第三話:ゲルグ・ボーンは本当に人を殺したのか
被害者のうち一人は、特別魔力が強い体質であったようで……残穢からの追跡が可能だった。
魔力残穢を追って一同がたどり着いたのは体育館……しかし妙なのが、体育館となると人通りが多く、行方不明者がどこかに幽閉……あるいは殺されてその死体が放置されているとなると、誰も気づかないわけがないのである。
被害者が失踪してから丸一日以上は経過している……その間、複数のクラスが体育館を訪れたはずだ。
とにかく、反応がある方向へ行ってみないことには何もわからない。シェルフが体育館の出入り口の取っ手を握る──そこで、祝福の学舎の教科書である魔物の図鑑をペラペラとめくっていたシャロンが、「ん、ん」と唸りながらチサトの脇腹を肩でつついた。
「あ、あったって。今回の攫われ方と合致する魔物」
「ナイスです、シャロン」
シェルフたちはシャロンが開いたページを覗き込んだ。
「『シャドウウィッチ』……シャドウ系の魔物ですか」
シャドウと呼ばれる、黒い影のような魔物が存在する。無印のシャドウであれば徒手空拳で暴れるだけの、ゴブリンより少し強い程度のつまらない魔物なのだが……ビーストやウィッチは厄介だ。
特に後者なんかは、ただでさえそれなりに高かった基礎能力に加え、様々な魔法を駆使して襲ってくる。中でもシャドウウィッチの魔術である影魔法は、対象の意識を封じて影の中に閉じ込めることができるらしい。
魔法の特性が、今回の事象と似ている。コレの仕業と見て間違いないだろう。
転移魔法とは違いあくまで拉致運搬なので、道理で魔力残穢が残るわけだ。おそらく被害者たちは気づかぬ間に影の中に飲み込まれてしまったのだろう。それも数秒、誰の視線も向いていない僅かな間に。
「ランクは白金等級……ちょっと高いですね」
魔物と聖騎士のランクは同じ鉱石で決められる。
が、魔物のランクは聖騎士のそれとは少々異なり、白金等級の魔物は白金等級の聖騎士が安全に討伐可能……つまり、金等級の聖騎士と同じくらいの実力とされている。
シェルフの等級は銅等級──いや昇級が遅れているだけで銀等級と同等……シャロンは金等級だ。ゲルグは当然ながら数には入れない。彼がナツを解放すれば白金等級の魔物程度消し炭だろうが……それは魔物だけでなくこの学校、引いては区画も例外ではない。
ランクで見れば五分……なるべくチサトの力は借りたくないところなのだが……厄介な相手だ、そうも言ってられまい。
「チサト。先導してもらえますか? 見つけ次第、私とシャロンで叩きます。状況を見て援護の判断を」
「ん、任せて」
チサトが体育館の入り口の扉に手をかける。シャロンは口元を覆っているマフラーに手をかけ、いつでも声を響かせられるよう準備を。シェルフは腰の鞘に収めていた長身の刀を抜き放った。
「えっ、と……ぼ、僕は……」
「待機です。魔物に襲われてナツを出されでもしたら大惨事です」
「は、はい……」
ごもっともである。ゲルグは大人しくその場で止まることにした。
「んじゃ突入するよ。角待ちしてる可能性もあっし、油断せずにね」
「当然です。むしろあなたの方が魔術に頼って回避を疎かにしてないか心配ですね」
「ふふーん、このチサトさんがそんなヘマするわけないでしょーが」
物音を立てないよう、ゆっくりと繊細な手つきで扉を開放。人が通れるくらいに扉が開いてから、チサトとシャロンが体育館内へ侵入する──
次の瞬間──
「へ……?」
フッ、と……チサトとシャロンの姿が消えた。
敵に襲われて倒れたとか、テレポートとか、そんな陳腐なものじゃない。扉一つ隔てた空間に足を踏み入れた途端、敵の気配も、魔法式の気配もなく、二人の姿が影も形もなく奪い去られたのだ。
「ゲルグさん!」
「は、はいっ!」
数歩離れた所で唖然としていたゲルグは、速やかにシェルフに駆け寄り、自分よりも高い身長の少女の背に身を隠すように屈んだ。
「チサトが一切抵抗できずに連れ去られるなんて……敵はシャドウウィッチじゃない……? いやでも──他に瞬時に人間を攫える魔物なんて……」
シェルフがぶつぶつと、頭の中を落ち着けるように、理屈を連ねては否定してゆく……。ゲルグよりもよっぽど強く、聡いシェルフが声を震わせている……それほどの異常事態なのだろう。
だが──さすがは聖騎士と言ったところか……シェルフはすぐに、冷静さで作った仮面を被った。
「──ゲルグさん、私たちも突入します」
「えぇっ!? だ、大丈夫なんですか!? そ、その色々と……」
「今ので敵がかなり強いことがわかりました。チサトの助力が必要不可欠です。ですがチサトは──」
「チ、チサトさんは……?」
「とにかく、時間が無いんです。一秒も無駄にできない。あなたの──ナツさんの力も借ります」
「だ、ダメですよ! ナツちゃんの力は危険なんです! ギーゼル先生が来る前……白金等級の聖騎士だって──」
「少しでも人手が欲しい……その剣だって、無いよりはマシです」
「ち、ちょっ……」
シェルフに手を引かれ、体育館内へ足を踏み入れる。が──転送、らしき現象は起きず……タンッ、と軽快な足音と共に……二人は二本の足を体育館の床につけた。
「ぼ、僕たちは、攫われたなかったんでしょうか……」
「……」
シェルフは答えず、辺りを見回す。
至って普通の体育館だ。何もおかしい所はない。チサトとシャロンも、魔物の姿も見当たらない。
だが……窓の外がやけに暗い。放課後とは言え、現在は5月。太陽が沈む時間帯ではあるまい。
「これは……認識阻害の結界……? いや、そんな陳腐なものじゃあない──」
「シェルフさん?」
「黙っててください。今考えてるんですから」
シェルフたちは体育館を出た。夕方とは思えない真っ暗な空、人の気配一つない学校の敷地内。異常だ。
「結界で囲んだ地形をコピーして、対象をコピーした世界に送る……そういう魔術があると聞いたことがあります。大抵は決闘とか聖騎士の昇級試験で使われる魔術ですけど……」
シェルフは刀を、ゲルグは剣を──まだまだ素人の太刀筋だが構え、周囲を警戒。
「妙だと思ったんです。魔物のクセに、その場にいた全員ではなく何人かを誘拐したり。空間転移なのに、体育館まで被害者の残穢が残っていたり。罠だったんですよ──私たち、誘い込まれました」
「罠──って、魔物がそんなこと……あ」
シェルフが頷く。導き出される答えは一つしかない。
「人間の仕業ですね。目的は不明ですが」
犯人は魔物ではなく、人間──魔物の魔力残穢を残すなど、巧妙な偽装を施したからには、何かしらの目的があるんだろうが……今はチサトとシャロンとの合流が先決。犯人の思惑なんざ、確保して尋問すれば良いだけだ。
「シェルフさん、チサトさんたちの魔力、た、探知できないの……?」
「やってみます。しかしここは敵の胃の中……探知は妨害されるのが普通で──」
そこで、シェルフは違和感を覚えた。
チサトとシャロンの魔力ならあった。校舎の屋上だ。二人以外にも、行方不明者の数と一致する数の魔力反応がそこにある。ここから少し遠いが、壁をよじ登ればすぐだろう。
問題なのは……校舎内や、校庭に、大量の魔力反応があること。
十や二十じゃない。五十、いやもっと……百近い数の魔力反応がある。一瞬、高校の生徒のものかと思ったが……一般人にしては少々魔力が強いし、そもそもここは魔法世界で、自分たち以外の人の気配は感じられない。
「まさか……」
悪い予感は的中していた。体育館の壁から顔を出し、校舎側の様子を見ると……そこには、大量の魔物が闊歩していた。
魔法世界に魔物を蓄えているとは……何とも悪趣味な相手だ。
「ゴブリンやスライム、はちらほら……オーク、ハウンド、シャドウまで……多いですね。ほとんどが銀等級じゃないですか」
銀等級の聖騎士と同程度の実力を持っているシェルフにとって、あれらの魔物を討伐することはわけないが……あれを突破してチサトたちを救出に行くのは、少々骨だ。
だが──やるしかあるまい。屋上で戦闘している気配がないのを考えるに、チサトとシャロンは拉致されてしまったようだ。となると、今まともに戦えるのはシェルフしかいない。
「ゲルグさん。私が時間を稼ぎますので、屋上のチサトたちを確保してください」
「シ、シェルフさん……あの数を、ひ、一人でっ!?」
「やるしかないでしょう……」
シェルフは刀を構え、魔物の群れに向かって駆け出した。
もちろん無策ではない……太腿に巻いているホルスターから針を数本抜き、魔物に投擲。これは毒針だ。
スライムやシャドウのような物理攻撃が通用しにくい相手は無視……ゴブリンやオーク、ハウンドを重点的に狙う。
毒針が突き刺さり怯んだ魔物たちへ刀を一閃させ、的確に──急所である首や胸を切り裂いてゆく。
鮮やかな手並み──瞬く間に十体近い魔物が倒れてゆく、見事な早技である。
「す、凄い……」
「お褒めに預かりどうも。ですが私は魔法使いではないので、スライムやシャドウは手間がかかります……」
それに……初撃は不意打ちだ。魔物たちがシェルフの存在に気づき、戦闘態勢を取っている。ここからが本番……と言ったところか。
「……」
ここからはスタミナ勝負だ。魔法使いじゃないのですぐガス欠になることはないが……残り数十体もの魔物相手に、一体どれだけ体力が保つかわからない。屋上か、校舎内か、はたまた魔法世界の外のいずれかに潜んでいる黒幕との戦いも控えている。なるべく派手な動きは控えたいところだ。
しかし……そうも言ってられまい。万が一にもナツを起こさないよう、ゲルグには安全に屋上へ行ってもらう必要がある。
「しょうがありませんね……」
大柄な人型の魔物──オークが咆哮を上げ、シェルフの体長くらいはある巨大な棍棒を振り下ろす。
地面が抉れて粉塵が巻き起こる。良い目眩しだ。シェルフはゲルグに近い場所に位置する人型と獣型の魔物に残りの針を全て投擲した。
「ゲルグさん、今です!」
「は、はぃっ!」
ゲルグが駆け出す。あんまり格好がつかないフォームだが、それにツッコんでる暇はない。毒が通用しない異形型……スライムやシャドウが動き出す──
「あなたたちの相手は、私ですッ!」
シェルフがシャドウのうち一匹の身体を斬りつける──が、斬りつけられたシャドウは……否、全ての魔物は、シェルフを無視してゲルグに向かった。
「はっ!?」
明らかに統率の取れた動き……。この魔物たち、知能があるのか?
いや、それもおかしい……確かに、知能の高い魔物は存在する。しかしそれは、白金等級以上の高位の魔物の話だ。ゴブリンやスライムなどの雑魚には、人間の子供にも満たない知能しかないはずだ。自分に危害を加えてきたシェルフを無視して、遠くで走っているだけのゲルグを襲うなんて──
「う、うわぁっ!?」
シャドウがゲルグに飛びかかり、影の手を巨大な鎌に変容させる。
「か、考えるのは後……!」
地面を蹴って跳躍。ひとっ飛びで肉薄したシェルフはシャドウを蹴飛ばし、刀で突き刺した。
が……刃が通らない。物理攻撃に耐性のあるシャドウは、少々よろめいただけですぐに体勢を立て直しゲルグに向かって行進した。
「クソッ! 【火よ!】」
我ながら、魔力が潤沢な方ではないのだが……火属性初級魔法を超短縮詠唱で展開し、刀に纏わせてシャドウを両断する。
だが……魔物は一体ではないのだ。シェルフはすかさず他の魔物を押さえ込み、叫んだ。
「ゲルグさん速く! 長くは保ちません!」
「…………」
しかし……初めて魔物を前にして、自分の命に指をかけられているからか──ゲルグは動こうとしない。悲鳴すら上げず……呆然と自分に迫り来る魔物の群れを見つめるだけだった。
「何やってるんですか!」
一匹、撃ち漏らした。先ほどとは別の個体のシャドウがゲルグを襲う──シェルフはすかさず間に入って、シャドウの攻撃を刀で受け止めた。
「ぐっ……」
重い……鉤爪と化したシャドウの腕を受け止めるのが精一杯で、一切身動きが取れない。この場で少しでも力を弱めようものなら、シェルフとゲルグは間違いなく頭から引き裂かれてしまう。
(仕方ない……また魔法を使って──)
と、シェルフが刀に魔法を纏わせようとした時──不意に、シェルフは自分の足から力が抜けるのを感じた。
「へ?」
いや、違う……踏ん張るものが無くなったというか……、
「地面が、消えた……?」
「え、えっ……!?」
下を──辺りを見回すと、先ほどまで踏んでいたはずの校庭の砂はなく……代わりに、やたらとグロテスクな肉壁と巨大な穴。筒のような形状をしていて、どうやら自分たちはその中心にいるようだった。
程なくして、重力が働き……シェルフとゲルグは真っ逆さまに落下する。
その直前、シェルフは、自分たちの足下に突如として現れた穴の縁が、無数の牙で飾られているのを目撃した。
牙、歯。生き物の口に存在する、アレだ。この穴は、魔物の口……?
「ま、まさかこれはッ、砂蟲!?」
白金等級に分類される魔物──砂蟲。地中に生息する巨大なミミズのような魔物で、地面の中を潜伏し、半径五メートルはある巨大な口で地上の獲物を丸呑みにする。体長が十メートル近くある恐ろしい魔物だ。
金等級聖騎士であるシャロンと同格の化け物。銅等級……甘く見積もっても銀等級のシャロンでは、どう逆立ちしても敵わない怪物──その砂蟲が、シェルフの探知を掻い潜り……地面の中に潜んでいたのだ。
「ば、馬鹿なっ……!」
悲鳴を上げる間もなく──二人は砂蟲の胃袋に収められた。




