第一話:呪われた魂はどこへ行ってしまうのか
崇高な精神を持つ者──所謂英雄と、その人生は、人々の感動を誘い、賞賛される。当たり前のことだ。
それじゃあ──悪者は? その人の生き様は、他人にどう受け取られるのだろう。あるいは、そもそも受け入れられるのだろうか。どんな理由があれ、人殺しだからとバッサリ切り捨てられてしまうものなのだろうか。
欲望に堕ちるしかなかった者は、一生誰かに理解されることなく孤独に潰えるのだろうか。
世界には、そういう英雄と悪者の戦いが溢れている。双方の望みをかけて殺し合う。そして大抵、悪者が敗れる。そんな争いはありふれていて、何も珍しくない、周知の醜悪なのだ。
それでも──
どんなに世知辛い世界でも、僕だけはあなたに祝福を。
英暦79年5月8日。藤王国王都アルカンシェルの都立の一般高等学校にて。1年生四人が変死体で発見された。第一発見者であり、重要参考人の少年を確保。
15日。騎士団は容疑者の少年の処刑を決定。同日、任務を受託した聖騎士が少年に殺害される。後日、騎士団は次の執行人を派遣。結果は変わらず。
20日。騎士団は神伝合金聖騎士ギーゼルを執行人に任命。ギーゼル氏はこれに対し、受刑者の無罪を主張し、速やかに当該人物を保護するべきだと主張。
24日。ギーゼル氏により運営されている私立の学校施設、祝福の学舎へ、殺人犯ゲルグ・ボーンの入学が決定。
「と、いうことでっ、今日からみんなの同級生になりますゲルグくんです」
隣に、何やら根暗そうな一人の男子を伴って。しばらく姿を見せなかった担任が現れたかと思うと、開口いの一番がそれだった。
当然ながら、その場にいた三人の学生は驚きを隠せず、一人はこめかみを指で押さえ、一人はあんぐりと口を間抜けに開け、また一人は言葉を失っていた。
ここは祝福の学舎。ギーゼルという、王都で一番の自分勝手な女が運営している私立の学校施設だ。
学校──とは言ってもまともに学校としての体裁は保っておらず、そもそも国から学校として正式に認められているわけでもない。私有地にでっかい屋敷を建ててここは学校ですと宣っているだけで、生徒も十人に満たない施設なのだが……これに関しては話すと長くなるので一旦割愛。
とにかく重要なのは、うら若き少女三人のみで構成された1年生に、男性の殺人鬼が転入するという事実が唐突に知らされたことである。
「いっやぁ、これでようやく一年生が四人だねぇ。殺されたくなかったら仲良くやってね」
この祝福の学舎の校長、ギーゼルがニマニマと笑うので、生徒のうち一人がたまらず声を上げた。
「ちょっと待ってください汚馬鹿ローブっ、彼はその……最近新聞でよく見る例の殺人鬼と同姓同名のように聞こえたのですが」
「うん、そうだよ? 聖騎士や一般人を何人もぶっ殺したトンデモ殺人鬼。何とか執行猶予をもぎ取ることができてね」
(何を「当たり!」みたいに言ってるんだこの人……)
質問をした学生の心中での独白は──今も楽しげにほくそ笑んでいるギーゼルを除いたその場にいる全員が抱いた共通の感想だった。紹介された当の本人──ゲルグすらも例外ではない。
ゲルグ・ボーン──たかが一般人に聖騎士が返り討ちに遭ったとなると信用問題なので公的には伏せられているものの、彼が白金の聖騎士すらも殺したというのは、王都で活動する聖騎士であれば誰もが知る情報だ。そんな男に、まだ聖騎士見習いの学生たちと一緒に魔法を習わせるだなんて。彼女は一体何を考えているのだ。
「ささ少年。いっちょ挨拶」
ギーゼルにドンッと背中を押されて、殺人鬼の少年が今にも泣きそうな表情で、
「え、えっと……その、み、皆さんの迷惑になるようなことは絶対にしません……もちろん傷つけることもっ」
「は、はぁ……?」
そこで、女学生たちは目を丸くした。理由はもちろん、彼の口調や声色、そもそもまとっている雰囲気。ゲルグ・ボーンという人間を構成している要素全てが、彼が殺人鬼であるという情報にいささか首を捻らざるを得ないものだったからだ。
「んじゃ、そういうことだから、今日から頑張って。私はシルフィのとこへ戻るから」
疑問を感じる生徒たちに何を説明するでもなく、ヘラヘラと笑うギーゼルの身体を魔法陣が包み込むと、彼女の姿が影も形もなくなってしまった。
「き、消えた……!?」
「まったくあの馬鹿はっ……」
女学生の一人が頭を抱えわしわしと掻きむしる。ふと、もう二人の学生たちを見てみると、彼女らはどうにも興味が無さそうに小石を蹴ったりして暇を潰しているようだった。
さっきから喋っているのは彼女だけだし、彼女が三人の中でもリーダー格の人物なのかもしれない。
「え、えーととりあえず……シェルフです。よろしくお願いします……ゲルグ──さん?」
シェルフは一歩身を引いている。ナンパしてきた変質者から距離を取るような薄っぺらい警戒ではない……道端で獅子と出会ったかのような、命の危機を視野に入れた異常な警戒であった。
それもそうか──確かにゲルグは人殺しだ。
ゲルグ自身も今更それを否定するつもりはない。どれだけ反省の言葉を連ねたところで、自分が人を殺したという事実は変わらない。自分がしたことは許されないことで、自分は多分、できるだけ惨たらしく死んで詫びるべきなのだ。
死刑を免れ、この学校の校庭の上に立つ今も、漠然と思う──ギーゼルというらしいあの女性は、どうしてゲルグをこんな場所に連れて来たんだろう、と。
「まず……ここが何をする場所か知っていますか?」
「ご、ごめんなさい……全然」
肩を萎縮させて答えると、シェルフが握る拳にぴくぴくと血管の筋が浮かび上がった。
「あの汚馬鹿ローブ……次来た時殴ろう」
「え、えと……」
汚馬鹿ローブとやらがギーゼルを指していることを察し、どんな反応したら良いものかと口をつぐむ。どう考えても蔑称だ。
「あぁ、ごめんなさい。あなたには関係……いやあるか。生徒一同で殴るなら」
「……」
もしかしてこの人、口調は丁寧だがかなり暴力的な人間なのでは……。
というかギーゼルは、彼女の先生だというのにあまり尊敬されてなさげだった。彼女以外にも二人の女学生がいるようだが、彼女らもギーゼルを尊敬しているようには見えない。
「えっと、その、皆さんのこと……教えてくれませんか? 僕、今朝ギーゼルさんに牢屋から連れ出されてそのままここに来て……皆さんやギーゼルさんのこと、何も知らないんです」
何も知らされず牢から出された少年を哀れに思ったのか。少女はシェルフと名乗ると、ちょっとした昔話を語ってくれた。
──昔。今から約80年前のこと。
長きに渡って世界を混沌の闇に陥れ支配していた魔王──名の通り、魔人族の王が遂に滅びを迎えた。
魔王を討ち取ったのは勇者一行。
始源の英雄トゥバーン。
巨人の武王フィンラス。
幻影の弓士アスナ。
そして──閃光の大賢者ギーゼル。
そう、あのギーゼル──殺人鬼を生徒の許可無しに学校へぶち込むノンデリの塊のようなあの鬼畜教員は、世界を救った勇者の一人だそうだ。
見た目はゲルグよりも歳下に見えるが、どうして100歳を超えているのに老いることがないのかと聞いても本人は答えてくれない。真偽は定かではないが、彼女の年齢は百万歳を超えるという話だ。彼女の人相を思い返してみても、顔の両脇を飾る耳は丸かった気がする。
とにかく彼女は、魔王が討伐され世界に平和が満ちてから80年が経とうとしている今でも現役の……唯一の勇者なのだ。
そんなギーゼルが勝手に開いた学校施設。それがここ──祝福の学舎。ギーゼルの『お気に入り』の少年少女たちが、互いに切磋琢磨して武術や魔法を極める場。生徒のほとんどが、ゲルグと同じ行く当てのない訳アリなんだそう。シェルフたちや今日入学したゲルグは1年生。2年と3年は任務で出払っているそう。4年生の席はあるが、今年で開校3周年。
「80年前に魔王を倒した勇者様……なんだか、想像もつかない世界だ…………」
ゲルグは頭の中に浮かんだ正直な感想を溢した。
「えぇ、汚馬鹿ローブは間違いなく世界を救った勇者なんですが……ちょっと性格に難がある人でして」
「ちょっと……?」
何人も人を殺して来たゲルグを自分の生徒たちと予告無しで遭遇させるような人間なのに?
「それでも、善人なのは間違いありません。私たちは皆──彼女に救われた者たちですから」
今ゲルグたちがいるのは祝福の学舎の校舎──と言っても、校舎として使われている館はギーゼルが個人の資産で購入した物件。この学校には税金なんぞ一ミリも投入されておらず、一般市民には手が届かない程度の……貴族からすればどこにでもあるような、しばしば小さな館だ。
学校にしてはかなり小規模な施設だが……生徒数がゲルグを入れてたったの四人(一年生のみだと)なので、狭苦しく感じることはない。
「学校というより、汚馬鹿ローブが拾った人間が住む孤児院なんです。せっかくだから有能な聖騎士に育てようってことで、彼女か雇った聖騎士が月に一回くらい……魔法と武術を教えに来てくれます」
「な、なるほど……」
ゲルグたちが腰を落としているのは談話室のソファ。視界には、三人の少女がいた。ゲルグの向かい側のソファに二人、その脇に一人。
まず、ゲルグを案内してくれた少女がシェルフ。暗みがかかった青の長髪を後ろで束ねていて、男性にしては小柄であるとはいえ、ゲルグよりも身長が高い。露出している腕や足を見るに、かなり鍛えている。筋肉ががっちりとしていて、そこだけ見れば男性と間違えてしまうかも。総じて頼り甲斐のあるリーダーというか、丁寧な口調とは裏腹に男勝りな気質を感じさせる少女だった。
彼女の……いや、今やゲルグの同級生でもある残りの二人の少女──シェルフの隣、家族のような距離感でシェルフにべったりとくっついている少女は、濃い黄金色の長髪を靡かせていた。活発そうな雰囲気を帯びる明るい表情と、海のように青い両の眼が特徴的だ。遅れて気づいたが、恐ろしいほどの美貌だ。モデルのようにシュッと整った顔立ち、毛穴一つ見当たらない赤子のような瑞々しい肌。客観的に見てこれほどまでに美しい少女は、ゲルグはこの十五年で二度も見ていない。
最後に、ソファの脇に立つ少女。翡翠色の短髪でボーイッシュな容姿を持つ、どこか理知的な印象を受ける人物だ。こちらはなぜか、口元を空色のマフラーで覆い隠している。先の二人と違い、人となりがほとんどわからない……強いて言うならば、ずっとだんまりなところから気難しい人なんだというくらいだ。
「え、ええと……とりあえず、み、皆さんの、お名前を、教えてくだされば、と……」
「ああ、そういえばまだでしたっけ。私は既に名乗りましたが、シェルフです。ランクは銅等級……固有魔法は──まぁ内緒です」
シェルフが端的に自己紹介。聖騎士は鉱石によってその実力を階級分けされており、銅等級は最下位……だが、学生の内に聖騎士採用試験に合格し、等級を言い渡されてるだけ優秀だ。少なくともひ弱なゲルグよりかはよっぽど腕っぷしが立つのだろう。
シェルフが「次、チサト」と、金髪の少女へ視線を向けた。すると少女は、待ってましたとばかりに勢いつけて立ち上がった。
「よろしくゥ転入生。どーもぉチサトでーす! ランクは金剛石なんだけどそんなのはどうでも良くてぇ、好きな食べ物はスゥィーツ! とにかく不健康なヤツ!」
「え、えっと……は、はぁ」
思っていた通り……中々活発な人物のようだ。ゲルグが彼女の美貌に目を奪われるのに少々の時間を要したのも納得──ほぼ侮辱だが、オーラを隠すのが上手い人だ。
それにしても彼女……今、聞き間違いじゃなければ金剛石と言っていたのか? 白金等級の上……冗談でしか聞かない等級だが──気のせいと思うことにしておこう。彼女も学生なのだ、普通は聖騎士見習い……高くてもシェルフのように銅等級が精々だろう。
「次、シャロン。お願いします」
シェルフの言葉に応え、まだまだ騒ぎ足りない様子のチサトの肩を掴み引っ込ませて現れたのは短髪の少女。
彼女は口元を覆うマフラーを押さえ、一言。
「──シャロン」
「……え?」
たった、それだけである。これには自他共に認めるコミュ障のゲルグも面食らった。もはや自己紹介と言えるのかすら怪しい……名前の開示だけ。
ゲルグが困惑していると、不意にチサトがシャロンの前に立った。
「ごめんごめん! この子ってば呪われててさ。自由に話せないの」
「の、呪い……!? 呪詛ですか……?」
当たり前のことだが、ついこの間までは一般人だったゲルグには呪詛なんて縁遠い存在なのでイマイチ理解には至れなかった。
「ん、んっ」
言葉を発さない少女──シャロンは、口元をマフラーで覆い隠しており、唯一外気に晒している目元だけを動かして、自身の感情表現を行っていた。
「……え、ええと」
普段当たり前のように使っている言葉のありがたみを感じる。それはゲルグよりもシャロンとの付き合いが長いシェルフも同じのようだった。
「チサト。出番です」
「『先輩後輩みたいな仲じゃないんだし敬語はいらねぇ!』って言ってら」
見た目に反して随分と熱血な口調である。多分にチサトの編集が入っていそうではあるが。
「えっ、あ、ありがとう、ございます……」
どう返して良いのかわからなくて、ゲルグはシャロンの目すら直視できずに、結局敬語で話してしまった。
何も思わず他人の下につくことだけを取り柄に生きてきた。彼女たちのような優秀な聖騎士見習いを相手に、対等に接することなんてできない。自負……というべきか。あるいは自虐なのか……ゲルグには自分自身へのそんな信頼があった。
それでも、殺人鬼である自分に優しく接してくれたことを嬉しく思ったのか、ゲルグの頬に一瞬朱みが差すが、彼はすぐに思い直すように首を横に振った。
「い、いえっ、やっぱり駄目です……僕には、あまり近づかないで、ください」
「近づくな……とは? 初対面でいきなり失礼ですよ」
「あっ、やっ、そんな、つもりはなくて……」
「ちょー……シェルフはなんでもかんでも思ったことをズバズバ言いすぎー」
「チサトとシャロンが優しすぎるんですよ。これが私流のコミュニケーションです」
「うわー開き直りだ……」
「それで」とシェルフが続ける。
「あなたのことを教えてください。当然のことですが、いくら見てくれがひょろひょろの少年とはいえ、身の上を話そうとしない殺人鬼と同じ屋根の下で勉学に励む気にはなれませんから」
チサトが頭を抱えるが、なまじ正論なのでどう口を挟めば良いかもわからない。
「さっさと自己紹介、というより、殺しの動悸を説明してください。情状酌量の余地があるのなら私たちもそこまであなたを軽蔑しませんし、逆にただの快楽殺人鬼なら即刻叩き出しますよ」
「そ、その、それ以上は、聞かないで、ください……」
「なぜ?」
ギロリと、野生動物のような威圧感を伴った視線に当てられ、ゲルグは固唾を飲み込んだ。
「説明しても、わからないし、信じてもらえないと、思うので…………」
ゲルグは一瞬黙ってから、視線を下げる。彼の双つの腕は、まるで自分自身を守るように抱きしめていた。
「──い、言えません」
シェルフは額に手のひらを押し当てると、肺の奥から捻り出すようなため息を強く吐き出した。
そして、ゲルグの眉間に自身の人差し指の先を触れさせる。
「ハッキリ言います。私はあなたのような人間が、数あるタイプの中で一番嫌いです。正直、殺人鬼とかそういう云々以前に、あなたのような人間と切磋琢磨できません」
その時。一体、どこが彼の心を逆撫でしたのか。シェルフの言葉を引き金として、途端にゲルグの肩が震え出した。
「──待って……待って……やめて。違う」
「何が違うんですか? わかりやすく言って欲しいですね。ハッキリしない人も嫌いですよ」
彼の様子に、最初に違和感を覚えたのはチサトだった。
彼は怯えている──別に、その時何かに恐怖を感じることに何ら不思議は無い。態度の大きいシェルフに何をされるのかと身構えていたのかもしれないし、刑務所に戻ることを恐れていたのかもしれなかった。
しかし……たった少しの違和感。彼の顔面を曇らせる表情は──今すぐにでも起こりうることに対する、妙に現実感の籠った……、
「違う、違うんだ……落ち着いてっ」
鼓動が早まるように、段々と語気を強める少年。足を三角に畳み、全身をビクビクと震わせる彼からは、まともに会話ができそうな様子が見受けられない。
「…………ちっ、めんどくさいな……」
まるで自分が己よりも弱い少年を虐めているかのような現場になり、シェルフが思わず素を出してその場から身を引こうとした瞬間だった。
「駄目だッ! ナツちゃん!」
「え……?」
気弱で温厚な性格のように思えたゲルグが、突如として声を張り上げさせて叫んだ。彼の制止は、それまでの言葉とは一線を画す──
次の瞬間、まるで電気ショックでも一身に受けたみたいに、ゲルグの身体が胸を起点として跳ね上がる。
目前にいたとはいえ、シェルフたちにすら聞こえるほどの異様な心拍の音。そしてゲルグは、だらりと手を垂らして脱力した。その場に、立ったまま気絶したのかもしれない。
それから数十秒。その場には重苦しい沈黙が流れたが、いつまでもこうしてはいられない。シェルフはため息を吐きつつ、脱力するゲルグの顔を覗き込んだ。
『ふぅん。女の子か』
同時、脱力していたゲルグの指先に魂が籠り、視線を上げてシェルフを覗き返していた。
「なんだ、起きてるじゃないですか」
「……シェルフ、下がって」
何か違和感を感じたのか、チサトがそう助言を投げかけるが、シェルフには意味がわからない。
『びっくりだなぁ。ゲルグに纏わりつくのは男の子ばっかりだったから、こんなに沢山の女の子はちょっと新鮮』
「あなた、何を……」
チサトが感じた違和感の正体がなんとなくわかった。少なくとも今この少年──普通の状態ではない。
『でもまあ、ぶっちゃけ男子より女子の方が陰湿な時ってあるからねぇ。油断できないや』
シェルフが後退り……する直前。ゲルグが地面を蹴り、とてつもない風圧と共にシェルフの眼前に迫った。
「ぃッ!?」
男性にしては細く色白の指。それが纏わりつくようにシェルフの首を掴み、足が床を離れる。
「ぐっ………!」
しかも──かなり強い! 日々魔力を習い、武術の道を歩む聖騎士が……手に魔力を込め全力で引き剥がそうとしても解けない握力。明らかに、普通の高等学校生が備えている魔力制御の範疇を超えている。
『だって、感じた。ゲルグを虐めるドス黒い負の感情。ゲルグを虐める奴は、みんなみんな──』
そして、その違和感の正体は──はっきりと、決定的なその一言を発した。
『あたしがぶっ殺してやる』
「っ!?」
淡白。言葉を文字に起こすと人情を感じるのに、中々どうして、豹変したゲルグを目の前にするシェルフたちは、その言葉を酷く淡白で情の欠片もないもののように感じた。
シェルフの首を掴んでいないもう片方の手。そこに、桃色に妖しく光る魔力が収束してゆく。
『地獄に堕ちちまえ、このクソ女』
心臓を射抜くような、鋭利な恐怖。
──別人だ。そこにいるのは、先ほどまでの気弱で軟弱な少年ではない。人を殺すことに躊躇をしない化け物だ。
「【帰って】」
ゲルグ──の姿をした何者かが左手に収束させていた魔力を放つ刹那。シェルフの背後にいる少女、シャロンが、マフラーに覆い隠されこちらからは見えない口を開いた。
耳鳴りがする。何度体験してもこの感覚は慣れないものだ、とシェルフは顔をしかめる。
ゲルグが額を思いっきり突き飛ばされたみたいに仰け反るので、その隙にシェルフは彼の拘束から逃れ後退。
シャロンの方を見やると、彼女は吐血していた。汚れを嫌ってか、首に巻いていたマフラーは緩め──その向こうから、割と笑い事ではない量の血が滴っていた。
「助かりました……シャロン──大丈夫ですか?」
シャロンがサムズアップで返す。血を吐いているものの、表情は相変わらず動かない。日頃呪詛と向き合っているのだ……彼女が我慢強い性格であることはよく知っている。あまり気を使いすぎる方が無礼というものだろう。
今はそんなことより…………突如襲ってきた新入生の秘密を突き止めねばなるまい。
視線を戻すと、唐突に表面化した謎の人格は消え失せており、ゲルグの表情が元の気弱な人間のものになっているのがわかった。
正気を取り戻したらしいゲルグは慌てた様子で辺り見回し、無事のシェルフたちの姿を見つけると安堵の吐息を溢して座り込んだ。
「良かった……今度は、殺さなくて済んだ」
「ゲルグさん、今のは……何がどうなっているのか、ちゃんと説明してください」
彼は言った、説明してもわからないと。いや、正確には──彼の秘密は、自分の潔白を証明する材料ではなかったのだ。
何より彼は、その天性の善性から──その事実を、自分を守る盾として使うつもりがなかった。
「僕には、ある女の子の魂が入っているんです……」
自分の手を見つめる。我ながら、男性のものとは思えないほど色白く、細い指。しかし、ゲルグには自身のそれが、どうしても紅蓮の血に染まっているように見えて仕方がなかった。
○●
閃光の大賢者ギーゼルは、殺人鬼ゲルグ・ボーンに祝福の学舎への編入を認めた。
それは当然、無罪のように思えた少年を保護するためだ。
しかし──またその逆も然り。
祝福の学舎は、ギーゼルが見惚れた『類稀なる才能を持つ子供たち』が集う学校である。そして、世界最強の魔法使いである自分も校長として身を置いている。
あそこは言わば檻──殺人鬼なのか無罪の心優しい少年なのかわからない……極めて不安定な少年を閉じ込めるための、檻なのだ。
「とある少年に突如芽生えた別人格……果たしてそれは、彼の身体を奪い暴れた殺人鬼なのか、罪から逃れるため彼が作り出した空想上の悪者なのか……」
ギーゼルは少年について振り返ってみた。
ゲルグ・ボーンは普通の少年だ。それは肉体的にも精神的にも。殺しとは無縁……むしろこの時代じゃ珍しいくらいの優しい性格だし、聖騎士はもちろん、真っ向からじゃ同級生の女の子にだって敵わないひ弱な体つきをしている。
それは彼だけでなく、彼の両親、彼のクラスメイトたちも証言している。ゲルグ・ボーンは人を殺すような人間ではない、と。そんな彼が人殺しだなんて、客観的に見ても信じられないことである。
「あるいは──」
──鍵は……事件と同時期に芽生えた、彼の新たな人格。
「そのどちらでもない、何者かからの趣味の悪い呪詛なのか」
閃光の祝福ギーゼル0、お楽しみいただけましたでしょうか。
この作品はファンタジーものですが、バトルよりは群像劇を主軸とした物語となっております。
元々は、魔法使いギーゼルが世界中を旅し、行く先々で出会った人々との交流を描く物語だったのですが、ふと思い至ってその練習がてらにこの作品を書いてみることにしました。
この物語が少しでも皆様の心を震わせる作品となることができれば幸いです。




