第四話:ゲルグ・ボーン
「クッソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
あれからどれだけの時間が経過したのかはわからない。
とにかく、シェルフとゲルグが目を覚ましたのは、気色の悪い粘性の胃液が膝下くらいまで溜まっている砂蟲の胃袋の中だった。
意識が覚醒するなりシェルフが叫んだのがその一言である。その乱暴で何の捻りもない言葉が反響し、ゲルグの鼓膜をがんがんと叩いた。
「砂蟲がいるなんて聞いてない! あの汚馬鹿ローブめっ、なんて面倒事を──死んだら絶対に祟ってやる!」
「──もう、終わりです」
字面だけ取ったら危機感があるようには思えない口調のシェルフの言葉に、ゲルグはその場で膝を曲げ……所謂三角座りの体勢でそんなことを呟いた。
「僕でも知ってることだ……一度砂蟲に捕食されたら、脱出なんてできるわけない……」
「…………」
虚ろな表情だった。
何を考えているのかわからない……穴が空いたみたいに真っ黒な瞳をこちらに向けて、そう淡々と言う。
命の危機を前にして、シェルフのように怒りを露にするとかならまだしも──全くの無感情でいるとは……少々不気味だ。
(いや……確かさっき──なるほど、そういう……)
その時、シェルフの脳裏に蘇ったのは、先ほどのゲルグ──魔物に襲われ、悲鳴すら上げずその場から動かなかった彼の様子。
あの時……シェルフは彼が初めて魔物と相対したせいで、恐怖で腰を抜かしているのかと思っていたが……。
「あなた、もしかして死にたいんですか?」
「……!」
ゲルグが目を見開く。
「やっぱり……」
先ほどのゲルグのアレは恐怖で身がすくんでいたのではなく……死を自ら求め、抵抗しなかったのだ。
理由はわからない。人殺しの罪の意識に耐えかねたのか、それとは別に私生活で不幸があって、生きることが嫌になったのかもしれない。
「別にあなたには何も期待してませんから……でもこれだけは一つ」
しかし、全てシェルフにはどうでも良いことだ。
「死にたいんならあなた一人で勝手に死んでください。私たちを巻き込まないでくれます?」
シェルフは項垂れるゲルグの頭を鷲掴みにすると、ぐるりと90度程回転させ、ある方角に視線を向けさせた。
「へ……」
そこには、人間が五人も倒れていた。全員意識は無いようで、砂蟲の胃液に半身が浸かってしまっているというのに、身じろぎ一つしない。彼らの中には、チサトとシャロンの姿もあった。
「屋上にいたはずのチサトとシャロン、そして被害者たちがいます。原理はわかりかねますが、何者かによる偽装──つまり罠だったわけですね。犯人の目的は、自身が操る砂蟲の胃袋に私たちを収めることだったわけです」
シェルフは彼女らの身体を抱き起こし、砂蟲の肉壁に背中を預ける形で座らせた。胃液に半身が浸かってしまっている状況は変わらないが……頭や顔が溶けるよりかはマシだろう。
「チサトとシャロン以外は……行方不明者の人相と一致してる。二人を加えるなら、七人いないとおかしいはずだけど……」
胃液の海に、躊躇いなく両手を突っ込む。両足が浸かっているのだから、今更躊躇うこともあるまい。しばらく胃液の中を手繰ると、シェルフはやがて何かを水底から引き上げた。
それは──
「人間の腕……どろどろに溶けてる。なるほど、姿が見えない行方不明者は、もう手遅れと見た方が良いか……」
姿が見えないのは二人…………。あの時シェルフが屋上に感じていたのは、今ここにいるチサトたちに、犯人と砂蟲の魔力を加えた反応だったのだ。
いや、謎解きはいい。今は脱出することだけを考えなければ。
砂蟲に飲み込まれるなんて初めての体験だが……どうやら胃液の酸度はそれほど高くないとみてようだ。シェルフもゲルグも……チサトとシャロンも、肌の状態は至って良好だ。数日くらいなら問題ないだろう。
しかし……それは、日頃魔力制御の訓練に勤しむ聖騎士見習いである自分たちだからこそ。魔力制御を知らない一般人は、その限りではない。
生徒たちが行方不明になったのは、全員共通して昨日の出来事だ。残りの被害者たちは……あと数時間でシェルフが拾い上げた亡骸のようになってしまうだろう。
「この顔は──エリカ・ワイル、ミーロ・スレンジャー、マルク・スコット……私たちが追跡した魔力残穢はスコットの……? なら一先ず彼は安泰。問題は他二人──」
彼女らは……人相から判断するに、ブラウンの友人二人だろう。二人の皮膚の表面が爛れている。酸で溶け始めているのだ。急がなくては。
シェルフがここから脱出する策を考え始めた時──不意に、どこからか噴き出した液体が頭に降りかかった。ドロドロとしていて粘性が高い……気色の悪い液体だった。
「っ、これは胃液……。急がないと」
周囲の肉壁から、まるで蛇口を捻ったみたいに液体が流れ込んでくる。時間は残されていない。ゆっくり策を考えている暇はない。一秒でも早く、被害者たちを連れて脱出しなければ。
「くそっ」
我ながら、考えるのは得意ではない。今までそういったことはシャロンに任せていた。それをチサトが翻訳し、自分が行動に移す。そうやってきたのだ。
だが……今二人は意識を失っている。シェルフよりも強く、頼りになる二人はいない。
「しょうがない……力押しで行くか」
水位が少しずつ上がってきている胃液の海の底から自身の刀を拾い上げ、構える。そして、魔力を込めて、力の限り肉壁を切りつけた。
「──僕たちはもう、助からないよ」
絶望──あまりその一言を感じさせない、どこか嬉しそうにさえ見えるほどの、儚げな笑みを浮かべるゲルグ。
「僕より魔物に詳しいシェルフさんなら、わかるでしょ? 砂蟲に飲み込まれて、助かった事例はほとんどない……」
「それでも、諦めるわけにはいきません。私の仕事は、この人たちを助けることなんですから」
シェルフが行方不明者たちの前で膝を折り、先ほどのゲルグへの対応をした人間と同一人物とは思えないほど優しい手つきで、彼女らの頭を優しく撫でていた。
「大丈夫。私が必ず助けます」
彼女らは気を失っている。その言葉を聞いているのは、この場でゲルグだけだった。彼女は──まるで自分に言い聞かせるように、その決意を呟いたのだろう。
「──私たち聖騎士には……諦めずにこの人たちを家族の元へ帰してあげる責任があります」
再度。自分に言い聞かせるように、彼女は言った。よく見ると、指先が震えている。恐怖に負けそうな心を必死に奮い立たせているのだろう……いくら猶予が他の人間より長いとはいえ、脱出の目処が立たないのは変わらない。不安にもなるだろう。
彼女だって、怖いのだ。誰より強く、気高い聖騎士の写し鏡のような彼女でも、死の恐怖はそれほど恐ろしく強大なものだ。
「……シェルフさんは凄いな……。僕は、自分のことだけで精一杯で──ううん、自分のことだって……どうしようもないのに」
最初に会った瞬間から感じていた。彼女は真っ直ぐだ。正しいことにとことん真っ直ぐで、そして強い。
黄金にも輝く精神。英雄にもなりうる正義の魂。
卑屈で、死による救済を望むゲルグには、あまりにも眩しすぎる光だった。
「僕のせいで……みんな不幸になるんだ。ナツちゃんも僕のせいで死んだし、シェルフさんをこの状況に貶めたのだって──こんな僕にもっ、最期に誰かを救えるかもって勘違いしたからだ……!」
ゲルグに取り憑いたナツの魂。
彼女は殺した、ゲルグに危害を加えようとする全ての人間を。初めはナツを屋上から突き落としたあのいじめっ子だった。ゲルグがそれを認識した途端、彼らは何の冗談でも比喩表現でもなくボロ雑巾にされて干された。
次に、そんなゲルグを裁こうとした聖騎士。
全ての不幸の中心はゲルグ・ボーン──自分がいる限り、一人、また一人と犠牲が増え、罪も無い人が死ぬ。命が脅かされる。そうやって、自分という呪いが廻ってゆく。
「僕も、昔は聖騎士に憧れていたんです。ナツちゃんに、僕が聖騎士になって君を守るって……そう誓いもしました。僕は……誰かの力になって、誰かを助けてあげたかった…………そういう風な生き方をしたかった……」
だが──ゲルグにとって、誰かを守る術があるとしたら……それは自死だけなのだ。ゲルグには誰かを救う力なんて無い。あるのはひたすらに……誰かを傷つける呪いだけ。
その呪いは、ゲルグの命が絶たれることでやっと失われる。
「僕は……死ぬことで、初めて誰かを救うことができる人間なんです」
あなたとは……違う。
ゲルグは涙も枯らした虚ろな眼で、虚空をぼんやりと見続けた。
「そりゃそうでしょうね……自分も大切にすることができない人間に、誰かを守る余裕なんてあるはずがない」
「そんなにたくさんのものを守れないと、聖騎士にはなれないんだね」
なんだか……遠い世界だ。憧れることさえ間違っていたかのような、酷い現実だ。
彼女は──空っぽな自分では仰ぐことすら許されない、遥か天の彼方に咲く高嶺の花のようだった。
「多いですよ。多すぎます。聖騎士は、守るものが」
シェルフの刀が肉壁を突く──が、肉壁はビクともしない。
「──だから、負けないんです」
誰がどう見たって明白な……虚しいくらいの虚勢。今も繰り返しているその斬撃をあと何千回と続けたところで、この肉壁が外まで抉れることはないだろう。
「ゲルグさん──あなたは死にたいんですか? それとも聖騎士になりたいんですか?」
「わからない……僕は、自分が何をしたいのか。死にたいのか、生きたいのか。でも僕には、友達とか恋人とかいなくて。生きるのが辛くて」
死にたかった。
他人と目を合わせて話すことができない自分が嫌いだ。
友達一人もいない狭苦しい自分の人生が嫌いだ。
折りが合わないからって同級生に虐げられる自分の弱さが嫌いだ。
ありふれている。
ああそうだ、ありふれている。コミュニケーション能力が乏しい、心が通じ合う友達がいない、クラスメイトに虐められて孤立する。全てはありふれていて……ゲルグが背負う唯一無二の不幸じゃない。きっと──この不幸はみんな軽々乗り越えているんだ。
すると……皆ができることをできない自分が嫌いになる。
──何一つ良いところが無い自分が、どうしようもなく惨めで大嫌いだ。
「僕にとって生きるっていうのは、多分……幸せにって言葉が常に頭について回るんだ。幸せじゃないなら、死んだ方が楽だから」
ゲルグが死を望むのは──ただ単に、ゲルグが自分の人生に希望を見出せないからだ。
自分諸共ナツを滅ぼすことで他人に危害が及ぶ可能性を消し去る──そんなの、ただの建前だ。
ただ……死にたい。楽しくもない人生から逃げ出したい。しかし自分で死ぬのは怖い。痛いのは嫌だ。
そんな理由で命を長らえさせてきた男が、誰かに自分の人生を正当に終わらせてもらえる理由を得ただけ。
「僕みたいな弱虫は……死んだ方が楽じゃないですか! それで、これ以上苦しまなくて済むのなら──」
そこまで言うと、シェルフがゲルグの胸倉を掴み、彼の小柄で軽い身体を片手で持ち上げた。
「──あなた……本当に最ッ悪ですね! 何のために、ギーゼル様の手を取って祝福の学舎に来たんですか!」
「へ……?」
「──生きたいんでしょっ!? 生き直したいから……自分の人生を変えたいから、ここに来たんでしょう!?」
「なんで、そんなこと──」
「わかりますよっ──私も同じなんです!」
綺麗だ。
光源らしい光源がまったく無い……魔力で強化した視力でようやくあたりの様子が見える劣悪な環境下で。
その時──彼女の瞳は、輝いてるように見えた。
きっと……彼女は、こんな絶望的な状況の最中でも、これっぽっちも諦めていないんだろう。
眩しいくらいに彼女は……ゲルグが憧れた聖騎士だった。
「自分の手じゃどうしようもなくて、辛くて苦しくて泣いていることしかできなかったからっ……きっかけを求めたんでしょう? ギーゼル様を求めたんでしょう!? 彼女はそれをあなたに提供した……ならあとは、変われないのはあなたの問題です! 世界のせいにするな!」
彼女の視線が、言葉が──弱い自分を射抜いて殺した。
「あなたは本当にそれで良いんですか……? せっかく掴んだ未来を手放して、自分には何もできやしないって塞ぎ込んで死ぬのが本望ですか!?」
「──!」
シェルフの激励。それは、乾いてしまっていたゲルグの心に、ある記憶を思い起こさせた。
○●
これは一週間前の記憶だ。
光源一つない真っ暗な闇が包み込む牢屋の中。ゲルグはそこで独りでいた。王城地下の独房……自分には一生縁が無いと考えていた……否、そもそも考えたことすらなかったその場所で、ゲルグは両手両足の首を鎖で縛られて、座り込んでいた。
窓なんてなく、日の光が差し込まないそこは時間感覚が狂う。今が朝なのか夜なのかもわからないゲルグは、自分の犯した途方もない罪と向き合うのにも疲れてうとうと眠っていた。
ある時──カツ、カツ……と誰かの足音が聞こえて来て、微睡みの中にあったゲルグの意識は起こされた。
足音の主がぶら下げたランタンの光が近づいてきて、周囲の景色がぼんやりとだが見えるようになる。
しかし、ゲルグは俯かせた視線を上げることはなく、ロクに掃除もされていない汚れた牢屋の床をじっと見つめていた。
「や、ゲルグ・ボーン。起きてるかな?」
女性の声が、水滴が滴る音さえ響く物静かな独房内で凛と響いた。
「……はい」
自分でもびっくりするほど声が掠れていた。そういえば、しばらく看守に渡された飲食に手をつけていなかった。喉が渇き切っているのだろう。
「私の名はギーゼル。巷じゃ閃光の大賢者なんていうご大層な異名で崇められてる旅の魔法使いさ。今日ここには聖騎士協会に依頼されて来た」
「──執行の時間ですか」
わかっていた。むしろ、待ち望んでいた時が来たかのように、ゲルグはその言葉を躊躇いなく発した。
「……ああ」
ランタンの持ち主──ギーゼルは鉄格子によって隔たられた外の世界で肯定を示した。
「わかりました」
ゲルグの手足を縛っていた戒めがギーゼルにより解き放たれる。牢の外へ案内された。牢屋の中と同じように、外は真っ暗で……光源一つない暗闇の通路だった。
「手錠をかけてください」
ランタンの持ち主は、ゲルグの身の自由を奪うことがなかった。背後から殴打でもして、ここから逃げ出すかもしれないというのに。彼女は妙にあざとい、どこか心の安らぐような可愛らしい笑顔を浮かべるだけで、まるで隙だらけだった。もっとも、ゲルグの頭の中にそれを行動に移すという発想は無いのだけれど。
「ナツちゃんは処刑の瞬間に現れます。縛っておけば、多少の弱体化は望めるはずです」
ゲルグは両手を合わせて、ギーゼルに突き出した。それを見て、ギーゼルがぱちりと目を瞬かせる。
「……驚いたな。十人も殺した第一級の殺人鬼と言うから、一体どんな悪人なのだろうと身構えていたのに。君の人柄は善人そのものだ」
「僕は最低の悪人です。人を……殺してしまったんですから……」
「だから、自ら牢屋に入り、死刑を望んだ……か。その話は世界で四人しかいない神伝合金聖騎士である私に届いた。これから君の望み通りのあの世へ君をお連れすることになるだろうね」
ゲルグは首肯する。
その時、ランタンの持ち主は──その燈をこちらに向け……ゲルグの顔を淡い光で照らした。
「……助けてあげようか?」
「……え?」
彼女が口にしたのは馬鹿げていて、あまりにも危険にすぎる……それでいて──暗闇の中独りぼっちでいた少年がどこか待ち望んでいた提案だった。
「私の手を取ったら、君を助けてあげるよ」
何の冗談でもなく、ゲルグには彼女が女神様のように見えた。見た目が美しいとか……そんな単純な理由じゃない。何人も人を殺してきた……許されて良いはずがない罪業を背負った男に、手を差し伸べてくれた人。
だけどゲルグには、その手を素直に握ることはできなかった。自分にのしかかる罪の意識と良心が……『僕を自由にするわけにはいかない』とゲルグの手をその場に縫い付ける。
言い訳? その通りだ。
嘘じゃない。これ以上誰かを傷つけないためにも、自分は牢に残り死を待つべきである、というのも、紛れもない本心ではある。
「僕のせいで、沢山の人が死にました」
「うん」
『それでもやっぱり、僕はただ死にたいだけなんだ』
「罪も無い人々です。必死に助けを呼ぶあの人たちを前にして、僕は何もできなかった」
『ナツちゃんを失った僕には……もう生きる意味がない』
「そうか」
「全て、僕のせいです。僕が殺しました。僕はこのまま独りで死んでゆきたい。できうる限り無様に、無惨に。それが、僕が手にかけてきた全ての人への……僕ができる唯一の贖罪なんです」
「本当にそう?」
『そうやって苦痛に苛まれながら細々と生きるくらいなら──死んだ方がずっと楽じゃないか』
「……そうだね。その通りだ」
顔面が照らされる。闇の中で絶えようとしていた自分には、眩しすぎる慈愛の光……目を逸らさずにはいられなかった。
「綺麗事」も『本音』も、それぞれの到達点が交わって、同じ場所にある。ゲルグが死ねば全部解決する。
それなら……選択肢は一つだけだろう。
「独りぼっちで……死ぬこと。それが僕の贖罪で、僕の望む未来なんです」
あとは待つだけだ……。目の前の美しい少女に介錯されるのを。
「…………でもさ」
綺麗事だけを聞いていたはずなのに、ずっと相槌を打っていた少女は、ゲルグの本音すら見通したみたいに、我儘を連ねる子供を宥める慈母のような優しい笑みを灯した。
「──君は独りぼっちが平気なの?」
「っ……」
それから……ギーゼルはゲルグに、もう一つの道を提示した。
綺麗事でも、本音でも。等しく死ぬを望んでいたはずの少年は……彼女が差し伸べた手を取らずにはいられなかった。
なんでそんなことをしたのか……あの時のゲルグ自身にはちっともわからなかったけれど。今ならわかる気がする。
ゲルグは──
○●
──そうだ…………自分は、ただ友達が欲しかったのだ。
「生きてて楽しいって思えることなんて、一つもなかったからっ……罪を言い訳に命を捨ててしまおうって、殺してもらおうって思ってた」
「ッ、でも──」
「でも!」
シェルフが再びゲルグを叱咤激励しようとしたが、それはゲルグの張り上げられた声に遮られた。
「ギーゼル先生に、独りぼっちは平気なのかって聞かれて…….あの瞬間から、死ぬのが急に怖くなって、嫌になって……」
今まで仲間を知らずに生きてきた。高嶺の花の幼馴染をぼうっと見つめているだけの毎日。
ナツも失った今……そんなつまらない人生、いっそのこと無くしてしまおうと──人殺しを言い訳に死のうとしていたのに。誰にも見送られぬまま寂しく死んでゆくのが、どうしようもなく恐ろしいことだと気づいてしまって。
その時ゲルグは、自分が生きたいわけでも、死にたいわけでもなくて…………ただ、友達が欲しかったことに気づいた。
「僕は、普通の人らしく、友達と話して、笑っていたい……」
生まれてこの方。友達なんていなかった。
「僕は、好きになりたい……僕のこと」
そんな自分が嫌いだった。
「僕は、好きになって欲しい……僕のこと!」
人を殺してしまった。言い逃れなんてできない。相手が虐めっ子だったとか言い訳にもならない。ゲルグが弱いせいでナツも死んだし、そのナツの魂が彼らの命も奪うことになってしまった。
もうそんな悲劇はたくさんだ。強くなりたい。ゲルグが強ければ──彼らとちゃんと腹を割って話す度胸の一つでもあれば──あんな悲劇は起こらなかったのかもしれない。
「僕は、強くなりたい……」
──もう二度と……誰の命も奪いたくない。他人も、自分も。
「なら──聖騎士になってください! 自分も他人も守れる強さを身につけるんです……そしたら自分のことも好きになれる!」
「でもっ……僕はシェルフさんみたいに強くないから、独りじゃ戦えない……!」
「なら──!」
ふと、シェルフの頭の中に確信が湧き起こる。ギーゼルはゲルグを救ったんじゃない。もし彼が未だに死を望むなら──彼女はそれを無理に止めることはしないだろう。
ただ──彼女は、孤独に押し潰されそうになっている少年に、友達を作って欲しかったんだろう。大切な人ができて……自分を好きになって、友達に自分を好きになってもらって。
そうやって、彼の生きる理由を一つ一つ。シェルフたちを介して提示した。
なら、恩師の思惑に乗ってやろうではないか。
「今、私がここで! あなたの友達になってあげます!」
「え…………?」
「友達を……助けてくれますかっ……?」
困惑からか……身を硬直させ、動けないでいるゲルグの胸に、自身の得物である刀を押し当てた。
「勝手に死んだら絶対に許さない……! だからゲルグ! 命を諦めないで……友達を助けてください、聖騎士として!」
友達。こんなに勇気があって、強くて、誰かのために命をかけられる凄い人が……ゲルグなんかを、友達だと言ってくれた。
そうだ、友達だ。友達が……助けを求めている。
「……!」
ゲルグは視線を上げた。いつぶりだろう……ゲルグは真っ直ぐ、少しも下に向いてない前に視線を向けた。
しかし、戦え──とは言っても、戦闘訓練を始めてたったの一週間。ゲルグにできることなどたかがしれている。
思考する。シェルフにできず、ゲルグにできることはなんだ? 彼女の拳で破壊できない砂蟲の肉壁を、どうすれば突破できる?
数瞬間。思考を捻り出して導き出した答えを、意を決して口にする。
「……シェルフさん、チサトさんたちをお願い」
「………………わかりました。危険な賭けですが、それしかなさそうですしね」
シェルフはチサトたちをいっぺんに担ぐと、ゲルグから離れ距離を取る。
それを認めてから、ゲルグは精神を集中させ、左手の人差し指と中指だけを立てて印を結んだ。
「ねぇ」
──姿を現し、僕に怖い思いをさせる魔物をやっつけてよ。
「ゲルグ!」
シェルフがゲルグの足下に、自分の刀を投げつける。それを拾い上げ、右手に携えて……準備は完了だ。
ゲルグは口にした……その合図を。
「お願い……ナツちゃん」
それは……既に十人もの人々を手にかけた、呪われた力。魔の女王と呼ぶに相応しい彼女は、邪智暴虐を尽くして主君を害するものをことごとく血祭りにあげる。
しかし──愛する王子に危害を加えない者は……彼女の凱旋の道を外れている──はずだ。
その場に、異様な緊迫感が訪れる。聖騎士見習いとして、ギーゼルの弟子として、半ば無理矢理幾つもの死線を潜り抜けさせられてきたシェルフの頬にも、一筋の冷や汗が垂れた。
何せ、今そこにいるのは──
『ゲルグを傷つける奴、だぁれだ?』
一週間ぶりに目にする、神伝合金の実力をほしいままにする少女の魂だったのだから。




