂力はございますが、斥候や検知器としての使用には向きません。獣人でありながら人間と同程度の能力とお考えください。……後からの苦情は受け付けませぬよ?」


ついでのように、本来の奴隷の用途として必要な情報を加えると、司会者は両手を挙げて聴衆を煽った。


「さて、今回の目玉でありますゆえ、お代は一万レペルから!」


さすがは、目玉商品と言ったところか。

次々と手が上がり、つけられる値段も上がっていく。

五万レペルまで釣り上がったところで、私は手を挙げて告げた。


「十万」

「へっ?」


司会者が間抜けな声をあげてこちらを見た。そして、静かに立っているだけだった獣人の仔も、ゆっくりと顔を上げる。

妖しさの演出のためか、無駄に暗いこの会場で、こちらのことなど見えるはずもないのに。


「……っ」


薄蒼の瞳が静かに私を見る。

なぜか気圧されて、私は無意識にごくりと唾を飲んだ。

澄み渡る湖のような、透明な眼差し。

一瞬だけ絡んだ視線に、どくりと心臓が跳ねた。


「……十万だ。不満か?ならば、二十万出そうか?」


獣人から無理矢理視線を引き剥がした私は、仮面越しに司会者をじっと見た。すると、私の声に何かを察したのか、司会者は急に落ち着きをなくし、幾度も縦に首を振った。


「い、いえ!承りました!これ以上の金額は出ますまい!お客様のお買い上げとさせていただきます!……えぇ、すぐにお伺いしますので、そちらにてお待ちくださいませ」


他の客への確認もなく、司会者は慌てた様子で話を切り上げる。

足早に現れた使用人らしき男に案内されて奥の応接室に向かいながら、笑いを噛み殺す。


あぁ、つまらない仕事だと思っていたら、なんという僥倖か。


これはきっと、愉快なオモチャが手に入りそうだ、と。




***




裏に用意された応接室で待っていると、仮面を外した禿げた豚が青い顔で現れた。


「あ、あの……先ほどのお声で、もしや、あの」


先ほどまで生き生きと奴隷たちを売り捌いていた司会者の震え声に、くくっと喉の奥で嘲笑う


「察しが良いな。さすが()()

「や、はり……」


つけていた仮面を禿頭に向かって投げ捨ててやれば、蒼白な顔の大臣は倒れこむようにその場にひれ伏した。


「殿下……!」

「随分と楽しそうだったなぁ?お前、一体何人の奴隷を飼っているんだ?届出はきちんと出しているのか?お前の家の奴隷は、下働きだけと申請されていた気がするんだがなぁ?」


ニヤニヤと唇を歪めながら見下ろすと、大臣は必死な顔で申し開きをし始めた。


「こ、これは、本当に趣味で!私は陛下に背き国を裏切るような真似はしておりません!」

「あぁ、別に勝手に戦奴隷を集めて、蜂起するための傭兵団でも作っているのでは、などとは疑ってはいないぞ」


この大臣は小心者の日和見主義だ。そんな大それたことができるタマではない。それに。


「お前が集めていたのはどれも、随分と幼い性奴隷のようだからな。……まぁ、これも違法だが」


奴隷を国から認可された条件下において、護衛や下働きとして使うのは問題ないが、奴隷を性的に消費したり、使い捨ての兵士のごとく消費することは違法だ。一応我が国では、奴隷にもそれなりの安全と権利が保証されている。下働きとして雇った奴隷を主人がお手つきにするのはよくあることだが、先ほどのようなあからさまな売り方は感心できない。

黒に近い灰色。程度を弁えている間は見逃されるが、一線を超えれば即座に黒へと変色することだろう。そして今、その白か黒かの()()()を握っているのは私だと、この男は思ってあるわけだ。


「もとから貴殿の()()()については噂には聞いていたが、なるほど、聞きしに勝る醜悪さだな」

「しゅ、趣味は昔から悪く……お恥ずかしい限りで……」

「くっ、ははっ、そなたは面白い男だなぁ?」


なんの言い訳にもならない台詞に思わず失笑が溢れる。しばらくクツクツと笑った後で、私は片方の口角だけをあげてニヤリと笑った。


「あぁ、そういえば…。そなたの末娘が私の婚約者候補になっていた気がするが、うーん……こんな義父はいやだなぁ。そなた、私と歳の変わらぬ少年を犯しているのか?まさか私のことも、いやらしい目で見ているんじゃなかろうな?」

「い、いえ、そんな、まさか!」


大臣は蒼白な顔で否定する。末っ子の愛娘の可愛さを、さも自慢げにペラペラと並べ立ていたのと同じ人物とは思えない。血の気がひきすぎて、髪の薄い頭皮まで青白く染まっている。堪えても堪えても、笑いが込み上げた。


「私には幼児愛好の嗜好も、同性愛の嗜好もございません!」

「売られていたのは少年少女ばかりで、少年の方が高値がついていたよなぁ?」

「っう、」

「先ほどの場には、そのような嗜好のお仲間しかいなかったようだが?」

「で、ですが!私は違います!」


うちは同性愛や幼児性愛には否定的なお国柄だ。私がポロリと「あの大臣は私をいやらしい目で見てくる」なんて言ったりしたら、ちょっとした騒動になるだろう。私はやたらにめったなことは言わないコドモなので、周りは十分に事態を重く見てくれるに違いない。そのことをよく理解しているらしい大臣は、脂ぎった顔を醜くぐしゃぐしゃにしながら私の足元に縋っている。


「ほぅ、じゃあ先ほどの売り文句は嘘か。『私も試してみましたが、絶品でしたよ』とか言っていたじゃないか」

「じょ、冗談にございますよ。よくある売り口上でございます」


ダラダラと冷や汗を垂らしながらの台詞は、自分で嘘だと言っているようなものだ。自分の子供より幼い王太子を相手に、誤魔化すことも取り繕うことも出来ない、家柄だけで地位を得た愚かな男。相手にするまでもない人間だが、今後の勉強のために、もう少し()()()おこう。


「先日の茶会で会った貴家のご令嬢は汚れを知らぬ顔をした、随分と可愛らしい方だったが、…もしや彼女も、そなたの手()()()()()なのか?」

「殿下!娘を侮辱するのはおやめください!」


一瞬にして顔を真っ赤にした大臣が頭皮まで赤く染めて、憤然と抗議してくる。だが、肥えた豚に吠えられても怖くもなんともない。


「はははっ、()()じゃないか?……だが、おぞましいなぁ?彼女は知っているのか?いや、知らないのだな?父親が不法奴隷を売り捌き、自分より年下の少年や少女を犯しているだなんて……なぁ?」

「で、でんか……!なにとぞ!娘には内密に…!」


この大臣が娘を溺愛しているというのは本当らしい。こんなくだらない脅しに、大臣はあっけなく平伏して許しを乞うた。明日も見合いを兼ねた茶会で、大臣の娘を含め数人の令嬢と会うことになっているからだろう。よほど言われたくないらしい。


あまり虐めてもいけない。隣ではお目付け役がハラハラしているし、いつまでも遊んでいられるほど、私は暇ではないのだから。


「おいおい、良い大人がそんな無様な格好をするな。私は別に、摘発をしに来た訳ではない」

「そ、そうなのですか?」


てっきり陛下の指示で、他の貴族への()()()()がてら私が大臣を釣り上げにきたと思っていたのだろう。蒼白だった大臣の顔に少しだけ血の気が戻った。まだ青いには違いないが。


「ほんの視察のついでだ。何か面白そうなことをしているから覗きにきた」

「は、はぁ」


子供の寄り道くらいのノリで闇市場を覗かれてはたまらないのだろう。複雑そうな表情の大臣に、私は安心させるためにニコリと笑いかけてやった。


「だが、ただで見逃すのもなぁ?」

「も、もちろんでございます!何がご希望でございましょうか!?」


交換条件を出した私に、安堵するような愚かな男に笑いを噛み殺す。


「簡単な話だ、大臣。法にのっとれ」

「は……?」

「不法奴隷の競売は貴殿の()()だろう?ちゃんと法に基づく扱いにせよ」


手続きを()()()()()のならば手続きを。()()()()があるのならば、届出を。健康管理や取り扱いに()()()()()があるのならば十分な手入れを。

それだけのことだ。


「今日()()()奴隷も、だ」


にっこり笑って伝えれば、大臣は安堵と悲嘆がないまぜになった大層愉快な顔をしていた。恐れていたよりは大事にせず済ませてやったのだから、顧客たちへの説明や賠償の負担はしっかり背負ってもらおう。

くくっと喉の奥で笑って私は立ち上がる。


「あぁ、私が買った奴隷はもらっていくぞ。いくらだったかな?」

「はいもちろん!お代は結構でございます!」


やっと私が帰ると知り、大臣は地べたに這いつくばったまま何度も頭を下げる。


「先の狼は()()()()()()、殿下に献上いたします!」

「はははっ」


随分と高い商品だったはずが、土産にくれるらしい。小心者だから私に売りつけるのが恐ろしいのだろう。証拠を渡すようなものだからな。こんな裏まで足を運んだ手間賃だ、ありがたく頂いて帰ろう。


「そうか?悪いなぁ、小遣いが減らずにすんで助かるよ。ははっ、ちょうど護衛が二人死んだところでな、体力のある駒が欲しかったんだ」

「そ、それはようございました」


わざとらしいほど闊達に笑いかける私に、大臣が恐る恐る尋ねてくる。


「ど、奴隷印はどういたしましょうか?殿下の御印である百合を焼き入れることも可能ですが……」

「んー、そうだなぁ」


そう提案しながらも、大臣はできればこれ以上、厄介なことはしたくないのだろう。王太子相手に、国に届出を出していない不法奴隷を売りつけた、など。


「くくっ」


顔から脂汗を流している大臣の無様さに喉の奥で笑う。もう少し虐めてやってもよかったが、元より奴隷印自体が醜く好みでもない。私はあっさりと片手を振り、気遣いは不要だと断った。


「いらぬ、元からある刀傷で十分だ」

「左様でございますか」


あからさまにホッとしている大臣の肩にポンと手を置き、私は最後に軽く一本釘を刺す。


「良い掘り出し物が手に入ったよ……たまには寄り道してみるものだな。またぶらつかせてもらうよ」


もう悪いことはしないようにな?

囁くように告げた忠告に、蒼白の顔をした大臣が何度も無言で首を振る。


「はっ、心しておきます。……出口に、先ほどの獣人をご用意しております。どうぞお連れ帰りくださいませ」


地面と一体化せんばかりにへばりつく男を放置して、私は先導のまま帰路に着く。


「さて、醜い豚の顔は見飽きた。仔狼の顔でも見に行くか」


冗談めかした私の言葉に、先ほどまで息を殺していたお目付け役がハァ…と大きなため息をついた。


「……殿下がいらっしゃれば、この国は安泰でございますね。末頼もしゅうございます」

「光栄だな」


皮肉げなお目付け役の言葉を聞き流し、私は少しだけ足を早める。


「……ふふっ、こんなに愉快な視察になるとは思わなかったな」


手枷と足枷を嵌められ、モノとして売買されながらも、妙に澄んだ目をしていたあの仔狼。

一瞬交わった視線に、背筋を走った痺れにも似た予感が、本物であるのか確かめたくて、私は出口へと急いだ。




***




「行くぞ、狼。今日から私が主人だ」


入り口で待っていた狼獣人を連れて帰りの馬車に乗り込む。今日はもう視察は切り上げることにしたと告げたら、お目付け役がほっとした顔をしていた。心労が溜まったらしい。



「おい、獣人」

「……はい」


何も言わず、馬車の床に跪いたままの狼獣人の子からは生気が感じられず、先ほど抱いた己の直感にわずかな疑いが生まれた。


「お前、名前は」

「……ございません」

「ふぅん、年は?」

「……もうじき、十一になります」


試しに問いかければ、思った以上にまともな返答がある。声も涼やかで心地良い。


「ほぉ、敬語が使えるか」


私が少し機嫌の良い声を出せば、なぜか獣人の仔はびくり、と震えた。どうやら抑えようとしているようだが、小さく震え続けている。私の二歳上とは思えない貧相な体を見下ろし、眉を顰めた。よほど恐ろしい目にあってきたのか、怯え方がひどい。


「立ち居振る舞いも言葉遣いも、その辺で拾った獣人の仔というには不似合いだ。高貴な生まれというのは(まこと)らしい。……まぁ、興味はないが」


最後に付け足した言葉に、仔狼はホッと体の力を抜いた。身元がばれるのが恐ろしいのか、はたまた、生家でよほど酷い目にあったのか。


「さて、しかし名前がないとは、困りものだな。なんと呼ぶか……前の飼い主にはなんと呼ばれていた?」

「……ございません」


試しに尋ねてみるも、答えてはくれないらしい。どうやら名前は教えたくないようだ。

では仕方ない。私が考えてやらねばなるまい。


「……ルドルフ」


びくり、と大きく肩が揺れる。そして驚いたように、薄蒼の目を見開いて、獣人の仔は私を見つめてきた。驚愕の中に入り混じる、微かな喜びを察して、私はふわりと表情を緩めた。


「ふむ、嫌いでないならばそう呼ぼう。どこぞの大陸の、昔の狼王の名だそうだ」

「は、い……ありがとうございます」


どこかはにかんだように感謝を告げた仔狼、あらためルドルフに、私はなんとも言えない満足感を得た。

私が選び私が手に入れた、私の仔狼だ。

十分な躾と訓練を施し、私に相応しい名犬にしてやろう。


「さて、ルドルフ。帰ったらまずは風呂に入り、その醜い垢を落とせ。そして食事だな。私のモノは清潔で、十分に健康である必要がある」

「はい」

「これからはよく働いてもらうからな。覚悟しろ」

「はい」


淡々とした私の言葉に、どこか嬉しそうに返すルドルフを、私はひどく愉快な心地で眺めた。

磨けば光る仔狼を手に入れたのが嬉しくてたまらなかったのだ。


だが、まさか。

適当につけたその名が、彼の母がつけた真の名であったとは。

父に憎まれ奪われた名であったとは。

その時の私は思いもしなかった。





***




「おい、狼」

「はっ、殿下!?」


私がルドルフを拾ってから十日ほど後。

従者として与えた部屋でぼんやりと座っていたルドルフは、唐突に現れた私にひどく仰天し、動揺した。


「こんなところに……ど、どうぞお座りください!あ、でもクッションがない……と、取って参ります!」

「あぁ、構うな。少し話があるだけだ」


ワタワタと取り乱しながら私に自分が座っていた椅子を差し出し、どこかへ駆け出そうとするルドルフを制止する。風呂に入り髪を整えただけでも随分と見違えたが、痩せ細った体は無論そのままだ。さっさと栄養をつけさせたいのだが……。


「で、殿下……?」


不安そうにこちらを見てくるルドルフを見返し、私は淡々と問うた。


「食事を取らないそうだな」

「っ、え、っと」


前置きもなく本題を切り出した私に、ルドルフは表情を強張らせる。唇を噛んで俯いてしまったルドルフを、私は眉を寄せて見つめた。


「長らくまともなものを食べていないだろうと、胃腸を慣らすために始めは粥から与えられたと聞いた。まだ腹の具合が悪いか?」

「い、いえ。もう、回復しております」

「ふむ。……ではなぜだ?粥は食べていたが、固形物になったら受け付けなくなったと聞いたぞ」

「あ……の……」


誤魔化すなよという想いを込めて目の前のやけに整った顔をじっと見る。ルドルフは何度か口を開けたり閉じたりした後に、観念したようにつぶやいた。


「……わからな、くて」

「分からない?何がだ」


困惑した私が問い返すと、ルドルフは恥じ入るように顔を歪ませながら、訥々と語り出した。


「これまで、液体のスープや水と、あと、水に浸しすパンしか食べたことがなくて……」

「……水にひたすパン?」

「黒くて、固いモノです。食べられなくなった保存用のものを、私が食べることになっていたので」

「……ほぉ」


それは、本当に人の……いや、獣人の食べるものだったのか?

そんな疑問が浮かぶが、ルドルフの生家での扱いの悪さはもともと察してもいた。私は無言でルドルフの言葉を待った。


「だから、あの……こちらで、頂くのは、食べたことがないものばかり、で。……他の方のように、カトラリーを使ったこともなく……スープをスプーンで飲むのは、あの、分かったのですが、それ以外が……」


しどろもどろの言い訳を、私は半信半疑で簡潔にまとめる。


「つまり、食べ方が分からなかったということか?」

「……はい、お恥ずかしいのですが」

「…………ふぅむ、なるほど」


獣人は獣ではない。数は人間よりも少ないが、人間に勝る身体能力をもち、人間とは異なる文化や文明を発達させている。時折獣人の国から食文化が流れてくることもあるが、どれも独特で我が国でも人気だ。そして、決して彼らはカラトリーを使わない文化ではない。


「……なるほどな」


私は顎に手をやり、視線を落とした。

敬語も使えるような、おそらくはそれなりに高貴な家柄の出であろう仔狼が、従者用の食事を、食べ方がわからないから食べられないとは。ルドルフの生い立ちの苦しさが偲ばれる。


「……なるほど。わかった、明日の食事は私と摂れ」

「は!?」



ポロリと口からこぼれ出た、思いつきの呟きは、我ながら突飛な物だったが、案外名案に思われた。

顔を上げれば、ルドルフが仰天してあんぐりと口を開けているのがおかしい。


「私はお前より豪華な食事だからな、お前より時間がかかる。お前もゆっくり食べろ。ついでに毒味もしろ」

「毒味はもちろん……で、ですが、私はマナーがなっておりません。殿下をご不快にさせてしまいます」

「構わん。聞け。尋ねろ。教えてやる。そして見て覚えろ」


短く命じれば、ルドルフはポカンと口を開けた間抜け面で私を見つめた。大きな目でまじまじと見られて、多少の気まずさを覚える。私はそこまでおかしなことを言ったか?


「お前、立ち居振る舞いはなかなかなんだ。食事のマナーだけ、その辺の使用人を真似てみっともないやり方を覚えるのは頂けん。私と食事を共にしても良いくらい、完璧にしろ」

「そ、そんな……」

「やれ。やれば出来る」


私の無茶苦茶な要求に、ルドルフは目を白黒させている。何か言い返そうとしたようだが、私が「何か文句があるの?」と堂々と言い切れば、大きく息を吐き、戸惑いのままに頷いた。


「承知いたしました」

「よし、では明日の朝食から共に摂れ。食べないことには、筋肉も力もつかないぞ」


思い通りになり満足した私とは裏腹に、ルドルフはどこか不安げな顔で私を見上げてきた。


「殿下……」

「ん?なんだ」

「な、なぜ私のような奴隷に対して、そこまでお心遣いをくださるのですか?」

「はぁ?」


思い切ったように尋ねてくるルドルフに、私はキョトンと瞬いた後、にやりと笑って言った。


「お前、まだ奴隷のつもりだったのか」

「え?」


コテンと首を傾げるルドルフに、私はニヤリと笑って堂々と告げた。


「お前は私のモノで、今与えている役目は私の従者だ。そう命じただろう?私のモノにふさわしく、きちんとした振る舞いを身につけろ」


唖然としているルドルフに居丈高に命じる。そして貴族たちからは、子供らしさがないと気味悪がられる不遜な笑みで追い打ちをかけてやった。


「私はお前に、せいぜい使える駒になってもらいたいんだ。ひとまずは、護衛と多少の政務に関する雑務、あとは身の回りの支度くらいだ」

「えっ!?……えぇっ!?」


どれもそれぞれ専属の役職の者がいる、ある種の専門職だ。それを一人に、それも元奴隷にやれと言うのだから、滅茶苦茶な無茶振りである。しかし私の予想では、こいつの能力ならおそらく可能だ。日頃の身のこなしも無駄がなく、まだ勤め始めて日が浅いのに卒なく業務をこなしているし、些細な受け答えにも知性を感じる。そもそも、奴隷として売られていたにも関わらず、私と対等に会話を交わせるのだ。おそらく潜在的には私と同等に有能な男だと踏んでいる。


「お前一人いれば回るようにできると、かなり楽だからな」

「ぼ、ぼくひとりで、良いのですか?」

「良いわけないだろ」


仮にも王太子、付き人は複数いてもらわないと困る。


「だが、なんでも出来るやつがいると便利だ。だから私は、お前をそう育てようと思ってるんだよ」

「な、なんで私に?」


ニヤリと笑う私に、ルドルフはあからさまに困惑して、心許ない様子で首を傾げている。だが、私からしてみれば簡単な理由だ。


「そりゃお前、裏切らないだろ?」

「え?」


驚いたように目を見開くルドルフに、私は当然のように告げる。


「私はそういう勘は鋭いんだ。お前は根っからの犬っころのようだからな。恩のある相手は裏切らないだろ」


人を見る目がないと、王族なんてやっていられない。日々私のそばで、なんとか役に立とうと悪戦苦闘しているのだ。その目に純粋な好意と思慕だけを乗せて。


魑魅魍魎のみが跋扈する王宮で、そんな穢れない目を向けられたら、私のような人間でも絆される。とても年上とは思えない純粋さに不安を覚えもするが。


「それに、期待以上に頭も回るし、身体能力も戦闘能力も高いし、なにより……お前の顔は、私好みだからな」

「えぇっ!?」


流し目を送りながら付け足した一言に、ルドルフがカッと顔を赤らめる。思った通りの反応に、私は笑みを深め、声変わりがまだの高い声で優しく誘うように囁いた。


「そばに置くなら好みの顔がいいに決まっているだろう?」

「で、でんか……」


ルドルフは思考が停止してしまったらしく、蕩然とした顔でぽーっと私を見つめてくる。あまりにも分かりやすい態度にニヤつきを噛み殺していると、真っ赤な顔のルドルフがハッとした顔で叫んだ。


「か、揶揄わないでくださいっ!」

「ははっ、嘘ではないさ」


こいつは、自分で選んで手に入れた仔狼だ。

飼い主である私が、きちんと可愛がってやらねばならないだろう。


可愛い仔狼と遊びつつ、私は将来に向けて算段を開始した。




***




「おい、ル」

「はっ、殿下!御前に!」

「……耳が良いな」


名前を呼び終わるより早く、ズザザッと砂煙をあげながら現れて目の前に膝をつく狼に、私は呆れて笑いを噛み殺す。


「聴力は人間並とか言われていたが、耳がなくても支障は無いのか?」

「まぁ確かに方角など多少把握が不得手にはなりましたね……野生の狼には劣りますが、人間よりは」

「なるほど、使える獣だなぁ」


くくくっ、と喉の奥で愉快そうに笑う私を、ルドルフは澄み渡る湖面のような瞳に混ざりけのない思慕を乗せて見つめてくる。

ルドルフを従者としてから二年。まだ、獣人の象徴とも言うべき耳をいつ、どうして切り取られたのかは教えてくれないが、随分と心を開いてくれたものだ。


「大した用事じゃないが……お前、最近は勉強を教わっているそうじゃないか」

「あ、はい。クラウス様が、殿下のおそばに侍るのならば知識はあった方がよいと」


五歳上のクラウスは私の側近の一人で、現宰相の息子だ。面倒見の良い性格で、観察眼に優れ、人を使うのがやたらとうまい奴でもある。ルドルフの素質に気がつき、うまく育ててこき使おうと考えているのだろう。


「殿下、あんな人材どこで拾ってきたんですか!あれは鍛えればかなりのものになりますよ!」


半年ほど前に留学から戻ってきたクラウスは、数日ルドルフと仕事を共にしただけでそう見抜き、嬉々として相談にきた。


「あの子がうまく育ってくれたら、殿下の執務室(このへや)の人手不足が解消されそうです。ちょっと仕込んでもよろしいですか?」

「あぁ、任せる。アレには私も期待しているんだ」


ルドルフは私の()()()であるので、当然のようにクラウスは私に許可をとって、ここ半年ほどは空き時間にせっせと知識を仕込んでくれていたのだ。


「凄まじい勢いで進んだから、すでに一般教養は終わったと聞いたぞ」

「いえ、そんな。クラウス様のご指導のおかげです」


褒められて照れているが、ルドルフの吸収速度は異常だった。生来の能力の高さに加えて、日々私のそばで政に関わり、自分なりに思考を巡らせているからだろう、というのがクラウスの見解だった。もしかしたら生家でそれなりの教育を受けた過去があるのかもしれないと、私は勘繰っている。


「あの子はまだまだ伸びますよ。殿下の良き右腕となるやもしれません」


自分だって私の右腕となれと期待されて、父宰相から私の元へと送り出されているくせに、そう言い切って「良い教師をつけてやってくれ」と言った。


「あははっ、私は人を使うのも好きですが、有能な人間に使われるのも好きなんですよ」


根っからの仕事人間は、そう言ってサバサバと笑っていた。あいつは信用のできる男だ。私を無能だと判断すればあっさり切り捨てるだろうから、なかなか信頼はできないのだが。


「学ぶのは楽しいか?」

「はい!新しいことを知るのは面白く、知識が繋がり理解が可能になった時は興奮して、頭が熱くなる気がします」

「ははっ、それは良い」


知識欲に飲まれているらしいルドルフは、キラキラと目を輝かせていた。

この狼はいつもまっすぐで、年上ということを忘れそうになる。そう思いつつ、私は一つ、愉快な提案をした。


「それなら、どうだ?一緒に講義を受けないか?」

「……は、え?」


ルドルフはキョトンとした後で、私の提案を理解すると、目玉が落ちそうなほどに目を見開いてポカンと口を開けた。


「ふふふ、固まってるなぁ。お前のその動揺を隠せないところ、嫌いじゃないぞ」


講義というのは、私が受けている王太子教育のことだ。そりゃ驚くだろう。


「別に隣に机を並べろというわけじゃない。今までは講義中は他の業務にあたらせていたが、これからは講義の際の部屋での待機をお前に任せると言っているんだ」

「あ、あぁ、なるほど」

「まぁ、たまにお茶をいれるくらいしかやることはないから、それ以外はお前も授業を聞いておけ」


首を傾げながらも頷くルドルフに、私は付け足す。私の中で、お茶汲みはむしろついでだからな。


「承知しました、が……でもまた、なぜ」

「気にするな」


当然の疑問に、くすりと笑って片目を瞑る。ちょっとした打算はあるが、別に大層な危険があるわけじゃない。()()()気にしなくて良い。


「まぁ良いじゃないか。当代随一の教師陣だぞ?知識が増えるのは楽しいだろ?私も、一人で受けても飽きてつまらないからな。感想を話し合える相手が欲しい」

「感想……学び始めたばかりの私では力不足なのでは?それなら、クラウス様などの方がよろしいのでは」

「お前、あいつにお茶汲みをさせる気か?」

「……たしかに」


クラウスはさすがに不適当だと思ったのだろう。ルドルフは雑事の対応のために控えていてもらうという建前なのだからな。その枠にクラウスを入れるわけにはいかない。そもそもアイツは紅茶を淹れるのが下手だ。眠気覚ましにしかならない苦い茶しか淹れられない。


「剣術や体術の稽古もあるのに、すまないな。頑張ってくれ」

「いや、それはまったく問題ないのですが……」


なんとなく何か引っかかっているのだろう。ルドルフは整った顔をへにゃりと崩して、暫し躊躇った後で尋ねた。


「あの、殿下。失礼ですが、何をお考えなのですか?」

「ふふっ、お前も随分はっきりと言うようになったなぁ」


気になることは聞くという姿勢は嫌いじゃないぞ。しかし、答えてやる気もない。


「まぁ、いずれわかるさ」


お前には私と議論を交わせるだけの知識()持ってほしい。

そして、私の()になってもらいたい。


「せっせと励めよ?私の狼」


それだけさ。




***




「……っ、殿下!」

「うっ、よく反応したな」


血まみれの死体が転がる部屋の真ん中で、私は腕を押さえて笑った。


「殿下、血がッ」

「あぁ、気にするな。かすり傷だ。押さえておけば止まるだろう」

「しかし…!」

「騒ぐな。幸い毒も塗られていないようだ。血さえ止まればどうにでもなる」


真っ青なルドルフを安心させるように笑いかける。


「なぜ、シェイシー講師が……」


シェイシーは他国出身で多数の外国語に堪能だった。講師陣の中でも一際穏やかな人格者で、ルドルフの学習意欲も見抜いて私と席を並べることを許可してくれた、変わり者だった。だから、ルドルフも懐いていたのだ。


「お優しい方でしたのに……」


ルドルフは薄蒼の瞳に悲しげな色を浮かべ、たった今、己が心臓を貫いた男を見る。これまでの信頼を裏切る突然の凶行に、困惑が隠せないのだろう。

しかし、呆然としたルドルフの言葉に、私はあっさりと残酷な答えを与えた。


「あいつは外務大臣の刺客だ。元から私を殺すために近づいてきたんだよ」

「え?」


目を見開いたルドルフが、顔面を蒼白にする。命を狙う人間と自分たちが、これまで何度も密室で過ごしてきたことを思い出し、ゾッとしたのだろう。


「外務大臣は、娘が産んだ王子を王位につけたくて必死なのさ」

「第三妃様の……?というか、わかってらしたのですか!?それならば、なぜもっと早く対処を」

「だが、証拠がなかった」


激昂したルドルフの批難に、私は淡々と返す。


「……え?」

「ははっ、さすがは諸外国とも渡り合う外務大臣、歴戦の猛者だからなぁ。私ごときに使える駒では、尻尾が掴めなくてな」


瞠目して言葉を失ったルドルフに、私は皮肉な笑みを浮かべながら語る。今回の愉快な悲劇の顛末を。


「挙げ句の果てに、公になったら隣国との国交問題になりそうな、怪しくて恐ろしい()()()()は盛りだくさんに見つかってなぁ。内々に片付けないと大変な騒動になりそうだったから、……まぁ、囮ってやつだ。もうすぐ父の遣いがくるだろうから、後のことは彼らに任せよう」


腕は、強く抑えすぎたせいか、感覚が鈍い。まぁ痛みも鈍いから良いか。くだらないことを考えながら傷を押さえ、無感動に告げる私に、ルドルフは随分と納得のいかない様子だ。


「し、しかし……お父君、陛下にご相談なされば、もっとご安全に対処できたのでは」

「ふふっ、自分でこの程度のことも解決できぬ役立たずでは、王位は任せられないと言われるだろうよ」

「そんな」


なぜか傷ついたような顔を浮かべるルドルフに、私の方が首を傾げる。


「私が王太子の座についているのは、私が最も有能で、抜け目がなく、他者を陥れることに秀でているからだ。それ以外の何者でもないよ」


それは感傷でも悲観でもなく、単なる事実だ。


「王族とは、政のために、国のために在るものだ。父と私の間には親子の情などない」


言い切ってから、皮肉っぽく片方だけ口角を上げて、私はルドルフに笑いかけた。


「親子なら、情愛があるとも限らんだろう?」

「それは、その通りですが……」


生家では冷遇されていたと思われるルドルフが、同意するように力なく頷く。何が納得できないのか分からないが、酷く気落ちしているらしく、俯いたままだ。


「今回のことは、大臣の弱みとなった。父がうまく処理してくれるだろう。大成功だ」


やけに落ち込んでいるルドルフを力付けるように笑って見せたが、ルドルフは消沈したまま顔を上げない。


「そんな、危うく死ぬところで……実際にお怪我もされているのに、大成功だなんて……」

「だが、これが一番早いだろう」

「…… あなたの身を危険に晒してまで……っ」


飄々と返せば、何か癇に障ったのか、ルドルフは主君に向かってキッと睨み返してきた。


「せめて……せめて、教えてくださってもよかったのではありませんか!?そうすれば、もっと早く動けて、このようなお怪我をさせることなくお守りできたかもしれないのに!」


その目は後悔と悲哀に濡れている。私の腕の傷をよほど気にしているらしい。治る傷など傷のうちに入らないというのに。


「だがお前、嘘が苦手だろう?話を聞いていて、その上で何も知らないように振る舞えたか?無邪気にシェイシーを慕っているように装えたか?」

「うっ……」


ルドルフは悔しげに唇を噛み、目を潤ませた。信じていた相手に裏切られたことが辛いのか、それとも私の命を狙う相手を信じてしまった己が悔しいのか。


「相手は百戦錬磨の手練れだ。お前が見抜けなかったのは仕方ない。だがまぁ、これからは誰も彼も気軽に懐くのはやめておけ。……ここは、悪鬼の巣食う魔物の住処なのだから」

「はい……申し訳ありませんでした」


シェイシーの擬態は完璧だった。私に刃をむけてきたときの目には明確な殺意があったから、ルドルフが信じていたような善人ではない。私の油断を誘うために味方を装ったのだろう。私は元から全ての人間を疑っているから、安易に懐いたりはしないが、素直なルドルフなら仕方ない。


「ふふっ、お前は何をそんなに悲しむ?」


落ち込み続けているルドルフがおかしくて、私は笑いながら問うた。死体の横でにこやかに会話している状況の違和感はない。修羅の中に暮らす私にとって、これも日常の一つだから。


「……私は、殿下のことを大切にして下さらないのは、とても辛いのです」

「ははっ、それは無理というものだ」


ポツリと呟かれた甘い考えを、好ましく思いながらも切り捨てる。それではこの世界を生きてはいけないから。


「仕方ないだろう?陛下は親であるよりも王だからな」

「そうではありません」


しかし、あやすように告げた私の言葉は、感情を押し殺したルドルフに否定された。ルドルフは、悲しみと怒りを抑えるように、強い口調で続ける。


「殿下ご自身が、殿下を大切にして下さらないから……私は、とても苦しいのです」

「え?」


あまりに意外な言葉に、私は珍しく返答に困った。何を言われているのか分からなかったのだ。こんなことは滅多にない。いや、教師からの質問に、知識がなくて答えられないことは、これまでもあった。けれどこれは違う。()()()()()()()のだ。


「私の大切な殿下を、殿下がまるで使い捨てのモノのように扱うのが、私はとても悲しくて辛いのです」

「……お前の言う事は、難しいな」


理解に苦しみ、私が眉を寄せて呟くと、ルドルフは苦笑した。


「分かって頂かなくても構いません。ただ、どうか御身を大切になさってください。……殿下がお健やかに、幸せに暮らして下さることだけが、私の望みなのですから」

「……はぁ、変わったやつだなぁ」


しみじみと私はルドルフを見上げた。成長期を迎え、いつの間にか私よりだいぶ背が伸び、逞しくなった狼は、もはや仔狼とは言えない。だが。


「ふふっ。本当にお前は可愛いなぁ、私のルドルフ」

「かわっ!?」


瞳の素直さはそのままだ。きっと酷い目に遭ってきたはずなのに、こんなにもまっすぐでいられるのは何故なのだろう。本人の素質なのだろうか。


「私はな、お前がきっと助けてくれると信じていたんだよ」

「っ、殿下……!」


ポトリと唇から溢れた私の言葉に、ルドルフが驚いて目を見開く。私も実は、自分で口にして驚いていた。

最初にルドルフを講義に入れた時から、いざという時の護衛を期待していたのは確かだ。しかし、いかに「相手に怪しまれない人選」とは言え、自分はどれだけ簡単に、ルドルフに己の命を預けていたのか。まだ剣術も体術も、騎士たちには及ばないこの狼に、どれほど無意識の信頼を寄せていたのか。

そのことに、私は今やっと気がついたのだ。


「実際、お前はきちんと間に合い、私を守ってくれた。よく働いたよ」


きっと柄にもなく、優しい顔をして言っているのだろう。照れゆえか、ルドルフの頬が紅潮している。


「けれど……あなたの美しい肌に、傷をつけてしまいました」

「女でもないのだ、気にするな」


悔しげに言うルドルフに、私は再び気にするなと本心から告げた。


「私が伴侶とするのは、政略で繋がる相手。肌の傷の一つや二つで、態度を変える人間などるおるまいよ」


しかし私の言葉に、ルドルフは逆に傷ついたように顔を歪めた。悔しそうに唇を噛み、眉を寄せ、何か決意したように私を見返した。


「……これから、私は殿下に傷一つ付けません。何人にも、かすり傷ひとつ付けさせない。今、そう決めました」

「そうか、頼もしいな」


揶揄うように笑っても、ルドルフの眼差しは揺るがない。


「これまで以上に鍛錬に励み、どんな相手からでもあなたを無傷で守り切れるようになってみせます」


まっすぐ私を見つめる瞳には、迷いのない決意が宿っている。光を弾く湖面のような眩しさを感じて、私はおもわず目を逸らした。


「ははっ、随分と熱い決意だな」

「茶化さないで下さい。本気です」

「……そうか」


真面目に返されて、戸惑いの中で小さく頷く。


ルドルフの心が、正直私には分からない。忠誠や恩義だけでは説明のできない、ルドルフから与えられる「感情」というモノが、私には実感が難しかった。


「狼はきっと情が深いのだろうな。……私には、よくわからないよ」


けれど、いつか分かると良い。

私もルドルフの心を理解し、そんな情を返すことができれば、きっと見える世界は違うものになるのだろう。


「……愚かだな」


廊下を近づいてくる複数の騎士の足音を聴きながら、己の甘ったれた思考に苦笑し、私はそっと目を伏せた。




***




「なぁルドルフ、お前は私が好きか?」

「え?……はい、もちろんです」

「全てを差し出せるほどに?」

「ええ、……殿下?何かあったのですか?」


私が、()()()を確認するようなことを言うのは珍しい。ルドルフを手元に置いてから十年近く経ったが、こんなことを尋ねたのは、恐らくこれが初めてだ。


「殿下、何かあったのですか?」


眉を顰めて心配そうな顔をするルドルフは、おそらく、()()誰ぞが裏切ったのではと心配しているのだろう。近年激化してきた継承権争いの中で、仲間だったはずの人間の裏切りは、日常茶飯事だから。


だが、違う。


今私がしているのは、()()()()()()()どうかの心配だ。


「私の婚約が決まった」

「……え?」

「三年後に、隣国の王女が輿入れされる。あちらの成人を待って、我が国に王妃として迎えることになる」


しばらく呆然とした顔をしていたルドルフが、少しずつ顔色を失っていく。じわじわと理解したのだろう。私の問いかけの意味を。


「まぁ、つまり、私の即位も決まったということだ。祝え」

「……お、めで、とうございます、殿下」

「くっ……ははっ」


最近では気の利いた台詞が言えるようになっていたのに、まるで私が拾った直後のようにぎこちなく話すルドルフに、私は思わず失笑を漏らした。


「どうした?……何を震える?」

「い、え」


普段より遠い距離に立ったまま、頭を下げ続けているルドルフに一歩一歩近づく。微かな抵抗を無視して、無理矢理に顔を上げさせれば、思った通り、薄蒼の瞳は激情に染まっていた。


「嫌か?私が……他の女のものになるのが?」

「っ、いえ!決して!そんな!」


独占欲の強い狼の耳元で囁きかければ、己の感情があまりにも傲慢であると気がついたのだろう。ルドルフはハッとしたように首を振って否定する。だが、握り込んだ拳は微かに震えたままで、内に荒れ狂う嵐を隠せてはいない。


「ふふふ、誤魔化しが下手だなぁ?お前は本当に……嘘がつけない」


するり、と滑らかな頬を撫でれば、ルドルフはあからさまに動揺した。頬に朱を走らせて硬直している素直な狼に、私は甘やかに囁く。


「なぜ、そんなに動揺した?私は王位を継ぐもの。いつかは伴侶が出来るのが当然だろう?」


質問の形を取った言葉は、じわりじわりとルドルフを縛り上げる縄だ。逃さぬように、確実に。この狼を捕えるための。


「……も、申し訳ございません。修行が足りませんでした」

「修行?」


恥じ入るように、自責をこめて呟かれた弁明を、私は何も分かっていないような顔で繰り返す。ゆるりと首を傾げて促せば、ルドルフは苦しげに言葉を絞り出した。


「……狼の、習性でございます。私は、きちんと弁えていたつもりだったのですが、まだまだ覚悟が足らなかったようです」

「覚悟……なんの覚悟だ?」


核心をつかんとする私の問いかけに、ルドルフは泣き出す寸前のように顔を歪める。激情を飲み込むように、ごくりと空気を嚥下して、ルドルフは掠れた声で呻いた。


「……申せません。お許しください」


大きな体を縮めて床に膝をつき、ルドルフは消え入りそうな声で許しをこう。そのまま顔をあげようとしない小心者の狼に、私は浮かびそうになる愉悦の笑みを噛み殺した。


「ふふ、まぁいい。……お前、私が好きか?婚約者を得ても?」

「はい、もちろんです。先ほど申し上げた言葉に偽りはございません」


意地の悪い問いかけに、しかしルドルフは即答を返す。私への思いだけは、決して揺るがないのだと宣言するように。


「私は、殿下のおかげで生きております。殿下にお逢いできたことこそが、私の最大の幸福であり、殿下は私の生きる意味なのです。この命も魂も、殿下のために捧げられるのでしたら本望にございます」

「ふふ、そうか」


出逢ってから長い月日が経ち、互いにもうすっかり大人になった。けれどルドルフが向けてくる透明な瞳だけは、いつまでも変わらない。

どこまでもまっすぐで、嘘偽りのないこの瞳に、私は守られ、そして背を押されてきたのだ。


「なぁ、ルドルフ。謙虚で欲のない私の狼」


だから、お前が欲しいと望むのならば、与えてやろう。

お前の望むものを。


「私のために生き、私のために死ぬと言うのならば。私に、お前自身を寄越せ」

「……え?」

「心だけではなく、その身体も、全てをだ」

「で、んか……?」


見開かれた瞳と、言葉を発せない唇。明らかな動揺に凍りついたルドルフに、私は笑った。


「分かっていたよ。……狼は一途で、()()を決めたら決して離れぬと聞く。死ぬまでたった一人の者だけを愛し抜く。極めて純粋で、その分執着が強く、()()()を奪われれば気が狂う、とか」


歌うような台詞に、ルドルフの顔色がどんどんと悪くなる。


「つまり、そういうことだろう?」

「あ……あぁっ!お、お許しくださいっ!」


私への恋慕を私の口から指摘されて、ルドルフは絶望すら浮かべて床にひれ伏す。


「殿下!私は、殿下を我が物にしたいなどと、そのような大それたことを願ったわけではないのです!お側にいられればそれで良いと、そう……ずっと……っ!」


必死に言い募るルドルフの懸命さに微笑み、私は短く告げた。


「構わん」

「え?」


私の言葉の意味が理解できなかったのか、ルドルフは端正な顔に子供のようなきょとんとした表情を浮かべた。


「その執着と独占欲を、私は好ましく思うよ」

「殿下……そ、それは」


じわじわと。私の意図を察し始めたのだろう。ルドルフの頬に赤みが戻ってくる。


「お前が私を求めるように、私もお前の全てを欲しているということだ」


お前が私のために生きると、死ぬと言うのならば。


「お前は、私が欲しいのだろう?」


ならば、私を求めろ。

それを私が許す。


「その美しい瞳に私だけをうつし、泣きながら私だけを求めろ」

「で、んか……ッ」


私の心底愛する薄青の瞳が、揺れながら狂喜に蕩けていく。私はそれが、堪らないほどに嬉しかった。





***





先に手を伸ばしたのは私だった。


程よく日に焼けた頬に手を伸ばし、顔を引き寄せる。座り込んだままのルドルフは、私のされるがままに、私の方へ首を伸ばした。

そっと唇を重ねる。皮膚を重ねているだけのはずなのに、触れ合わせた場所からじわじわと熱が広がり、高揚が伝播していく。狂気に侵されていくような心地で、私はゆるりと唇を開いた。


「……ルドルフ」

「殿下……っ」


熱く名を呼び合い、求め合う。最初はおそるおそるだったルドルフも、次第に遠慮を捨て去ったらしい。陶酔としたため息とともに、互いの瞳を見つめ、何度も何度も深く唇を合わせた。


「んっ、ふふ」

「何を笑っておいでで……?」


思いついた考えに、思わず吐息にも似た笑いが溢れた。ルドルフが不思議そうに首を傾げる。視線を合わせれば、熱に浮かされた薄蒼の瞳には、私しか映っていない。


「なぁ、口付けというのは良いものだな」

「……ふふっ、そうですね」


そう囁いてこちらから顔を引き寄せれば、ルドルフはとろりと目を細める。

顔を離して見つめ合えば、相手の目にも、相手の目に映る自分にも、燃え滾る情欲の炎が見えた。過ぎた興奮で、体が焼かれてしまいそうだった。


「もう、覚悟は決まったか?」

「……はい、殿下。あなたがお望みなのであれば、私はこの身も命も魂も、全てを差し出します」


うっとりと、幸せそうに囁くルドルフは覚悟を決めた者の目をしていた。


「けれど、その前に、……我が君に、お話せねばならないことがございます」

「話?」


そう告げるルドルフの目が、苦しげにすっと細められている。先ほどまで、欲に酩酊して目を蕩けさせていたはずなのに。唇を薄く開けたルドルフは何かを耐えるように、長い睫毛を細かに震えさせた。 


「私の、……過去のことでございます」


思いがけない話に、私はわずかに瞠目した。ルドルフは目線を落として淡々と続ける。


「私の一族は北の大陸を統べる銀狼、父はその王でした」

「……なるほど」


高貴な血筋を明かされても、驚きは少ない。この十年近く側に在って、なんとなく察してはいた。調査しても証拠が出てこず、確信は待てなかったが。


「お前は、先代の狼王の息子か」

「はい。……正式には、存在を認められておりませんが」


寂しさを滲ませた微笑を浮かべ、ルドルフはポツポツと語る。


「父は、番として見出し、愛した黒犬獣人の娘を攫い、子を産ませました。しかし雌は、狼と犬の体格差ゆえのお産の難しさと、産後の肥立が悪さゆえ……私を産んで半年で亡くなりました」


だから母の記憶はないと付け足して、ルドルフはハァ……と大きく息を吐いた。先ほどまでの熱が嘘のように、ルドルフの目は冷静で、私たちの間にはしんとした静かさが満ちている。


「父は、私を憎みました。容貌は多少母の面影があるものの、髪は黒髪まじりの銀髪で醜く、体格も狼に比べて軟弱。狼にも犬にもなりきれぬ無様な息子を、息子とは認めなかったのです」


王の子でありながら出生すら認められず、ルドルフは闇の子として育ったのだろう。戸籍を持たない、奴隷のように、モノとして。


「そして父は、悍ましいことに……犬との合いの子である私に、母の代わりを求めたのです。()()()()()私への、復讐の一つだったのかもしれません」

「それは、おかしいだろう」


ルドルフはただ、生まれただけだ。

母殺しの咎人であるはずがない。

けれど、そんな私の感傷的とも言える()()に、ルドルフは困ったように苦笑した。


「そうです。ですが、父はそう思いませんでした。……私は狼として、母に与えられた名を奪われ、犬と呼ばれて四つ這いにされました。そして体に大きく出来損ないの印のバツをつけ、そして……」

「もういい、わかった……酷い話だ」


続けようとするルドルフに手を振って遮り、私は深く息を吐いた。ほんの七つの幼い仔狼にとって、どれほど過酷で苦痛な日々だったことか。思いを馳せるだけで苦しく、この手で父親を捻り殺してやりたい気持ちになる。

だが、こいつの父は、もういない。


「私が九つになる年、叔父が父を討ちました。そして、叔父は合いの子の私を憎んでおりましたゆえ、……彼も私を貶め、そして売り払いました」

「……そういう経緯だったのか」


サラリとまとめられた過去に、私は深々とため息を吐いた。あまりにも残酷だ。いや、似たような目に遭っている子供はたくさんいるのだろう。だが、私の愛する狼が、これほど辛い過去を持っていたと思うと、やり切れなかった。


「ルドルフ……」


想定していた以上に過酷な幼少期に、私は柄にもなく言葉が出てこなかった。

ひれ伏したまま顔を上げないルドルフに、私は内心で頭を抱えて思案する。


「私と出会うまで、よくぞ生きていたものだ」

「ふふっ、そうですね」


もうルドルフにとっては過去の話なのか、くすり、と妙に穏やかに笑って私を見つめた。


「こんな穢れのついた身ではありますが、殿下が望んで下さるのならば、全てを捧げとうございます」


するりと自然に頭を下げたルドルフを、複雑な気持ちで見下ろす。


これは私の望んだ展開ではない。

私はこいつに、愛と忠誠の証として、体を捧げられたいわけではないのだ。


「……私はお前と抱き合いたかった。けれど、この行為は、お前の傷をえぐるのではないか?」


ポツリと呟くと、ルドルフが慌てて顔を上げた。そして顔色を悪くして、必死に言い募る。


「そんな……殿下に触れて頂くなど、望外の幸福でございます。全てを投げ打ってでも手に入れたい一夜の夢でございます。どうか、どうかお情けを…!」

「あー、こら、誤解するな」


焦ったように縋りついてくるルドルフに、私も慌てて否定した。涙すら浮かべて私に希う姿は妙に稚く、苦笑が浮かぶ。それほどに過酷な幼少期を過ごしながら、なぜこの狼は、これほど純粋で、透明さを失わず生きてこれたのだろうか。不思議で仕方ない。


「私は、お前と情を交わすことを止めるつもりではない。だが、お前はその行為で、苦しみしか抱いたことなどないのだろう?」

「私では殿下に快楽を差し上げることが出来ないと言うことでしょうか?そ、それでは数日お待ち下さいませ、その間に」

「待て待て待て、違う」


どうにも誤解、いや、私の認識との間に齟齬があるらしい。

犯されるだけの幼少期を過ごし、私の元に来てからも常に私に仕え、奉仕することを良しとしてきたルドルフの思考は少し極端だ。

私は照れや見栄などは捨て去り、自己評価が歪なルドルフにも分かるよう、丁寧に説明することにした。


「私はお前を傷つけたいわけではない。身分も立場も放り出して、寝台の中で恍惚と溶け合い、何もかも忘れて抱き合いたいだけだ」

「で、でんか……」


私のあけすけな言葉に、ルドルフが顔を赤らめている。


「ふむ。……なぁ、お前」


ふと閃いた案に内心で頷き、私は首を傾げてルドルフに問うた。


「お前、私を抱けるか?」

「え、…………えええっ!?でんか、を?」


目を白黒させたルドルフが、ありえないことを聞いたとでも言いたげに、片言で確認してくる。

混乱と困惑をあらわにするルドルフに、私は苦笑して「そうだ」と頷いた。


「悪いが、その話を聞いておきながらお前を抱けるほど、私は情緒が死んでいない。……そもそも私はどちらでも構わん」

「ほ、本気ですか!?」


真っ赤な顔で息を荒げながら、ルドルフは必死に深呼吸を試みている。初々しい狼の額に、私は優しく口づけた。


「閨房の講義では当然のように男としての授業であったから、そう考えていたが……よく考えたら、未経験の私では難しいかもしれんしな。私と違って、お前は件の奴隷小屋で、あらゆる役を学んだのだろう?」

「ま、まぁ」


妙な流れで先ほど告げたばかりの苦痛に満ちた過去に触れられて、ルドルフが複雑そうな顔をする。だが、私は笑みを崩さない。

その過去の経験があってこその私との夜だったと、ルドルフが思えれば良いのだ。そうすれば、辛く苦しい過酷な過去も、私との愛ある情交のための前段階だったのだと思えるだろう。

ルドルフからの愛に絶対の自信を持つ私は、そう判断した。


「よし、ならば、ひとまずそれで」

「そんな簡単に!?」


目を丸くして悲鳴じみた声を上げるルドルフの肩を、私はにこやかに叩いた。


「あぁ。任せたぞ?何せお前は、男役も女役も出来るとの触れ込みだったからな」

「えええ……!?ほ、本当に……?」


興奮で瞳を熱に溶かしながらも、いまだに困惑しているルドルフをうっとりと眺める。単純な狼を私は煽るように見上げた。


「私は本当にどちらでも良いのだ。なにせ私は……どうやら、お前を愛しているようだからな」





***




先ほどまでの遠慮と躊躇はどこへやら、寝台に倒れ込んだ後は、ルドルフはまさに飢え渇いた獣そのものだった。


「ふっ、この犬め」


私からの甘い罵倒に身を震わせて喜び、ルドルフは陶然とした顔でひたすら私を貪った。


「あぁ……私の人生にこれほどの幸せがあるなんて、思ってもいませんでした」

「ルドルフ……?」


静かに呟かれた言葉は確かに幸福感に満ちていた。


「殿下……我が君……私は生まれて初めて、神というものに感謝しております」


ルドルフがまるで祈るように私を抱き込んで、そして神への感謝を綴る。


「生まれてこの方、この世に在ることを悔やみ恨み、神を憎んだことは数えきれないほどありましたが……あなたに触れられるだなんて、これほどの幸福が与えられるとは……」


陶然とした表情で、ルドルフが私を抱く腕に力を込め、そして掠れ声で囁いた。


「愛しています、我が君、私の最愛、私の全て……私の番」

「ルドルフ……」

 

情熱的に紡がれる愛の言葉にぞくぞくと体が震え、心臓が破裂しそうに高鳴った。こんなに幸せな興奮が、泣いてしまいそうな高揚があったなんて。


「あぁ、私もだ…。なぁ、ルドルフ。お前に、我が名を呼ぶ許しを与えよう」

「えっ」


ルドルフが瞠目している。当然だろう。王族の名を呼ぶのは不敬とされるこの国では、名を呼ぶのは親か伴侶くらいなのだから。


「私を番と呼ぶ可愛い狼。これが私からの愛の証だ。……さぁ呼べ、私の名を」

「あ……ユリウス、さま」

「そうだ、ルドルフ」


感極まったように、震える声で呼ばれた己の名前に強い幸福感を抱く。名前一つでこんな感情を抱くなんて、思ったこともなかった。


「一度奪われた名を、私はあなたに再び授けて頂きました。そして、御名をお呼びするもお許し頂けるなんて……この上ない、幸せにございます」

「おや、欲のないやつだな。名を呼ぶだけで満足か?」


揶揄うように首を傾げれば、ルドルフも獰猛な笑みを返した。


「ふっ、ふふ、そうですね」


狼そのものの獣性を剥き出しに、ルドルフは私を貪った。


「どうか満足するまで、あなたを味わわせてくださいませ。私の最愛、私だけの番……っ」


煽り過ぎた、と後悔する間もなく喰らい尽くされる。


獣じみた激しい交合は、夜明けまで続いた。




***




「あなたを誰にも渡したくない」

「ルドルフ……?」


汗に濡れた肌を合わせて抱き合いながら、うとうとと目を閉じかけていた私に、ルドルフが思い詰めた声で囁いた。


「あなたは私の番です。私は……正式にあなたの伴侶になりたい。神の前で、あなたへの愛を誓いたいのです」

「ははっ……そのためには、私が婚姻を結ぶのに相応しい相手になってもらわねばならんな」


まるで幼子のようや愛らしい願いに冗談めかして告げれば、ルドルフは真面目な顔で頷いた。


「承知しております」

「ふふっ、なかなかの難題だなぁ。……でも」


夢見がちなルドルフの言葉に、私もつい本音がこぼれた。


「いっそ私もただの獣人であれば……愛だけを理由に、お前と番えたのにな」


愛欲に塗れた後の睦言だ。

目覚めれば、全て夢だったと言われても仕方ないような、柔らかく甘い時間。

実現するはずもない夢物語を語り、冗談めかして本音と夢想を紡ぎ合う。

まるで普通の恋人たちのような時間を過ごしてクスクスと笑い合った。


ひどく満たされて、幸せだった。


まさか翌日から三年もの間、ルドルフが姿を消すなんて、思ってもいなかったのだ。







***




朝起きたら、私の忠犬が姿を消していた。


「昨日の今日でか?……いや、また妙なことをしでかしていないといいが」


こういうことはたまにある。

ルドルフは無断で動いた後で、いつも褒めて欲しそうに現れるのだ。

諜報員の首やら、敵を陥れるための証拠やら、はたまた美しい貝細工やら、私の求めるものをその手にして。


愛し合う初夜を迎えた翌朝というのは、タイミングが酷すぎるが。


「まぁ、そのうち戻ってくるだろう」


いつものようにそう判断して、私は痛む腰を押さえながら、あっさりと日常に戻った。




私は覚えていなかったのだ。


「お前と番えたらいいのに」


と呟いてしまったことを。


そして、我が最愛の忠犬が、恐ろしいほどに有能であることも、すっかりと忘れていたのだ。

あいつは私にとって愛しい狼でしかなかったから。


だから思いつきもしなかったのだ。

私の呟きを真に受けたあいつが、すでに暴走し始めていたなんて。










「ユリウス様、愛しています」


ルシウスは城門の前で、愛しい番の住まう王城を眺めていた。

鮮烈な意志を宿した眼差しで、熱い覚悟を口にする。


「あなたに正々堂々と求婚するために……私は、北の国を手に入れてみせます」







***







「で?……これは一体どうしたことだ?」

「あなたに求婚に参ったのです、我が君……いえ、愛しい私の番」


蕩けた眼差しを私を見つめる雄を、私はなんともいえない心地で見返した。

目の前にいるのは、懐かしい愛しの狼だ。もっとも、かつては短く切り揃えられていた髪は無造作に結ばれ、左頬には大きな傷跡が出来て、あからさまに猛々しくなっていたのだが。


「求婚、か?…………そのわりには物々しくないか?」

「なぜか皆信じてくれず、宣戦布告と間違われてしまって」


困ったように言うルドルフの後ろには、剣と盾を携えた獣人の軍勢だ。

なんの予兆もなく、怒涛の勢いで進軍してきた獣人達の群れに、こちら側はなすすべもなく降伏の構えだったので、私の左右に立つ武官以外は武器を床に置いている。完全に制圧されるのだと思っていた。


「勘違いなんだな?本当に?」


繰り返して確認する。

北を統べる狼王が昨年簒奪により代替わりしたと聞こえてきたと思ったら、そこから新王は破竹の勢い周辺諸国を征服し、我々の住む大陸まで迫ってきたのだ。この半年で我が国の同盟国も半数以上が北の帝国に飲み込まれている。


目の前に立つ北の狼王が、三年ほど姿を消していた私の可愛い狼だとしても、そう簡単には信用できない。

しかしルドルフはたいそう傷ついた表情を浮かべて、必死に誤解だと言い募った。


「たしかに、あなたと婚約していた王女の国と、戯れにあなたに求婚したという隣国の皇帝には真っ先に宣戦布告しましたし、すでに属国へと下しましたが、ユリウス様のお国にするわけがないではありませんか!私は無実です!なぜお疑いになるのですか!?」

「いや、同盟国に宣戦布告したら、そりゃ我が国も警戒するに決まっているだろう」

「えええっ!?」


当然の事実を伝えても、ルドルフはさもありえないことを言われたといわんばかりの驚愕ぶりだ。こちらこそ驚きが隠せない。


「私があなたと仲違いしたいわけないじゃありませんか!?」

「三年も不在だったのだ。その間に心変わりしても不思議ではない」


私があっさり言い切ると、ルドルフは涙目になりながら訴えた。


「狼は一途です!心変わりしません!」

「私は人間だ」

「え……我が君、他に想い人が……!?」


私の淡々とした返事に、ルドルフはふらりと地面にくずおれる。真っ青な顔が浮かべるのは、明確に絶望だ。ルドルフの背後の獣人たちが動揺している。それはそうだろう、連戦連勝の獰猛王が今にも息絶えそうな顔で床に倒れ伏しているのだから。


「そ、れが…あなたの…幸福なの、でした、ら…私は……身を引き…引きま……うぅっ、むりです……挙式を見届けて死にます」

「待て待て待て待て待て、極端だお前は」


土気色の真顔で言い切ったルドルフに、私は慌てて駆け寄った。


「冗談だ、すまなかった。とりあえず立て、お前の臣下たちが異常に動揺しているぞ」

「うぅ、ユリウス様……」


ぐすぐすと涙声のルドルフに、さすがにいじめ過ぎたかと反省する。だが初夜の後に姿を消されて、三年も音沙汰がなかったのだ。意地悪もしたくなるだろう。


「心変わりなど私もしていない!悪かった、ちょっと苛めてみただけだ」

「相変わらず、意地が悪いお方だ……」


震える唇を噛み締めたルドルフは、背後の臣下たちの恐慌と動揺と困惑を顧みず、私の足元に縋りついて切々と訴えた。


「結婚してくださいお願いします!どこの国より強く、政略的に結びつくことが有利な国の頂点にたちました!これで受けてくれると信じていたのです!!」

「あー、なるほど?」


ルドルフの三年に及ぶ奇行の原因を理解して、私は大きく息を吐いた。根が素直で単純なやつだとは思っていたが、そうくるか、と。


「まぁたしかに、王族の婚姻は完全に政略だと言ったからな。……ははっ、そういうことか」


呆れや驚きや喜びや、様々な感情が胸の内で荒れ狂う。この狼は、なんで馬鹿な仔だろうか。そのために、こんなことをやらかし……いや、やり遂げてしまったのか。


「たしかにその通りだ。私の信念に基づき、お前の求婚を受け入れよう」

「あああっ!?本当ですか!?」

「嘘はつかない。王族に二言はない」


凛々しく言い切ると、ルドルフは感極まったように「神よ!」と叫んで私を抱き上げた。


「わぁ!?」


困惑する私と、明らかに動揺してざわめく周囲を無視して、ルドルフが高らかに喜びを謳う。


「神よ!ありがとうございます!あなたに感謝するのは人生二度目です!」

「……そうだな、はははっ」


大袈裟に歓喜するルドルフを見返して、私は呆れて吹き出す。


「お前は本当に……可愛いやつだな、私の狼」


そして私は、三年ぶりに心からの笑顔を浮かべたのだった。

ルドルフの過去を考えると攻受を迷い(まぁ最終的にリバもありと思い)ながらこんな感じでまとまりました。

途中で「これ、あらすじに書いてある攻め受けと違う!?」てなった方がいらしたら申し訳ありません……。


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