第二話:理由のある人殺しに同情は必要なのか
「正体は不明だが……彼の中には確かに、ゲルグ・ボーンとは別人の魂があるんだ」
王都から少し離れたとある農村。そこでは、祝福の学舎校長ギーゼルと、彼女の知り合いで白金等級ランク聖騎士のアカリが共同任務を終えたところだった。
アカリは冷静沈着で、規律を遵守する真面目な性格。それでいて頭脳明晰かつ実力も十分。悪いところなんて一つもない奇跡みたいな構成でできた完璧超人で、何度か王家や騎士団が寄越してきた任務を同行し、仲良くなった間柄だ。
「彼の中に別人の存在がある以上、彼が殺しをしたと断定するのはやや早計だ。今処刑するのは早すぎる。
だからギーゼルは彼を保護した。
「だが……問題なのがナツ──彼の中に潜むもう一つの人格の特性、出現条件と称するべきか……。時折ゲルグの身体を一時的に掌握したかと思うと、暴走してしまうらしい。原因はおそらく、宿主に迫る危機。まるで騎士だね……守られているのが王子というのが少しロマンティックに欠けるけれどね」
ギーゼルとアカリはとある農村に現れた猛牛──ミノタウロスの討伐を任されここに来た。ミノタウロスは白金相当の魔物。等級が一致するアカリの相手でも、ましてや生ける災害とさえ称される神伝合金の聖騎士であるギーゼルの敵ではない。取るに足らない、あくびが出るほどの任務だった。
ギーゼルとアカリは片手間に怪物を相手取り、討伐後は蛆のように湧いた低級魔物を掃討した。と言っても、ギーゼルは自分が連れて来た弟子の少女を使ってサボっているのだけれど。
「私がゲルグを拾うまでに。白金等級が一人、金等級が二人もゲルグ──いや、ナツに返り討ちに遭っている」
そして最終的にゲルグ・ボーンに下されたのが、勇者パーティーの魔法使い、閃光の大賢者ギーゼルによる死刑。
合理的な判断だ。ギーゼルは魔王を討ち取った名実共に世界最強の魔法使い。ギーゼルならば、どんな化け物にだって負けるはずがない……彼女が地に伏すその時は、世界が滅びる時なのだから。
「わざわざ執行人にギーゼルさんを…………上層部の見立てでは、彼に潜む何かは金剛石レベルの脅威ということでしょうか」
ミノタウロスの討伐後、それの恐怖から解放され、蛆のように湧いた低級の魔物を処理するアカリ。元々はギーゼルが連れている弟子──見習いの少女魔法士にさせるつもりだったのだが……「一人では危険です」とアカリが手伝っているのだ。まったく……それでは彼女の訓練にならないのに。余計なことをしてくれる。
相変わらずのアカリの真面目さに呆れつつも、ギーゼルは自分の権限で死刑に実質無期限の執行猶予を与えた少年の話を続ける。
「──これは推測だけどね。アレは聖騎士の等級換算で神伝合金相当だよ」
アカリの小さな目が細まるのがわかる。
聖騎士の実力を表す『等級』。上から順に、かつて世界を救った英雄が位置する金剛金、アカリのような優秀な聖騎士が至る白金、凡人の天井とされる金鉱石、優秀と称される銀鉱石、凡の銅鉱石となっている。
他国では多少上下するが、藤王国の聖騎士の六割が銅鉱石、二割が銀鉱石、一割が金鉱石。それに加え、国単位で僅かとされる白金と、世界に視野を広げて十数人しか存在しないのが金剛金。かつて魔王を討ち取った勇者パーティーや英傑たちがこれに該当する。
そして、実質的な天井である、世界を救った英雄たちが位置する等級の、更に上……聖騎士の等級にカテゴライズされない、人間卒業の証。実力とかそういう陳腐な言葉では表現することができない、生ける災害。それが、世界にたった二人しか存在しないと言われる、神伝合金の聖騎士である。否──ナツを伴ったゲルグ・ボーンが神伝合金と認められた以上、三人と記録を更新する必要がある。
アカリはギーゼルがその単語を発した際、一日の勤務時間が規定の刻を超えた時に感じるものと同じような頭痛を感じた。
神伝合金──その脅威は、端的に言うと、
「──魔王」
アカリがふと口から漏らしたその名は、79年前勇者パーティーが立ち上がるまで、この世界を支配していた魔人族の凶王の名だった。
「ただの一般家庭出身の学生が孕む別人格が、あなたほどの魔法使いが79年前死に物狂いで討伐した存在に匹敵するとでも?」
「さすがにそれほどと言っているわけではない。ただ、同じ神伝合金という等級である以上、私にアレを倒せるかどうか判断がつかないのは事実だ」
「……はぁ…………」
勤務中だが。アカリは耐えられず心底呆れのため息を吐き出した。
ナツの脅威は強大だ。そして世界にたった二人(ゲルグ・ボーンを除く)の神伝合金聖騎士ギーゼルの影響もまた、世界にとって強大そのもの。
そしてギーゼルは、その神伝合金聖騎士の中でも更に一線を画す。何の比喩でもなく世界一の魔法使いだ。
そんな彼女が……勝てるかどうかわからない?
「冗談はよしてください」
本当のところを言え──アカリは強い視線をもって返した。
「……わかったよ。本当のことを言う」
ギーゼルは呆れた様子で肩をすくめた。
「ゲルグが可哀想だと思ったんだ。本当に。これ以上何か理由が必要かい?」
「ギーゼルさん……ゲルグ・ボーンが善人とて、私は他人を害するのに制御はできない力を持つ彼を聖騎士として認めることはできない──私は彼の死刑に賛成ですよ。そちらの方がよっぽどてっとり早い」
魔物を始末する片手間、アカリが言うと、視界の端にいる彼女がふふっと笑みを溢した。
「──真面目ばか…………。アカリ、シルフィ、それくらいで良いよ。あとは私がやる」
シルフィ──そう呼ばれた少女魔法使いが、待ってましたとばかりに退散。低級とはいえ、数十の魔物を討伐しているのだ……魔力切れも近かったのだろう。アカリも彼女に合わせて退避する。
次の瞬間、ギーゼルの意思により、周囲にいた残りの低級魔物たちが爆発四散。僅か数秒の出来事だった。指先一つで魔物を殺す──恐ろしいほどの魔法の精度だ。
だがこれも、あくまで彼女の実力の礎にすぎない。その気になればゲルグを始末するのも容易いだろう。
「アカリ──私はゲルグを殺したくない。少なくとも今はまだその時じゃないと思う。彼はまだ……生きてて良かったなんて一つも思えていないんだ」
「彼は自ら死刑に賛同を?」
「うん。自傷行為もしていて……ナツが暴れないよう、自ら処刑前に自分の四肢を鎖で縛ることも要求してきた。ま、失敗したんだけどね」
「彼は自ら死のうとしている……なら、わざわざ助けてやる必要がありますか?」
「さてね。私は、死にたいなら勝手に死ね派だよ? アカリと違ってね」
ゲルグの自殺願望を否定しないのだな……と、アカリは顔にこそ出さなかったものの、少し驚いた。
「幸せのしの字も知らないような子供の彼を、殺したくない。殺させたくもない。だからゲルグの死刑を断って、上にガン飛ばして執行猶予をつけさせた」
ギーゼルはクズだ。まだ子供の弟子に魔物の掃討を丸投げしていたり、自分が担任を勤める祝福の学舎の生徒たちをほったらかしにしていたりと……彼女のクズエピソードを挙げればキリがない。
だが彼女は同時に……世界を救った勇者でもある。それに間違いはない。例えどうしようもないクズだとしても、命を愛し、尊ぶ。それが閃光の大賢者ギーゼルの本質なのだ。
「一ヶ月後、半年後、一年後。いつになるかはわからないけど……祝福の学舎で、シェルフやチサト、シャロンとちゃんと楽しい青春を過ごして、それでも彼が死を望むのなら……私は彼の望みを受け入れるつもりだ──だから私は、まだゲルグを殺したくはないんだ」
だからアカリにとって、命を冒涜するにも値する行為──自死をギーゼルが肯定するとは、予想外だった。
「何も青春だけが人生の楽しみじゃないでしょう? 彼の趣味でも何でも問いただして、与えるべき物を与えれば良いじゃないですか」
アカリの苦言に、ギーゼルはしばし間を置いてから答えた。
「──そんなことをしたら、彼は独りぼっちになってしまうだろ?」
「…………」
「友達を作る。だから学校なんだ。単純で馬鹿馬鹿しいことかもしれないけどさ……やっぱりそれが一番幸せなことなんだよ」
彼には幸せになって欲しい。ギーゼルは信じている。ゲルグはきっと無罪だと。彼は殺しをするような人間ではないと。
彼は優しい少年だ。このご時世、珍しいくらいのお人好しだ。なのに……そんなゲルグが──
「自ら死を望むほど、生きることに何の喜びも感じない……そんなの、悲しすぎるじゃないか」
だから助ける、彼を救う。ギーゼルは宣う。
アカリは再度、ため息を吐き出した。先ほどと同じ、心底呆れのため息。しかし、この時のアカリの感情は先刻とは違った。
「まったく……どうしてこの人は素直にものを言えないんだ」
「アカリ? なに笑ってんの? 怖いよ……?」
「いえ。ほんの少しだけ。子供の頃捨てたはずの憧れを取り戻せただけですよ」
「ごっつ失礼だなお前」
ゲルグ・ボーンがいつか、生を渇望する日が来ることを願って。アカリは一つ、柄でもないことをしてみようと思った。
「ギーゼルさん──幾らか前にいただいた話、受けても良いですよ」
○●
ゲルグが祝福の学舎に編入してから一週間。今日も今日とて、一人前の聖騎士になるべく訓練をしている生徒たち。教師不在という学校としてそいつはどうなのかと首を捻らざるを得ない状況の中、ゲルグは自身が握る木刀の刀身を振り上げ、目の前の金髪の少女へ思いっきり振り下ろした。
「はいよぉっ!」
全力で振り下ろしたその木刀が、稽古相手の少女──チサトの指二つで簡単に押し止められてしまう。
「とぉっ!」
チサトが発勁よろしく手のひらをゲルグの腹に押し当て、そのまま力を込める。その瞬間、小柄とはいえ男性であるゲルグの身体が紙のように吹っ飛んだ。
「うわっ!?」
全身を強かに地面に打ちつけ、砂だらけになってしまったゲルグが後頭部を押さえながら、今にも倒れそうな老人の如き足取りで立ち上がる。
「──あれが白金等級聖騎士すら殺した凶悪殺人鬼、とは……とても思えませんね」
チサトとゲルグの模擬訓練の様子を観戦していたシェルフとシャロンが、誰もが抱くであろう感想をそのまま口にする。
「まぁしょうがないっしょ。ゲルちゃん、魔力無しの私ら以上のもやしだし」
「お疲れ様ですチサト。…………あとゲルグさん」
(て、敵意が凄い……)
チサトに労いの言葉を連ねる一方、ゲルグへは敵意しか籠っていない視線を向けるシェルフ。
初めて会った日からずっと彼女はこんな感じだ。もうゲルグが加わってから一週間は経つというのに。飼い主以外の人間を目にした猫のような敵対っぷりだ。
「ゲルちゃん、やっぱ魔力制御が当面の課題だよ。今のまま任務が割り振られたら、マッパで銃弾の雨の下を歩くようなモンだし」
「ま、魔力制御、ですか……」
ゲルグの実力は……当然と言うべきか、一般人並み。所謂第四世代顕現術式と呼ばれる魔力制御はかなりの高等技術で、白金等級聖騎士のような人間離れした身体能力を得るのはもちろん、僅かな身体強化でさえ困難とされる才能の世界だ。
「そ。それか魔法使い諦めて戦士になる? 今時珍しいけど、顕現術式に頼らず戦うの──魔力がなきゃ魔物の動きに着いて行くどころか捉えることすらムズイもん」
チサトの提案はもっともで、今のゲルグに魔法の訓練とかそういう話は早すぎる。まずは戦闘における基礎技術を確立させなければならない。
「あれ以降、ナツ……でしたっけ。別人格も現れていませんし……傍から見たらただのもやしですね」
「そんなこと言ってっとまた出てくるぞー? あの時だってゲルちゃんをいじめんなーって出て来たんだし」
「フン、今度は返り討ちにしてやります」
「メスガキ……」
シャロンがなんだか恐ろしく失礼なことを小声で言っていた気がしたが、シェルフには聞こえていなかったようなので良しとしておこう。
「そろそろ休憩も済んだっしょ。次、シェルフとゲルちゃん」
「げぇっ」
チサトがベンチにどっかりと深く腰を落としたと同時に発した指示を聞くと、シェルフの顔が一瞬で不機嫌そうに歪んだ。
「『げっ』って言った……」
「言ってません。変な言いがかりつけてないで、さっさと準備してください」
「は、はいっ……」
彼女はゲルグが近くにいる間は基本不機嫌だ。自分がここまで彼女に嫌われている理由は……考えるまでもないだろう。
「チサトさん──シェルフさんって、やっぱり……僕がナツちゃんを出してしまったこと、怒っているんでしょうか……」
「大丈夫ゲルちゃん。あの子、ツンツンしてるだけだから」
絶対に何か勘違いをしている。それか面白がっているのか。何せ、シェルフの対応が恋愛感情を隠す照れじゃないことは恋人いない歴が年齢とイコールで結ばれているゲルグにだってわかるのだから。
だが、言葉にも視線にも表せない臆病なゲルグの抗議はチサトに届くはずもなく。
「そういうお年頃なのよーん、大人の対応で我慢我慢! じゃないとモテないぜぇ少年っ」
「いやモテたいわけじゃないですけどっ」
「ゲルグさん。何ボサッとしてるんですか、さっさと位置に着くっ」
「は、はい!」
しびれを切らしたシェルフが怒鳴るので、ゲルグは背筋をぴん、と伸ばして走ってゆく。
「にしてもマジで様子が変だなシェルフ。私らにはあんな態度じゃなかっただろーに」
「弱い人間が嫌いと」
「どこの時代の人だよ……」
チサトたちの方がゲルグよりも彼女と付き合いが長いと言えど……所詮は一月程度の差。この一月で沢山の任務を共にこなし、それはもう濃密な体験をしたことだし、そんじょそこらの高校生たちとは比べ物にならないほど硬い絆で結ばれているという自負はあるが…………。彼女の人となりの、その奥──シェルフの信念というものは、まだチサトたちも図りかねているのだ。
「構えてください」
難儀なツンデレ少女(デレ要素皆無)に言われて、ゲルグが木刀を独特のスタイルで構える。
「剣を地面と垂直に構えないっ。子供ですか、みっともない。格好良くないからやめてください」
「は、はいっ……え、ええと……こんな感じ、かな?」
「ちょっと違う。もうちょっと重心を……」
剣の扱い方をレクチャーするシェルフを遠目に。チサトとシャロンは揃って微笑。
「なまじ教えるの上手いから……余計ツンデレ感出てんのよなぁ」
「うん」
シェルフとゲルグの模擬訓練は終始シェルフの圧倒で事が進んだ。ゲルグが切り込むも、シェルフがひょいと身体を逸らして回避した後、隙だらけのゲルグの急所を彼女の刀が突く。これが実戦なら、ゲルグは既に十数回は死んでいるだろう。
しかもチサトと違い寸止めなんかしてくれないため(さっきの発勁は気がノッてきてやっちまった)、すぐにゲルグの体力の限界が訪れた。
(でもっ──シェルフさんは、チサトさんほど動きが非常識ってわけでもない……)
この一週間でなんとなく掴んできた体術のコツを、彼女が油断した一瞬の隙に一気にぶつければ──シェルフの鋭く的確な一突きをすんでの所でかわし、木刀を脇で挟み込む。
「なっ」
「やあっ!」
シェルフはゲルグを雑魚と見て油断していた。実際その通りだが……その事実を利用させてもらう。得物を縛られ身動きが取れないシェルフへ、渾身の一突き。
「っ!」
しかし、シェルフは明らかに人間離れした動きで跳躍。男性にしては小柄とはいえゲルグの身長を優に凌ぐ高さへ跳び、ゲルグが突き出した木刀の上に着地した。
「嘘ぉっ!?」
「なんとも姑息で無意味な足掻き……良い度胸です」
ぴくぴく、と額に血管が浮き出るほど怒りを露わにしたシェルフがゲルグを組み伏せ、降参の合図である二回のノックにも対応しない始末。
「あなた馬鹿ですよね? 木刀じゃなかったら私が刀を引いた瞬間お陀仏だったんですよ? 模擬戦に勝つことが目的ならさっさとこの学校から立ち去ってください!」
「す、すみませんすみません!」
「さすがに止めるか──シャロン、おね」
「りょ」
隣に触る無口な少女には視線で意思を伝える。彼女がマフラーを外し、すうっと肺の中に空気を溜め込む。
が──それより早く。
「や、みんな元気してるかい?」
現れたのは汚馬鹿ローブ……もとい祝福の学舎校長であるギーゼルだった。名前の由来である洗濯を後回しにした汚らしいローブにもきっちりと袖を通している。
「汚馬鹿ローブ……珍しい、一週間で帰って来るなんて」
「しっし。さっさとシルフィアのとこに帰ってください」
「お呼びじゃない」
「ギ、ギーゼルさん……全然慕われてないんだ」
辛辣な言葉を口々に発する生徒たちのリアクションはフルシカト。ギーゼルは一方的に用件を述べた。
「実はさ、2年か3年に頼むつもりだった重めの任務があんだけど……どっちにも却下されちゃったんだよね」
「…………」
シェルフたちだけでなく、まだ見ぬ上級生たちにも心底嫌われているようである。さすがに何だか不憫に思えてきた。
「でさ、そういうことだから。みんな、代わりに行って来てくれると嬉しいんだけど」
「私は淡白な模擬戦ばかりで退屈していたところなので、構いません……二人とも、良いですよね?」
「ゲルグも入れたげなよ」
「…………」
間髪入れず指摘したギーゼルの言葉に、シェルフが押し黙ってしまう。険悪な空気など知るかと言った様子で、次にギーゼルは疑問に思っていたことを口にする。
「ちなみにシェルフはそれ何やってんの? プロレスごっこ? 仲いいね」
「いくない! あ良くない!」
条件反射で返すくらいには癪に障ったらしい。シェルフがつーんとそっぽを向いてしまう。これではしばらくは口を利いてくれなさそうだ。
ギーゼルは小さくため息を吐くと、懐から、チェーンを通された平べったい楕円形の何かをゲルグに投げ渡す。
「とりま任務ヨロシク。これゲルグの聖騎士証ね。国王陛下と聖騎士長に眼飛ばして作らせたよ。いやはや歳食っただけの老いぼれは頑固で困るね」
それの正体は、ゲルグが聖騎士であることを示す身分証。超がつく貴重品をまるでキャッチボールでもするかのように投げ渡してくるので、ゲルグが受け止められなかったそれをチサトが空中でキャッチ。別に地面に落ちた程度で破損するような柔な素材でできちゃいないが、ゲルグにとっては長いことお世話になる物だ。丁重に扱った方が良いだろう。
チサトがほっと息を吐く間。気づけば、ギーゼルの姿は影も形も無くなっていた。
「……あの、汚馬鹿ローブっ」
「は、はは……」
さすがの職務怠慢っぷりである。シェルフたちのギーゼルへの距離感、というのもあるだろうが、ゲルグは一瞬、ここが学校であり、自分たちは生徒であるという事実を忘れそうになった。
まるで、十数年共に過ごした家族のような……それだけ──居心地の良い場所だと、認めざるをえない。
ゲルグはこの空気を、飲み込みにくい塊のように感じていた。
○●
英暦79年5月31日。王都内の都立高等学校にて、五人の生徒が行方不明に。学校には魔物の魔力残穢が確認され、残穢から推測される等級はおよそ金鉱石。捜索にはシャロン金等級聖騎士とシェルフ銅等級聖騎士を派遣。また、非常事態に備え、作戦補佐にチサト特別金剛石聖騎士──
──並びに、ゲルグ神伝合金聖騎士の派遣を決定する。
当該聖騎士は速やかに行方不明者を保護、魔物を討伐してください。
6月1日。あの後ゲルグたちは祝福の学舎の制服のまま、ギーゼルに渡された書類に記されていた高校を訪れた。
別の学校の制服を着たまま校舎に入るというのは、何だか不思議な気分だが、ゲルグは特別形容し難い気持ちだった。
「あれゲルちゃん、何だか浮かない顔してんね」
「は、はい……」
顔に出ていたのか……ただてさえ卑屈な顔がもっと醜く歪んでいたのか、チサトに心配の声をかけられてしまった。
「こ、ここ、僕が通っていた高校なので。1年4組です」
理由がそれ。ここは、ゲルグが殺人容疑で騎士団に身柄を確保される直前に通っていた高等学校だ。この学校からすれば……生徒を葬った殺人鬼がのこのこと帰って来たのだから、ゲルグが落ち着ける場所であるはずがない。
この制服に顔を隠せるフードのような物が無いのが惜しい。もし知り合いに遭遇したらと思うと、全身が震えた。
「そいえば、ゲルちゃんの制服ちょっと特殊だよね」
祝福の学舎の制服は、女子男子共にベージュのブレザー、ワイシャツ、そして女子であればチェック柄のスカートだ。男子の先輩を見たことがないので憶測を膨らませることしかできなかったのだが……ゲルグが袖を通して来たその格好は、チサトにとっては少々予想外の物だったのだ。
ブレザーは同様。ズボンはコットン製のスラックス。これはまあ予想していた通りなのだが。ゲルグはブレザーの下に、純白の学ランを着ていた。
ちなみに、ギーゼルに聞くと、制服はある程度カスタマイズが可能で、上級生にはほぼ私服レベルに改造している者がいるそうなので……ゲルグの格好がどれだけ奇抜でも不思議はないのだが──一応初期装備という物は存在するわけで。
そもそも制服のカスタマイズ──俗に言ってしまうとお洒落とゲルグが、チサトの中であまり結びつかないのである。失礼な偏見だが。
「うっ……やっぱ似合いませんか……?」
ゲルグが青い顔をして肩を落とした。
「いやいや、似合わないっつーかむしろ妙にしっくりきてるつーか……ワイシャツとか黒の学ランより良いじゃん? 見たこたぁないから知らんけど」
「実はこれ……ギーゼル先生に指定された物なんです」
「指定?」
前述の通り、祝福の学舎の制服はかなり自由度が高いはずだが……?
「……」
「うわっ」
不意に、チサトの隣に控えていたシャロンが、ゲルグの胸元をじっと観察する──その視線は、純白の学ラン全体に滑ってゆく。
「あの……シ、シャロンさん?」
「……チサト。これ──」
「ん? なになに?」
シャロンがチサトの脇腹をちょんちょんと突き、ゲルグには全く意味がわからないジェスチャーを。
「あ、魔導具?」
「ん」
数拍置いて、シャロンの意思を汲み取ったチサトがポンと手を叩く。
「わ、わかるんですか……」
「ゲルちゃんのそれ魔導具になってるんだって」
「は、はい。あの、爆発魔法の魔法式? が組み込まれているみたいで……」
「あー……」
ゲルグは死刑囚。ギーゼルが無理矢理祝福の学舎に編入させたとはいえ、こうでもしないと身の自由をもぎ取れなかったのだろう。何と言えば良いのか……その場に微妙な雰囲気が流れた。
「お待たせしました、来賓許可証取って来ましたよ」
その沈黙を破るように、しっかりゲルグを含めた人数分の札を手にぶら下げたシェルフが駆け寄って来た。
「おっ、ナイスタイミングゥ!」
一同はそれを受け取ると……校舎の中に入ってゆく。どうやらお昼休みの時間らしく、校舎内はガヤガヤと騒がしい学生たちで埋め尽くされていた。
「あっれ、避難誘導とか良いん?」
チサトの疑問ももっともだ。生徒数人が行方不明となり、魔物の魔力も観測されたならば……普通は一般人たちを速やかに避難させるべきだ。
「ちゃんと書類読んでないんですか……? 王都内に魔物が侵入した、だなんて一大事ですよ。そう簡単に大っぴらにできるわけないじゃないですか」
「まあ、そりゃそうだけど」
「私たちは日々魔物退治で忙しい諸先輩方に代わって行方不明者を捜索しに来た聖騎士見習いという設定です。三人とも、ここの生徒たちに聞かれたらそう答えてくださいね?」
「オッケー。間違っちゃいないしね」
「そもそもこの事件、異常な部分が多いんですから……一般人に余計な心労はかけさせずに、速やかに私たちで解決するのが最善です。行方不明者のご友人にアポイントメントを取っているので、屋上に向かいますよ」
一同はシェルフを先頭に、事情聴取を引き受けてくれた行方不明者の友人の女子生徒が待つ屋上へと向かった。
屋上に到着すると、眼鏡をかけた女子生徒が一人。
「どうも、行方不明者捜索の件で派遣されました、祝福の学舎のシェルフ・リュウです。こちらは──」
「どーもぉ! チサトでーす」
「チサト……任務では姓を名乗ってください。あなた私の先輩でしょう」
「良いじゃん細かいことは! 同年代なんだし気楽に行こ気楽にっ! それであなたの名前は?」
「ミラ・ブラウンです。よろしくお願いします……」
「早速ですが行方不明者の名前、クラス、それと当時の詳しい状況も教えてもらえますか? 全くあの汚馬鹿ローブ……何ですかこの適当な書類は」
「…………」
「? ああすみません、こっちの愚痴です」
「…………」
「あの、聞いてます?」
「ボーン?」
ブラウンと名乗った女子生徒は、祝福の学舎の面々の中である一人をまじまじと見つめていた。
シェルフはゲルグの方を見やった。当然、他二人の姓と一致しない名だったからである。
「ど、どうも……ブラウンさん」
ブラウンがゲルグの姓を呼んでから、ゲルグはばつが悪そうにチサトの背中から姿を現した。
「ゲルグさんの知り合いですか?」
「知り合いって言うか……クラスメイト。ボーン、あんた例の件で王国騎士に捕まったって聞いてたけど……いつの間に聖騎士になったの!?」
「え、えと、そ、それは……」
ゲルグが口籠った。どうやら初対面だったシェルフたちだけでなく、元々のクラスメイト相手にもまともに話せないほど気弱な性格らしい。まあ今は5月だし、シェルフたちとブラウンに大した変わりはないのかもしれないけれど。
「彼は現在、保護観察処分という形で私たちと行動を共にしています。それではブラウンさん、気を取り直して──」
その後、ブラウンから行方不明者二人の大まかな人となりと事件発生当時の状況を把握し、彼女らが最後に目撃されたこの屋上を調査することに。
「特に共通点は無かったねぇ。ブラウンちゃんの友達ってだけで」
「それにしても……放課後、屋上で来月の文化祭の準備中に、ブラウンさんがお手洗いで目を離した数分の間で失踪ですか……穏やかじゃあないですね」
二人が失踪してから一切の物が動かされていないという現場を観察する。出店の看板? らしき物に絵の具が中途半端に塗られたままだ。なんなら看板の上に、今はもう既に乾いてしまった絵の具が付着した筆がぽつんと置かれていた。
周囲には被害者の荷物が。鞄の中の学生証は、書類に書かれていた名前、ブラウンから聞いたクラスと情報が一致している。財布などの貴重品も入ったままだ。
二人して示し合わせて家出したとかじゃない。争った痕跡もないので、誰かに攫われたとかでもない。これは、例えるなら──
「神隠し、と言ったところでしょうか……ある日当然、その人が消えてしまったような、不気味なくらい痕跡がありません」
「金等級以上の濃度の魔力が確認されたんだし、怪奇現象の一つや二つ起きるっしょ。神隠しを起こす魔法持ってるなんざ聞いたこたぁないけどね」
探知魔法──入学前にギーゼルに半ば無理矢理覚えさせられた魔法で、聞かされていた魔力残穢を調べてみることに。
その様子を、ゲルグは遠目からぼうっと見つめていた。
ゲルグは魔法を習い始めて一週間。他人の魔術……探知魔法なんてものは使えるわけがない。そもそも凡人であるゲルグには自身の魔術だってない。
結果的に……やることがなくて待ちぼうけだ。
「ねぇボーン。ちょっと良い?」
そんなゲルグの閑暇を破ったのはブラウンだった。
「ブブラウンさん……」
「あ、あのさ……やっぱり、例の件から立ち直れてないの?」
「……シ、シェルフさん」
ゲルグはシェルフに視線を向けた。あんまり小さい声だったんですぐには聞こえなかったのか、しばし間を置いてからこちらに気がついた。
「ああ、別に良いですよ。どうせ役に立ちませんし」
「あ……はい、そうですね……」
ゲルグとブラウンは、シェルフたちから少し離れた位置まで移動し、誰もいない校庭を見下ろしながら話し始めた。
「行方不明になった子……エリカちゃんとミーロ。よく話してるんだ。あんたにとってのヴェリアさんみたいな子っていうか。とても大切な──親友なの」
ヴェリアというのはナツの姓だ。
ナツは……ゲルグの幼馴染であった。高校ではクラスメイトだった。
「私さ……自分が人を殺すなんて有り得ないって思ってたけど。今ならわかる気がする……もし、二人を殺した奴が目の前に現れたら……私、許せないと思う」
「…………」
「あんたが人殺しなんてするわけはないって思ってたけど…………あんたもこういう気持ちになったから、殺したの? あいつら」
「っ……!」
あの日……それもこの屋上でだ──男子生徒四人が殺害された。
彼らはその直前……ナツを殺していた。いや、正確には結果的に殺してしまったというべきか。彼らにそれができるほどの度胸があったとは思えない。何かの拍子に……多分、ふざけていて突き落としてしまったとか、そんなだろう。
あの時──その光景を見た時。ゲルグは自分が我を忘れてしまったのを覚えている。自我というものが離れてゆき、意識が遠くなって……気づいた頃には、目の前で彼らが死んでいた。誰かに殺されていた。
否……それはあまりにも楽観的すぎる思考だ。
彼らを殺したのは、自分しかいない。
「死んだ方が精々する人間って、いると思うの。私はあんたのこと、ほとんど知らないけど……良い奴だって思ってる。少なくとも私は、あいつらよりボーンやヴェリアさんの方が好き」
典型的なチンピラであった。人のことをとやかく言えるような性格をしていないゲルグも、彼らのことは心底軽蔑していた。かと言って、当然言葉に出すことはしなかったし、殺したかったわけでもない。
ブラウンが言わんとしていることはわかる。
「だから……その、ええと、気の毒だったわね」
彼らも、広い目で見れば人殺しだったのだ。ナツを殺した最低のチンピラ共。そんなのを殺したところで、気負うことはない。
──だが、ゲルグは首を横に振った。
「ううん、ぼ、僕は、人殺しだから……気の毒なことなんて、ないですよ」
そうだ。他人を殺して良い理由があるわけがない。人を殺した人間は魂まで薄汚れて呪われるのだ。例え相手が悪人であろうと……そこに例外一つ存在しない。
ゲルグは自分が殺した彼らが嫌いだ……嫌な奴だったし、根暗で高校に馴染めずにいた自分によく絡んでは嫌がらせをしてきた。終いにはナツを死に追いやった。だが……だからと言って、殺されて良いはずがない。
「ブ、ブラウンさんは、僕のようにならない方が良い……きっと僕が、ううん……シェルフさんたちが、そうはならないよう、ワイルさんたちを探してくれると思い、ます」
自分のようにはなるな、だなんて。そんな格好つけた発言はきっと、殺人鬼には似合わないだろう。
人殺しの自分に、生きてて良い理由なんてないのだ……人助け、だなんて──そんな綺麗事じみたことをしてる隙があるなら、今すぐ首を刎ねるべきだ。そんなの、自分を生かす言い訳じゃないか。
自分のおかげで助かる命があるなら──もし、ゲルグが凄い人間なら、生きてて良いって言えるから。
でも……人殺しにはそういうのは似合わない。
ゲルグはブラウンと別れ、探知を終えたらしいシェルフたちと合流した。
シャロン曰く──魔物は知能が高いのか、自分の痕跡を上手く消しており、魔物の魔力残穢から追跡することは難しいそうだ。
となると、魔力制御とは無縁の一般人である被害者二人の魔力から追跡したいところだが……これまた不可能。被害者の魔力があまりにも弱すぎて残穢が残っていないのだ。
一同はその場を後にし、その他にも確認された行方不明者を調べることにした。ここは普通科高校だが、その失踪者の中にもしかしたら魔力残穢を残すほどの将来有望な生徒がいるかもしれない。
残りは三人……ブラウンの知人ではないようなので、彼らのクラスを知るため、名簿を手に教員室へ向かう。
その道中、
「ナツさん、殺されたんですね」
一同の先頭を歩いていたシェルフは、不意にゲルグの隣に来るまで歩くスピードを遅めると、そんなことを言った。どうやら、先ほどのゲルグとブラウンの会話を聞いていたようだ。
「同情はしませんけど、理解はします。私にだって、殺したい相手くらいいる」
少し、意外だった。
ゲルグの勝手な偏見かもしれないが、彼女は何事にも真っ直ぐで、正しさを胸に戦う少女だと思っていたから。
そんな彼女が、他人への恨みを吐くなんて。
いや……案外、人間というのはみんなそうなんだろう。ただ、それを行動に移してしまったゲルグが、どうしようもなく救いようがないだけで。
「ナツさんはどうして殺されたんですか?」
「──ぼ、僕、虐められてたんだ……こ、この学校で。ナツちゃんは僕の幼馴染だったし、何度も庇ってくれていたから……それで」
「え……」
ゲルグが答えると、シェルフは目を丸く見開いて硬直した。
「シ、シェルフさん……?」
「っ……な、何でもありません! 早く行きますよ、4組は避けてあげますから……あんまりモタモタしないで着いて来てくださいっ」
彼女の怒りのツボは未だによくわからない。どうやら腹を立ててしまったようだ。
シェルフは大股になってゲルグの前を行くようになった。
(4組は避けてあげる──って、もしかして、僕に気を遣ってくれたのかな……?)
ゲルグは一歩前を歩いているチサトに小声で話しかけた。
「あ、あの……チサトさん。シェルフさんが、急に僕に気を遣ってくれるようになった気がするんですけど……ど、どうしてなんでしょうか」
この一週間。ゲルグは彼女と対等な関係で会話をした記憶がない。いつだって彼女はゲルグを見下していたし、人として軽蔑していたように思う。ゲルグは人を殺したのだから当然だし、受け入れていたのだけれど……何と言うか、不気味だ。
彼女の意図がまるで掴めない──けれど、ゲルグよりも幾ばくか彼女との付き合いが長いチサトは、すぐに彼女の心を察し、ゲルグの疑問に答えた。
「ああ。多分ゲルちゃんが虐められてたって知ったからじゃないかなあ」
「え?」
二人は、ズカズカと大股で歩く目先の少女の背中を見やった。
「ど、どうして……そ、それで?」
虐められていた少年に同情したのか? 否──だとしても、人を殺した人間に同情の余地があるはずがないだろう……。
「──あの子も虐められてたんだよ。祝福の学舎に来る前ね、ワイズマンハウスっていう孤児院で」
「え……!」
「ちょっと、声大きいっ」
「す、すみませんっ」
ゲルグが珍しく大きな声を出すものだから、シェルフがこちらを振り向いて疑問の視線を投げてくる。チサトとゲルグは曖昧に笑ってやり過ごした。
シェルフがこちらに興味をなくし、視線を前方に戻すのを認めてから……チサトは小声を作って話を再開した。
「その孤児院がね? これがまあ古臭い価値観未だに引きずってるトコでさ。獣人差別が蔓延してた──ううん、してるの」
「獣人……? へ……だ、だってシェルフさんは──」
獣人──言わずもがな、人間の容姿に獣の耳と尻尾を持ち、その獣に近い能力を持つ種族たちのことである。
確かに……古い時代には、獣人は下等生物として扱われ、奴隷同然の扱いを受けていたことも知っている。否──現在でも、地域によって、人によって未だに根強く彼らを見下す人間は存在する。獣人だからと差別され、虐められることもあるだろう。
しかし……ゲルグの前方を大股になって歩くその少女に、獣の耳は見当たらない。尻尾もだ。
「シェルフは戦災孤児でね。幼い頃、今はもう名前も残ってない亡国から亡命して来たところを……狼族の男の人に拾われたの」
「戦災孤児……」
聞き馴染みのない言葉である。しかし、字面からその意味はなんとなく推察できた。シェルフという少女が、自分とは比較にならないほどの不幸の中で生きてきた少女だということも。
「でも……数年前、お義父さんが病死しちゃって。ワイズマンハウスに預けられることになったの」
だが……その孤児院は、獣人差別が蔓延している場所だった。
「獣擬き……って、お義父さんのことも自分のことも貶されて、ずっと酷いことをされてきたから──ゲルちゃんも同じだって知って……ね」
「そ、そうだったんですか……」
シェルフが……あの、誰より強い少女が、ゲルグのように虐めを受けて育ってきたなんて。
いや……彼女の強さはの由縁はそこにあったのだろう。
「でもね──あの子は、それで腐ったりせず……むしろ負けてたまるかって感じで反骨精神を剥き出しにして生きてきた子だから。まだ立ち上がり方を掴めてないゲルちゃんに厳しくしちゃうんだと思う。
だからあの子のこと……あんまり嫌いにならないであげて? 根はめちゃくちゃ友達想い……っていうか、家族想いの子だからさ」
「家族……ですか?」
「そ」とチサトは頷いた。
「ゲルちゃんも諦めずにシェルフと対話し続けてみて? あの子、甘えん坊だから。家族って認められたら意外とすんなり仲良くなれるよ」
「……僕が、ナツちゃん以外の人と友達に、か……」
想像ができない世界だった。何度も考えはした。ナツから離れなければならない……いつまでも彼女の背に隠れて怯えてはならない、と……自分の未来の姿に想像を膨らませ──その想像はいつも瓦解する。
「ぼ、僕なんかに、その資格はありませんよ……人
をこ、殺した僕に──誰かの友達になって、幸せに生きる権利なんて。そ、それに僕みたいな弱虫に絡まれても、きっとシェルフさんも迷惑なだけですよ……」
「大切なのは諦めないこと。失敗して他人に迷惑かけるのが怖いんなら、迷惑かけても良い人を見つけんさい! シェルフに認められるまでは私とシャロンがゲルちゃんのソレになってあげるから!」
「ちょっと……」
勝手に「迷惑をかけても良い人間」にされ、シャロンが不満けな表情を作る。
やっぱりゲルグには、人を殺したという呪いが背中に憑いて回る。何をしようにも……人殺しの自分にその資格はない。幸せに生きる権利がない。
本当なら……あの時死して罪を償えるところだったのに──ギーゼルはなぜ、ゲルグを牢から連れ出してしまったのだろうか。
何をするにも資格がない。こんな人間を生かして、外に出したって、何の特にもならないだろうに。
ゲルグの頭の中で黒いモヤのような苦悩が膨らみ続ける中……一同は職員室に到着した。
・専門用語紹介
王国騎士……騎士や聖騎士の総称。治安維持組織名。
騎士……役割としては憲兵の面が強い。聖騎士よりも給料が少ないが、楽だし安全なので割と人気な職。聖騎士ほどの実力を持っているが騎士になる人間もいるほど。筆記試験だけでなれる。
聖騎士……通常の騎士とは異なり、戦闘力に秀でた者たちを指す。その中でも鉱石でランク付けされている。騎士よりも給料が高いが、自分のランクより一つ上の魔物の討伐任務が回ってくることは日常茶飯事の死と隣り合わせの職業。騎士の手に負えない人間の犯罪者相手にも対応する。筆記試験に加え、実技試験を突破しなければなれない。
騎士団……騎士や聖騎士が所属するチーム。祝福の学舎が一例。




