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第五話:ゲルグ・ボーンは立ち上がれたのか

 砂蟲サンドワームにゲルグ・ボーンが飲み込まれてから数時間が経過した。


女はじっと待っていた。彼が呪われた魂を露わにするのを。あの大いなる力を、自分に見せてくれるのを。


しかし、時間がかかりすぎている。聖騎士でもない少年には少々刺激が強すぎたか……このままでは、祝福の学舎(ブレス・アカデミー)の聖騎士たちから連絡が途絶えたことが、閃光の大賢者の耳に入ってしまう。


「そうなればただちに撤収……是非とも急いで君の中の怪物を解放してもらたいとこだけど──」


 その時、女は感じた。魔力の揺れ……あるいは流れ。自身が調伏した砂蟲サンドワームの体内で、それが膨れ上がっているのを。


「──来た」


 女は透明になる魔法(インビジブル)魔力を遮る魔法(ハーミット)魔法巻物マジックスクロールを解放し、身を潜める。


次の瞬間──砂蟲サンドワームの大きな腹に極小の穴が空き、その穴から一筋の閃光が現れ、砂蟲サンドワームから離れた場所に着地する。


『アレかぁ。ゲルグを飲み込みやがった悪い子は』


 少年の容姿……しかしその口から発されるのは、年若い少女の声。彼……いや、彼女と言うべきソレは、祝福の学舎(ブレス・アカデミー)の聖騎士の一人が使っていた刀を左手に、その切先を砂蟲サンドワームに向けた。


そして──腹の底から出た悪意を口にした。


『ぶッ殺してやる』


 彼女が纏うのは闇。闇属性魔法とも違う……黒い魔力であった。


属性を持たない魔力は、無色のオーラで表されるはず。しかし……ゲルグ・ボーン──否、ナツが纏っているそれは真っ黒だった。まるで水をほとんど吸っていない筆を黒い絵の具に浸し、キャンバスに殴り書きをしたかのような……ドス黒くて、どんよりとした塊のような魔力。本来半透明であるはずの魔力のオーラだが、向こうの景色が見えないほど濃密な闇。心の内から溢れ出る殺意の塊が具現化していた。


あまりにも恐ろしく強大な魔力……低級の魔物であれば相対しただけで消滅してしまいそうなものだが、女が使役している砂蟲サンドワームに感情は残されていない。その規格外な化け物を目にしてもなお、戦意を喪失してはいなかった。


「さあ、見せてもらうね。その力を」


 ナツが地面を蹴って跳躍。いや……跳躍というよりは、簡易的な瞬間移動と言うべきか。それなりに場数を踏み、表では割と名の知れている魔法使いである女の目にも捉えられないほどのスピードで、ナツは砂蟲サンドワームに肉薄した。


そして次の瞬間……白金等級プラチナ魔物──つまり、金等級ゴールド聖騎士と同等以上の実力を誇る砂蟲サンドワームの体表が目にも止まらぬ速さで切り刻まれてゆく。知らず知らずのうちに無数の切り傷が刻まれている、もはや感動すら覚えてしまう早技であった。


「ほう」


 それは一瞬間の出来事。もちろん痛覚を失っている我が眷属サンドワームも黙っておらず、無数の触手を地中から生やして応戦する。


が──最悪の聖騎士の周囲には、常に斬撃が飛び交っていた。


彼女に届くことなく綺麗に切り揃えられる触手。魔術か、あるいは……圧倒的な濃度の魔力による攻撃(防御)か。原理は不明だが、砂蟲サンドワームごときでは……彼女に触れることさえ叶わないというわけだ。


彼女が刀を一度ひとたび振るえば、斬撃の嵐が荒れ狂う。砂蟲サンドワームはものの十数秒で最悪の聖騎士の刃に裂かれ、絶命してしまった。


「……大技は見れなかったか。ま、砂蟲サンドワーム程度の相手じゃただの魔力を纏わせた斬撃だけで十分ってことがわかっただけでも収穫かな?」


 白金等級プラチナに値する魔物を一瞬で幾十枚におろして見せた少女は、三枚……いや百枚下ろしにしたその怨敵の腹の中から現れた、六人の人間の姿を認識する。


『あっちは……ゲルグを傷つける人じゃないみたい。それにしてもゲルグってば、魔物にもモテモテなんだなぁ』


 一仕事終えた少女──だが、刀を収めることはしない。


まさか──最悪の聖騎士と自身の眷属の戦闘を観戦していた女は、背中に氷を押し当てられたかのような悪寒を感じる。


一瞬後には、自分の視界から少年の姿は消え……代わりに背後から少女の声が鼓膜を震わせた。


『次は、オマエだ』


 察知された。それに気づいた瞬間、女は胃の底から込み上げてくるような根源的恐怖を感じた。


「ッ──!」


 女は手持ちの最後の一本である魔法巻物マジックスクロールを解放する──次の瞬間、女の視界に広がっていた景色が様変わりした。校舎の屋上から、草木が生い茂る森林の真っ只中へ。当然、最悪の聖騎士の姿も無い。


「──転移魔法……貴重な魔法巻物マジックスクロールだったんだけど、ましょうがないよね。命には変えられない」


 素性を隠すため目深に被っていたフードを外し、ほっと息を吐く。口に出してしまった通り、即座に転移魔法を発動していなければ…………間違いなく死んでいた。ゾッとすることに、もしあの場で争っていれば負けるのはこちらの方であっただろう。


今は、いけない。もっとあの呪いが研ぎ澄まされるまで……こちらの準備が完全に整うまで……。

深追いはいけない。あの魂は黎明の日、必ず仕留め貰い受ける。


「今は慎重に、隠密行動といこっか。表の顔もあるわけだしね。違和感を持たれて計画に支障が出ちゃ敵わない」


 遠くで、自分の名を呼ぶ声がする。たった数時間姿を消していただけでこの有り様か……面倒なものだ。人と人との繋がり、生きるということは。


だが……それもあと僅かだ。あの少年に宿った呪いを奪えば…………全て変わる。全て、終わるのだ。


この先の未来……世界に降りる混沌に想像を膨らませ、女は凄絶な笑みを浮かべて呟いた。


「これからも精々精進してね、ゲルグ・ボーン。私のために──さ」


○●


「ボーン!」


 被害者、そしてシェルフたちの身柄を憲兵に引き渡したゲルグは、報告書作成のため聖騎士協会本部に向かわねばならない。頼りになる同級生たちは軒並み意識を失っているし、心細いが一人で行くしかないだろう。

速やかに高校を後にしようとしたところで、ゲルグは不意に背後から自身の姓を呼ばれた──ブラウンだ。


「ありがとう! エリカとミーロを助けてくれて!」


 彼女の親友……そうだ、ゲルグは聖騎士として、砂蟲サンドワームと戦い…………間に合わなかった者たちはいたが、被害者たちを救出することができた。


ブラウンの友人二人を……救い出すことができたのだ。


聖騎士協会そっちでも頑張ってね! 応援してるから!」


「ブラウンさん……」


 頑張る……か。ゲルグは執行猶予がついただけの、死刑囚であることに変わりはないのに……。


自分がやったことは、当然のことだ。


人殺しに人権はない──その考えは今も変わらない。もう自ら死のうとすることはしないと決めたが、被害者の親族に死ねと言われれば今すぐ死んでやるし、ゲルグはこれからの人生……老衰で死ぬまで、錆びつくまで人を救い続けると誓っている。


自分がしたことは、感謝されるまでもないことなのだ。

だから……僕に感謝ありがとうだなんて、言わないで欲しい──ゲルグは切にそう願った。


「あんたのおかげで、二人は助かったんだよー! 本当にありがとう!」


「──!」


 ゲルグのおかげ……それは紛れもない事実だ。ゲルグがいなければ──シェルフたちはともかく、ブラウンの友人二人は間違いなく助からなかった。


自分が……助けたのだ。それは自己肯定感が遥か地の奥底に沈んでいるゲルグにもわかった。


「あんたの天職だと思うよ、人助け──これからも頑張ってね!」


 ふと、ゲルグは砂蟲サンドワームはらの中で聞いた、シェルフの激励を思い起こした。


「──自分を好きになる……か」


 それはきっと……自ら死ぬことはしない、だなんて──当たり前のことを遂行している人間には相応しくない言葉だろう。


自分を好きになるというのは、もっと……言葉通りのことなのだと思う。自分を許せるとかじゃなくて。自分に自信を持つっていう──


「元気で、ブラウンさん! 僕、頑張ります! 聖騎士として──!」


 殺人鬼()に許しが与えられる日なんて、来るはずがない──今でも思っている。


だけど……確かに、ゲルグ・ボーンが救った命が在る。

ゲルグは少しだけ、自分のことが好きになれた気がした。


○●


 砂蟲サンドワームの討伐後、他の低級の魔物たちもいつの間にか姿を消し……危機は瞬く間に去った。おそらくは事件の犯人と思しき謎の女の仕業だろう。何かしらの方法で魔物を操っていたその女が、ナツを前に逃亡し、彼女の眷属であった魔物たちも皆姿を消した……。


しかし……にわかには信じられないことである。魔物を操る女がいるとは。


初めて自分の意思でナツを顕現させたゲルグだが、今回の顕現はそれまでと違う点が一つあった。それはゲルグの意識の有無である。それまでの顕現においてゲルグの意識は完全に眠った状態にあり、ナツに身体の操作権を握られていた間にしたことの記憶は一切無かった。

しかし今回の顕現は……ナツを制御することさえ叶わなかったが、確かにゲルグは起きていた。観覧席でスポーツの試合を見るように、自分にはどうしようもない戦いの様子を見ることができた。


あの時、ゲルグが見たことを証明できる人間はいない……。魔物を操る人間を見たという証言は、ナツに身体を乗っ取られていたゲルグだけなのである。


信憑性のない目撃情報を話したせいで、随分と長く聖騎士協会本部に拘束されてしまった。ゲルグが事情聴取を済ませ、事件の報告書を提出し協会を出られたのは……空がすっかり暗くなってしまった丑三つ時だった。


「んっ……」


 背中を伸ばし、緊張していた身体を伸ばす。さて……帰ろう。待ってくれている……とは思えないが。少なくとも今は、祝福の学舎(あそこ)がゲルグの帰る場所なのだ。


そうして歩き出そうとすると、不意にゲルグは制服の襟元を掴まれた。


「ぐえっ」


 息苦しさに耐えかね振り返ると……そこには──


「シ、シェルフさんっ!?」


「どうも──()()()


 頬や手の甲……見える所だけでも二、三箇所に湿布を貼った傷だらけのシェルフ・リュウがそこにいたのだ。ナツが砂蟲サンドワームを切り刻んだ際の余波でできた傷だろう……手や胴ならともかく、女性の顔に傷をつけてしまうとは──ゲルグが謝罪の言葉を口にしようとすると、


「随分遅かったですね。暇すぎて頭がどうにかなるかと思いましたよ」


 あっけらかんと、シェルフは肩をすくめて言った。意味がわからず数瞬の間唖然としていたゲルグだが、すぐに気を取り直して目を丸くした。


「へ……ず、ずっと待ってたの!? 7時間も!?」


「何、悪いですか?」


「ち、ちっとも……だ、だけど寒くなかった!? 僕のためにそんなっ……」


「確かに肌寒いですね……風邪引くと面倒ですし、ホットミルクでも買っていきますか」


 シェルフは城下町のとある出店から「チサトたちの分も……」と、箱詰めの牛乳を購入し、うち一本を火属性魔法で加熱し、瓶に口付ける。片手で、牛乳の箱を支えたままだ。


「も、持つよ……!」


「悪いですよ。それに、こんなのが辛くなるほどヤワな鍛え方してませんから」


「い、いつもなら無理矢理押し付けてくるのに」


「むぅ……ん!」


 シェルフが唇を尖らせ、こちらに牛乳の箱を押し付けてきた。

しまった……どうやら怒らせてしまったようだ。


それからしばらく……二人は何をするでもなく、無言で、祝福の学舎(ブレス・アカデミー)校舎を目指して歩いていた。


「えと……シェルフさん、チサトさんたちは?」


「ご心配なく。目立った外傷はありませんでした。犯人から意識を失うほど魔力を奪われたので、ぐっすり眠っていましたが、さっき目覚めました」


「そっか……それは良かった」


「チサトもシャロンもさすがですね。意識を失った状態でも、あの斬撃の雨を傷一つ負わずに耐えるなんて」


「ご、ごめん! シェルフさん」


「はい?」


「その、顔の傷……僕がナツちゃんを上手く制御できていなかったせいで」


「ああこれ? 気にしないで良いですよ。別に消えない傷じゃあないですし、大したご尊顔でもないんですから」


「そんなことないよっ!」


「なっ……急に声がデカい……!」


「ご、ごめんっ……」


 湿布が貼られていないもう片方の頬がほんのりと赤く染め、シェルフは真夜中に声を荒げるゲルグを諌めた。


「…………」


「…………」


 この時……双方が思っていることは共通していた。


((友達って……どう接すれば良いんだ……))


 実のところを言うと、ゲルグは言わずもがな、シェルフにも友達付き合いというのがよくわからなかったのだ。

チサトとシャロンは友人というか……もう家族のようなものだし、友人と呼ぶべきかはわからないが──ギーゼルが手塩にかけて育てている一人の少女はそれらしい関係だが……それも遠い昔、幼い頃に知り合ったのだ。


幼い人間というのは、どうもコミュ力がずば抜けているようで。シェルフは久方ぶりにできた同年代の友人との接し方がてんでわからなかった。


「その、傷なら本当に気にしないでください。あの時はああしなければ助からなかった……。あのナツから逃げおおせた犯人です……汚馬鹿ローブも間に合わなかったでしょう。だからゲルグ──あなたは私たちの命の恩人なんです」


「そ、そっか……ありがとう」


「ん……」


 話しているうちに、二人は祝福の学舎(ブレス・アカデミー)の校舎に到着した。チサトとシャロンの部屋は……明かりが消えている。二人も疲労が溜まっているのだろう……こちらも、あまり夜更かしはせず寝た方が懸命だ。


「ふあぁ……それじゃあゲルグ、また明日。ああそう、あぶらで汚れてるでしょうから、刀の手入れを忘れずに」


 シェルフは制服の上着を脱ぎ、欠伸あくびをしながらゲルグに手を振る。


「あ、刀……返すよ。成り行きで僕が持ったままだったけど、シェルフさんのだし」


「あげますよ、それ。もうゲルグの物です」


「へ……? あ、ああっ、ちゃんとお手入れしてから返すから! 安心して……」


「いやだからあげますって。ゲルグにだって得物が必要でしょう?」


「で、でも……これはシェルフさんの物だし……。ぼ、僕の分は、別に新しく買うべきだよ」


「確かに……それは大事な物ですが」


 ゲルグは腰にかけていた刀を取り外して、見下ろす。よく見ると……刀の鍔に、教科書なんかで見た記憶のある狼族の紋章が刻まれているのがわかる。

シェルフは、今はもう亡くなってしまった狼族の義父に育てられたと言っていたか……きっとこの刀は義父の形見──他人のゲルグが、そう気軽に扱って良い代物ではない。


「シェルフさんの刀を僕なんかが使うなんて……恐れ多いよ」


 ゲルグが呟くと、女子部屋に戻ろうとしていたシェルフが真っ直ぐこちらに戻ってきて、ゲルグの胸をこつんと弱く殴った。


「また、『僕なんか』と言う」


「え?」


「言ったじゃないですか……自分に自信を持って、と。あの時のゲルグは……本当に、少し格好良かったんですから」


「自分に、自信を……」


 戦闘においてだけでない……ということか。日常生活においても。事あるごとに自分を卑下する人間なんて、隣にいても鬱陶しいだけだろう。それでは友達なんてできっこない。


「ぼ、僕にできるかな……あの時は、シェルフさんたちの命を救わなきゃ……って、無我夢中だったから」


 一度できたことが、これからもできるとは限らない。あれっきりの奇跡だったことなんて、ゲルグの人生において珍しくなかった。


「そう? ちゃんと変わってるじゃないですか。ほらゲルグ──敬語」


「へ?」


 ゲルグはきょとん、と首を傾げる。


「もう、普通に話せるようになってるじゃないですか。さっきだって、小言めいたことを言ってくれましたし」


「あ……ご、ごめん」


「別に謝らなくて良いです」


 先ほどの牛乳の箱を持つ時……確かに、ゲルグは失礼なことを口にした。


「少しずつ、自分に自信が持てるようになってるんですよ。だから少しは驕っていても良いんじゃないですか? 自分はその刀に見合う人間だ──って」


「シェルフさん…………」


 ゲルグは今一度、その刀を見下ろす。

自分に自信を……か。まだ、どうやって立ち上がって良いか、今自分が立ち上がっているのかもわからないが──この刀は、シェルフの物だ。シェルフが今まで、聖騎士として歩んできた軌跡が詰まった、大切な刃だ。


これを握っていれば……自然と勇気が湧いてくる気がする。

自分の憧れ……自分の初めての友達の、分身のような物だからだろうか。


──この刀に見合う人間になりたい。見合う人間でいたい。その戒め……いや、目標として──


「わかった、ありがたく使わせてもらうね」


「ん、それで良いんです」


 さて……もうそろそろ午前三時だ。これ以上夜更かししていると明日の活動に差し障りが出る。二人はここで別れることにした。


「それじゃあ──また明日、ゲルグ」


「うん、また明日……」


 ゲルグはシェルフに手を振り、踵を返して男子部屋へと向かう。祝福の学舎(ブレス・アカデミー)の校舎は大して広いわけではないので……生徒たちが暮らす部屋は、男子と女子が分けられているだけで全学年共通だ。とはいえ……上級生はギーゼル曰く任務で出張っているそうだし、今は一人で生活するには少々広すぎる部屋を使っている状態にある。今夜はもう誰ともすれ違うことはないだろう。


「ふあぁ……ねむ」


「や、ゲルグ」


「うわぁっ!?」


 人が周りにいなかったんで大口を開けて欠伸あくびをしていたのだが、突如背後から声をかけられ素っ頓狂な声を出してしまう。


「ギ、ギーゼル先生……いつの間に」


 振り返るとそこには、祝福の学舎(ブレス・アカデミー)校長のギーゼルがいた。

彼女はゲルグを驚かせてしまったことを気にも留めず、構わず自分の用事を口にした。


「実はさ、重めの任務で出張ってた2年生の一人がようやく王都に帰ってくるって一報が入ってさ。急ぎで復学手続きしなくちゃいけないんだ」


「なるほど……夜分にご苦労様です」


 だが……復学手続きとやらは、そう一朝一夕でどうにかなるものではあるまい。ゲルグたちとは違う学年なのだし、異なる教科書の購入や授業内容を組み立て直す必要がある。いや……そもそも祝福の学舎(ブレス・アカデミー)に教師はいないし、ギーゼルもほぼ放任状態なのだが。


だが……少なくとも短い時間で終わる手続きではあるまい。なのにギーゼルは、どうしてこんな真夜中に祝福の学舎(ブレス・アカデミー)を訪ねているのだろう。


「ははっ、手紙は三日前に届いてたらしいんだけどねぇ。どうせ大した用事じゃないって後回しにしてたら、まさかあの子からだったとは。気づいた時にゃ、あの子が帰って来るまでに割ける時間が今日の深夜しかなかったんだ」


「は、はあ……」


 なるほど。放ったらかしにしていたら期限が迫ってきてしまったとか、そんなところらしい。とすると、上級生とやらの顔を拝める日も近いかもしれない。


「ま、そういうわけでね。二、三日したら知らん顔が増えると思うけど、間違って憲兵に通報したりしないでねって話。まあチサトがいっから大丈夫だと思うけど」


「わかりました。シェルフさんたちにも伝えておきます」


「ああそう、それとね? ちょっと頼みというか……覚えておいて欲しいことがあるんだ」


「覚えておいて欲しいこと?」


 ギーゼルは頷く。


「いいかい──茶葉のようにくすんだ茶色の長髪で、腰の青い鞘に細身の剣を通した女の子がいたら、こう呼んであげて欲しいんだ」


 ギーゼルは、少し芝居がかった様子で、虚空を見つめてこう叫んだ。


「メアル・フェルート先輩──ってね」


 日頃から尊大な態度が目立つギーゼルだが……意外と演技派なのだろうか、目の前のイマジナリー先輩を前にして、とても後輩力溢れるあざとさ全開の台詞を吐いた。見た目の幼さも相まって、もう年相応の少女にしか見えなかった。少々幼すぎる気もしたが。


「フェルート先輩……ですか? もちろん覚えておきますが、それだけで良いんですか……?」


「何か捻った合言葉でも期待していたかい? 要らないさ彼女にはそんなモノ。というか、ただ呼んでやるだけで良い。それが彼女が一番求めている言葉だろうからね」


「そ、そうですか」


 後輩力溢れる声色で名前を呼んでやるのが、一番のご褒美……か。人のことを言えた口じゃあないが、ゲルグはそのフェルートという先輩の友人関係が何となく心配になった。


「それじゃ私はこれで。校長室でたんまり残った書類と夜を迎えなきゃいけないもんでね」


「あ、はい。ええと、おやすみなさい……? ギーゼル先生」


「ん、おやすみ──あ、待って。最後に言い忘れてたことがあった」


 瞼が鉛のように重くなってきたんで、一刻も早く部屋に戻りたかったゲルグだったが、最後にギーゼルに呼び止められた。


まだ何かあるのか……と、口には出さなかったが少々憂鬱に感じた。しかしギーゼルは次の瞬間、その憂鬱な気分を吹き飛ばすような衝撃の事実を吐いた。


「明日から祝福の学舎(ブレス・アカデミー)にも晴れて教員が配属されるよ。中々面白い奴だから、ゲルグやチサトは特に仲良くなれるんじゃないかな」


「…………はい?」

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